チャオ・ダル・マーレ  CIAO dal MARE    (旧キッチン・マーレ)

Eat Well・Drink Well・Live Well
美味しく食べ、楽しく飲み、素敵に生きよう!

巳年2025年のはじまり

2025-01-11 | 鎌倉便り

暖かく短い秋があっという間に通り過ぎて冬になり、日本海側や北海道は異常な降雪量に見舞われている。それにひきかえ、関東は11月末から40日以上も雨が降らず、先週1日だけ雷雨だったが、引き続き真っ青な空を楽しめている。

巳年の2025年、新年あけましておめでとうございます!

この春で、鎌倉に移り住んで丸5年になる。早かったなような、ゆっくりだったような。。

コロナ禍の人気のない静かな鎌倉を体験し、今ではほぼ毎日インバウンドはもちろん、すごい数の観光客がひしめき合っているのだが、材木座は観光客が押し寄せる場所ではないので変わらずにとてもゆったりとした時間が流れていてる。というわけで、私はこんな鎌倉(材木座エリア)がますます好きになってきている。

毎年正月二日には、材木座海岸で「舟おろし」という漁師たちの新年の船出の儀式がある。大漁旗に飾られた漁船が港に勢ぞろいし(といっても小さな漁港だが)、これから一年間大漁続きであるように、事故もなく安全に働けるように、「船霊(ふなだま)様」という船を守る神様に祈る。

それぞれの船の上から船主たちがミカンや駄菓子、五円玉、十円玉を集まった人だかりに向かって投げる。日ごろお世話になっている海にお礼の心をささげているそうだが、子供たちは大きなザルや袋の口を広げて、それらをキャッチするのを楽しんでいる。ミカンが美しい黄金色であることからその黄金がまた1年間の漁によって返ってくるようにとの願いもあるそうだ。

そして今日11日は材木座海岸で「どんど焼き」、関西では左義長と呼ばれる、正月飾りを燃やして年神様を見送る伝統行事の日だった。

青空の下、雪帽子をかぶった富士山もくっきりと美しい。神楽や神事が延々と続き、人混みが嫌いな愛犬ガブロが帰ろ!帰ろ!とひっばるので残念ながら肝心の火がつけられるまでは見学できなかった。

今日は消防団のメンバーも海岸で勤務兼、園児達を消防車に乗せたりのボランティア。友人の40代の友達は紅一点の女性団員。婚活目的で入団したのに、妻帯者しかいないとずっとぼやいている。

ところが最近、女性団員がもう一人入ったよ!と嬉しそうに言っていた。よく聞いたら、こもも丸の船長さんだった。

↑こちら、可愛い船長さんでしょ?時々ガブロの散歩中に魚介類買います。昨秋ハマグリを買った時のショット。パスタにしてめちゃくちゃ美味しかった〜

数年前にもタコを買った時の記事を書いたけど、昨年はタコが絶滅したのか?と思うぐらい釣れなかったそうだ。

二人で婚活ガンバレ!だけど、独身男はどこにいるんだ?

そして、今日海岸で初めて出会ったガブロにそっくりな4ヶ月のミックス犬のクマ。いや〜可愛かった↑

で、本日のガブロはこちら↓

いまだにビビりだけど、見た目はたくましくなったものだ。

横浜の中華街で買い物があったので、正月の賑わいが怖かったけれど意を決して先週行ってきた。

神戸の中華街・南京町の何十倍もある大きな中華街。鎌倉に住み始めてから何度か訪れたが、いまだに地図が頭に入らない。

「関帝廟かんていびょう」は三国志の代表的英雄(関羽かんう)を祀っている。神戸生まれの台湾華僑だった私の家では、小さい頃からお正月には必ず家族で楠公さん・湊川神社に初詣に行き、そのあとは関帝廟にお参りに行っていた。

神戸の関帝廟は南京町から離れた山手にあるが、横浜では中華街の中にある中華学校の隣に建っており、その絢爛豪華さにはびっくりする↑  

横浜の華僑の数と寄付金の多さが如実に現れている、というのかな。

↓横浜中華街に、神戸物産が経営している業務スーパーがある。珍しいものを売っていて面白いので、毎回中華街に来ると店内をぶらぶらする。カルフォルニア産米のカルローズは以前から売っていたが、今回は、今まで見たことなかったオーストラリア米、台湾米まで並んでいた、昨年の日本米不足のせいかな??

小腹が空いたので、5年前に地元の友人が連れて行ってくれた、いつも行列のできている水餃子で有名な山東料理のお店で軽食。

おすすめメニューを見て笑った。その数日前に私がお正月料理として友人達にふるまった「真珠丸子・チンツーワンツー」が、「パールだんご」としてメニューにあるじゃない!日本ではそう呼ばれているのかな〜?料理教室に来てくれていた生徒の皆さん、懐かしくない?

真珠団子を「もち米シュウマイ」と名付けている店もどこかで見かけたけれど、それはちょっと違うよな、と思っていたので、なんだか嬉しかった。

↓こちらの店のもち米シューマイの方が、中身は正統派だと思う。

こちらが、お正月に作った我が家の真珠丸子↑

美味しい話をもっと書きたいので、今日は短めでやめておきます。

皆様のご健康とご多幸をお祈りしつつ、今年もよろしくお願いいたします。

そして明日は、初めて金継ぎに挑戦してきます!


ご無沙汰しました

2024-10-22 | 鎌倉便り

なんと、1年10ヶ月ぶりの投稿!

ブログを書けなかった言い訳はいくつかある。

① 前回の投稿ブログ、2023年1月の台湾旅行中に毎日会っていた大好きな叔母が、私が帰国後すぐ(旧正月中)にコロナに感染し、4ヶ月近くの入院闘病後、死去。。。

②2023年4月から鎌倉駅近くにオープンしたアジアの惣菜店で台湾料理を出し始める。1月に訪れた台湾旅行もそのリサーチを兼ねていた。結局1年頑張ったけれど、身体にキツくて私は2024年3月末で卒業。

③2023年12月、長女がSeattle Art Musuem(SAM) で開催された北斎展にからんでlocal printers 地元シアトルで活躍している版画家5人のうちの一人に選ばれ、彼女が夢見たSAMでの初展示。そのレセプションに合わせて15年ぶり?ぐらいにシアトルを訪問。20年ぶりに仲良かったママ友たちと再会。昔と変わらず大笑いで楽しかった!

④2024年5月台北旅行 : 歳をとると、自分のルーツをもっと知りたくなる。

⑤3年前から鎌倉の有名デリDAILYで米粉の焼き菓子(グルテンフリー)の開発製造を担当していたが、②のお惣菜作りによる手の使い過ぎもあり、とうとう腱鞘炎の一歩手前で現在仕事は全て休止。

素直に言えば、忙しくて時間がなかったのだ。そして、信じられない猛暑が去った今やっと、文章を書く元気が出てきたというわけ。でも、騙し騙し使っていた手指はまだ痛い!皆さん、歳相応に活動しましょう。身体は駆使しない、無理は禁物です。

愛犬MAXは昨年6月、享年14歳で虹の橋の向こうに行ってしまった。野菜が大好きだったMAX。三宮での料理教室のレッスン時には、生徒さん達に毎回たくさん野菜くずをもらって幸せそうだったのも懐かしい思い出。皆さん可愛がってくださり、どうもありがとうございました。そしてMAX、14年間、たくさんの愛と癒しをありがとうね❤️

↑上の写真は、有りし日のMAX。大好きな鎌倉の家の前で。

亡くなる前日、カートに乗って行った最後の公園での日向ぼっこ。最愛のHanaが作ったMAXのトレードマークの花冠、やっぱり素敵に似合っていた。

「僕にもお花の冠作って〜!」とGabbroガブロがせがむので初冠🤣似合わないな〜

MAX がいなくなり、一人っ子になったGabbroももう4歳。すっかりお兄ちゃんになったが、ビビりな性格は生後5ヶ月で山口県の保健所から脱出して飛行機て我が家にやってきた時と変わらず。走り回る子供やランドセル、バスケットボール、バイク、果てはゴミ袋の音も怖くて仕方ない。イカツイのは見かけ倒しで、実はキャラの濃い〜そして面白い犬に成長して家族を毎日楽しませてくれている。

