チャオ・ダル・マーレ  CIAO dal MARE    (旧キッチン・マーレ)

Eat Well・Drink Well・Live Well
美味しく食べ、楽しく飲み、素敵に生きよう!

ベルリン・その3

2019-08-25 | グルメ色な日記

ベルリンの街の東部、シュプレー川沿いに、イースト・サイド・ギャラリー East Side Gallery がある。現存しているベルリンの壁の中で最長の約1.3kmに、世界中の百人以上のアーティストが戦争と平和に対するメッセージを表現した屋外アートだ。

市内には、東西に分裂されていた冷戦期の傷跡があちこちに残されている。

電車網も充実していて(↓レトロな駅もある)乗り継いで1日走り回った。

↓市内中心部にあるチェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie は、東ベルリンと西ベルリンの境界線上にあった国境検問所(1945年~1990年)。

チェックポイント・チャーリーはソ連統治地区と米国統治地区の間にあったので、↑南側には米兵の写真、北側にはソ連兵の写真、が掲げられている。

当時の西ベルリンは米国、イギリス、フランス、と別々の統治地区があり、検問所も数多くあったそうだ。その中で、外交官や西側諸国軍関係者が通行できたのは、このチェックポイント・チャーリーのみだったそう。

元々往来が自由だったベルリン市内の検問所を、車で強行突破したりして東側から西側への人口流出が続いたため、東ドイツは1961年8月13日に突如として東西ベルリン間の通行をすべて遮断して西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作ったのだそうだ。

お土産屋さんも、↑冷戦期を彷彿させる軍服やらガスマスクやら、物騒な品が並ぶ。

博物館、美術館通りで食べ物を探すのは至難。↑静かにお客さんを待っているプレッツェル&水屋さん。

小さなスーパーをのぞくと、日本のおにぎり発見! 左はピーナッツバター、その隣はかぼちゃとゴマだって。一体どんな味なんだろうね〜。しかし、高い!2.99ユーロ、約300円もする。

宿泊したホテルの朝食ビュッフェで驚いたのは、honeycomb ハニカム、蜂の巣から流れ落ちるハニーがセルフサービスだったこと。

内陸のプラハでは見かけなかった魚の燻製も、ハム類に負けずにいろいろな種類があった。

ベルリンの路面電車トラムは、便利できれいだ。ホテルの前はトラムの休憩場所になっている様子。

日曜日は、大きな Flea Market 蚤の市がいくつか開催される。ホテルを早朝に出発し、トラムに乗って会場近くまで行ってから朝食を食べることにした。

 

またまた悩むぐらいバリエーションが豊富。ナスとキノコのキッシュも美味だった。

Mauerpark マウアーパークの蚤の市は、市内最大。

骨董買い付けのプロ(M子)は、開店前に会場に行き、設置中の店を一巡し、めぼしいものを買い始める。

大きな店は、商品を出して並べるだけでも大変!これを仕舞うのも大変だ〜

手動ミシンの横になんでこれがあるのか分からないけど、なんでもありです。

昼前には会場は歩けないぐらいの人混みで、食べ物屋台もたくさん出ている。このホットドッグ、パンもソーセージも美味しかった〜

もちろんビールも!写真撮る前にちょっと飲んじゃいました。

そして帰国の朝。ナポレオンがパレードした大通りを通りを西へ突き抜け、タクシーで空港へ向かっていると、戦勝記念塔が見えてきた。

デンマーク戦争に勝った1800年代後半に建てられた塔だが、ベルリンを世界首都に改造するヒトラーのゲルマニア計画の実施に先立ち、1939年に現在の場所、市内最大のロータリーの中央に移設されたそうだ。どの方向へ向かうにも、金色の勝利の女神ヴィクトリアに向かって走る事になる。

空港で最後の朝食。りんご一杯の apple strudel アップル・シュトゥルーデル。

ヨーロッパ大陸外への直行便がほとんどないからか、ベルリン空港はとても小さかった。が、乗り継ぎのミュンヘン空港↑ はとんでもなく広かった。走って走って、乗り継ぎにギリギリ間に合い、平和な日本に帰ってきた。もっとちゃんと世界史を知らなくっちゃ!と、気づかされた旅だった。

皆さん、長い長い旅行記を読んでくださり、どうもありがとうございました!グズグズ書いていたら、猛暑も去り、秋の気配がする凌ぎやすい季節にになってしまいました。。


ベルリン・その2

2019-08-22 | グルメ色な日記

ベルリンの街を南北に流れるシュプレー川の中洲は、museum island「博物館島」と呼ばれている。ベルリン美術館を構成する5つの博物館・美術館で構成されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

