チャオ・ダル・マーレ  CIAO dal MARE    (旧キッチン・マーレ)

Eat Well・Drink Well・Live Well
美味しく食べ、楽しく飲み、素敵に生きよう!

2021年 - 節分、立春前の鎌倉より

2021-02-01 | ごあいさつ

立春(二十四節季の第一節季)は「この日から春が始まる」「この日から新しい年が始まる」と言われています。例年は2月4日ですが、太陽の運行によって算出される暦のため、、今年は例年よりも1日早く、124年ぶりに2月3日になるそうです。そのため、立春の前日である節分(言うなれば大晦日)が、今年は明日、2月2日になります。

随分と久しぶりにブログを開けてみて、2019年末以来アップしていなかったと気づき、我ながら唖然としています。。コロナ旋風が巻き起こってから1年が経ちますが、皆さまお元気にお過ごしでしょうか。

立春、新しい年を迎えるにあたり、ご報告していなかった方々にも雲隠れしていたお詫びをしなきゃ、と今日は大慌てでブログアップ致します。

ここ数年色々と大変なことが重なり、意を決して人生をリセットしようと、昨年4月コロナ禍の第一回非常事態宣言が発令されている中、神戸から鎌倉に居を移しました。当時東京に住んでいた次女が「一緒に住もうよ」、と言ってくれたのもきっかけの一つです。

2009年からスタートさせていただいたキッチン・マーレの料理教室やワイン教室を、何回もの我儘な長期休暇にもかかわらずいつも寛大に見守って下さり、可愛がり、通って下さった皆さま、本当にありがとうございました。

新しい事を始める時よりも、やめる決断をする時の方がずっと勇気がいる、ということ、今回も痛切に感じました。結婚を決断する時よりも離婚を決断する時の方がエネルギーがずっとたくさんいる、って事と同じですね(経験者です:笑)。

もっと何らかの形で教室やカフェを続けていければ良かったのですが、ごめんなさい、体力、気力、知力、全ての力不足でした。

でも、昔のレシピが助かっている、今でもよくそれを活用しているよ、という話を生徒さんから耳にすると、ありがたいな〜と、とても嬉しく思います。特に、新しく誕生してきたお孫さん達が「おいしい!とパクパク食べるんだよ」と聞く度、私のレシピが皆さんの家庭の味として次の世代にどんどんと受け継いでもらえ愛されているんだと思い、感慨もひとしおです。

ここ鎌倉では材木座海岸のすぐそば、海まで1分の所に住み、犬と一緒に海岸や街の散策をしながらストレス・フリーな生活を楽しんでいます。コロナ禍ということもあり、引っ越してきてもしばらくは何もしたくなく、行き先も決めずにひたすら街の中を歩き回り。。。テレビもなく、パソコンも何ヶ月も開かない日々を過ごしていました。山積みになった読みたい本を貪り読み、気が向いた時に食べたい料理を調理する、という全く予定もしがらみもない気ままな毎日が、不思議なくらい心地良いのです。

海と三方を山に囲まれた小さな古都は緑が多く、三階建て以上の建物がなく空が抜けていて風通しの良い街です。迷路のような小路や路地には古民家に混じって個性的な新しい家や素敵な庭が多く、たくさんの寺社仏閣があり、散策に飽きることもなく、思った以上に気に入っています。コロナによるテレワーク主体の働き方改革で、都心からの移住者が湘南エリアに集中しています。彼らが押し寄せる前に良い物件を見つけれて、それも本当にラッキーなことでした。

ブログに関しては、名残あるキッチン・マーレとも今回でお別れし、これからは鎌倉便りのブログを始めたいと思っています。準備ができ次第新しいサイトをお知らせしますが、最後にこの10ヶ月近くになる鎌倉生活で撮った写真を少しご覧下さい。

