なんて偶然なんだろ。今日からちょうど一年前、2020年10月24日は、澄江さんが初めて鎌倉に遊びにきてくれた日だ。
@材木座海岸
日本人の親友が、今月初め膵臓癌で亡くなった。享年63歳と1ヶ月。。
NYのワールド・トレードセンターにオフィスがあった日系の銀行に勤めていた彼女とは、お互いの最初の子供が生まれた1989年に知り合い、子育て時期を一緒に過ごした。その後私はシアトルに引っ越し、彼女は一家でアムステルダムに移住した。(その直後にワールド・トレードセンターは爆破された)
私はNY→シアトル7年→兵庫県の明石7年→シアトル3年→神戸12年(その間ロンドン1年)→現在鎌倉、と引っ越し続けた。彼女の実家が明石だったので、彼女の里帰りの度に神戸や明石でよく遊び、よく話をし、一緒に人生を歩んできた。そして子供達に手がかからなくなると、彼女との関係は旅友へと変化していった。アムステルダムやロンドンではよく会っていたが、バスクに行きたくて玄関口のスペインのビルバオ空港で待ち合わせたり、パリの北駅で待ち合わせて週末をパリで過ごしたりと、ヨーロッパのあちこちもよく一緒に旅した。
そういえば、子供達がまだ小さい頃に家族でヨーロッパを車で旅行中に、スイスのサンモリッツの街角で二家族が鉢合わせして、WOW!ってこともあったっけ。
We really had a history.
二年前にオランダで膵臓癌が見つかったものの、ステージ4だった彼女には安楽死の国オランダでは積極的な治療を勧めてはもらえず、一年前に意を決して治療を日本ですべく、オランダから東京に赴任していた娘のマンションにとりあえず移ってきた。
コロナ禍の度重なる緊急事態宣言で思うように会ったり遊びには行けなかったのが本当に残念なんだけど、一年間の日本での闘病中に、二度鎌倉の我が家に逗留した彼女は、この街をとても気に入ってくれていた。彼女が亡くなった一週間後、彼女の息子、娘が鎌倉にやって来、彼女が辿った場所を一緒に周り、楽しく故人を偲ぶことができた。
結局アムステルダムの愛する自宅に戻ることも叶わず逝ってしまった澄江さん。毎回私のブログを楽しみにしてくれ(更新頻度があまりに少ないから嘆いていたね〜)、読んでくれていた親友ににこの章を捧げよう。
↓江ノ島観光(2020/10/25)
日曜日だったものだから、この日の島内は観光客で一杯。食事処はどこも満員御礼で、唯一席が空いていたのは朽ち果てた釣宿。定食は全部売り切れで、しらすやアジの干物といった酒のアテのみだったっけ。でも景色は抜群だった!波に洗われている大きな岩場では、釣り糸を垂れている人が。
先週彼女の子供達とこの前を通ったら、残念ながらお店は閉店してしまっていた。
江ノ島のあと、澄江さんが好きだった長谷寺に彼女の子供達と立ち寄った。ここは紫陽花寺として有名だが、山肌に広がる庭はいつも手入れが行き届いていてどの季節に行っても気持ちが良い。
↓写真は今年の4月に澄江さんと訪れた時のもの。
4月に彼女が我が家に逗留中、竹林で有名な報国寺をゴールに家から片道1時間の散策をした。
途中、私の大好きな空間、↓妙本寺に寄った。ここに来ると本当にほっとする。いつ来ても人があまりいない境内は、結婚式の前撮り撮影によく使われている。
↓そして報国寺に辿り着いた時には雨が本格的に降り出し、風情ある竹林の茶屋に座っているのも寒くて仕方なかった。仕方なく、帰りはバスで帰ったっけ。
↓江ノ電和田塚駅前、線路沿いに甘味処「無心庵」がある。
電車が来ていないか確認して線路をまたぎ、玄関に入る家や店が江ノ電沿いには結構ある。
↓無心庵の入り口
↓写真左の看板「おねがい:危険です。左右の警報が鳴っていないか確認して渡って下さい。電車がみえたら絶対渡らないで下さい」
↓座敷の窓からは、庭ごしに江ノ電が走っていくのが見える。
あんみつは関西はつぶ餡だが、関東ではこし餡が使われる。こし餡が苦手な私は、みつ豆で我慢する。
数日前、今年一番の寒さが到来した日、無性にぜんざいが食べたくなった。そこで、自宅から歩いて10分の無心庵へ行って澄江さんを偲ぶことにした。座敷にはストーブが焚かれていて、冷え切った身体を暖かく迎え入れてくれた。
ところでみ皆さん、関東ではぜんざいのことを「田舎しるこ」っていうの知っていましたか??