中洲のこちら側には、テラスを設けたカフェが立ち並ぶ。行き交う遊覧船を見ながら、ブランチをした。

どちらもサーモンを使ったプレート。↓ポテト・パンケーキにスモーク・サーモン、ホースラディッシュ・クリーム添えはナイスチョイスだった。

食後は、美術館をははしごして疲れてしまった。とにかく広い。

旅の醍醐味は街歩き。遠目に見つけたお店が気になった。後日昼下がりに入ってみたら、とても素敵な中庭のある、英語がほとんど通じないレストランだった。↓写真左奥の建物の壁画がまた素敵。「ソフィエンSophien11」

Grilled Pork Knuckles ローストした豚足/すね料理(アイスバインのロースト版かな?)は、ドイツの伝統料理。この店のものは、中がとってもジューシーで、外の皮がカリカリ。きのこソースが絶妙、絶品だった。マッシュポテトも最高だった。どこの店でもそうだが、二人でも食べきれない量。

帰国してすぐのワイン教室は白ワインのrieslingリースリングを予定していたので、とにかくどこへ行っても食事の時にはリースリングを注文した。Pflazフラッツ産のこの左のボトル↓、すっごく美味しかったので生徒さん達に飲んでもらいたかったのに、日本には輸入されていなくて、とっても残念。。

写真右の↓ モーツアルトの水も、ラベルが素敵。

ベルリンはベトナム料理が意外と美味しい、と聞いたので、ある夕vietnameseの店を探しながら歩いていたら、英語の堪能なノリのいいお兄ちゃんが話しかけてきた。「ドイツ料理を食べたいなら、このお店はベルリンで二番目に美味しいから入ってごらん!」と目の前にあったレストランをものすごく勧めてきた。「じゃあ、一番美味しいお店はどこ?」と聞いたら、「英国のウィリアム王子が excellent! 素晴らしい!と気に入った店だよ」と。なんか適当だな、と思いながらも、翌夕はここで食べることにした。残念ながら、店の名前を記憶していない。(道は覚えているので、必要な人は連絡下さい)

かろうじてテラスの長テーブルに二席空いていたので、ぎゅうぎゅうに座らせてもらう。そして、前日のお兄ちゃんは隣のブティックで働いていた!メニューには「王様の野菜」旬の白アスパラガスのバター炒めがあった!

白アスパラガスが食べられるのは6月26日まで、と期限があるなんて、初めて知った(この日はまだ6/20だった)。4月末からシーズンが始まり、ドイツ国内だけで毎年5万5千トンが収穫され、今ではドイツで一番の稼ぎ野菜だそうだ。ドイツ国産の白アスパラガスは、コクもアロマも食感もしっかりでとっても美味しい。私たちは、生ハムを巻いてみたり、と、とっても楽しんだ。でも、メインの豚肉はパサパサだったから、ベルリンで二番目に美味しい店とは言えなかったな。

姪の結婚式は、新郎が弦楽器が趣味でベルリンのアマチュアバンドに所属してでサックスやフレンホルンやら吹いていることもあって、前半は20人編成のブラス・バンド、後半はやはり大所帯のスウィング・ジャズ・バンドの演奏があり、楽しいダンスパーティーとなった。そして、翌夕は、両家の親戚達と歴史あるベルリン・コンツェルト・ハウスにベートーベンを聴きにも行った。

音楽は分からないけど、内部も素晴らしかった。そしてコンサート・ホールの外の広場には、日銭を稼ぐ音楽家達があちこちに。

ベルリン最後の夜は、新郎新婦を囲んで、親戚達と夕食を共にすることになった。もう5年ぐらいベルリンに住んでいる姪が(旦那さは10年)、私に「どこかお勧めのレストランない??」って聞いて来た時点で「ちょっと、ちょっと」と不安だった。ま、前日予約だったからここしかなくて。。と選んだレストランは、ベルリンで最古、1621年から営業しているというZer Letzten Instanz。ナポレオンも訪れたそうだ。「残念ながら、白アスパラガスはメニューにないそうです〜」と姪。

↓ソーセージと洋梨のサラダ

↓ケッパーが入ったミートボール

アイスバインが有名なお店だそうで、味は悪くなかったのに、サービスが最低だった。何度呼んでも one moment! と言ったまま、誰もやって来ない。挙げ句の果てに来た年配のウェイトレスに兄が文句を言うと、ふてくされた顔で「あなたには、選択肢が二つある。このテーブル担当の若いウェイトレスは、今、他のことで忙しい。彼女を待つか、新たに私に注文するかのどちらを選ぶ?」と、ものすごい剣幕で、上から目線で捲し上げられてしまった。たまげたな〜

日本語のガイドブックにも紹介されているんだろう、日本人観光客がちらほら。隣の四人席に日本人カップルが座っていた。そこへ日本人の男性三人連れが来たところ、その年配ウェイトレスがカップルの女性に席移動をさせ、男性四人を同じテーブルに座らせたから仰天!おとなしい日本人達は、文句も言わず会話もなく座っていた。凄いな。自分達だったら、絶対断るよな〜、兄と苦笑いしてしまった。

ネットでこの店の口コミを見てみると、総じてサービスの悪さが指摘されていた。訪れる場合、皆さん強気で行って下さいね!

 


ベルリン・その1

2019-08-15 | グルメ色な日記

プラハを出発した列車は、エルベ川沿いを北上しながら一路ベルリンへ。国境を越えると車掌も代わり、チェコ語からドイツ語に。英語アナウンスは全くなくて、どこを走っているのやら全く分からず。ドレスデン経由が分かっただけ。ま、成田空港で買ったガイドブックを私がしょっぱなの機内に忘れて、地図もなかったせいですが。。

そしたら思い出したようにM子が、「そういえば、昔インドでも私達地図持ってなくて、駅にいた白人バックパッカーの男の子にちょっと地図見せて!ってあんた言って取り上げたじゃん。あの時はびっくりしたよ〜」って。「ウッソ〜!」私は全然覚えてない。30年以上前の、1ヶ月インド放浪の旅でした。

川沿いには別荘や、遊覧船がたくさん停泊している観光地らしい小さな村があったり、ダムがあったり。4時間ほどの列車の旅も景色を楽しめた。

プラハ駅での遅延もあり、結局ベルリンのホテルにたどり着くまで7時間近くかかってしまった。荷をほどき、キオスク(コンビニ)に入ってこのビールの山を見て、わぁ!ドイツに来た!と思った。

初めてのベルリンは、私が知っている他のドイツの街とは全く違った。東ドイツ側だった East Berlin にホテルがあったため、社会主義国時代を色濃く残した団地、ナチスが軍事パレードや集会用に建設したような大通りや広場があるエリアにまず足を踏み入れたからだろうか。同じ東欧でもプラハのような色彩や美しさはあまりなく、「共産主義・社会主義」を色濃く感じさせるちょっと寒々しい街並みだった。実際、街の1/4は空襲で焼きつくされたらしい。

ベルリンが東西に分裂していた時に東ベルリンの中心だったアレクサンダー広場 Alexanderplatz には、世界時計とテレビ塔。

そして堂々とユニクロ↑があった。

この広場を見下ろすように、デパート、ガレリア・カウフホーフ Galeria Kaufhof 建っている。ベルリンでは、デパートのカフェテリア(セルフ・サービスのレストラン)はオススメ、との情報で、翌日のランチはまずそこを目指した。

ケーキも美味しそう!料理を見ながらぐるぐる歩き回っても、目移りしてなかなか決まらない。

ロール・キャベツは、ミンチを肉で巻いてからキャベツで巻いてあった。見かけほどこってりでなく、とても美味しかった。

周りの写真を撮りたかったけれど、隣のテーブルにロシアン・マフィアのような、ガタイの大きな強面のお兄さん達が6~7人がっついていたので、遠慮してしまった。

ベルリンは、ヨーロッパではロンドンについで人口が多い都市だそう。そして、国内だけでなく海外からの移住者がとても多いらしい。他所者やどんな芸術文化にも寛大な街で、居心地が良いのだろうか。かなりアバンギャルドな街だと思った。

ホテルのすぐ近くの広場は、ビア・レストランだらけ。

ベルリンの紋章は黒い熊、ベルリン・ベア(↑提灯や↓ビール)。ビアグラスにもある「Made In Berlin」という言葉もよく使用される。ドイツ製ではなく、DDR(東ドイツ)から派生した独立した都市国家の製品、というような意味合いがあるのかな。