早朝の鶴岡八幡宮↑

MAXの介護を経験し、犬達におしゃれで寝心地の良いベッドを作ってあげたい!という想いからHanaが今春立ち上げたブランドBeddo(ベドー)の撮影会↑

モデルの一匹としてものすごく頑張ってくれたGabbro!You’re such a sweet dog ❤️

鮮やかなアフリカンバティックを使用し、寝心地は犬だけじゃなく人間にも最高!お部屋の素敵なインテリアにもなります。ご興味のある方は、是非こちらのHPあるいはinstagramをご覧下さい→

https://dog-beddo.com/

@dog_beddo

鎌倉駅近くに「鎌倉市農協連即売所」という日本で一番古いファーマーズマーケットがある。地元民は親しみを込めて「レンバイ」と呼んでいる→ 

http://kamakurarenbai.com

1〜4班に分けられた農家さんが、順番に4日に一度出店する。今年はとにかく異常な猛暑と雨の多い天候不順で作物が不作で、農家さんは本当に大変だった。葉物は焼けてしまい、きゅうりは巨大化し、トマトもナスも見かけが悪くて商品にならない状態。落ち着くまではもう少し涼しくなるまでの我慢かな。写真は、撮りだめていた昨年のもの。

このレンバイの中に、私が米粉の焼き菓子を作っていたDAILY や、アジアのお惣菜店SAUCEがある。

↑DAILY by LONG TRACK FOODS はイギリステイストのデリカテッセンで、オンラインショップには日本だけでなく、台湾などアジアの国々の根強いファンも多い。

http://longtrackfoods.com/

SAUCEでは魯肉飯、油飯、大根餅、その他台湾のお惣菜を出していた。今も私の渾身作・自家製XO醬は販売してもらっているので、鎌倉に行かれる機会があればどうぞ二店とも覗いてみて下さい。

ホタテや干し海老、川海老の卵まで入った中華調味料XO醬。今回このラベルをデザインしてくれたのは、神戸のBrick BoxのHPや麻のエコバッグも手掛けてくれた中学時代からの友人アートディレクター。「60半ばになったんだから、いい加減に親がくれた名前と向き合えば?」と言われた。日本で生まれ、育った私は台湾名「玉珍ユーチェン」(珍しい石/美しい宝石)が大嫌いで、帰化してからはもっぱら日本名で通してきた。でも友人は私の台湾名が大好きだそう。彼女のアドバイスで、今回はカミングアウトした。スリムなママシェフ画は長女が描いてくれた。私だけでなく、娘たちの理想のママの体型なんだと思う(笑)

久しぶりのブログ投稿、写真の調整方法もすっかり忘れてしまい、時間かけて触りまくってたら、最後に超簡単にできるようになったりしてることに気づき、あ〜!と脱力。そして何度も下書きが消えてしまったりして、本当にものすごく疲れた。

これからはもっと頻繁にアップしますので、どうぞ末長くよろしくです。。


鎌倉、今ものがたり

2022-10-29 | 鎌倉便り

大河ドラマのおかげで、今年は鎌倉がやたらとメディアで取り上げられている。最近は、サザンの原由子が31年ぶりのソロアルバム発売PRでテレビやラジオに全国ネットで出演、鎌倉の話をしてはカバー曲「鎌倉オンザビーチ」がやたらと流れていたり。桑田夫妻は稲村ヶ崎に別荘を持っていて、鎌倉ライフをエンジョイしているようだ。

鶴ヶ丘八幡宮の手水舎ではまだ手をすすげないが、観光客用に色鮮やかな装いになってきた。(2022年5月撮影) ↓

「鎌倉殿の13人」は鎌倉で撮影をしているわけじゃないけれど、旧市街は源頼朝や北条家筆頭の御家人たちゆかりの寺社仏閣や旧館跡、古戦場跡だらけで、どこをどう歩いても彼らの足跡を辿ることになる。

私の家の前は材木座海岸&由比ヶ浜海岸、最寄り駅は江ノ電の和田塚駅。駅近くに和田一族戦没地「和田塚」、お墓がある。明治時代の道路改修工事でこの辺りで夥しい数の人骨、中には刀を持ったままのものもあり、和田合戦の戦死者のものと断定されたようだ。2日間の戦いで、2千人もの死者が出た鎌倉時代最大の戦いといわれている。

