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コジキジゲン

「チバ」の「カンジるカンジ」って・・・ボクの混乱

2025-02-22 21:54:28 | 古事記字源
 以下、あっちこっちに跳んで
 ランダムな書き込み・・・
 「↓↑」を順次、目で追っても
 ボク自身がコンフユーズ・・・
 マッ、勝手な自己納得、解釈の妄想推理の書き込みだから
 ご容赦アレッ・・・
  ↓↑

 「チバ」の「カンジるカンジ」って・・・
 「風の中のスバル(昂・昴・諏葉留)」?
  ↓↑
 「千葉(ちば)」・・・・「千字文」?
 「千葉(せんば)」・・・「千波・船場」
 「千葉(センヨウ)」・・「占用・専用・船用・選葉」
 ↓↑
 明治6年6月15日・・・陸ネン陸ガツ壱拾五ジツ
 ↓↑
 千葉町を含む房総半島北部を中心とする
 印旛県(いんばけん)・・・印葉
 房総半島の南部
 木更津県(きさらづけん)
  ・・・記紀
     更(讃良=持統天皇?)に
     氵=さんずい=纂隋(簒隨)の
     聿(はじめ・ふで・イチ・イツ)を
     懸ける?
 が対等合併し
 千葉県が新設
 ↓↑

 平安時代前期
 『和名類聚抄(ワミョウ ルイジュショウ:和名抄)』
 に
 千葉郡・千葉郷
 が記録
 ↓↑
 中世
 「千葉庄(ちばしょう)・千葉荘」
 という
 下総(しもふさ)の国・・・房総(ボウソウ)半島
 最大規模の荘園があった
 ↓↑
 千葉郷の由来
 「台地・崖地の端」説・・・台=だい=臺・がけ=崖
                ム+口   臥懸 
 「泊(とめる・止・留)」説
  氵・・・纂隋は 白(いわく・曰)・私賂・新羅?
  ・・・「地図的」地形説は無いが
  ・・・「鳥=雞=酉=禽」の頭か嘴(くちばし)
 千葉郡・千葉郷
  ↓↑

 『古代地名語源辞典』
 地形に由来しているのが有力だ。
 古い地名は地形由来
  ↓↑
 「ツバ=台地や崖地の端」説
 「トバ=泊(とまり=港)」説
 ・・・
 「鳥羽・鳥葉」
  ・・・地図の俯瞰(鳥瞰)的図形は
    「鳥の頭」
    「鳥の嘴(くちばし・喙・咮)」
  ・・・にも見えるが・・・
    「俯瞰=鳥瞰」可能なのは
     空を飛べない
     鷄=雞、駝鳥にはムリだが
    「凧・気球・飛行機」の空中からの観察と
    「図形(地図)」を観れば理解(わか)るカモ?
     ↓↑
    「伊能忠敬」は「千葉の人」だった
     上総国
     山辺郡
     小関村
    (千葉県
     山武郡
     九十九里町
     小関)
     の名主
    「小関五郎左衛門」
     の家で誕生
     幼名は「三治郎」・・・纂字朗・・・朗読
     ↓↑
     父親の
    「神保 貞恒」・・・「小関」家に入り婿
     は
    「武射郡小堤(おんづみ)村・・・音通見ム覶?
    (千葉県・・・選の言葉を懸ける?
     山武郡・・・纂分の訓の阜(丘)?
     横芝光町
     ↓↑
      ・・・横芝光町(よこ   しばひかりまち)
              よこしま 司馬光  麻知・調
     ↓↑   ↓↑       ↓↑
          司馬光
          北宋中期の政治家・学者
          字 君実
          諡 文正
          神宗時代
        『王安石の新法』
          に反対して政界を退き
        「資治通鑑」編集
          哲宗の即位で宰相
          新法を廃して旧法に復した
          死後
         「温国公(オンコクコウ)」
         に封ぜられ「司馬温公」とも称された
         文集に「司馬文正公集
     ↓↑
     小堤=おんづみ)・・・音通見?
     ・・・ショウテイ
       =尚   綴・・・
        尚歯会=蛮社の獄
           1839年(天保十年五月)・拾・足
        高野長英
        渡辺崋山
        小関三英・・・小関
        鳥居耀蔵
    ↓↑  ↓↑

        シーボルト事件
        1828年(文政十一年)
              重(廿・从)位置?
             一拾一=Ⅺ
                =Ⅹ(カイ)+I(アイ)?
             一足(左右の靴)のイチ(位置)
        高橋景保=伊能忠敬の師
   ・・・獄死・塩漬け・・・
    ↓↑   ↓↑
   「鬼室福信=首の塩漬け」
         は
         泗沘(しひ)城奪還、百濟再興の将軍
   『日本書紀』663年6月
   「義慈王」・・・擬似(字)應(応)?
   「義慈王(ギジオウ)」
    599年~660年
    百済の第三十ー代
    最後の王(在位 641年~660年)
    諱 義慈

   「豊璋=」・・・天武の放生?
   「豊璋=義慈王の五男」
    ↓↑
   皇極天皇元年(642年)1月・・・「百済大乱」
    ↓↑    645年=「大化の改新」
    ↓↑
   「百済大乱」
   「弟 王子・・・「兄 皇子」はダレ?
      兒翹岐(ギョウキ)」
     「義慈王の異母兄弟」・・・
       翹=堯+羽=翘=戈+兀+羽
         尭=尧=ギョウ・高い
         垚(ギョウ・キ)+兀(ゴツ・ゴチ)+羽
         土+土+土+一+儿(片膝を曲げてつく人)+羽
         十+一+十+一+十+一+一+儿+羽
         ギョウ
         あげる
         つまだてる
         鳥の尾の長い羽毛
         あげる・あがる・もちあげる
         つまだてる・つまさきで立つ
         すぐれているさま・ぬきんでている
         心にかける・かける
    ↓↑
  と、その家族および高官が
    「島」に放逐・・・島流し・・・遠島、国外放逐
    ↓↑
   「済州島=耽羅(タンラ・チンラ・トムラ・탐라)國
       「𨈭牟羅・耽牟羅(たむら)・屯羅(とんら)」
        とも表記
        朝鮮半島沖の済州(耽羅)島に
        古代から中世に
        存在した「王国」
      「耽羅(トラ)皇子」・・・網羅・網(あみ)?
       耽羅=とら(虎・寅・禽・図羅・罫線圖)
        ・・・・「島大臣=蘇我蝦夷」
      羅=罒+維
        罒+糸+隹
        罒+幺+小+隹
       =罗=罒+夕
        ラ
        あみ・鳥をとる網
        あみする
        網にかけて捕らえる・一網打尽
        残らずつかみとる
        つらねる・つらなる・並べる
        薄い絹・うすもの
       「蘿=ラ・つた(蔦)-かずら(蔓・鬘)」
       ↓↑
     「曼荼羅=まんだら」
       仏画面に諸仏を描いた図形や
       象徴的に表した記号を特定の形式で配置し
       悟りの世界や仏の教えを示した図絵
       四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅
    ↓↑
   「百済大乱」後
    4月に
   (島流しされた)
   「翹岐」らが
    大使として倭国に来朝・・・?
   「翹岐」
    は
   「蘇我蝦夷」
    に自宅で歓待された・・・
   「翹岐」=「豊璋」は同一人物?
     ・・・「豊璋」=「蘇我蝦夷=島大臣」・・・
    ???
    ↓↑   ↓↑
        「豊璋」
         は
        「鬼室福信」
         の謀反を疑って捕らえ
         達率(二品官)の
        「徳執得」・・・解く習得?
         が
        「福信は悪逆人」だとし
        「豊璋=豐璋=豐+王+立+日+十」
            豐國=豊前(ぶぜん=憮然)
               +
               豊後(ぶんご=文語・文悟)
           ・・・「天武天皇」・・・?
              「古人大兄皇子
               ?~大化元年9月12日
                 (645年10月7日)?
                娘は
                倭姫王(天智天皇の皇后)」
               別称
               古人皇子・古人大市皇子
               吉野太子・・・大海人皇子?
               とも呼称
              「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」
              「壬申の乱
               天武天皇元年6月24日~7月23日
             (ユリウス暦672年7月24日~8月21日)」
        「豊璋=豐璋」  
         は
        「鬼室福信」を斬らせ
         その「首を塩漬け」にした・・・福神漬?
       ・・・ナゼ、「謀反」・・・?
        「武烈王(603年~661年)=新羅 第29代王
          (在位654年~661年死亡)
           姓 金  ↓↑
           諱 春秋 ↓↑
    ↓↑   ↓↑     ↓↑
        「白村江の海戦(663年)」前に死亡
    ↓↑   ↓↑
        「鬼室福信」
         の親族
        「鬼室集斯」
         は天智4年2月(665年)
         天智10年正月
        「鬼室福信」の功績によって
        「天智天皇」から
         小錦下の位階を与えられ
         百済の民男女四百余名と
         近江国神前郡に住居を与えられた
         天智8年(669年)
         男女七百余名とともに
         近江国蒲生郡に移住させられた・・・
        「豊璋=豐璋」は行方不明・・・
         豊国=宇佐・・・に、居たカモ?
         宇佐神宮=八幡神宮・・・
         宇佐八幡宮神託事件
         神護景雲3年(769年)
         宇佐八幡宮
         称徳天皇(孝謙天皇の重祚)の
         765年
         太政大臣禅師「道鏡」の皇位譲渡問題
    ↓↑  ↓↑
        楠本高子=シーボルトの孫娘
        (結婚   再婚
         三瀬高子・山脇高子・たか)

        楠本周三
        (東京-慈恵-医院-医学専門学校卒
         ・医師)

        三瀬諸淵=楠本高子の夫
        (初名 周三
         幼名 弁次郎
         字  修夫
         伊予国
         大洲 出身
         ↓↑
      名古屋大須観音
         大須文庫=古事記
        ・・・かんおん・漢音・感音・感温
           巻 音(オン=恩・御
               怨・穏・冤・寃・慇=殷+心)
        「伊勢本系統」の
         南朝: 建徳2年
         北朝: 応安4年(1371年)
         ~
         南朝:文中元年
         北朝:応安5年(1372年)
        「真福寺」の僧
        「賢瑜」によって写された
        「真福寺本『古事記』三帖」
     ↓↑
    「伊能忠敬」は
    「千葉の人」だった
     父は
     酒造家・・・酒(さけ)造(つくり)
     の次男で
     小関家に入り婿
     三治郎(伊能忠敬)の他に男1人、女1人の子
     三治郎(伊能忠敬)は末子
     六才の時
     母死亡し
     小関家は
     叔父が継ぎ
     婿養子の
     父・「神保貞恒」は
     兄と姉を連れて
     実家の小堤村の神保家に
     戻ったが・・・・戻(戸+犬)⇔房(戸+方)
     三治郎(伊能忠敬)は
     小関家
     祖父母の下に残った

     伊能 忠敬(いのう ただたか)
     延享2年1月11日・・・二ねん一がつ・いち拾イチ
     1745 年2月11日・・・似撚・爾画通・位置 異字?
      ~
     文化15年4月13日
     1818 年5月17日・・・壱千八百壱拾八

       大運1817年6月(72歳)庚午・印綬
                 三合丙
  乙┏丑(癸辛己)食神・比肩冠帯⇔戊寅・正官
 ┏戊 寅(戊丙甲)正官・正財沐浴⇔丁巳・偏財・害
 ┗癸┗未(丁乙己)  ・偏財・墓⇔庚辰・印綬
 癸┗丑(癸辛己)比肩・比肩冠帯⇔丁丑・偏財
   申酉空亡
   ↓↑
  「財官双美格」
   or 
  「干合化気火格」?
↓↑
     伊能 忠敬(いのう ただたか)
     江戸時代の
     商人・天文学者・地理学者・測量家
     通称 三郎右衛門(さぶろえもん)
        勘解由(かげゆ)・・・新井白石=勘解由
        ↓↑
        勘解由使(かげゆし)
        日本律令制下の令外官の一
        平安時代初期
        地方行政を監査するために設置
        和名
       「とくるよしかんがふるのつかさ」
        唐名
       「勾勘」
        勘解由使の官庁=勘解由使庁
        太政官の北西、中務省の南に位置
        後、監査の対象は
        内官(京都の各官職)へと拡大
        ↓↑
     字  子斉
     号  東河
     ↓↑
     寛政12年(1800年)56歳
     ~
     文化13年(1816年)73歳
     まで
     17年をかけて
     日本全国を測量
     後は弟子たちが遺志を受け継いで
    『大日本沿海輿地全図』完成
     享和元年(1801年)
     伊能忠敬(三治郎)56歳の際
    「房総半島」測量の途次
     内陸の
     小堤村を訪問
     1883年(明治16年)
     贈正四位
 ↓↑
 奈良時代の
 木簡(モッカン)に
 「上総=上捄」
 「捄=扌+求=盛る
    キュウ・ク
    細長いさま
    集める
    すくう・たすける=救助・救援
    土を集めて盛る
    土をすくって入れる
    通仮字 球
    異体字 救 莍
    簡体字 救」
  麻の実=麻と総を間接的に結合でき
      地域は「捄」と称され
      令制国成立後
      同じ和訓を持つ
     「総」に書き改められた・・・
 「房をなして稔る果実」・・・「乳房」?

 平安時代初期の
 『古語拾遺(コゴシュウイ)』
 麻(マ・あさ)を植えたところよく育った
 「麻の別名=総」
 「ふさ」の国と名付けた
  ・・・「麻=あさ=あざ=字」?
 『万葉集』
 下総国千葉郡の
 「大田部足人(おおたべのたりひと)」
 が
 天平勝宝七年(755年)
 詠んだ歌の冒頭に
 「知波乃奴乃(千葉の野の)」
 と記録・・・
 「多くの葉が生い茂ったこと
  千葉=ふさ(房・総・惣・夫差)」と同義・・・
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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カンジのようにヨメルとイイなぁ~楔形文字・・・ムリ

2025-02-19 19:21:13 | 古事記字源
 ・・・今日は朝からガレージの屋根の雪を降ろした・・・天気は晴天・・・
 屋根に積もた雪は1メートル強だが
 お天気さまが雪を溶かしてメタメタにオモイ・・・
 フラフラで汗びっしょり・・・「エデンの風呂」が恋しい・・・
 「エデンの東」はアダムとイヴが追放された場所だが・・・
    「極東は倭=日本?」で「玉名=投馬?」の
 「ヘビ(蛇・它・蝮・🐍)の邪の國?」なんだろう・・・
 「邪の道は蛇」って・・・
 「ム(よこしま=横島)の道は
  拜(ヘ=経・屁・拝・輩・屁・妃・𣏟・配)卑(日・亹・碑)」
 「邪馬台国」への「蛇行の道」だろう・・・
 「玉名の横島」は「球磨本=熊本=隈本(大隈・佐賀)=肥後」?
         佐賀の「大隈 重信」
         と
熊本の「横井 小楠(ショウナン)」
         or  「井上 毅(こわし)」
         本命 「北原 白秋(ハクシュウ)」?
            〔生没年:1885〜1942年〕
            熊本県玉名郡関外目村(玉名郡南関町

 ニホンゴもカンブンも英語も米語もヨミとれナイ、キキとれナイのに
 ・・・ムリってか・・・?
 それでもオモシロシ、ムラムラと興味が・・・
 「シャボン=厳選して飼育された去勢の雄鶏」・・・?
 「シャボン玉(あわ=泡⇔阿波・安房・沫)飛んだ」
 「空まで飛んだ」

 あわ=粟=覀+米
      西+米
      襾+米
      ー+⨆+冂+ー+氺
      一+儿+口+米(ー+氺)

 「シャボン玉(しゃぼんだま)」 童謡

 1922年(大正11年)・・・対象は壹拾臺(台)の訳詞
 仏教児童雑誌『金の塔』に発表
 野口 雨情 作詞
 野口 英吉
 1882年5月29日~1945年1月27日(62歳没)
 茨城県多賀郡磯原町(北茨城市)出身
 早稲田中退
 北原白秋、西條八十とともに
 童謡界の三大詩人

 中山 晋平 作曲
 ↓↑
 1923年(大正12年)
 中山 晋平の譜面集「童謡小曲」に発表
 1936年(昭和11年)
 野口雨情によって
 「シャボン玉」の3・4番の詩が追加
 ↓↑

 「シャボン玉=七色の泡沫の玉」・・・
  泡(氵+勹+己)=沫(氵+末)
         ⇔粟(䅇)=阿波(あは)=安房・安和
               あぱ・あば?・阿麻・海部・海女
                  あま=贏・余・甘・尼
         ⇔阿毎(あま-い)王朝⇔安陪・阿倍・阿部・安倍
                     阿武(あぶ・虻)=則天武后
               煬(あぶ-る)=煬帝隋王朝
           毎=𠂉+母(毋・毌=貫)=每
             マイ・よこしま
           毎=マイ・バイ・みごと・つね・むさぼる
             つねに・ごと・ごとに・いつも
             そのたびごとに
             ムサボル(貪る)・求める・欲求
             よこしま(奸・姦・犯・己・邪)
             いえども(雖=虽+隹)・・・虽=𧈧
                          强 =強=彊
 「シャボン」の語源は
 「石鹸(セッケン)」を意味
 16世紀スペイン語
 xabón(シャボン)に由来
 現代スペイン語
 石鹸=jabón(ハボン)
 1677年(延宝五年)
 「小児の弄物也
  サボン粉を水に浸し
  細管を以て吹レ之時に丸泡を生ず」
 「シャボン玉屋」が出現
 「シャボン玉」=空気中で作られる泡(あわ・あは)
 石鹸の替わりに
 ムクロジ(無患子)、芋殻、タバコの茎などを焼いて
 粉末状に加工したものを水に浸して用いていた
 当時は「サボン玉」
 ↓↑

 シャボン玉飛ンダ
 屋根マデ飛ンダ
 屋根マデ飛ンデ
 コハレテ消エタ

 シャボン玉消エタ
 飛バズニ消エタ
 生マレテスグニ
 コハレテ消エタ

 風々吹クナ
 シャボン玉飛バソ

 シャボン玉飛ンダ
 屋根ヨリ高ク
 フーハリフハリ
 ツヅイテ飛ンダ

 シャボン玉イイナ
 オ空ニ上ル
 上ッテ行ッテ
 帰ッテ来ナイ

 フーハリフハリ
 シャボン玉飛ンダ
 ↓↑
ー↓↑ー参考・参照文字ーー
「𠮛=𠫔=ー+ム」・・・口=ム
𠮛=旨=「匕・匕・七」+日
      匙・匕首=小刀(ノ+𠃌)
      刀=⺈=刂
              (⺈=彑=彐)
「ⴹ+ⴺ=⺽(キョク)」
   =𠀉+彐
 ↓↑
 亹=亠+舋
   亠+𦥑+同+冝
   亠+𦥑+冂+一+口+冖+且
   亠+𠀉+冂+𠮛+彐+冖+且
   ビ
   ボン
   モン
   努力するさま・つとめるさま
   川の両岸がつき出て
   門のような形をしているところ

「亹」と類字の漢字
 舋=𦥑+同+冝=釁     
   𦥑+冂+一+口+冖+且
   𠀉+𠮛+彐+冖+且
 釁=𦥑+同+冖+酉+分     
   𦥑+冂+一+口+冖+酉+八+刀
   𠀉+𠮛+彐+冖+酉+八+刀
   キン
   きざ(兆)し
   きず(瑕)
   すきま(隙間)
   ちぬる(血塗る)
   ぬ(塗)る
   きざし・前兆
   きず・ひび・欠点
   きま・ひま・割れ目・継ぎ目
   ちぬる(血塗る)
   いけにえ(生贄)の血をぬって神を祭る
   ぬる・体にものを塗りつける
   あやまち・過失・とが(咎・科)
   愆釁(ケンキン)=失敗・欠点・過失・悪行
   三釁三浴(サンキンサンヨク)=丁寧に対応する