↑江ノ電の駅に貼ってあったPRポスター。キャッチコピーは「日常=リゾート」「今日もここにいる」。

ああ、これだよ!と一人で悦に入ってしまった。

家の前にある材木座海岸。↑右奥は逗子マリーナ。

愛犬MAXももうじき12才。鎌倉に移って、若返りました。

↑海辺を西に歩いて20分ほどにある長谷寺からの景色。奥のビーチは、左から由比ヶ浜、材木座、逗子。

初夏の鎌倉は緑がとても濃く、紫陽花が美しい。でも、湿度は恐ろしく高い。。

関東のお盆は7月なんですね。知らなかった。

海の家も鎌倉花火もなかった2020年の夏。でも海遊びが上手な地元民は、↑ they enjoy a lot!

鎌倉野菜、湘南野菜、三浦半島の野菜は元気一杯!豊作だと、家の近くのスーパーではこの通り、ビックリするような値段!

京都に代表される計算されつくし洗練された美しい紅葉を見慣れた関西人の私にとっては、あまりに人の手が入っていない紅葉にちょっとたじろいだ。でも、天高く空に伸びた紅葉もそれはそれでとても癒される。

鎌倉にゆかりがある文学者は川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子ら300人以上いる。

彼らの資料が展示されている薔薇園のある文学館は、侯爵・前田利嗣の鎌倉別邸だったもの↑。

ケンタッキーのサンダースおじさんも、鶴岡八幡宮二の鳥居の狛犬も、小町通りののぼり旗の姫もこの通り、コロナ感染予防しています。

鎌倉は、子供より犬の数の方が多い、と冗談を言われるほど犬フレンドリーな街。そして、驚くほど保護犬や多頭飼いが多い。

我が家でも昨年12月に、保護犬の子犬Gabbroガブロが新しく家族に加わりました↑。おかげで、教育係になったMAXはますます若返っています。

そして私は、この1月からこんな素晴らしい景色がミラーに写るスタジオでフラを習い始めました。引っ越し直前に骨折した背骨のリハビリと、脳トレを兼ねて。でも最大のモチベーションはこの景色。まるでハワイにいるみたいでしょ。このスタジオも、家から歩いて2分という好条件。

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本当に皆さま、長きに渡り「キッチン・マーレ」をお読みになって下さり、ありがとうございました。そして、新たに始まる「鎌倉物語」も、引き続きどうぞよろしくお願い致します。サイトのアドレスは近日中にお知らせ致します。

最後に、2021年を皆さま心穏やかに、健やかに過ごせますように!


2019 年師走

2019-12-11 | グルメ色な日記

毎年師走になると、1年が過ぎ去るスピードが前年より加速しているように感じるのは、何故?

そして今年は、地球温暖化でとりわけ日本は、天災の多い落ち着かない年だった。

来年の1月17日で阪神大震災からもう25年。というわけで、その年から続いている神戸の光の祭典、ルミナリエも今回で25回目(12/15まで開催中)。

今年は例年の壁型のデザインではなく、ドーム型が初めて登場。昨年の神戸港開港150周年を記念した豪華なイルミネーションに比べると、少しおとなしめだが、ドームの下にいると光に包まれてなかなか荘厳な気分になる。

設置工事中、旧居留地を歩くきれいな女性達に「UTSUKUSHII!うつくしい!」と声かけを忘れずに楽しく作業をしていた職人さん達!さすがイタリア人だな〜、と感心した。

今年の秋から、山歩きにはまっている。近場には六甲山や摩耶山、須磨アルプスと、いくらでも魅力的な山が連なっていることに、今更だが気がついた。そしてラッキーなことに、周りにはちょうど同じように山歩きにはまった友人達がチラホラといて、次どこ行く?となかなか楽しい。ま、真夏に始めていたなら、すぐに根を上げていただろうけど。若干視力が良くなったように思うのは気のせいか?そういえば先日、宮崎出身の友人と話していたら、高校時代に山を10分間凝視する時間が毎日学校であった、という。おかげで視力がとっても良いらしい。なんと羨ましい。