以前紹介した甘味処「無心庵」もこの近く、和田塚駅前の線路、反対側にある。↓

同じく以前紹介した私が大好きなお寺「妙本寺」も北条に滅ぼされた比企一族の菩提寺であり、一族の館があった場所だ。

↓ 初めてここを散歩した時には、敷地内にある「比企幼稚園」?なんて読むの?だったが、「ひき」でした。今でも使用されている六角堂は幼稚園の講堂なんだろうか。

妙本寺のすぐ近くに、山形の蕎麦・酒処として有名な「ふくや」がある。この夏はコロナも少し落ち着いたので、関西からの友人ラッシュだった。朝からとても暑かったある日、鎌倉駅まで神戸からの幼馴染を迎えに行き、歩いて自宅に戻る途中のお寺を三つもお詣りし、妙本寺前の「ふくや」で昼前から再会を乾杯した。

朝が早く、夜も早い鎌倉では、朝ご飯屋さんが結構ある。ふくやも、珍しい山形蕎麦と地酒を朝7時から提供している酒飲みにはとても嬉しいお店。もちろん、カウンター6席しかない店内はすぐに満員になる。さすがに昼前から日本酒は抵抗があったので(というよりも午後は海の家でアルコールを楽しむ予定だったので、ほどほどに)、店の外側にある立ち席でビールを飲みながらコシのあるうまい蕎麦をすすった。 左は茄子ときゅうりやしその冷たいそば、右は温かい肉そば。↓

コロナ禍で中止されていた鎌倉の海水浴場。海の家も由比ヶ浜、材木座海岸で3年ぶりに解禁された。

私にとって初めての鎌倉の海の家は、驚くことばかりだった。学生時代に神戸の須磨海岸の海の家に行ったきりだったので、昔スタイルの畳が敷き詰められた海の家の思い出しかない。そういう海の家も2軒ほどあったが、今は洒落たクラブ/ラウンジスタイルのものが主流だとは驚いた。シャンパンのボトルがこれでもか!ってずら〜と並んでいて、大音量のミュージックが流れていたりライブがあったりと、バブルな世界にビックリだった。

海水浴場開催中は、犬の散歩もマリンスポーツも9-17時は禁止。

朝7時の犬の散歩後、暑くて疲れて喉かわいて、開店準備中の海の家で『ビールだけでいいので飲ませてもらえますか〜」って頼んで、朝8時のビール!最高の時間だった。

海水浴場開催期間だけ、由比ヶ浜と材木座、二つの海岸の間を流れる滑川に木の橋がかかる。これが便利なだけでなく風情もあり、ずっと残しておいてほしかったけれど、もしかしたら台風で崩壊するような危険性もあるのかな。

朝の海岸を散歩していると、材木座海岸の漁師さんの船の前で釣ったばかりの地だこを売っていたりする。内臓も取って締めてくれたタコは、持ち帰って一度冷凍してからの方がぬめりも取りやすく、繊維も柔らかくなってとても美味しく食べられるよ、と漁師のお姉さんに教えてもらった。少しだけ刺身で食べ、残りは夏野菜とガルシア風にした。地だこ最高!

↑ 世界中の猫を撮り続けている岩合光昭カメラマンのモデルになった名物猫キイロもお手伝い。でも、船からタコを下ろすまでにすっかり売り切れ、水槽に売り物はなし。看板ネコのおかげかな?

関東近郊のアジア料理店が集まった大きな集合体の海の家「タイ村」↑↓

地元民にとっては、毎年登場するタイ村が夏の夜のお気に入りなんだよ、とここ2年、興味をくすぐられる噂をよく聞いていた。確かに、料理が半端じゃなく美味しくて、私も足繁く晩ごはんを食べに通った。東南アジアのリゾート地にいるようで、海外旅行に行った気分にさせてくれた。

↓ 毎回必ずオーダーした、カニのカレー炒め。どの店のも絶品だった。

近所にあまり飲食店がない材木座の住民は、「海の家なくなっちゃったらどこにご飯食べに行ったらいいんだろ〜」と夏の終わりには悲嘆にくれるのだった。

明るい月を見ながら、砂浜を苦労しながらほどよく酔いながら帰る家路。サザンの歌が頭の中に流れる素敵な夏だった。。

というわけで、猛暑は終わったけれど、寒暖差の激しい秋。日中はまだ半袖でいられたり、ダウンを着たり、と変な気候だ。

次回は、自宅近くの少ない飲食店の中から、選りすぐりのお店を紹介しようと思う。


2022年のはじまり

2022-01-18 | 鎌倉便り

寒中お見舞い申し上げます。

2022年の元旦は素晴らしく良い天気で、湘南エリアの至る所から美しい富士山の姿を拝むことができた。

↑稲村ヶ崎から臨む江ノ島と富士山。

↑家の前のお馴染み材木座海岸からもくっきりと帽子が。

↑葉山の森戸海岸から。

↑そして、元旦の日におせちランチに招いてくれた親友M 子の江ノ島のマンションからの絶景。流れる川は、サザンの唄に出てくる片瀬川。

大晦日の夜に灯される長谷寺の万灯の美しさを友人から聞いていたが、コロナ禍で2020年は一般公開はしていなかったのが、今回2021年は再開。嬉々として初詣に行ってきた彼女からの写真も届いた。旧年の参拝者の願いを書いて奉納されたろうそく5千本以上が境内に灯され、その前で僧侶たちが読経祈願するそうだ。こんなに神秘的で美しい空間ならば、今年の大晦日はお詣りしてみようかな。

鎌倉は道が狭く、一車線や一方通行も多く、車の渋滞で有名だ。そこで正月三が日は、鶴岡八幡宮のある旧市街には市外からの車両は一切入れなくなる。住民は前もって一生使える?通行手形?を申請しておくそうだ。ちなみに我が家は鶴岡八幡宮まで徒歩20分、旧市街にある。数ヶ月前に車持ちにはなったが、うっかりしていたら申請時期を過ぎていた。。

昨年のお正月はコロナ禍で寺社は全て一般参拝者を受け付けていなかったから、通行止めもなかった。例年鶴岡八幡宮に参拝するには、何時間も長蛇の列に並ぶそうだ。もちろん私はその付近に近づきもしなかったから、今年がどうだったかも知らないけれど、成人式の三連休まで街は初詣を兼ねた観光客で一杯だった。

初めて見た、車の走らない旧市街の大通り、若宮大路。鶴丘八幡宮の一ノ鳥居もこんなに閑散としていた。この大通りが海へと続いているのだが、昔はこの一ノ鳥居まで海岸があったそうだ。

正月明けの若宮大路。普段はこんなに通行量が多い↓

今年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。これを機に、私も大河ドラマを初めて真剣に観ることにした。その初回の最後に鎌倉紹介シーンがあったが、そこに出てきたのが由比若宮、別名「元八幡」。1063年創建のこの神社は、源頼朝の祖父にあたる源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請したのだとか。鎌倉に入った頼朝がこれを移して大きくしたのが今の鶴岡八幡宮だそうだ。

材木座にある元八幡は我が家から歩いて10分ほど。住宅街の路地奥にある小さな神社で、私のお気に入り。初詣はもちろん、散歩がてら時々お参りする。先日一緒に初詣に行った娘は、こんなに参拝者がいる!といつもの閑散さと違うから驚いていた(笑)↓

元八幡の手前にある素敵な古民家。鎌倉の家の正月飾りは、松飾りが多い。

正月6日、関東地方に大雪が降った。鎌倉にこんなに雪が積もるのは何年ぶりかだそうだ。夕方深々と降る雪の中、家路を急いだ。海岸橋からの眺めも幻想的で美しい。

翌朝、いつもの材木座海岸は大雪原!初めての雪に1歳半のガブロは大はしゃぎ。

「This is Hana & Gabbro. Live from South Pole!  南極より中継、Hanaとガブロです!」の図。

冬の鎌倉は空気が澄み、一年で一番夕陽が美しい季節だ。日々違う太陽の光や雲の形、空の色彩に魅せられてついついシャッターを切ってしまう。

↓一雨きそうな空で家路を急ぐ。でも綺麗過ぎて、立ち止まる。。

↓フラダンスを初めて丸一年。スタジオからのこの景色にゾッコン。

伊豆半島の上に新月が昇ってきた↓

トンガの海底火山爆発の影響で、携帯の津波警報が1/16の午前零時から1時間も鳴り続けた。あとで知ったが、鳴り続けたのは神奈川県下だけで、システム障害だったそうだ。おかげで不安にさいなまれ、警報で眠れない夜だった。くしくも阪神淡路大震災記念日の前日だった。

↓津波警報が出た1/16、材木座と由比ヶ浜の海岸の間を流れる滑川からの夕陽。

そして後ろを振り向くと、夕暮れ空にほぼほぼ満月。

↓1/17の夕陽。美しい夕陽を拝める毎日に、本当に感謝!