   斖=文+舋(興+且)
     立+興+且
     亠+乂+ー+𦥑+同+冝
     立+𠀉+冂+𠮛+彐+冖+且
     立+亠+丿+𦥑+冂+一+口+冖+且
     亠+䒑(丷+一)+𠀉+𠮛+彐+冖+且
     ビ
     一心に励む・無理に努める
ー↓↑ー参考・参照文字ーー
 ↓↑
 ウルク文化期(紀元前3200年)・・・有留句文化記・紀?
 シュメール人・・・諏目重留訊?
 によって
 絵文字としての
 性格が強いウルク古拙文字発明
 次第に単純化・抽象化され
 青銅器時代初頭(紀元前2500年)
 約1,000文字の・・・「千字文」?
 シュメール文字になり
 青銅器時代末期(紀元前2000年)
 約400文字(ヒッタイト語 楔形文字)
      ・・・比通(筆)他意譯?
 から
 約200文字(アッカド語 楔形文字)
      ・・・「丫譯化土」?
 になった
 シュメール文字
 シュメール語
 アッカド語(アッカド語楔形文字)
 エラム語(エラム語楔形文字)
      ・・・「絵等務」?
 ヒッタイト語(ヒッタイト語楔形文字)
 楔形文字ルウィ語
     ・・・「留有為」?
 に借用
 古代ペルシア語(古代ペルシア楔形文字)
           ・・・「経留詞蛙」?
          「波斯」
 や
 ウガリット語(ウガリット文字)
        ・・・「有臥理通譯(訳)」?
 などに独自の文字の発達を促した
 ↓↑
 初期の象形文字
 粘土板の上に
 縦の枠を設け
 ペン(アシで作り先を尖らせた尖筆)で書かれた
 「🖊 👣・🐾・足(拾・十・Ⅹ)
  筆      たり・・・ジュウ=廿=20
 文字は横書きになり
 先を楔形(セッケイ・Ⅴ・∧)
   にした尖筆(センピツ)を
 粘土板に押し当てて
 記録(書・書記)くようになった
 ↓↑
 楔形文字の
 粘土板は
 長期記録用に
 窯で焼き
 残す必要がないモノは再利用
 粘土板のあった建物が戦乱で焼かれ
 結果的に固く焼成されて保存された
 ↓↑
 楔形文字
 シュメール人によって
 シュメール語記録のために発明
 メソポタミア全域で
 3000年にわたって使用
 次第に近隣の他民族に借用され
 アッカド
 バビロニア
 エラム
 ヒッタイト
 アッシリア
 で民族固有の言語を書くのに使用
 ↓↑
 シュメール楔形文字の後世の借用
 シュメール文字のいくつかの特徴を保存
 アッカド語文献は
 シュメール語の
 音節を表す音節文字
 と
 一語
 にまるごと対応する表語文字を含む
 楔形文字の多くの文字が
 音節と意味の両価を示している
 (en:polyvalent)
 楔形文字が
 ヒッタイト語に借用されたとき
 アッカド語の表語文字的な書き方が加えられ
 結果多くの
 ヒッタイト語の単語が
 表語文字的に書かれ
 その音価を今日推定することはできない
 ↓↑
 音節文字(オンセツモジ・syllabary)
 表音文字のうち
 ひとつひとつの文字が
 音節 を表す文字体系
 表音節文字=仮名文字
 と
 表語文字(音と意味の両方を表す文字・logogram
      logos(言葉・論理)
      と
      gram(書かれたもの)
      を組み合わもの)
 の複合した筆記は
 日本語の筆記システムの複雑さと比べると
 日本語が漢字で書かれる場合は
 ある文字は表音的で
 ある文字は表意的に用いられ
 文脈によって
 音価(音の長さ
    文字の一つ一つに
    対応する具体的な音声)
 がまちまちに取られる
 漢字から発展した
 表音文字の仮名も用いられ
 楔形文字のヒッタイト語も
 同じような表記体系を持っていた
 ↓↑
 シュメール・アッカド文字
 と
 系統の異なるいくつかの表記体系が存在する
 古代ペルシア楔形文字は
 音素文字(アルファベット)で
 各文字の画数は
 アッシリア文字よりはるかに少ない
 「神」や「王」といった語は
 表意化されている
 ウガリット文字は
 楔形文字的方法で書かれ
 標準的な
 セム語形式の文字(アブジャド)であった
 ↓↑
 最後に記録された例は
 紀元後75年
 天文学上の記録
 ↓↑
 1802年
 G.F.グローテフェント
 ペルセポリスの碑文の写本を利用し
 古代ペルシア語の解読に努力
 ↓↑
 アッカド語楔形文字
 の解読
 1621年
 に発見された
 アケメネス朝ペルシャの
 ベヒストゥン碑文(磨崖碑文)が
 ヘンリー・ローリンソン
 によって
 1835年に再発見され、利用された
 ペルシアの
 ベヒストゥンの崖で
 ベヒストゥン碑文を発見し
 そのいくつかを写し取った
 碑文は
 ダレイオス1世の治世下(紀元前522~486年)
 に刻まれ
 ペルシア帝国の
 三つの公用語
 古代ペルシア語(古代ペルシア楔形文字)
 アッカド語(アッカド語楔形文字)
 エラム語(エラム楔形文字)
 で書かれた同一のテキストであった
 ベヒストゥン碑文が
 アッカド語楔形文字解読に果たした役割は
 ロゼッタ・ストーンが
 ヒエログリフ解読に果たした役割に相当
 ↓↑
 ポール・エミール・ボッタが
 1842年
 都市ニネヴェを発見し
 オースティン・ヘンリー・レヤード
 によって発掘された
 アッカド語楔形文字に
 覆われた焼かれた粘土板数万点
 アッシュールバニパル王家の文書庫
 アッシュールバニパルの
 図書館の遺跡があった
 1851年
 ローリンソン
 と
 ヒンクス
 は200のアッカド語を解読
 ↓↑
 楔形文字は
 Unicode 5.0に含まれ
 以下の領域に
 次の文字(982文字)が収録・・・
 ↓↑
𒀀 𒀁 𒀂 𒀃 𒀄 𒀅 𒀆 𒀇 𒀈 𒀉
𒀊 𒀋 𒀌 𒀍 𒀎 𒀏 𒀐 𒀑 𒀒
𒀓 𒀔 𒀕
𒀖 𒀗 𒀘 𒀙 𒀚 𒀛
𒀜 𒀝 𒀞 𒀟
𒀠 𒀡 𒀢 𒀣 𒀤 𒀥 𒀦 𒀧 𒀨
𒀩
𒀪
𒀫 𒀬
𒀭 𒀮 𒀯
𒀰 𒀱
𒀲 𒀳
𒀴 𒀵 𒀶
𒀷
𒀸 𒀹 𒀺
𒀻
𒀼
𒀽 𒀾
𒀿
𒁀
𒁁
𒁂
𒁃
𒁄 𒁅
𒁆
𒁇
𒁈
𒁉 𒁊 𒁋 𒁌
𒁍
𒁎 𒁏
𒁐 𒁑 𒁒
𒁓
𒁔 𒁕
𒁖 𒁗 𒁘 𒁙 𒁚 𒁛 𒁜 𒁝 𒁞 𒁟
𒁠 𒁡 𒁢 𒁣 𒁤 𒁥 𒁦 𒁧 𒁨 𒁩
𒁪 𒁫 𒁬 𒁭 𒁮
𒁯
𒁰
𒁱
𒁲
𒁳
𒁴 𒁵
𒁶 𒁷 𒁸
𒁹 𒁺 𒁻 𒁼 𒁽
𒁾 𒁿
𒂀 𒂁
𒂂
𒂃
𒂄
𒂅 𒂆 𒂇 𒂈
𒂉 𒂊 𒂋
𒂌
𒂍 𒂎 𒂏
𒂐 𒂑 𒂒 𒂓
𒂔 𒂕 𒂖
𒂗 𒂘 𒂙 𒂚
𒂛 𒂜
𒂝 𒂞
𒂟
𒂠
𒂡 𒂢 𒂣 𒂤 𒂥 𒂦 𒂧 𒂨 𒂩 𒂪 𒂫 𒂬 𒂭 𒂮 𒂯
𒂰 𒂱 𒂲 𒂳 𒂴
𒂵 𒂶
𒂷 𒂸 𒂹 𒂺 𒂻 𒂼 𒂽 𒂾 𒂿𒃀 𒃁 𒃂 𒃃 𒃄 𒃅 𒃆
𒃇 𒃈 𒃉 𒃊 𒃋 𒃌 𒃍 𒃎 𒃏𒃐 𒃑 𒃒 𒃓 𒃔 𒃕 𒃖
𒃗 𒃘 𒃙 𒃚 𒃛 𒃜 𒃝 𒃞 𒃟𒃠 𒃡 𒃢 𒃣 𒃤 𒃥
𒃦 𒃧 𒃨 𒃩 𒃪 𒃫 𒃬 𒃭
𒃮 𒃯
𒃰 𒃱
𒃲 𒃳
𒃴
𒃵
𒃶
𒃷 𒃸 𒃹
𒃺
𒃻
𒃼 𒃽 𒃾 𒃿
𒄀 𒄁 𒄂 𒄃 𒄄 𒄅 𒄆 𒄇
𒄈 𒄉 𒄊 𒄋 𒄌 𒄍 𒄎 𒄏𒄐
𒄑
𒄒
𒄓 𒄔
𒄕
𒄖 𒄗
𒄘 𒄙 𒄚 𒄛 𒄜 𒄝
𒄞 𒄟 𒄠 𒄡
𒄢
𒄣 𒄤
𒄥
𒄦
𒄧 𒄨 𒄩 𒄪 𒄫
𒄬
𒄭 𒄮 𒄯 𒄰 𒄱 𒄲 𒄳 𒄴 𒄵 𒄶
𒄷 𒄸 𒄹 𒄺 𒄻 𒄼 𒄽
𒄾 𒄿 𒅀 𒅁
𒅂 𒅃
𒅄
𒅅
𒅆 𒅇 𒅈 𒅉
𒅊
𒅋 𒅌
𒅍
𒅎 𒅏𒅐 𒅑 𒅒
𒅓 𒅔 𒅕 𒅖 𒅗 𒅘 𒅙 𒅚 𒅛 𒅜 𒅝 𒅞 𒅟
𒅠 𒅡 𒅢 𒅣 𒅤 𒅥 𒅦 𒅧 𒅨 𒅩 𒅪 𒅫
𒅬 𒅭 𒅮 𒅯 𒅰 𒅱 𒅲 𒅳 𒅴 𒅵 𒅶 𒅷
𒅸 𒅹 𒅺 𒅻 𒅼 𒅽 𒅾 𒅿 𒆀 𒆁 𒆂 𒆃
𒆄 𒆅 𒆆 𒆇 𒆈 𒆉 𒆊 𒆋 𒆌
𒆍
𒆎
𒆏
𒆐 𒆑
𒆒 𒆓 𒆔 𒆕 𒆖
𒆗 𒆘
𒆙
𒆚 𒆛
𒆜 𒆝 𒆞
𒆟
𒆠 𒆡 𒆢 𒆣
𒆤 𒆥 𒆦
𒆧
𒆨 𒆩
𒆪 𒆫
𒆬
𒆭 𒆮
𒆯
𒆰 𒆱 𒆲 𒆳 𒆴
𒆵 𒆶 𒆷
𒆸 𒆹 𒆺 𒆻 𒆼 𒆽 𒆾 𒆿 𒇀 𒇁 𒇂 𒇃 𒇄 𒇅 𒇆 𒇇
𒇈 𒇉 𒇊 𒇋 𒇌 𒇍 𒇎 𒇏 𒇐 𒇑 𒇒 𒇓 𒇔 𒇕 𒇖 𒇗
𒇘 𒇙 𒇚 𒇛 𒇜 𒇝 𒇞 𒇟 𒇠 𒇡 𒇢 𒇣 𒇤 𒇥 𒇦 𒇧
𒇨 𒇩 𒇪
𒇫
𒇬 𒇭 𒇮 𒇯
𒇰 𒇱
𒇲 𒇳 𒇴 𒇵 𒇶 𒇷 𒇸 𒇹 𒇺 𒇻 𒇼 𒇽 𒇾 𒇿
𒈀 𒈁 𒈂 𒈃 𒈄 𒈅 𒈆 𒈇 𒈈 𒈉 𒈊
𒈋 𒈌 𒈍 𒈎 𒈏 𒈐 𒈑 𒈒 𒈓
𒈔
𒈕 𒈖 𒈗 𒈘 𒈙 𒈚 𒈛
𒈜
𒈝 𒈞 𒈟
𒈠 𒈡 𒈢 𒈣 𒈤 𒈥 𒈦 𒈧 𒈨 𒈩 𒈪
𒈫 𒈬 𒈭 𒈮 𒈯
𒈰
𒈱
𒈲 𒈳 𒈴 𒈵 𒈶 𒈷 𒈸
𒈹 𒈺 𒈻 𒈼 𒈽
𒈾 𒈿 𒉀 𒉁 𒉂 𒉃 𒉄 𒉅 𒉆 𒉇 𒉈 𒉉 𒉊 𒉋 𒉌 𒉍 𒉎
𒉏 𒉐 𒉑
𒉒 𒉓 𒉔 𒉕 𒉖 𒉗 𒉘 𒉙 𒉚 𒉛 𒉜 𒉝 𒉞 𒉟
𒉠
𒉡 𒉢
𒉣 𒉤 𒉥 𒉦 𒉧 𒉨 𒉩 𒉪
𒉫 𒉬 𒉭 𒉮 𒉯𒉰 𒉱 𒉲 𒉳 𒉴 𒉵 𒉶 𒉷 𒉸 𒉹
𒉺
𒉻
𒉼
𒉽
𒉾
𒉿 𒊀 𒊁 𒊂 𒊃 𒊄 𒊅 𒊆 𒊇 𒊈
𒊉 𒊊 𒊋 𒊌 𒊍 𒊎 𒊏
𒊐 𒊑
𒊒 𒊓 𒊔 𒊕 𒊖 𒊗 𒊘 𒊙 𒊚 𒊛 𒊜 𒊝 𒊞 𒊟
𒊠 𒊡 𒊢 𒊣 𒊤 𒊥 𒊦 𒊧 𒊨
𒊩
𒊪 𒊫 𒊬
𒊭
𒊮 𒊯 𒊰 𒊱 𒊲 𒊳 𒊴 𒊵 𒊶
𒊷 𒊸
𒊹
𒊺 𒊻 𒊼 𒊽
𒊾 𒊿
𒋀
𒋁
𒋂 𒋃 𒋄 𒋅 𒋆 𒋇 𒋈 𒋉 𒋊 𒋋 𒋌 𒋍
𒋎 𒋏 𒋐 𒋑 𒋒
𒋓 𒋔 𒋕 𒋖 𒋗 𒋘 𒋙 𒋚 𒋛 𒋜 𒋝
𒋞 𒋟
𒋠 𒋡 𒋢 𒋣 𒋤 𒋥 𒋦 𒋧 𒋨 𒋩 𒋪 𒋫 𒋬 𒋭 𒋮 𒋯
𒋰 𒋱
𒋲
𒋳 𒋴 𒋵 𒋶 𒋷 𒋸 𒋹
𒋺
𒋻
𒋼 𒋽
𒋾 𒋿
𒌀 𒌁 𒌂 𒌃 𒌄 𒌅
𒌆 𒌇
𒌈 𒌉 𒌊
𒌋 𒌌 𒌍 𒌎 𒌏
𒌐
𒌑
𒌒 𒌓 𒌔 𒌕 𒌖 𒌗 𒌘 𒌙 𒌚 𒌛
𒌜 𒌝 𒌞 𒌟 𒌠 𒌡
𒌢 𒌣 𒌤 𒌥
𒌦 𒌧
𒌨 𒌩 𒌪
𒌫 𒌬 𒌭 𒌮 𒌯 𒌰 𒌱 𒌲 𒌳
𒌴 𒌵
𒌶
𒌷 𒌸 𒌹 𒌺 𒌻 𒌼 𒌽 𒌾 𒌿 𒍀 𒍁 𒍂 𒍃 𒍄 𒍅 𒍆
𒍇 𒍈 𒍉 𒍊 𒍋 𒍌 𒍍 𒍎 𒍏 𒍐
𒍑 𒍒 𒍓 𒍔 𒍕 𒍖
𒍗 𒍘 𒍙
𒍚 𒍛
𒍜
𒍝 𒍞
𒍟
𒍠
𒍡
𒍢
𒍣 𒍤 𒍥
𒍦 𒍧
𒍨 𒍩 𒍪 𒍫 𒍬
𒍭
𒍮
 ↓↑
 ・・・字形が「漢字(楷書)」に似ているモノもある・・・
 ボク的には
 「丸み・曲線・蛇行」の字形よりも
 「縦横斜めの直線交叉・角ばった」
 字形が見やすく
 記憶に残る・・・
 意味ではなく
 構成される「視覚的な形」・・・
 楷書漢字の字形の原則的な基本は
 「l・ー」の重なりである
 ↓↑
 画=一+由+凵
   一+田+凵
   ガ
   カク
   え
   えがく
   かぎる
   かく
   はかる
   かぎる・くぎる
   さかい・さかいをつける
   はかる・はかりごと・考えをめぐらす
   漢字を構成する点や線を数えるコトバ
   絵(え)
   えがく(描く)・絵をかく(画く)
   名詞
   漢字を構成している線や点
   字の線のみをいうこともある
   接尾語
   助数詞
   漢字を構成している線
   点を数えるのに用いる=画数
   畫=聿+田+一
     肀+二+田+一
   畵=聿+田+凵
     肀+二+田+凵
     肀+一+田+凵
   ↓↑
   漢字=Chinese characters
   部首=radical
   画数=number of strokes
 ↓↑
 㓰=画+刂=画
   カク・くぎる・わかつ
   かぎる・さかいをつける=画
   はかる・はかりごと・考えをめぐらす=画
   漢字を構成する点や線を数えることば=画
   切り開く・切り裂く
 婳=女+画
   カク・ギャク
   しとやか・物静か・・・撫子(なでしこ)?
   みめよい・美しい
ーーーーー
 ・・・???・・・
 乑≠豕・豚・🐷
    ・・・ぶた=蓋・兩・雙・貳・双・二
 乑 𠍸 𠏭 𠹩 𡒍 𡘎 𣀒 潨 𤲄 𥣙
 聚 藂 𧑄 𧑸 𧕠 衆 鄹 𨞮 𨴖 𩂢
 驟 骤
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
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方言の日⇔ふつば=2月18日=奄美方言のコトバ・・・双葉?

2025-02-18 17:44:13 | 古事記字源
 「方言の日⇔ふつば=2月18日=奄美方言のコトバ」・・・「双葉?」
          「2=ふたつ」+「10=とう」+「8=はつ」
   「双葉(ふたば)」・・・言葉が分かれる・・・音声か、文字か・・・?
 「なまらスゴイ」デスか・・・名魔覶・・・?
 ↓↑

 字形の変化
 ↓↑
 籀=竹+扌+留・・・竹に手書き留める=竹簡
   竹+扌+刀+田
   チュウ
   よむ
   読む・文字を読む・文を読む
 異体字
 籒=竹+㩅
   竹+扌+畱
   竹+扌+丣(鷄・酉・鳥・禽)+田
      畱=留=畄=㽞
 籕=竹+榴
   竹+木+卯+田・・・・やなぎ=柳=栁=楊=簗木
   竹+木+𠂎+卩(刀)+田・・・卯=兎=戼
   竹+木+留
   竹+木+𠂎+卩+田
   竹+木+𠂎+刀+田
 ↓↑
 卯=𠂎+卩=戼→コ(こ)
       戼=ⵎ+フ+「+コ=卯
       丣=ⵎ+ 丌 +コ=𫝁=酉
 戼・・・
 戶部(と・とだれ・とかんむり
    とびらのと)
 ボウ
 う
 十二支の四番目・・・†‡✝⨅⨆⨿⨅⨆ⵡⵎ
 方位東
 時刻は午前六時の前後の二時間
 動物では兎(うさぎ)
 ↓↑
 卯=ノ+㇙+ノ+卩
 𠂎=「卩・セツ(割符の片方)」を
    左右反転させたもので
   「卯卿」などの一部を構成する
 𠂑=𠂎+丶
  =奏・・・演奏
  「𠁾」と同義
  「卪」と対になる「割符の片方」?
   卵
  =夘=タ+卩=背反
  =戼=ⵎ+フ+「+コ
  =戼・・・𩇨𩇧𩇦𤕰𦕔
   ↓↑
  「卯眼=ボウガン」
   枘穴(ほぞあな)
   二本の木材を繋(つな)ぐ時に
   一本の端は凹状に作り
   (「枘穴=ほぞあな」という)
   もう一本の端は凸状に作って
   (「枘=ほぞ」「筍ジュン」という)
   これを繋ぎ合わせる
   その凹状の部分
 ↓↑
 卯=真二つに叩き割る
 昴=すばる・ボウ=昂
   昴流(すばる)
 ↓↑
 史籀大篆(シチュウダイテン)
 ↓↑
 篆書体
 「始皇帝」
 金文から更に字形の整理が進み
 一文字の大きさが均等になった
 文字の形は
 天地が
 長い長方形の辞界に収まる
 点画は
 水平・垂直の線を基本
 円弧をなす字画は
 水平線・垂直線
 と交差するように曲げられる
 画の両端は丸められ
 線はすべて同じ太さ
 ↓↑
 金文と違って
 上下左右の大きさのバランスが整っており
 謹厳な印象を与える文字に進化
 一方
 曲線を主体とするため
 有機的な趣きを併せ持ち
 独特な書体
 ↓↑
 へん(偏)・つくり(旁)
 かんむり(冠)・あし(脚)
 のように
 部首分けが容易
 ↓↑

 「小篆」
 中国最古の石刻
 戦国期の
 「石鼓文」
 に用いられた書体
 「大篆」が起源
 「大篆」
 西周の宣王時代
 太史
 「籀(チュウ)」
 が公式文字
 「籀文」
 を定めた際に編纂した書物の名・・・
 「籀文」そのものの別名
 「石鼓文大篆」
 は
 「籀文」
 が戦国時代の秦で受け継がれた・・・
 ↓↑
 秦による公式書体化
 紀元前221年
 秦の中国統一
 法治の確立
 度量衡の統一
 文字の統一
 「小篆」
 が正式に統一書体として採用
 「小篆」
 始皇帝が
 「李斯」・・・木の子の其の斤
 に命じて
 「籀文(or大篆)」
 を簡略化した・・・
 ↓↑
 甲骨文の時代から文字は権力の象徴
 「始皇七刻石」
 を国内六ケ所に立てた
 ↓↑
 秦=統一法治国家
 度量衡の統一
 決まった大きさの
 分銅や枡が標準器として全国に配布
 「権量銘」と呼ばれる
 「小篆」を用いた証明文が
 金属製の場合直接刻み込まれ
 木 製の場合銅板に刻まれて貼りつけられた
 官吏が公式証明に用いる官印に使用
 ↓↑
 「小篆」
 形を崩し始め
 法治国家である秦では
 下層の役人の
 事務処理が多くなった
 「小篆」
 書きづらく
 走り書きが多く発生し
 このことが
 「小篆の書体」
 の単純化・簡素化を生み
 「隷書」
 を生みだした
 ↓↑
 紀元前206年
 秦 滅亡
 楚漢戦争を経て
 前漢が成立
 後漢では公式書体として
 「小篆」ではなく
 「隷書」が採用された
 これは「小篆」の煩雑さを避けたもので
 甲骨文以来の
 「古代文字」の終焉・・・であった
 ↓↑
 新代に公式書体に復帰したが
 新滅亡で公式書体から外され
 以後しばらくの間
 「小篆」は
 「公的証明」の名残から
 官印・公印に用いられる他は
 装飾的に瓦や鏡などの
 文様
 碑
 帛書
 の表題などに用いられるにすぎなくなった
 ↓↑
 後漢代
 「祀三公山碑」
 「嵩山三闕銘」
 三国時代の呉
 「天発神讖碑」
 「封禅国山碑」
 のように碑も少数ながら存在した
 いずれも
 天や神への願文や天のお告げを示した内容
 小篆の権力性がいつの間にか
 天や神に通じる性質のものへ拡大
 「神へ祈るための文字」
 として認識されるようになっていった
 漢代以降
 「小篆」
 装飾や祭祀のための
 特殊な文字として認識
 ↓↑
 後漢代
 訓詁学の第一人者の
 「許慎」
 が、儒学研究の一環として
 「小篆を古代文字」
 として真正面から扱い
 小篆を中心とした
 字書
 『説文解字』
 で字義などの解釈をなしたが
 書体における展開は見られなかった
 ↓↑
 書・印用字体
 唐代以降
 再脚光
 唐の中ごろ
 詩人の
 「韓愈」
 らが六朝の
 「四六駢儷文」
 を否定し
 「古文復興運動」
 を行い
 書道にも
 「王羲之」
 「隷書」以前を志向する復古主義が生まれた
 ↓↑
 「小篆」は
 「李陽冰」
 などによって注目され
 それまでの
 「崩れた書法」を排し
 本来の姿に近い小篆による
 書道作品
 石刻が多く使われた
 「小篆」
 は書道界に一書体として再興
 ↓↑
 五代十国時代
 南唐
 宋代
 「徐鉉」
 「徐鍇」
 兄弟により
 『説文解字』
 の校訂・注釈が行われ
 『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られ
 「小篆」
 による書道も引き継がれた
 ↓↑
 宋代以降
 古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達
 小篆含む篆書への関心がもたれ
 官印
 作品の製作者
 収蔵家の所有権
 を誇示するための
 押印章に篆書で
 官職名
 名や座右の銘
 を彫っているものが多かった
 元・明代以降
 篆書を用いた印章を彫る作業も
 「篆刻」という書道が確立
 ↓↑
 清代
 考証学の発達で
 模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも
 当時の姿を留める碑の方が
 書蹟として信頼性が高いとの考えから
 碑の研究が主流となった
 ↓↑
 秦の八体
 新の六体
 関連
 「許慎」
 が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しない
 『説文解字』序文に
 秦では公式書体として
 大篆・小篆・刻符
 虫書(チュウショ)
 摹印(ボイン=「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)
 署書・殳書(シュショ)
 隷書
 の8つを定めていた
 秦の八体
 「許慎」
 から700年近くが経過した残巻は
 「懸針体」
 という細長い書体が使われて
 「篆書体」
 の初期形ともされている・・・
 ↓↑
 前漢
 を簒奪した
 新王朝の
 「王莽」
 は、公式書体制定の際
 この八体を整理
 「古文・奇字・篆書・隷書
  繆篆(ビュウテン)
  鳥虫書(チョウチュウショ)」
 の6つにした(新の六体)
 ↓↑
 秦の八体
 新の六体
 は、小篆と類縁関係にある書体
 ↓↑
 「大篆」
 秦の八体の第一
 小篆の元となった書体
 小篆と対をなす名称
 「石鼓文」
 に用いられた書体の
 元が
 西周の公式文字・籀文・・・
 ↓↑
 字形
 「小篆」
 と比べると
 装飾性が高く
 文字全体も完全な方形に収まっていない
 金文の特徴を強く残す文字で
 画に平行部が多く見られるなど
 小篆の萌芽も見られる
 ↓↑
 印篆
 秦の八体
 第五・摹印
 新の六体に第五・繆篆として挙げる字体
 印章用に特化した小篆
 漢代に完成し
 「漢篆」の一書体に数えられる
 ↓↑
 縦に長い「小篆」を
 「印の正方形」に収めるため
 「小篆」
 の曲線部分や長くはみ出す部分を
 直線・折線で表現し
 有機的な形の「小篆」よりも
 角ばっている
 ↓↑
 鳥蟲篆
 秦の八体に第七・殳書
 新の六体に第六・鳥蟲書
 として挙げる字体
 春秋時代~秦代
 矛など武具の装飾用に用いられた
 装飾性の高い書体
 ↓↑
 「字形」
 うねうねと蛇のように
 くねった細い線で構成される単純なもの
 鳥の頭や姿を模した飾りが
 画の端々についているもの
 文字の原形を留めないほど
 無理矢理に
 鳥の形に変形させたものなど・・・
 ほとんどが文様化して解読不能
 ↓↑
 九畳篆
 (和漢三才図会)
 宋代以降の各王朝
 異民族王朝の「金」において
 官印に用いられた小篆
 「畳篆」ともいう
 小篆
 ないしは
 印篆
 の画を長く伸ばし
 幾重にもぐねぐねと曲げてた書体
 ↓↑
 装飾部の折れ線が
 印面を埋め尽くすように
 布字され
 細かい線が
 ずらずらと並んでいる
 判読性は限りなく低い
 実用よりも官印の権威を示す役割を重視
 ↓↑
 「九畳篆」
 の登場により
 官印の意匠が硬直化
 ↓↑
 新の小篆
 皇帝
 「王莽」
 の復古主義の影響で
 公式書体に
 小篆が採用
 秦の文字政策を模倣し
 度量衡を改正の上
 標準器に公式証明文
 「嘉量銘」
 を小篆で刻んで全国に配布し
 秦代のままの政策が行われた
 ↓↑
 字形
 通常の小篆の縦に
 細長い辞界を守りながら
 曲線部分を角張らせた
 小篆と印篆の間を取ったような字形
 線も極めて細い
 ↓↑
 三国時代
 呉
 最後の皇帝
 「孫晧」の時期に
 「天発神讖碑(テンパツシンシンヒ)」
 「封禅国山碑(ホウゼンコクザンヒ)」
 小篆の碑が立てられた
 ↓↑
 「天発神讖碑」
 は角ばって尖った字形でごつごつとし
 「封禅国山碑」
 は逆に線が非常に太くもっちりとした字体
 神秘思想にかぶれた
 「孫晧」
 の現実逃避の産物
 技巧上は隷書用の筆で隷書の意を含ませて書いた
 両者にだけしか見られない特異な小篆
 ↓↑
 漢代末~六朝時代
 小篆を利用した装飾書体が存在する
 ↓↑
 六朝時代
 南朝
 斉の
 「蕭子良」
 がまとめた
 『古今篆隷文体』
 40種類余りの装飾書体が伝えられ
 小篆からの派生したものが見られる
 「懸針篆」
 と呼ばれる画の先を鋭く尖らせた書体は
 『説文解字』の初期の写本
 「説文解字木部残巻」や
 空海による日本最古の字書
 『篆隷万象名義』
 にも使用
 ↓↑
 六朝時代
 南朝
 梁
 「百二十体書」
 と称して120種類もの装飾書体があったが
 書蹟は現存しない
 唐代
 篆書を得意とした僧
 「夢英」
 により
 「十八体書」
 と呼ばれる18種類の装飾書体が伝えられている
 ↓↑
 正倉院
 「鳥毛篆書屏風」
 小篆の派生と思われる装飾書体で書かれた屏風
 ↓↑
 小篆の史料
 秦の時代が短かく少ない
 「始皇七刻石」
 の一部である
 「泰山刻石」
 「瑯琊台刻石(ロウヤタイコクセキ)」
 度量衡の標準器の証明文
 「権量銘」
 その他
 木簡・竹簡がある・・・
 「泰山刻石」
 わずか「10字」が現存
 (拓本として
  十字本
  二十九字本
  五十三字本
  百六十五字本
  の四種類
  がある)
 「瑯琊台刻石」
 86字が残っている
 ↓↑
 「許慎」
 『説文解字』
 には字書として
 基本的な文字が網羅
  ↓↑
 「隷変」
 「楷書」
 への展開により
 字形が現在の形へ変化するうちに
 失われた、さまざまな情報を
 「篆書」
 「小篆」
 が持っている
 「右」「左」
 は似ている漢字なのに
 書き順は異なり
 「はらい(払い)」
 と
 「横棒」
 を第1画目とする
 楷書のままではその理由は分からないが
 「小篆」に戻ると
 「右」のはらいと
 「左」の横棒が
 左右対称ながら同じ形をしており
 第1画目であった
 それらが
 「隷変」の過程でそれぞれ
 はらい(払い)と
 横棒という
 別の形に変化してしまった
 ↓↑
 正確な研究
 「篆書」以前の
 甲骨文
 金 文
 の情報も必要で
 篆書以前の段階で失われた情報も多い
 「許慎」の『説文解字』は
 甲骨文
 金 文
 の知識がなかったため
 さまざまな間違いを起こしている・・・?
 ↓↑
 日本銀行券の
 表
 「総裁之印」
 裏
 「発券局長」
 の印章の文字
 明治時代
 篆刻家の
 「益田香遠」
 に作らせたもの
 ↓↑
 篆書体の新造字行為・・・???
 ↓↑
 「楷書風の小篆」
 「新字体の小篆」
 「仮名の小篆」
 「アルファベット・アラビア数字などの小篆」
 などの文字を造字として生み出している
ーーーーー
 對馬国=とまこく=投馬国
  ・・・たま(玉)国・玉名国・・・?
ーーーーー
 繰り返し記号
 「々・ヽ・ヾ・ゝ・ゞ・〃・仝・〱・〲」
 ↓↑
 禊(みそぎ)
 身に罪や穢 (けが) れのある者
 神事に従事しようとする者が
 川や海の水でからだを洗い清めること
 ↓↑
 エンキドゥ(シュメール語
        𒂗 𒆠 𒆕
        EN. KI.DU =Enkidu)
 『ギルガメシュ叙事詩』
 のギルガメシュの親友
 エンキドゥ=水と知恵と創造の神
       エンキ(アッカド語名:エア)に由来
 ↓↑
 「𛆕」に似ている意味の文字 𒆕
 ↓↑
  𛆔 𛆚 𥆕 𛆭 𐆕 𛆙 𛕆 𘆕 𛆗 𛆑 𒆕 𢆕 𛆞 𓆕 𛆥 𛆠 𛆍 𛆮 𛖆 𛆯 𛆕
 ↓↑
 の文字を使った例文 𛆕という文字は、古代文字のひとつ
 ↓↑
 𒆖(アン)
 Letter, Other(文字,その他)
 ↓↑
 𒆖(アン)
 古代メソポタミア文明で使われた楔形文字の一種
 アッシリアやバビロニアの楔形文字文書に使用
 𒆖を含む文書
 古代の王たちや神々に対する祈願文や詩
 貿易などの商取引の契約書
 アッシリア帝国の文書
 戦争に関する記録や戦勝祝賀文
 𒆖を含む古代の文書
 𒆖を使用した文書を解読
 𒆖は古代メソポタミア文明において重要な文字
 ↓↑
 楔形文字(「cuneiform(キュニフォーム)」)
 ラテン語
 cuneus (くさび)
 forma (形)
 1712年
 エンゲルベルト・ケンペル
 『廻国奇観』
 の中で使用
 オリエント学
 この文字を使用した文明・文化
 「アッシリア学」
 ↓↑
 楔形(セッケイ)文字
 文字の形状の名称
 シュメール語
 アッカド語
 の文字は
 表語文字
 と
 音節文字
 の組み合わせである
 ウガリット文字
 Ugaritic alphabet
 ウガリット 語の表音文字
 フルリ   語の表記にも使用
 原シナイ  文字に続く
 世界最古の 音素文字の一つ
 古代都市
 ラス・シャムラ(シリア)
 ウガリットの遺跡で
 発見された
 粘土板文書
 ↓↑
 ウガリット文字
0 1 2 3  4 5  6  7 8 9 A B C D E F
𐎀 𐎁 𐎂 𐎃 𐎄 𐎅 𐎆 𐎇 𐎈 𐎉 𐎊 𐎋 𐎌 𐎍 𐎎 𐎏
𐎐 𐎑 𐎒 𐎓 𐎔 𐎕 𐎖 𐎗 𐎘 𐎙 𐎚 𐎛 𐎜 𐎝   𐎟
     V く 二 ‖ Y⤵𐎖  > ー ≡  山 川 𠃌 丶

 アブジャド=abjad abgad
       子音文字や単子音文字(consonantary)
       ひとつの子音に対し
       通常ひとつの音素文字をもち
       原則として
       母音を明示しない文字
 であり
 古代ペルシア
   楔形(セッケイ)文字
      ・・・設計・赤経・雪渓・接形?
 は
 アルファベット・・・
ー↓↑ーー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
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「テンショ」よりも「カイショ」

2025-02-17 23:37:09 | 古事記字源
 天書よりも魁書・・・?
 ↓↑

 篆書体(テンショタイ)
 ↓↑
 「篆書・篆文」
  篆=竹+彖
    竹+彑+豕
      彑=彐
       彐部(けいがしら・いのこがしら)
        ケイ
        ぶた(豚)の頭部・・・?
    彑=(∠く乚)+ユ・・・互・瓦
            ユ・・・
        侯=イ+ユ+矢=矦=厂+矢=㑨
       王侯
        侯爵
       諸侯
       土侯国(ドコウコク)
       藩侯(ハンコウ)
       列侯(レッコウ)
       王侯将相(オウコウショウショウ)
       夏侯拾芥(カコウシュウカイ)
        侯覇臥轍(コウハガテツ)
       随侯之珠(ズイコウのタマ)
       貴重な宝玉や至宝
       伝説上の銘珠
      「随侯」=人物名
           随侯が傷ついた大蛇を助け
           お礼に伝説の宝珠を貰った故事
          『荘子・譲王』
       隋侯之珠(ズイコウのたま)
       和氏之璧(カシのヘキ)
       隋和之宝(ズイカのたから)・・・和=カ
       隋珠和璧(ズイシュカヘキ)
       連城之璧(レンジョウのヘキ)
       互=一+彑=互角=㸦
         互,俗作㸦
         韓愈·贈張籍張徹詩
         交驚舌㸦舚
         柳宗元·夢歸賦
         㸦參差之白黑
         註 㸦卽互字
         唐韻正
         周禮牛人
         凡祭祀共其牛牲之互
         徐音㸦,詩楚茨傳曰 或 陳于互
         ゴ
         たがい・たがいに
         かたみ・かたみに・かわるがわる
         入りまじる・くいちがい入り乱れる
         いけにえの獣肉をさげる棚
  ↓↑

  篆=テン
    漢字の書体名
    大篆と
    それを簡略化した
    小篆
    印章に篆書が多く使用
   「篆隷万象名義(テンレイバンショウメイギ)」
    日本に現存する最古の漢字字書
    6帖30巻
    空海撰
    天長七年(830)以降成立
    約1万6000字の漢字を
    542部に分類
    字音を表す反切と
    漢字注を施したもの
 ↓↑

 篆=テン・・・「竹の彖」がナゼ「源漢字」なのか?
         竹で造った冠を
         豕(ぶた)の頭に載せた?
         豕=ー+乑
        「豕」ではなく
         「ー+乑」に
       「竹+彑=竹で編んだモノ」を
         載せた意味だろう
         ↓↑
        「竹簡」に収められるのは
        「竹」の
        「書簡」の
        「篆書文」だろう・・・
 ↓↑      ↓↑
         乑=眾=罒+人+イ+人
         乑=㐺=亻+从(從)+人
         乑=ギン・ハン・シュウ
           ならび立つさま・大勢が立つさま
           よじる・よじのぼる=攀
           すがる・たよりにする=攀
           おおい=衆
           人を三つ重ねて
           多くの人が集まり立つ
           並び立つとの意味を表す
           シュウ[漢],シュ[呉]
           ギン[漢],ゴン[呉]
           大勢の人、多くの人
           =𧰨・㐺(衆)=イ+イ+人
            「衆」の
             脚(あし、漢字の下部)などを構成
 ↓↑ ↓↑
    从=人+人=從う
    丛=从+_
      人+人+_
     =ソウ
      くさむら
      くさむら・草が群って生えている所
      むらがる・一ヶ所にあつまる
      叢=樷=藂
    众=𠆢+从
      人+人+人=乑=衆
     =ギン・ゴン・シュウ
      ならび立つさま・大勢が立つさま
      衆の簡体字(簡化字)
    坐=土+从=㘴=㘸
      =ザ
      いながら
      います
      おわす
      すわる
      そぞろに
      まします
      腰をおろしてすわる・席につく
      腰をおろす場所・座席
      いながら・いながらに
      何もせずに・労せずに
      そぞろに・なんとなく
      日本語
      おわす・まします・います
      「ある・いる・行く・来る」
      などの敬語
    夾=大+从=夹
     =キョウ・コウ
      はさむ・さしはさむ・両側からはさむ
      はさまる・まじる・間にはいる
      助ける・そばについて助ける
      「㚒=大+入+入」は別字で
      「セン・盗む・物を盗んで懐に入れる」
    巫=工+从=フ・ブ
      かんなぎ
      みこ
      神に仕える人
      女性を「巫(フ)」
      男性を「覡(ゲキ)」
    苁=艹+从=蓯
     =ジュ・ショウ・ソウ
     「苁蓉(ショウヨウ・ジュヨウ)」
      ハマウツボ科の寄生植物
     「衝苁(ショウショウ)」=互いに入るさま
     「葑苁(ホウソウ)」=蕪(かぶ)・かぶら
    纵=糸+从=縱=縦
     =ジュウ・ショウ
      たて・はなつ・ほしいまま・ゆるす
      ゆるめる
      よしんば
      たて・上下・南北の方向
      放つ・矢を発する・火をつける・つかわす
      ほしいまま・心のまま
      勝手気まま・ほしいままにする
      ゆるす・みのがす・釈放する・解き放つ
      ゆるめる・ゆるむ・ゆるい
      「たとい・しんば」と読み
      「かりに・・・としても」の意
    來=木+从=来=耒
     =ライ
      くる
      きたす
      きたる
      きし
      こし
      やってくる
      きたす・こさせる
      このかた・ある時点から現在まで・今まで
      これから先・まだきていない先のこと
      助字
      句中や句末に置いて、語調を整える
      普通は訓読しない
      ねぎらう・いたわる・はげます
    枞=木+从=樅
     =ショウ
      つく・もみ・マツ科の常緑高木
      うつ・たたく
     「枞枞(ショウショウ)」
      樹木の高くそびえるさま
    㦰=从+戈=セン
      断つ
      鋭い
      刺す
      すき・土をけずる農具
    怂=从+心=慫
      ショウ
      おどろく
      すすめる
      すすめる・誘い勧める
      おどろく・驚きおそれる
    𨑹=从+辶=従=從=从
      ジュウ
      ジュ
      ショウ
      したがう。したがえる
      ついて行く。つれて行く。
      したがう。言う通りにする。言うことをきく。
      仕事にたずさわる。
      「より」と読み
      「~より・~から・~によって」
      ほしいまま。心のまま
      勝手気まま。ほしいままにする=縦
      たて。南北の方向。=縦
      けらい。つきしたがう人。主人の共をする人。
      「𨑹容」は、落ち着いているさま。ゆとりのあるさま
    疭=疒+从=瘲
      ショウ
      ひきつけ・痙攣(ケイレン)を起こす病気
      小児のひきつけ
    耸=从+耳=聳
      ショウ
      おそれる
      すすめる
      そばだつ
      そびえる
      そびやかす
      つつしむ
      おそれおののく
      勧める
    𪈪=自+从+天+鳥
      自+人+人+一+大+鳥
     =鷎=鷱=𩀹=鴿=鳩
      コウ
     「𪁜𪈪(ロウコウ)」=鳩(はと)
 ↓↑ ↓↑
    豩=豕+豕
    豳=山+豩
      凵+豕+l+豕=ヒン
      周代の国名
      まだら(斑)模様
      斑(まだら)なさま
    燹=豕+豕+火
      セン
      野火(ノビ)
      兵火(ヘイカ)
      戦乱・兵乱によって起こる火事
 ↓↑
 篆=テン
 漢字の古書体の一
 大篆・小篆があり
 隷書・隷=士+示+隶
    隸=柰+隶・・・・(🍎)=奈→奈良
      木+示+隶(肀+氺)
      十+八+二+ハ+亅+⺕+氺
    レイ
    したがう・つく・つきしたがう
    しもべ・召し使い・下級の役人
    書体の一
 楷書・楷=木+皆
      木+比+白
    カイ
    のっとる
    のり
    かいのき・ウルシ(漆)科の落葉高木
    のり・手本・やり方
    漢字書体の一
 のもとになった
 ↓↑
 漢字
 書体
 篆刻・毛筆
 甲骨文・金文・篆書
 古文・隷書・楷書
 行書・草書
 木版・活版
 ↓↑
 宋朝体
 明朝体
 楷書体
 ↓↑
 字体
 構成要素
 筆画・筆順・偏旁・六書・部首
 標準字体
 説文解字(篆書体)
 字様書 石経
 康熙字典体(旧字体)
 新字体 新字形
 国字標準字体 常用字字形表
 漢文教育用基礎漢字
 通用規範漢字表
 国字問題
 当用・常用漢字
 ↓↑
 同音の漢字による書きかえ
 繁体字(正体字) - 簡体字
 漢字廃止・復活
 ↓↑
 漢字文化圏
 中國・日本・朝鮮・越南・臺灣・琉球
 新疆(シンキョウ)
 唐から元・宋にかけての時代に
 モンゴル高原などで活躍したトルコ系民族
 内乱などで四散し
 現在は
 新疆(シンキョウ)
 ウイグル自治区の主要な構成民族
 廻紇(カイコツ)
 回鶻(カイコツ)
 畏吾児(ウイグル)
 などと記され
 20世紀
 維吾爾(ウイグル)
 と表記
 ↓↑
 派生文字
 国字 方言字 則天文字
 仮名 古壮字 字喃 女書
 契丹文字 女真文字 西夏文字
 ↓↑
 字音
 秦代より前に使用されていた書体全てを指す
 一般的には
 周末の金文を起源として
 戦国時代に整理され
 公式書体とされた
 小篆
 とそれに関係する書体を指す
 ↓↑
 現在
 印章などに使用
 書体の中では最も使用期間が長い
ー↓↑ーー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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バック・トゥ・The past・・・?

2025-02-14 23:46:49 | 古事記字源
 Back to the 「過去=カコ=水主」・・・「The past」
 ???
 再考・・・

 21:00
 金曜ロードショー
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』
 (Back to the Future Part II)
 1989年のアメリカ映画

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
 (Back to the Future)
 1985年 アメリカ映画の続編

 高校生のマーティが
 科学者のドクが作った
 タイムマシン・デロリアン
 で30年後の未来にタイムスリップ
 ↓↑
 22:45
 時をかけるテレビ
 はやぶさ(隼=隹+十・鶻=骨+鳥)
   ・・・隼(シュウ・ジュウ)人(ジン・ニン)
      隹(スイ)+十(ジュウ・ジッ)
      隹=イ+亠+三+l
      隹=𠂉+丶+乚+ⵐ(‡)
      隹=𠂉+丶+乚+二+l
 の快挙とその舞台裏
 ↓↑
 遡源=溯源(ソゲン・サクゲン)⇔素言・削減・作源
        木花之佐久夜毘売
     (このはなのさくやびめ)
        本名 神阿多都比売
          (かむあたつひめ)
        ・・・咬(噛)み合った譯比女(目・乜)
        別名        翻訳比米(混・込)
        木花之佐久夜毘売
     (このはなのさくやびめ)
      此の噺(話し)作句撚る秘め?
 ↓↑
 物事の根本を考えて
 その全てを知ろうとすること
 根源を推察して
 根源にさかのぼるという意味
 「本を推(お)して
  源(みなもと)に
  溯(さかのぼ)る」
 物事の根源を探し求めること
 事象の大本を推し量り
 その根源までさかのぼる
 根源を探る
 由来を探る⇒「推本溯源」
 意思是上游寻找 发源地・比喻探求本源
 水源地,発源地,発祥地,(比喩的に)生まれ故郷
 游(泳・巡)寻(尋)找(捜・探)
          ・・・捜査・探索・探究
       fossick to look for; to try to find
             捜索=証拠を集める
   游=氵+斿
     氵+方+𠂉+子=斿
     氵+方+𠂉+了+一
     氵+亠+勹+𠂉+了+一
     氵+亠+ノ+𠃌+𠂉+了+一
     斿=ユウ・リュウ
       あそぶ(遊ぶ)・浮かぶ
       ただよう(漂う)=游=浮遊
       旗の吹流し・旗の先につけた飾り
  ↓↑
 「推本溯源」=由来を探る
   ⇒「推理本の溯源=コナン・ドイル」
            弧何  度緯留
   ⇒「推理本の探偵の溯源=エドガ・アランポウ」
         谷蟆=谷蟇⇔重度賀 蛙覧 法(封)
    ヒキガエル(蟾)の多邇具久(たにぐく)
    引き換える    他爾(字)倶句           
 ↓↑
 以前に失ったり、離散したりした
 具体的な物・人を
 尋ねる・捜す・求める=搜寻(尋)
 ↓↑
 溯=氵+朔=遡=辶+朔
   氵+屰+月
   氵+䒑+屮+月
   氵+丷+一+凵+丿+月
   氵+丷+一+凵+丨+月
  =遡=辶+朔
   ソ
   さかのぼる・流れに逆らって上る
   むかう
 遡る・溯る(さかのぼる)
 溯源・遡源(サクゲン)
 遡及・溯及(ソキュウ)
 遡源・溯源(ソゲン)
 遡行・溯行(ソコウ)
 遡航・溯航(ソコウ)
 遡上・溯上(ソジョウ)
 朔日(ついたち)=一日(いちにち)
         =壹日・いちじつ=壹字譯)
          壹姫=壹與
 塑像(ソゾウ)
 朔塑蒴搠嗍遡愬槊㮶鎙
 ↓↑
 明治三十八年(1905年)
 日露戦争に従軍していた
 「浜名 寛祐」・・・ハマの名 
           寛(ひろ)く
           祐(たすける)
          =祐
          =示す右(旁の右=見義・未義)
 が
 満州奉天(遼寧省)の
 ラマ寺院に保管されていた書物を書写し
 研究発表した古文書
 大正十五年
 「日韓 正宗 溯源(セイソウ サクゲン)」
 と題して
 「契丹古伝」・・・楔形は「丹=冂+丶+ー」の
          拾の👄(口・唇)の
          傳(伝=イ+云(二+ム))
 を発表
 「契丹秘伝」
 「神頌叙伝」
 「東族古伝」
 などとも呼ばれる
  ↓↑
 『契丹古伝』
 「契丹語の音」を
 全文
 約3,500字(2980字?)の
 漢字表記で記録した古文書
 契丹(遼)
 太祖
 「耶律 阿保機(ヤリツ アボキ)」
  872年〜926年
  ↓↑
  耶(邪)の
  律(彳+聿=掟・法・規矩・規範)
  律=彳+聿
    彳+肀+二
    葎・嵂・箻
    呂律(ロレツ)
    一律(イチリツ)
   黄金律(オウゴンリツ)
    戒律(カイリツ)
  急急如律 令(キュウキュウニョリツリョウ)
       ↓↑
  喼喼如律 令(キュウキュウジョリツリョウ)
       卩=割符・刀=マ
          卩・ㄗ=マ・㔾
          己 巳 已 おのれ
「衞=衛」の簡体字
      「卫=刀+ー」
      「ㄗ=卩(割符)+ー」
       は・・・「自衛・防衛」の衛
      異体字
     「衞=彳+𫝀+口+帀+亍
        彳+𫝀+口+一+巾+亍
        彳+𫝀+口+一+巾+二+亅

      䘙=行+韋+帀+亍
        彳+𫝀+口+㐄+一+巾+亍
        彳+𫝀+口+㐄+一+巾+二+亅
        ↓↑
       「彳+亍(テキ+チョク)」
        少し歩いては立ち止まること
        たたずむ・たちどまる
        一定の場所にしばらくの間じっとしている
        帀=一+巾
          ソウ・めぐる
          匝・巡・廻・回・周回・・・凧(たこ)

      卫=ㄗ+_」・・・「刀(ノ+𠃌)+ー」
                卫=𠃌+丄(上)=マ=矛

      衛=行+韋(韦・熟皮)・・・韋=舛+口?
          韋=𫝀+口+ヰ
            𫝀=五の俗字
            五=一+𫝀
        異体字「𠄡 㐅 伍 𫝀」・・・ファィブ
        5=V=five=ファイブ=fifth=フィフス
              附合部・夫愛撫  附意符諏
        ローマ数字
        「Ⅴ=IIIII」と書く
        「Ⅴ」の数字表記は
         1000→M
          500→D
          100→C
           50→L
          10→X=Ⅴ+∧=両手の五指
              Ⅴと∧を上下に重ねた
              Ⅹ=勝利サイン
             「∧=冪纂記号」

          冪乗(ベキ乗・・・Y=Ⅹⁿ
             ベキ=冖(ワ冠⇔和漢ムリ)
             英: 仏: 独: exponentiation)
             冪演算(ベキエンザン)
             底 (テイ、英: base)
             および
             冪指数 (ベキシスウ、英: exponent)
             と呼ばれる二つの数に対して
             定まる数学的算法
             結果は冪 (ベキ、英: power)
             と呼ばれる
             同じ概念は日本語で
            「累乗(ルイ)」
             とも表現

           5→V=片手の五指・・・Ⅹ=両手の十指
              One hand・single-handed
              Ⅴictory=勝利
          1→I

          V=ラテン語の
          半母音「/w/」の音素を表す文字
          古代ラテン文字には「U」が存在せず
          「V」の文字は「/w/」とともに
              母音の「/u/」を表す文字として使用
          ラテン文字(アルファベット)の
          「22番目」の文字
          小文字は「U, W, Y」とともに
          ギリシャ文字の
          「Υ(ウプシロン)」に由来し・・・
          「丫=ア」は漢字
             ア=あげまき・ふたまた
          キリル文字の
          「У」は同系の文字
          スペイン語
          「B」と「V」を発音上は区別しない
          もっぱら [b]を表す
          英語
          「/w/」を表す文字として
          「V(U)」を横に二つ重ねて
          新たに「W」が作られた・・・W=Ⅴ+Ⅴ
          中世高地ドイツ語
         「W」が「/v/」を表す文字として使用
          ドイツ語からは「/w/」の音素が失われた
          Volkswagen(フォルクスワーゲン)
          ハイドンの交響曲第88番『V字』
          優勝・勝利 (victory)
          Vサイン(ピースサイン)
          Vサイン(ブイサイン・V sign・✌
               victory hand)
          人差し指と中指の指先を離して伸ばし
          他の指は折ったままにする
          手の ジェスチャー
         「ぐぅ(石)、ちょき(鋏)、ぱぁ(紙)」
             👊  ✌      🖐
              の「チョキ(鋏)」
          V字谷=V字の断面をした谷
          動詞 (verb)
          ベクトル(vector)空間を表す

         海外では「〇」はNG
              「×」はOK=勝利サイン
              ↓↑
        異体字=五=㐅 (古字)
            㠪・伍(大字)
            𠄡 (古文)
            𫝀 (俗字)
            ゴ・いつ・いつつ
            いつたび・ごかい・ごど
        日本語
        いつつ・午前八時(辰の刻)
           ・午後八時(戌の刻)

          韋=靼・なめし皮・鞣革・鞣
      ↓↑   ↓↑
      衛=彳+韋+亍
        彳+𫝀+口+㐄+亍
        彳+𫝀+口+㐄+一+丁
        彳+𫝀+口+㐄+二+亅
        彳+𫝀+口+㐄+一+一+亅
        エイ・エ
        まもる・ふせぐ
        まもり・まもる人
        営む
        国の果て・国境・辺境
        明代、要所に設けた軍営
        周代の国名
       「韋」の字源
       「囗」
        と2つの
       「止+止」から構成される会意文字
        城邑・領地の周りを巡るさまを象った文字?
  字形は「section」の
  古字「卩=㔾・⺋=割符・手形?」
  発音は「section」の頭文字

  「jie」の頭文字は
  現在の
 「ㄐ(/t͡ɕ˭/と発音)
   絡み合い・矯正の古来の字(公式方言:jiū)」・・・?
 丩=キュウ
   よじれる・まとう
   まつわる
   糾える(あざなえる)
   禍福は糾える縄の如し
  =糾・・糾弾
      糾弾=糺弾(キュウダン)
   紐(ひも)や蔓(つる)などが
   もつれた形
   糾明・糺明(キュウメイ)
 ではなく
 「ㄗ=㔾・⺋=跪いた人」・・・「卩=割符」
      ㄗ≠卩=割符
      ⺋≠卩=割符≠巳(它・蛇)
    ↓↑       ↓↑
    紀律(キリツ)=糸+己+彳+聿
    規律    記=言+己
     律令
     律=刑法
     令=行政法+訴訟法+民事法
       律令国家の基本となる法典・成文法
    音律(オンリツ・インリツ)
    軍律(グンリツ)
    憲律(ケンリツ)
    自律(ジリツ)
    旋律(センリツ)
  三寸不律(サンズンフリツ)
  千篇一律(センペンイチリツ)
    二律背反(ニリツハイハン)
  雷同一律(ライドウイチリツ)
  必要の前に
    法律なし
     律儀(リチギ)は
     阿呆(アホウ)の
     唐名(からな)
     律義者の子沢山
    呂律(ロレツ)が回らない
 ↓↑ ↓↑
 「耶律 阿保機(ヤリツ アボキ)」
 ↓↑
 に伝わる古文書
 10世紀
 東丹国(契丹の分国)の
 「耶律 羽之(ウシ)」
 によって撰録された漢文体の史書
 『耶馬駘記』
 『氏質都札』
 『西征頌疏』
 『神統志』
 『辰殷大記』
 『洲鮮記』
 など
 「渤海史料」によって構成・・・

 「契丹古伝」
 古史文献からの引用

 耶摩駘記(ヤマトキ)
   ・・・著者「塢須弗(ウスボツ)」
   「続日本紀」記載の「烏須勃(うすぼつ)」・・・
    773年 能登に着いた「渤海の国使 烏須勃」
 神統志(シントウシ)
 氏質都札(シシツサツ)
 賁弥国氏洲鑑(ヒミコクシシュウカン)
 汗美須銍(カミスチ)
 辰殷大記(シンインタイキ)
 西征頌疏(セイセイショウソ)
 洲鮮記(シュウセンキ)
 秘府録(ヒフロク)
 などから引用・・・

 殷帝国時代より前
 日本列島に
 濊貊(ワイハク)が居住
 濊+貊=濊族と貊族
 中国、黒龍江(アムール川)から
 北朝鮮、日本列島に存在した古代種族・・・
 濊貊の後日本列島に上陸したのが
 「契丹族」・・・
 「楔形文字=バビロニア文字」・・・
      「∧人𠆢入イト丫个亼・・・vⅤ字形」・・・?

 遼(リョウ・916年~1125年)
 初代 皇帝 太祖の祖先
 東大神族(シウカラ)
 シウカラに関する神話
 東大神族は
 漢民族が
 中国を支配する以前から
 ユーラシア大陸を支配していた先住民
 ユーラシア大陸にいる異民族は
 全て
 東大神族が祖先
 殷人=倭人?

 契丹民族
 耶律部族は
 倭人の国を先祖とした・・・

 シウカラ(周)と漢民族の主導権争い

 邪馬壱国の
 「卑弥呼=シウカラ出身」
 「卑弥呼の本名=イサハミ姫(イサハミコメ)」
 「壹(臺)與」
 「ダたるかの
  イヨトメ(壹(臺)與)
  民を率いて
  ミマナ(任那)
  ・・・」

 日露戦争中
 明治38年
 鴨緑江軍
 兵站経理部長
 浜名寛祐は
 奉天郊外の
 ラマ教寺院に駐屯中
 広部精
 という軍人から巻物を見せられ
 それは古陵墓より出土した物で
 兵禍をおそれ
 同寺院に保管するべく託されたもので
 浜名寛祐は
 これを書写し
 十年の歳月をかけて研究し
 日韓古語の研究からその解読に成功
 大正15年
 『契丹古伝(日韓正宗遡源)』
 を発表
 
 契丹(きったん、キタン、キタイ、拼音: Qìdān)
 4世紀~14世紀
 満州~中央アジアの地域に存在
 半農半牧の民族
 10世紀初頭
 中国北部に建国
 国号を
 遼と号した
 12世紀
 「女真」
 が
 「宋」
 と結び南下し
 「遼」を挟撃
 1125年
 滅亡
 契丹人は女真に同化し
 一部は中央アジアに逃れ
 「西遼(カラ・キタイ)」
 を建国

 契丹人
 原モンゴル人から
 鮮卑人を経た子孫
 シベリア、モンゴル、中国北部を支配し
 遼王朝(916〜1125)
 を建国
 遼朝の契丹族は
 契丹小字
 契丹大字
 の2種類の独立した文字を使用

 1125年
 金の侵攻により
 遼王朝が滅亡
 契丹人は
 「耶律大石」・・・邪の律の大の石(いし・いわ・セキ)
 に従って西へ向かい
 中央アジアに
 カラ・キタイ(西遼王朝)を建国
 このほか
 中国の
 北遼
 東遼
 後遼
 ペルシャ(波斯)の
 クトゥルグ=ハニード朝
 なども契丹が建国
 中国東北部の少数民族
 ダウール族は
 契丹人の遺伝的子孫・・・

 中国の歴史的名称
 「キタイ」は
 「契丹」が由来

 契丹の起源
 拓跋部ではない
 宇文部から分かれた東部鮮卑の後裔
 「庫莫奚」
 もしくは
 「室韋」
 と同系・・・
 『新唐書』では
 匈奴に破られて逃れてきた東胡の子孫
 『魏書』、『北史』、『隋書』
 宇文部であった
 「奚(庫莫奚)」
 ともつながりがあり、ともに4世紀半ばに
 前燕の
 「慕容皝」
 に敗北し、松漠の間(赤峰地区)に逃れて居住
 388年
 北魏に敗れ
 奚と分離し
 その東方に暮らすようになった

 モンゴル帝国時代
 中期モンゴル語
 単数形の
 「キタン Qitan」
 よりも
 複数形の
 「キタド(キタト 乞塔惕) Qitad/Kitat」
 がより一般的
 金朝についていう時も
 「キタド」
 という呼称
 「金朝皇帝」という場合
 『元朝秘史』では
 「キタドの民の金朝皇帝」
 (乞塔惕 亦舌児格訥 阿勒壇 罕
   Kitat-irgen-ü   Altan Qan)
 『集史』のペルシア語文でも
 「ヒターイーの帝王であるアルタン・ハン」
  (pādshāh-i Khitāī   Altān   khān)
 と同様の表現がされている

 日本語
 「カタイ=Cathay」
 英語になった契丹を語源とする
 「Catai」
 で
 東方見聞録の頃の
 西洋人の
 中国北部の呼称
 中国南部は
 「マンジ (Manji)」
  と呼ばれる
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 干支歴
 命式作成
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