おしるこには2種類あり、関西のしるこは「御膳/御前しるこ」という。煮豆をつぶして汁だけ使うから、上等のしるこってことらしい。反して、手間をかけないぜんざいが田舎しるこだなんて、ひどくないかい?
関西に引けを取る関東の食文化の歴史を私なりに考察すると、なんでも関西の反対の調理法や言葉を使って特別感を出そうとしてきた関東人の劣等感、貧相な見栄を感じる(江戸っ子の皆さん、ごめんなさい)。
抗がん治療の合間をぬって体調の良い日に一緒に行こうね、と計画していた美術館巡りやお江戸巡りの隅田川・神田川クルージングとか、色んなことが、緊急事態宣言が出ずっぱりになったせいで結局ほとんど行けず仕舞いで終わってしまった。。
そんな中、浅草に天然温泉のある宿を見つけ、都民割引で安く泊まれると知り二人で一泊旅行を決行した。まずは日本橋の高島屋で待ち合わせ、ランチを食べてから、最近日本に上陸した1878年創業、イタリアの老舗チョコレート・ジェラート店ヴェンキVenchiでジェラートも食べたっけ↓。
そうそう、彼女は日本の携帯を持っていなかったから、待ち合わせ場所はいつも海外携帯が使えるwifiの繋がっているデパートにしたのだった。
外国人観光客が全くいない5月末の浅草。なんてレアな経験だったことか!仲見世が9割方閉まっていたのは面白くはなかったけれど、普段は人の頭、頭、頭しか見えない浅草寺をここまでゆっくりと散策し、お堂の中もゆっくりと見学できることなんて今後ありえないのではと思う。
この時も緊急事態宣言発令中だったけれど、浅草界隈の飲み屋はどこも営業しており、夕方になると地元もおじさん達で満員御礼の賑わいだった。人混みを避けて、もちろん我々はテイクアウトを買ってきてホテルの部屋で食べ、3回ぐらい温泉に入ってとても楽しんだ。
そして朝食は、いくら食べ放題のビュッフェ!
ランチ代りに、またまた甘味処に入った。↓写真下が、こし餡のあんみつ。
帰りはかっぱ橋道具街をぶらぶら覗きながら、今日は時間が足りないからまたゆっくり来ようね〜と、と幸せな気分で東京メトロ田原町で別れた。
亡くなる前のひと月は、三日にあげず彼女に会いに行った。コロナ禍、もし入院していたらお見舞いもできなかったのだが、まだ27歳の娘Mちゃんは、自分が介護するから、と終末期のお母さんを恵比寿のマンションで在宅医療で世話をする方を選んだ。Mちゃんの献身的な介護には本当に胸が痛み、何度も涙が出そうになった。
「浅草はサイコーやったな〜」と遠くに目をやって澄江さんがつぶやいた日があった。旅行に行けるとしたら、今一番どこに行きたい?と聞いたら、「ギリシャ」と即答があった。「私もだよ!」と私も言ったのだが、そのあとは続かなかった。
いつか向こうの世界から合流して一緒に行こうね!と心の中で思った。澄江さん、たくさんの楽しい時間と愛をありがとう❤️
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます