チャオ・ダル・マーレ  CIAO dal MARE    (旧キッチン・マーレ)

Eat Well・Drink Well・Live Well
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新年快楽! - 台北旅行

2023-01-22 | グルメ色な日記

1月22日は旧正月の元旦。新年快楽!(台湾語であけましておめでとう!)

皆様に福来たる2023年でありますように。

1月の2週目に台北に行く機会があった。コロナ禍のせいで、3年半ぶりの海外旅行、そして台湾に行くのは約8年ぶりだった。

鎌倉からは電車で1時間の距離に羽田空港があり、羽田からは、台北市内にある松山空港に飛べる。残念ながら関西からは、台北市内まで小1時間もかかる桃園空港にしか飛んでいないので、私は松山空港に降り立つのは初めてだった。そして松山空港から市内中心街にあるホテルまではタクシーでほんの15 分という近さ。台北はタクシー料金がとても安いので、日本円でたった800円という素晴らしさだ。

飛行機は鎌倉の我が家の上空を飛び、しばらくすると眼下に箱根の山、後ろには富士山もくっきりと拝めた。そして下方には熱海から伊豆に向かう海岸線が。

旧正月までまだ2週間ほどあるというのに、街中は赤い提灯や飾りで赤一色だった。

到着してすぐに、従姉妹に台湾随一の問屋街「迪化街(ディーホアジェ)」に連れて行かれた。ここは前回、娘がチャイナドレスを作りに、そして最終日には飛行機で食べる油飯を買い込んだエリア。漢方薬やからすみなどの乾物、布類などの問屋が集まる賑やかな通りだが、普段は車も通る大通りが、屋台が立ち並ぶ歩行者天国に様変わりしていた。

コロナ禍のため2年ぶりという「台北年賀大街」は毎年、大晦日前日までの2週間開催だそう。正月用の食材、特別なお菓子など食料品を売ってるのは、建物一階にある元来の店ではなく、地方から出稼ぎでやってきている商人たち。

中華圏では元旦ではなく大晦日に家族が集い新年を祝うので、買い物はその前日には終える、というわけだ。そして台湾では大晦日の前日から10日間、国中が春節の休み(今年は1月30日まで)に入る。

色とりどりの正月用キャンディー。

こちらも色鮮やかな腸詰たち。黒いのは、豚の血を使ったもの。

落花生は台湾ではお菓子にも料理にも広範囲に使われる。手前の黒ピーナッツは、最高級落花生。土壌のせいで中にある豆の皮は真っ黒。そしてとんでもなく甘くて美味しい!黒ピーナッツには、黒金剛(王様)というのと、黒公主(王女様)というのがある。試食してみると、私と連れの友人(実はこの日別行動だった友人と、翌日に再度訪問した)は、王女様の方がずっと美味しいと思ったので、そちらを買った。

鎌倉に帰ってもちびちびと食べて楽しんでいるのだが、調べてみると千葉県でも栽培されているそうだ。しかし、20粒600円という高価な代物でびっくり!ちなみに私たちが買ったものは、600グラムで1350円。これでも他の種類よりはずっと高かった。

大根餅も春節には欠かせない。大根だけのプレーンなもの、肉の干し海老や干し椎茸の入ったもの、タロイモを使ったもの、と3種類あった。

迪化街は日本統治時代の古い建物が並ぶエリアだが、近年はレトロなビルが次々とレノベーションされ、洒落たカフェや雑貨店が増えてきているそうだ。人混みに疲れて、そんなレノべビル内のコーヒー店で一休み。意外と知られていないが、台湾の山間部では品質の良いコーヒー豆が栽培されている。ただ生産量が少ないため輸出はほとんどされていなので、海外での知名度はまだまだ。この日頂いた台湾産コーヒーはストレートで飲むように、と指示されただけあり、とてもあっさり、でも香り高いものだった。

台湾に行くと、朝ご飯が楽しみだ。ホテルの朝食ビュッフェではコーヒーだけ飲んで、早朝からタクシーで朝ご飯を食べに行った。地下鉄も100円前後と安くて綺麗で安全なのだが、乗り換えで構内を歩く距離が結構あったりするので、時は金なり、滞在中はタクシーを駆使した。

豆乳スープ、豆漿(トウジャ)の店では、甘い豆乳スープと、おぼろ豆腐のような塩味のスープ・鹹豆漿(シェントウジャ)があり、鹹豆漿にはネギ、ザーサイ、揚げパン・油條(ヨウチャオがトッピングされている。好みで酢や醤油をかけても。

長い油條は豆乳の他、台湾では甘い杏仁ミルクに浸しながら食べる朝ごはんの定番の揚げパン。

店ではその他、釜で焼いたボリューム満点のネギ入りパン葱花餅(ホンフアンピン)、スクランブルエッグの入ったクレープのような薄餅など、目移りするほどメニューがある。

日曜で行きたい店が軒並み店が閉まっていた為、すっごく並ぶ店だよ、と聞かされていた台北で一番人気の朝ごはん屋さん「阜杭豆漿(フウハントウジャ)」に結局行くことになった。ミシュラン・ビググルマンに何度か選ばれた店は市場の2階のフードコートにあり、午前6時の開店と共に長蛇の列だが、セルフだから列は結構早く前進し、途中にあるモダンな設備が入っている工房も眺めることができたり、と退屈はしない。家族全員分?ってぐらい大量のテイクアウトをしていく人もとても多かった。

私と友人の感想は「量が多いので、甘いスープと塩味のスープは代わりばんこに食べるのが飽きなくて美味しい!」だった。

2018年発行の日本のガイドブックに載っていた豚肉蒸し包みと酢辣湯のみの店「圓山老崔蒸包(ユェンシャンラオツイ・ジェンバオ)」も楽しみにしてタクシーで乗り付けたら、コロナ禍の間にかテイクアウトのみの店になっていた。

仕方なく、ホテルに持ち帰って食べた。皮は肉まんの薄いバージョンなんだが、なぜかとても軽くて、ぺろっと一人前10個食べてしまった。さすがに酢辣湯の量は多かったけれど。

台湾は屋台や小さな店でもテイクアウトできる文化が昔からあり、その歴史の長さからか、スープがもれないようにしっかりと口を紐で結ぶだけのビニール袋や紙の器、小さなプラスチックれんげなど、なかなかの優れものがある。

↓こちらは朝ごはん専門店ではないが、私の大好物の魚丸(ユーワン)、魚のつみれ屋さん。「佳興魚丸店(チアシンユーワンティエン)」ではサメのすり身の団子を大鍋でゆがき、店頭で量り売りしている。店内では魚団子だけでなく、椎茸と豚肉の団子など各種団子スープや和え麺などを食べることができる。

台北では、ここのように、小腹が空いた時に入れる店がどこにでもある。佳興魚丸店は午前9時から夕方までの営業だが、早々に売り切れごめんになるようだ。

そして、魚丸の中にはサプライズで肉餡が入っている。

しばし街中の写真。毎朝開催されている「雙連朝市」。

コロナ禍のせいで、以前よりずっと食べ歩きできるものが少なかったけれど、それでも牡蠣のお好み風天ぷらやワンタン麺など朝市で食べ歩きをした後は、ぶらぶらと歩いて次の目的地へ。

速達&国際郵便と普通郵便の投函口は別。分かりやすいポストだ。

亜熱帯の台北。住宅街の路地のこの木々、ようく見ると全部鉢植えだった。

目的の店「豆花荘(トウフアチュアン)」に到着。

豆花(トウフア)は、豆乳ゼリーのような、台湾スイーツの王道。豆乳を石膏粉で固めたもので、ぷるんとした食感は豆腐よりは柔らかい。写真のようにピーナッツや小豆、緑豆、タロイモ、タピオカ、ハトムギなどを甘く煮たものをトッピングに選ぶと、それに黄金色の糖水をかけたものが出てくる。具材は甘味が抑えられていて、夏はこの上にかき氷をのせてくれる。とにかく、つるんとしていていくらでも食べれてしまう。ちなみにこの店の営業時間は午前10時〜午前1時!凄いな〜。。。それほど需要があるってことだね。

今回台北を食べ歩きして感じたのは、味付けがとても薄いということ。スイーツだけど豆花の甘みも控え気味だし、スープ類も塩がこんなに少なくても十分なんだ!と、とても勉強になった。醤油の濃い色目に反して全ての料理が薄味で、本当に身体に良いヘルシーなものをみんな食べているんだな〜と痛感した。

最後に、今回の旅で一番気に入った大衆食堂を紹介する。美術館に行ったあとに急いで親戚が待つ店に駆けつけたのは、ランチタイムが終わる15分前。店の外にあるサンプル料理の横に、メモとペンを手にしたおじさんが立って待ち構えている。次々と彼にオーダーしてテーブルに着くと、彼もそのまま厨房に入って行った。

台湾では白ごはん代わりに小さなお椀の汁ビーフン、汁そば、魯肉飯など皆好みのものをオーダーする。それプラスおかずを食べる、というのが庶民の食べ方。

めちゃくちゃ美味しかった牡蠣と油條(揚げパン)の蒸し物。

海老の塩胡椒炒め。白いのはカリカリのおこげ。

筍と野菜の炒め物。

白い苦瓜と2種類の卵(鶏の卵と、アヒルの塩卵)の炒め物。これも絶品だった。

ただのイカフライも、唐辛子と醤油ベースの調味料で別物に変身。

追い立てられるように閉店時間を過ぎた店を出る。なるほどガッテン。午後2時〜5時は昼休憩、そのあと夜の部の営業時間ははなんと9時間も!午前2時まで営業しているんだ〜。ご苦労様、頭が下がります。毎日この店で食べても飽きないね。これからも台北に来る度にリピート確定の店!

そして、台北三越デパートも春節を祝う赤い提灯で飾られていた。銀座三越にならって、こちらの正面玄関にも可愛いライオンがいた。

毎回旅に出ると、みんなに伝えたい食べ物の話が尽きない。最後まで読んでくださり、多謝!(トウシャー:台湾語でありがとう!)

コロナ禍の色々な規制が廃止され、自由に海外に行ける日が早くやってきますように。。。


2019 年師走

2019-12-11 | グルメ色な日記

毎年師走になると、1年が過ぎ去るスピードが前年より加速しているように感じるのは、何故?

そして今年は、地球温暖化でとりわけ日本は、天災の多い落ち着かない年だった。

来年の1月17日で阪神大震災からもう25年。というわけで、その年から続いている神戸の光の祭典、ルミナリエも今回で25回目(12/15まで開催中)。

今年は例年の壁型のデザインではなく、ドーム型が初めて登場。昨年の神戸港開港150周年を記念した豪華なイルミネーションに比べると、少しおとなしめだが、ドームの下にいると光に包まれてなかなか荘厳な気分になる。

設置工事中、旧居留地を歩くきれいな女性達に「UTSUKUSHII!うつくしい!」と声かけを忘れずに楽しく作業をしていた職人さん達!さすがイタリア人だな〜、と感心した。

今年の秋から、山歩きにはまっている。近場には六甲山や摩耶山、須磨アルプスと、いくらでも魅力的な山が連なっていることに、今更だが気がついた。そしてラッキーなことに、周りにはちょうど同じように山歩きにはまった友人達がチラホラといて、次どこ行く?となかなか楽しい。ま、真夏に始めていたなら、すぐに根を上げていただろうけど。若干視力が良くなったように思うのは気のせいか?そういえば先日、宮崎出身の友人と話していたら、高校時代に山を10分間凝視する時間が毎日学校であった、という。おかげで視力がとっても良いらしい。なんと羨ましい。

幼少時代によく行った布引の滝や再度山の修法ヶ原池(ふたたびさん・しおがはらいけ)も、お久しぶり。

11月の神戸マラソンの日、須磨アルプスに登った。六甲山縦走の西の端だ。眼下には、ランナーを応援する漁師船が大漁旗を掲げ、消防船は放水しながら須磨の海に出ていた。

アップダウンの激しい山でトレーニングをしている人も多い。

イチロー選手がお忍びでトレーニングしていた馬の背。ちょっとセドナを思い出した。

そしてご褒美のような、瀬戸内に沈む太陽と明石海峡大橋の美しい眺め。

先週は少し足を伸ばして、高砂市曽根にある鹿島神社の裏の山へ。紅葉になんとか間に合った。

高御座(たかみくら)は、天皇即位で耳にするようになった言葉だが、そのおかげで正しく名前を読めた山。ここにも馬の背があったが、標高300mにも満たない山々なのに、あまりのキツさに下の方でウロウロ。アイゼンを履いて岩山を登っている強者や、一日中グルグル色々なルートを上り下りしてトレーニングしている人がたくさんいて、ビックリした。初心者が目立つ目立つ。

我ながら外食が消極的になってきて少々悲しいが、この秋は美味しいスパニッシュ、フレンチ、イタリアンをいただく機会があったかな。ちょっとだけ載っけます。

上等の生ハムは、とっても甘くてジューシー。

大阪湾のイワシは実に旨い!

grass-fed(牧草飼育)のラム肉は全く臭みもなく、焼いただけでびっくりするぐらい美味しい。

ボジョレ・ヌーボー解禁日に、フレンチ・ビストロで美味しい前菜とヌーボー。旨いヌーボーだな、と思ったのは何年ぶりだろう?

そして、ワイン教室はひそかに開催しています。

 

では皆様、HAPPY HOILIDAYS!!

いつの間にか某食品会社、味OOのCMに使われている Eat Well・ (Drink Well)・Live Well で、お元気にお過ごしください。


ベルリン・その3

2019-08-25 | グルメ色な日記

ベルリンの街の東部、シュプレー川沿いに、イースト・サイド・ギャラリー East Side Gallery がある。現存しているベルリンの壁の中で最長の約1.3kmに、世界中の百人以上のアーティストが戦争と平和に対するメッセージを表現した屋外アートだ。

市内には、東西に分裂されていた冷戦期の傷跡があちこちに残されている。

電車網も充実していて(↓レトロな駅もある)乗り継いで1日走り回った。

↓市内中心部にあるチェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie は、東ベルリンと西ベルリンの境界線上にあった国境検問所(1945年~1990年)。

チェックポイント・チャーリーはソ連統治地区と米国統治地区の間にあったので、↑南側には米兵の写真、北側にはソ連兵の写真、が掲げられている。

当時の西ベルリンは米国、イギリス、フランス、と別々の統治地区があり、検問所も数多くあったそうだ。その中で、外交官や西側諸国軍関係者が通行できたのは、このチェックポイント・チャーリーのみだったそう。

元々往来が自由だったベルリン市内の検問所を、車で強行突破したりして東側から西側への人口流出が続いたため、東ドイツは1961年8月13日に突如として東西ベルリン間の通行をすべて遮断して西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作ったのだそうだ。

お土産屋さんも、↑冷戦期を彷彿させる軍服やらガスマスクやら、物騒な品が並ぶ。

博物館、美術館通りで食べ物を探すのは至難。↑静かにお客さんを待っているプレッツェル&水屋さん。

小さなスーパーをのぞくと、日本のおにぎり発見! 左はピーナッツバター、その隣はかぼちゃとゴマだって。一体どんな味なんだろうね〜。しかし、高い!2.99ユーロ、約300円もする。

宿泊したホテルの朝食ビュッフェで驚いたのは、honeycomb ハニカム、蜂の巣から流れ落ちるハニーがセルフサービスだったこと。

内陸のプラハでは見かけなかった魚の燻製も、ハム類に負けずにいろいろな種類があった。

ベルリンの路面電車トラムは、便利できれいだ。ホテルの前はトラムの休憩場所になっている様子。

日曜日は、大きな Flea Market 蚤の市がいくつか開催される。ホテルを早朝に出発し、トラムに乗って会場近くまで行ってから朝食を食べることにした。

 

またまた悩むぐらいバリエーションが豊富。ナスとキノコのキッシュも美味だった。

Mauerpark マウアーパークの蚤の市は、市内最大。

骨董買い付けのプロ(M子)は、開店前に会場に行き、設置中の店を一巡し、めぼしいものを買い始める。

大きな店は、商品を出して並べるだけでも大変!これを仕舞うのも大変だ〜

手動ミシンの横になんでこれがあるのか分からないけど、なんでもありです。

昼前には会場は歩けないぐらいの人混みで、食べ物屋台もたくさん出ている。このホットドッグ、パンもソーセージも美味しかった〜

もちろんビールも!写真撮る前にちょっと飲んじゃいました。

そして帰国の朝。ナポレオンがパレードした大通りを通りを西へ突き抜け、タクシーで空港へ向かっていると、戦勝記念塔が見えてきた。

デンマーク戦争に勝った1800年代後半に建てられた塔だが、ベルリンを世界首都に改造するヒトラーのゲルマニア計画の実施に先立ち、1939年に現在の場所、市内最大のロータリーの中央に移設されたそうだ。どの方向へ向かうにも、金色の勝利の女神ヴィクトリアに向かって走る事になる。

空港で最後の朝食。りんご一杯の apple strudel アップル・シュトゥルーデル。

ヨーロッパ大陸外への直行便がほとんどないからか、ベルリン空港はとても小さかった。が、乗り継ぎのミュンヘン空港↑ はとんでもなく広かった。走って走って、乗り継ぎにギリギリ間に合い、平和な日本に帰ってきた。もっとちゃんと世界史を知らなくっちゃ!と、気づかされた旅だった。

皆さん、長い長い旅行記を読んでくださり、どうもありがとうございました!グズグズ書いていたら、猛暑も去り、秋の気配がする凌ぎやすい季節にになってしまいました。。


ベルリン・その2

2019-08-22 | グルメ色な日記

ベルリンの街を南北に流れるシュプレー川の中洲は、museum island「博物館島」と呼ばれている。ベルリン美術館を構成する5つの博物館・美術館で構成されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

中洲のこちら側には、テラスを設けたカフェが立ち並ぶ。行き交う遊覧船を見ながら、ブランチをした。

どちらもサーモンを使ったプレート。↓ポテト・パンケーキにスモーク・サーモン、ホースラディッシュ・クリーム添えはナイスチョイスだった。

食後は、美術館をははしごして疲れてしまった。とにかく広い。

旅の醍醐味は街歩き。遠目に見つけたお店が気になった。後日昼下がりに入ってみたら、とても素敵な中庭のある、英語がほとんど通じないレストランだった。↓写真左奥の建物の壁画がまた素敵。「ソフィエンSophien11」

Grilled Pork Knuckles ローストした豚足/すね料理(アイスバインのロースト版かな?)は、ドイツの伝統料理。この店のものは、中がとってもジューシーで、外の皮がカリカリ。きのこソースが絶妙、絶品だった。マッシュポテトも最高だった。どこの店でもそうだが、二人でも食べきれない量。

帰国してすぐのワイン教室は白ワインのrieslingリースリングを予定していたので、とにかくどこへ行っても食事の時にはリースリングを注文した。Pflazフラッツ産のこの左のボトル↓、すっごく美味しかったので生徒さん達に飲んでもらいたかったのに、日本には輸入されていなくて、とっても残念。。

写真右の↓ モーツアルトの水も、ラベルが素敵。

ベルリンはベトナム料理が意外と美味しい、と聞いたので、ある夕vietnameseの店を探しながら歩いていたら、英語の堪能なノリのいいお兄ちゃんが話しかけてきた。「ドイツ料理を食べたいなら、このお店はベルリンで二番目に美味しいから入ってごらん!」と目の前にあったレストランをものすごく勧めてきた。「じゃあ、一番美味しいお店はどこ?」と聞いたら、「英国のウィリアム王子が excellent! 素晴らしい!と気に入った店だよ」と。なんか適当だな、と思いながらも、翌夕はここで食べることにした。残念ながら、店の名前を記憶していない。(道は覚えているので、必要な人は連絡下さい)

かろうじてテラスの長テーブルに二席空いていたので、ぎゅうぎゅうに座らせてもらう。そして、前日のお兄ちゃんは隣のブティックで働いていた!メニューには「王様の野菜」旬の白アスパラガスのバター炒めがあった!

白アスパラガスが食べられるのは6月26日まで、と期限があるなんて、初めて知った(この日はまだ6/20だった)。4月末からシーズンが始まり、ドイツ国内だけで毎年5万5千トンが収穫され、今ではドイツで一番の稼ぎ野菜だそうだ。ドイツ国産の白アスパラガスは、コクもアロマも食感もしっかりでとっても美味しい。私たちは、生ハムを巻いてみたり、と、とっても楽しんだ。でも、メインの豚肉はパサパサだったから、ベルリンで二番目に美味しい店とは言えなかったな。

姪の結婚式は、新郎が弦楽器が趣味でベルリンのアマチュアバンドに所属してでサックスやフレンホルンやら吹いていることもあって、前半は20人編成のブラス・バンド、後半はやはり大所帯のスウィング・ジャズ・バンドの演奏があり、楽しいダンスパーティーとなった。そして、翌夕は、両家の親戚達と歴史あるベルリン・コンツェルト・ハウスにベートーベンを聴きにも行った。

音楽は分からないけど、内部も素晴らしかった。そしてコンサート・ホールの外の広場には、日銭を稼ぐ音楽家達があちこちに。

ベルリン最後の夜は、新郎新婦を囲んで、親戚達と夕食を共にすることになった。もう5年ぐらいベルリンに住んでいる姪が(旦那さは10年)、私に「どこかお勧めのレストランない??」って聞いて来た時点で「ちょっと、ちょっと」と不安だった。ま、前日予約だったからここしかなくて。。と選んだレストランは、ベルリンで最古、1621年から営業しているというZer Letzten Instanz。ナポレオンも訪れたそうだ。「残念ながら、白アスパラガスはメニューにないそうです〜」と姪。

↓ソーセージと洋梨のサラダ

↓ケッパーが入ったミートボール

アイスバインが有名なお店だそうで、味は悪くなかったのに、サービスが最低だった。何度呼んでも one moment! と言ったまま、誰もやって来ない。挙げ句の果てに来た年配のウェイトレスに兄が文句を言うと、ふてくされた顔で「あなたには、選択肢が二つある。このテーブル担当の若いウェイトレスは、今、他のことで忙しい。彼女を待つか、新たに私に注文するかのどちらを選ぶ?」と、ものすごい剣幕で、上から目線で捲し上げられてしまった。たまげたな〜

日本語のガイドブックにも紹介されているんだろう、日本人観光客がちらほら。隣の四人席に日本人カップルが座っていた。そこへ日本人の男性三人連れが来たところ、その年配ウェイトレスがカップルの女性に席移動をさせ、男性四人を同じテーブルに座らせたから仰天!おとなしい日本人達は、文句も言わず会話もなく座っていた。凄いな。自分達だったら、絶対断るよな〜、兄と苦笑いしてしまった。

ネットでこの店の口コミを見てみると、総じてサービスの悪さが指摘されていた。訪れる場合、皆さん強気で行って下さいね!

 


ベルリン・その1

2019-08-15 | グルメ色な日記

プラハを出発した列車は、エルベ川沿いを北上しながら一路ベルリンへ。国境を越えると車掌も代わり、チェコ語からドイツ語に。英語アナウンスは全くなくて、どこを走っているのやら全く分からず。ドレスデン経由が分かっただけ。ま、成田空港で買ったガイドブックを私がしょっぱなの機内に忘れて、地図もなかったせいですが。。

そしたら思い出したようにM子が、「そういえば、昔インドでも私達地図持ってなくて、駅にいた白人バックパッカーの男の子にちょっと地図見せて!ってあんた言って取り上げたじゃん。あの時はびっくりしたよ〜」って。「ウッソ〜!」私は全然覚えてない。30年以上前の、1ヶ月インド放浪の旅でした。

川沿いには別荘や、遊覧船がたくさん停泊している観光地らしい小さな村があったり、ダムがあったり。4時間ほどの列車の旅も景色を楽しめた。

プラハ駅での遅延もあり、結局ベルリンのホテルにたどり着くまで7時間近くかかってしまった。荷をほどき、キオスク(コンビニ)に入ってこのビールの山を見て、わぁ!ドイツに来た!と思った。

初めてのベルリンは、私が知っている他のドイツの街とは全く違った。東ドイツ側だった East Berlin にホテルがあったため、社会主義国時代を色濃く残した団地、ナチスが軍事パレードや集会用に建設したような大通りや広場があるエリアにまず足を踏み入れたからだろうか。同じ東欧でもプラハのような色彩や美しさはあまりなく、「共産主義・社会主義」を色濃く感じさせるちょっと寒々しい街並みだった。実際、街の1/4は空襲で焼きつくされたらしい。

ベルリンが東西に分裂していた時に東ベルリンの中心だったアレクサンダー広場 Alexanderplatz には、世界時計とテレビ塔。

そして堂々とユニクロ↑があった。

この広場を見下ろすように、デパート、ガレリア・カウフホーフ Galeria Kaufhof 建っている。ベルリンでは、デパートのカフェテリア(セルフ・サービスのレストラン)はオススメ、との情報で、翌日のランチはまずそこを目指した。

ケーキも美味しそう!料理を見ながらぐるぐる歩き回っても、目移りしてなかなか決まらない。

ロール・キャベツは、ミンチを肉で巻いてからキャベツで巻いてあった。見かけほどこってりでなく、とても美味しかった。

周りの写真を撮りたかったけれど、隣のテーブルにロシアン・マフィアのような、ガタイの大きな強面のお兄さん達が6~7人がっついていたので、遠慮してしまった。

ベルリンは、ヨーロッパではロンドンについで人口が多い都市だそう。そして、国内だけでなく海外からの移住者がとても多いらしい。他所者やどんな芸術文化にも寛大な街で、居心地が良いのだろうか。かなりアバンギャルドな街だと思った。

ホテルのすぐ近くの広場は、ビア・レストランだらけ。

ベルリンの紋章は黒い熊、ベルリン・ベア(↑提灯や↓ビール)。ビアグラスにもある「Made In Berlin」という言葉もよく使用される。ドイツ製ではなく、DDR(東ドイツ)から派生した独立した都市国家の製品、というような意味合いがあるのかな。

ビールは実に種類が多く、選ぶのにも迷う。↓この醸造所直営店など、メニューをじっくり見ると同じ醸造所で製造されたものが13種類ぐらいあった。

ホテルを出てちょっと一杯、帰る前にちょっと一杯。

そして、英国と同じく、ドイツもジャガイモが本当に美味しい。

そして宿泊した小さなホテルの屋上にもバーがあり、絶景の夕焼けに遭遇できた。ため息をつきながらここではジンを。。夜9時にようやく夕日が沈んでいく。