幼少時代によく行った布引の滝や再度山の修法ヶ原池(ふたたびさん・しおがはらいけ)も、お久しぶり。

11月の神戸マラソンの日、須磨アルプスに登った。六甲山縦走の西の端だ。眼下には、ランナーを応援する漁師船が大漁旗を掲げ、消防船は放水しながら須磨の海に出ていた。

アップダウンの激しい山でトレーニングをしている人も多い。

イチロー選手がお忍びでトレーニングしていた馬の背。ちょっとセドナを思い出した。

そしてご褒美のような、瀬戸内に沈む太陽と明石海峡大橋の美しい眺め。

先週は少し足を伸ばして、高砂市曽根にある鹿島神社の裏の山へ。紅葉になんとか間に合った。

高御座(たかみくら)は、天皇即位で耳にするようになった言葉だが、そのおかげで正しく名前を読めた山。ここにも馬の背があったが、標高300mにも満たない山々なのに、あまりのキツさに下の方でウロウロ。アイゼンを履いて岩山を登っている強者や、一日中グルグル色々なルートを上り下りしてトレーニングしている人がたくさんいて、ビックリした。初心者が目立つ目立つ。

我ながら外食が消極的になってきて少々悲しいが、この秋は美味しいスパニッシュ、フレンチ、イタリアンをいただく機会があったかな。ちょっとだけ載っけます。

上等の生ハムは、とっても甘くてジューシー。

大阪湾のイワシは実に旨い!

grass-fed(牧草飼育)のラム肉は全く臭みもなく、焼いただけでびっくりするぐらい美味しい。

ボジョレ・ヌーボー解禁日に、フレンチ・ビストロで美味しい前菜とヌーボー。旨いヌーボーだな、と思ったのは何年ぶりだろう?

そして、ワイン教室はひそかに開催しています。

 

では皆様、HAPPY HOILIDAYS!!

いつの間にか某食品会社、味OOのCMに使われている Eat Well・ (Drink Well)・Live Well で、お元気にお過ごしください。


ベルリン・その3

2019-08-25 | グルメ色な日記

ベルリンの街の東部、シュプレー川沿いに、イースト・サイド・ギャラリー East Side Gallery がある。現存しているベルリンの壁の中で最長の約1.3kmに、世界中の百人以上のアーティストが戦争と平和に対するメッセージを表現した屋外アートだ。

市内には、東西に分裂されていた冷戦期の傷跡があちこちに残されている。

電車網も充実していて(↓レトロな駅もある)乗り継いで1日走り回った。

↓市内中心部にあるチェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie は、東ベルリンと西ベルリンの境界線上にあった国境検問所(1945年~1990年)。

チェックポイント・チャーリーはソ連統治地区と米国統治地区の間にあったので、↑南側には米兵の写真、北側にはソ連兵の写真、が掲げられている。

当時の西ベルリンは米国、イギリス、フランス、と別々の統治地区があり、検問所も数多くあったそうだ。その中で、外交官や西側諸国軍関係者が通行できたのは、このチェックポイント・チャーリーのみだったそう。

元々往来が自由だったベルリン市内の検問所を、車で強行突破したりして東側から西側への人口流出が続いたため、東ドイツは1961年8月13日に突如として東西ベルリン間の通行をすべて遮断して西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作ったのだそうだ。

お土産屋さんも、↑冷戦期を彷彿させる軍服やらガスマスクやら、物騒な品が並ぶ。

博物館、美術館通りで食べ物を探すのは至難。↑静かにお客さんを待っているプレッツェル&水屋さん。

小さなスーパーをのぞくと、日本のおにぎり発見! 左はピーナッツバター、その隣はかぼちゃとゴマだって。一体どんな味なんだろうね〜。しかし、高い!2.99ユーロ、約300円もする。

宿泊したホテルの朝食ビュッフェで驚いたのは、honeycomb ハニカム、蜂の巣から流れ落ちるハニーがセルフサービスだったこと。

内陸のプラハでは見かけなかった魚の燻製も、ハム類に負けずにいろいろな種類があった。

ベルリンの路面電車トラムは、便利できれいだ。ホテルの前はトラムの休憩場所になっている様子。

日曜日は、大きな Flea Market 蚤の市がいくつか開催される。ホテルを早朝に出発し、トラムに乗って会場近くまで行ってから朝食を食べることにした。

 

またまた悩むぐらいバリエーションが豊富。ナスとキノコのキッシュも美味だった。

Mauerpark マウアーパークの蚤の市は、市内最大。

骨董買い付けのプロ(M子)は、開店前に会場に行き、設置中の店を一巡し、めぼしいものを買い始める。

大きな店は、商品を出して並べるだけでも大変!これを仕舞うのも大変だ〜

手動ミシンの横になんでこれがあるのか分からないけど、なんでもありです。

昼前には会場は歩けないぐらいの人混みで、食べ物屋台もたくさん出ている。このホットドッグ、パンもソーセージも美味しかった〜

もちろんビールも!写真撮る前にちょっと飲んじゃいました。

そして帰国の朝。ナポレオンがパレードした大通りを通りを西へ突き抜け、タクシーで空港へ向かっていると、戦勝記念塔が見えてきた。

デンマーク戦争に勝った1800年代後半に建てられた塔だが、ベルリンを世界首都に改造するヒトラーのゲルマニア計画の実施に先立ち、1939年に現在の場所、市内最大のロータリーの中央に移設されたそうだ。どの方向へ向かうにも、金色の勝利の女神ヴィクトリアに向かって走る事になる。

空港で最後の朝食。りんご一杯の apple strudel アップル・シュトゥルーデル。

ヨーロッパ大陸外への直行便がほとんどないからか、ベルリン空港はとても小さかった。が、乗り継ぎのミュンヘン空港↑ はとんでもなく広かった。走って走って、乗り継ぎにギリギリ間に合い、平和な日本に帰ってきた。もっとちゃんと世界史を知らなくっちゃ!と、気づかされた旅だった。

皆さん、長い長い旅行記を読んでくださり、どうもありがとうございました!グズグズ書いていたら、猛暑も去り、秋の気配がする凌ぎやすい季節にになってしまいました。。


ベルリン・その2

2019-08-22 | グルメ色な日記

ベルリンの街を南北に流れるシュプレー川の中洲は、museum island「博物館島」と呼ばれている。ベルリン美術館を構成する5つの博物館・美術館で構成されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

中洲のこちら側には、テラスを設けたカフェが立ち並ぶ。行き交う遊覧船を見ながら、ブランチをした。

どちらもサーモンを使ったプレート。↓ポテト・パンケーキにスモーク・サーモン、ホースラディッシュ・クリーム添えはナイスチョイスだった。

食後は、美術館をははしごして疲れてしまった。とにかく広い。

旅の醍醐味は街歩き。遠目に見つけたお店が気になった。後日昼下がりに入ってみたら、とても素敵な中庭のある、英語がほとんど通じないレストランだった。↓写真左奥の建物の壁画がまた素敵。「ソフィエンSophien11」

Grilled Pork Knuckles ローストした豚足/すね料理(アイスバインのロースト版かな?)は、ドイツの伝統料理。この店のものは、中がとってもジューシーで、外の皮がカリカリ。きのこソースが絶妙、絶品だった。マッシュポテトも最高だった。どこの店でもそうだが、二人でも食べきれない量。

帰国してすぐのワイン教室は白ワインのrieslingリースリングを予定していたので、とにかくどこへ行っても食事の時にはリースリングを注文した。Pflazフラッツ産のこの左のボトル↓、すっごく美味しかったので生徒さん達に飲んでもらいたかったのに、日本には輸入されていなくて、とっても残念。。

写真右の↓ モーツアルトの水も、ラベルが素敵。

ベルリンはベトナム料理が意外と美味しい、と聞いたので、ある夕vietnameseの店を探しながら歩いていたら、英語の堪能なノリのいいお兄ちゃんが話しかけてきた。「ドイツ料理を食べたいなら、このお店はベルリンで二番目に美味しいから入ってごらん!」と目の前にあったレストランをものすごく勧めてきた。「じゃあ、一番美味しいお店はどこ?」と聞いたら、「英国のウィリアム王子が excellent! 素晴らしい!と気に入った店だよ」と。なんか適当だな、と思いながらも、翌夕はここで食べることにした。残念ながら、店の名前を記憶していない。(道は覚えているので、必要な人は連絡下さい)

かろうじてテラスの長テーブルに二席空いていたので、ぎゅうぎゅうに座らせてもらう。そして、前日のお兄ちゃんは隣のブティックで働いていた!メニューには「王様の野菜」旬の白アスパラガスのバター炒めがあった!

白アスパラガスが食べられるのは6月26日まで、と期限があるなんて、初めて知った(この日はまだ6/20だった)。4月末からシーズンが始まり、ドイツ国内だけで毎年5万5千トンが収穫され、今ではドイツで一番の稼ぎ野菜だそうだ。ドイツ国産の白アスパラガスは、コクもアロマも食感もしっかりでとっても美味しい。私たちは、生ハムを巻いてみたり、と、とっても楽しんだ。でも、メインの豚肉はパサパサだったから、ベルリンで二番目に美味しい店とは言えなかったな。

姪の結婚式は、新郎が弦楽器が趣味でベルリンのアマチュアバンドに所属してでサックスやフレンホルンやら吹いていることもあって、前半は20人編成のブラス・バンド、後半はやはり大所帯のスウィング・ジャズ・バンドの演奏があり、楽しいダンスパーティーとなった。そして、翌夕は、両家の親戚達と歴史あるベルリン・コンツェルト・ハウスにベートーベンを聴きにも行った。

音楽は分からないけど、内部も素晴らしかった。そしてコンサート・ホールの外の広場には、日銭を稼ぐ音楽家達があちこちに。

ベルリン最後の夜は、新郎新婦を囲んで、親戚達と夕食を共にすることになった。もう5年ぐらいベルリンに住んでいる姪が(旦那さは10年)、私に「どこかお勧めのレストランない??」って聞いて来た時点で「ちょっと、ちょっと」と不安だった。ま、前日予約だったからここしかなくて。。と選んだレストランは、ベルリンで最古、1621年から営業しているというZer Letzten Instanz。ナポレオンも訪れたそうだ。「残念ながら、白アスパラガスはメニューにないそうです〜」と姪。

↓ソーセージと洋梨のサラダ

↓ケッパーが入ったミートボール

アイスバインが有名なお店だそうで、味は悪くなかったのに、サービスが最低だった。何度呼んでも one moment! と言ったまま、誰もやって来ない。挙げ句の果てに来た年配のウェイトレスに兄が文句を言うと、ふてくされた顔で「あなたには、選択肢が二つある。このテーブル担当の若いウェイトレスは、今、他のことで忙しい。彼女を待つか、新たに私に注文するかのどちらを選ぶ?」と、ものすごい剣幕で、上から目線で捲し上げられてしまった。たまげたな〜

日本語のガイドブックにも紹介されているんだろう、日本人観光客がちらほら。隣の四人席に日本人カップルが座っていた。そこへ日本人の男性三人連れが来たところ、その年配ウェイトレスがカップルの女性に席移動をさせ、男性四人を同じテーブルに座らせたから仰天!おとなしい日本人達は、文句も言わず会話もなく座っていた。凄いな。自分達だったら、絶対断るよな〜、兄と苦笑いしてしまった。

ネットでこの店の口コミを見てみると、総じてサービスの悪さが指摘されていた。訪れる場合、皆さん強気で行って下さいね!