最後に、我が家のマックスとガブロはいつもラブラブ。もうすぐ13歳になるマックスは足が悪くなってこの頃はお散歩にもあんまり行きたがらないけど、元気で頑張っています。

皆さんも、今年も元気に過ごせますように!今年もよろしくお願い致します。


澄江さんに捧ぐ - dedicate to my precious friend Sumie-san

2021-10-23 | 鎌倉便り

なんて偶然なんだろ。今日からちょうど一年前、2020年10月24日は、澄江さんが初めて鎌倉に遊びにきてくれた日だ。

@材木座海岸

日本人の親友が、今月初め膵臓癌で亡くなった。享年63歳と1ヶ月。。

NYのワールド・トレードセンターにオフィスがあった日系の銀行に勤めていた彼女とは、お互いの最初の子供が生まれた1989年に知り合い、子育て時期を一緒に過ごした。その後私はシアトルに引っ越し、彼女は一家でアムステルダムに移住した。(その直後にワールド・トレードセンターは爆破された)

私はNY→シアトル7年→兵庫県の明石7年→シアトル3年→神戸12年(その間ロンドン1年)→現在鎌倉、と引っ越し続けた。彼女の実家が明石だったので、彼女の里帰りの度に神戸や明石でよく遊び、よく話をし、一緒に人生を歩んできた。そして子供達に手がかからなくなると、彼女との関係は旅友へと変化していった。アムステルダムやロンドンではよく会っていたが、バスクに行きたくて玄関口のスペインのビルバオ空港で待ち合わせたり、パリの北駅で待ち合わせて週末をパリで過ごしたりと、ヨーロッパのあちこちもよく一緒に旅した。

そういえば、子供達がまだ小さい頃に家族でヨーロッパを車で旅行中に、スイスのサンモリッツの街角で二家族が鉢合わせして、WOW!ってこともあったっけ。

We really had a  history.

二年前にオランダで膵臓癌が見つかったものの、ステージ4だった彼女には安楽死の国オランダでは積極的な治療を勧めてはもらえず、一年前に意を決して治療を日本ですべく、オランダから東京に赴任していた娘のマンションにとりあえず移ってきた。

コロナ禍の度重なる緊急事態宣言で思うように会ったり遊びには行けなかったのが本当に残念なんだけど、一年間の日本での闘病中に、二度鎌倉の我が家に逗留した彼女は、この街をとても気に入ってくれていた。彼女が亡くなった一週間後、彼女の息子、娘が鎌倉にやって来、彼女が辿った場所を一緒に周り、楽しく故人を偲ぶことができた。

結局アムステルダムの愛する自宅に戻ることも叶わず逝ってしまった澄江さん。毎回私のブログを楽しみにしてくれ(更新頻度があまりに少ないから嘆いていたね〜)、読んでくれていた親友ににこの章を捧げよう。

↓江ノ島観光(2020/10/25)

日曜日だったものだから、この日の島内は観光客で一杯。食事処はどこも満員御礼で、唯一席が空いていたのは朽ち果てた釣宿。定食は全部売り切れで、しらすやアジの干物といった酒のアテのみだったっけ。でも景色は抜群だった!波に洗われている大きな岩場では、釣り糸を垂れている人が。

先週彼女の子供達とこの前を通ったら、残念ながらお店は閉店してしまっていた。

江ノ島のあと、澄江さんが好きだった長谷寺に彼女の子供達と立ち寄った。ここは紫陽花寺として有名だが、山肌に広がる庭はいつも手入れが行き届いていてどの季節に行っても気持ちが良い。

↓写真は今年の4月に澄江さんと訪れた時のもの。

4月に彼女が我が家に逗留中、竹林で有名な報国寺をゴールに家から片道1時間の散策をした。

途中、私の大好きな空間、↓妙本寺に寄った。ここに来ると本当にほっとする。いつ来ても人があまりいない境内は、結婚式の前撮り撮影によく使われている。

↓そして報国寺に辿り着いた時には雨が本格的に降り出し、風情ある竹林の茶屋に座っているのも寒くて仕方なかった。仕方なく、帰りはバスで帰ったっけ。

↓江ノ電和田塚駅前、線路沿いに甘味処「無心庵」がある。

電車が来ていないか確認して線路をまたぎ、玄関に入る家や店が江ノ電沿いには結構ある。

↓無心庵の入り口

↓写真左の看板「おねがい:危険です。左右の警報が鳴っていないか確認して渡って下さい。電車がみえたら絶対渡らないで下さい」

↓座敷の窓からは、庭ごしに江ノ電が走っていくのが見える。

あんみつは関西はつぶ餡だが、関東ではこし餡が使われる。こし餡が苦手な私は、みつ豆で我慢する。

数日前、今年一番の寒さが到来した日、無性にぜんざいが食べたくなった。そこで、自宅から歩いて10分の無心庵へ行って澄江さんを偲ぶことにした。座敷にはストーブが焚かれていて、冷え切った身体を暖かく迎え入れてくれた。

ところでみ皆さん、関東ではぜんざいのことを「田舎しるこ」っていうの知っていましたか??

おしるこには2種類あり、関西のしるこは「御膳/御前しるこ」という。煮豆をつぶして汁だけ使うから、上等のしるこってことらしい。反して、手間をかけないぜんざいが田舎しるこだなんて、ひどくないかい?

関西に引けを取る関東の食文化の歴史を私なりに考察すると、なんでも関西の反対の調理法や言葉を使って特別感を出そうとしてきた関東人の劣等感、貧相な見栄を感じる(江戸っ子の皆さん、ごめんなさい)。

抗がん治療の合間をぬって体調の良い日に一緒に行こうね、と計画していた美術館巡りやお江戸巡りの隅田川・神田川クルージングとか、色んなことが、緊急事態宣言が出ずっぱりになったせいで結局ほとんど行けず仕舞いで終わってしまった。。

そんな中、浅草に天然温泉のある宿を見つけ、都民割引で安く泊まれると知り二人で一泊旅行を決行した。まずは日本橋の高島屋で待ち合わせ、ランチを食べてから、最近日本に上陸した1878年創業、イタリアの老舗チョコレート・ジェラート店ヴェンキVenchiでジェラートも食べたっけ↓。

そうそう、彼女は日本の携帯を持っていなかったから、待ち合わせ場所はいつも海外携帯が使えるwifiの繋がっているデパートにしたのだった。

外国人観光客が全くいない5月末の浅草。なんてレアな経験だったことか!仲見世が9割方閉まっていたのは面白くはなかったけれど、普段は人の頭、頭、頭しか見えない浅草寺をここまでゆっくりと散策し、お堂の中もゆっくりと見学できることなんて今後ありえないのではと思う。

この時も緊急事態宣言発令中だったけれど、浅草界隈の飲み屋はどこも営業しており、夕方になると地元もおじさん達で満員御礼の賑わいだった。人混みを避けて、もちろん我々はテイクアウトを買ってきてホテルの部屋で食べ、3回ぐらい温泉に入ってとても楽しんだ。

そして朝食は、いくら食べ放題のビュッフェ!

ランチ代りに、またまた甘味処に入った。↓写真下が、こし餡のあんみつ。

帰りはかっぱ橋道具街をぶらぶら覗きながら、今日は時間が足りないからまたゆっくり来ようね〜と、と幸せな気分で東京メトロ田原町で別れた。

亡くなる前のひと月は、三日にあげず彼女に会いに行った。コロナ禍、もし入院していたらお見舞いもできなかったのだが、まだ27歳の娘Mちゃんは、自分が介護するから、と終末期のお母さんを恵比寿のマンションで在宅医療で世話をする方を選んだ。Mちゃんの献身的な介護には本当に胸が痛み、何度も涙が出そうになった。

「浅草はサイコーやったな〜」と遠くに目をやって澄江さんがつぶやいた日があった。旅行に行けるとしたら、今一番どこに行きたい?と聞いたら、「ギリシャ」と即答があった。「私もだよ!」と私も言ったのだが、そのあとは続かなかった。

いつか向こうの世界から合流して一緒に行こうね!と心の中で思った。澄江さん、たくさんの楽しい時間と愛をありがとう❤️