ビールは実に種類が多く、選ぶのにも迷う。↓この醸造所直営店など、メニューをじっくり見ると同じ醸造所で製造されたものが13種類ぐらいあった。

ホテルを出てちょっと一杯、帰る前にちょっと一杯。

そして、英国と同じく、ドイツもジャガイモが本当に美味しい。

そして宿泊した小さなホテルの屋上にもバーがあり、絶景の夕焼けに遭遇できた。ため息をつきながらここではジンを。。夜9時にようやく夕日が沈んでいく。


プラハ・その3

2019-08-07 | グルメ色な日記

キュビズム cubisme:仏 / キュービズム cubism:英(日:立体派)は、20世紀初頭にパブロ・ピカソが考え出した絵画の技法。女性たちの顔を幾何学的に描いた「アヴィニヨンの娘たち」がそのはじまりだ。それまでの絵画が一つの視点に基づいて描かれているのに対して、色々な角度からものを見る、ということから出発している。あらゆる現代美術に影響を与えたが、この技法を建築に取り入れたのはチェコだけだそうで、世界でも珍しい貴重な建物がプラハにはいくつも残っている。キュビズム建築を巡るマップまであったりして、初めてそんな世界と出会って感激だった。

M子の説明によると、アール・ヌーヴォーに飽きた芸術家たちがキュビズムに追随したものの結局それほどは受け入れられず、10数年後の第一次大戦の開戦とともに、シンプルでモダンなアール・デコが取って代わってキュビズムは消滅したそう。

↑こちらは、1920年代のキュビスム建築様式の建物「黒い聖母の家」(建物の右角に、金色の衣装を身にまとった黒い聖母がいる)。元デパートだったというこの建物の中にキュビズム・ミュージアムがあるというので、行ってみた。

らせん階段は今までみたことのない独特のライン。美しい。光が電球みたいでもある。

そして展示されていた尖った家具たち。

こんな家具が家にあったら落ち着かないね。先端恐怖症の人たちには耐えられないだろうね〜と、シニカルな発言をしながら歩き回っているうちに、頭がクラクラして気持ちが悪くなってきた。

しばし休憩しようと、二階にある老舗カフェを覗いたけど、冷房がなくてアウト。暑すぎて足を踏み入れられなかったよ。

↓プラハ最終日は早朝から、1232年に始まったという歴史あるハヴェルスカーHavelska市場へ。裏路地を歩いてホテルからはほど良い散歩だった。途中、色々と寄りましたが。

チェコは、木製やボヘミアンガラス製の可愛い雑貨が結構ある。ここはお土産が安くで手に入るし、街並みもgood !

様式もさまざまで、とにかく建物がみな素敵だ。私が大好きな緑色!いいな〜↓

もういらない、ってぐらいこのベリーの山を頬張った↓。ちょっと高いと思ったけど、日本円だと250円か。

旧市街から新市街へテクテクと戻る。

↑こちらは、街中のどこにでもある伝統的なチェコのお菓子、トゥルデニークTrdelnik屋さん。生地をぐるぐる巻きにして炭火で焼いた、トンネルのようなドーナッツのようなお菓子。グラニュー糖をまぶした「素」が一番安く、次が日本でも売っているヘーゼルナッツ・ペーストの「ヌテラNutella」を塗ったもの(私達がオーダーしたもの)。そして、トンネルの中にアイスや生クリーム、フルーツを入れたもの、と色々と好みのものを作ってもらえる。クレープ屋さんのようなものね。

早朝からお腹空いた〜!というM子の声で起こされ、普段朝食を食べない私が急かされて朝6時過ぎにはホテルのブレック・ファーストへ。早すぎでレストランがまだオープンしてなくてロビーで待つ羽目にもなった!こんなの生まれて初めてだった!でも、朝からスパークリングが飲めるのは最高だったけれど。

ビュッフェって、結局食べきれないぐらい取ってしまう。あ〜死ぬまでに悟れるのか、といつも思ってしまう。。毎回反省!

結局プラハ最終日は、朝から4食ぐらい食べ (〆はM子のゴリ押しで、お洒落なスパニッシュ・タパスのお店に入った・・・ 私はカプチーノだったけど)、午後2時の列車でいざベルリンへ。

ところが、アナウンスもなく列車が2~3時間遅延。いつまでも列車の情報がなくて、若者たちに混じって駅の床に座り込んで電光掲示板とにらめっこ。こういうのって、不安だからトイレに行けなくて、結構疲れるんだよね〜・・・

世界の中では、日本は本当に親切で安心な国です。

私は二度目のチェコだったけれど、20年前は小さかった子供達を連れてヨーロッパを車で周り、チェコでは南部に滞在しながら子供中心で動物園に行ったり、公園に行ったり。プラハには1日行っただけだった。だから、こんなにプラハが面白いという印象はなかった。美術、芸術に興味がある方は、是非プラハへ!オススメです。

では、次回はいよいよベルリンです。