 


ベルリン・その1

2019-08-15 | グルメ色な日記

プラハを出発した列車は、エルベ川沿いを北上しながら一路ベルリンへ。国境を越えると車掌も代わり、チェコ語からドイツ語に。英語アナウンスは全くなくて、どこを走っているのやら全く分からず。ドレスデン経由が分かっただけ。ま、成田空港で買ったガイドブックを私がしょっぱなの機内に忘れて、地図もなかったせいですが。。

そしたら思い出したようにM子が、「そういえば、昔インドでも私達地図持ってなくて、駅にいた白人バックパッカーの男の子にちょっと地図見せて!ってあんた言って取り上げたじゃん。あの時はびっくりしたよ〜」って。「ウッソ〜!」私は全然覚えてない。30年以上前の、1ヶ月インド放浪の旅でした。

川沿いには別荘や、遊覧船がたくさん停泊している観光地らしい小さな村があったり、ダムがあったり。4時間ほどの列車の旅も景色を楽しめた。

プラハ駅での遅延もあり、結局ベルリンのホテルにたどり着くまで7時間近くかかってしまった。荷をほどき、キオスク(コンビニ)に入ってこのビールの山を見て、わぁ!ドイツに来た!と思った。

初めてのベルリンは、私が知っている他のドイツの街とは全く違った。東ドイツ側だった East Berlin にホテルがあったため、社会主義国時代を色濃く残した団地、ナチスが軍事パレードや集会用に建設したような大通りや広場があるエリアにまず足を踏み入れたからだろうか。同じ東欧でもプラハのような色彩や美しさはあまりなく、「共産主義・社会主義」を色濃く感じさせるちょっと寒々しい街並みだった。実際、街の1/4は空襲で焼きつくされたらしい。

ベルリンが東西に分裂していた時に東ベルリンの中心だったアレクサンダー広場 Alexanderplatz には、世界時計とテレビ塔。

そして堂々とユニクロ↑があった。

この広場を見下ろすように、デパート、ガレリア・カウフホーフ Galeria Kaufhof 建っている。ベルリンでは、デパートのカフェテリア(セルフ・サービスのレストラン)はオススメ、との情報で、翌日のランチはまずそこを目指した。

ケーキも美味しそう!料理を見ながらぐるぐる歩き回っても、目移りしてなかなか決まらない。

ロール・キャベツは、ミンチを肉で巻いてからキャベツで巻いてあった。見かけほどこってりでなく、とても美味しかった。

周りの写真を撮りたかったけれど、隣のテーブルにロシアン・マフィアのような、ガタイの大きな強面のお兄さん達が6~7人がっついていたので、遠慮してしまった。

ベルリンは、ヨーロッパではロンドンについで人口が多い都市だそう。そして、国内だけでなく海外からの移住者がとても多いらしい。他所者やどんな芸術文化にも寛大な街で、居心地が良いのだろうか。かなりアバンギャルドな街だと思った。

ホテルのすぐ近くの広場は、ビア・レストランだらけ。

ベルリンの紋章は黒い熊、ベルリン・ベア(↑提灯や↓ビール)。ビアグラスにもある「Made In Berlin」という言葉もよく使用される。ドイツ製ではなく、DDR(東ドイツ)から派生した独立した都市国家の製品、というような意味合いがあるのかな。

ビールは実に種類が多く、選ぶのにも迷う。↓この醸造所直営店など、メニューをじっくり見ると同じ醸造所で製造されたものが13種類ぐらいあった。

ホテルを出てちょっと一杯、帰る前にちょっと一杯。

そして、英国と同じく、ドイツもジャガイモが本当に美味しい。

そして宿泊した小さなホテルの屋上にもバーがあり、絶景の夕焼けに遭遇できた。ため息をつきながらここではジンを。。夜9時にようやく夕日が沈んでいく。