チャオ・ダル・マーレ  CIAO dal MARE    (旧キッチン・マーレ)

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4月14日のポーランド料理

2010-04-22 | 料理教室顛末記

在日22年になるオジュグ・アダムさんは、現在京都で輸出入会社を経営するかたわら、同志社大学で哲学を教えています。京都府の名誉友好大使としても活躍、国際理解や料理教室の講座を受け持ったり。本当はインド料理が一番得意だそうですが、この日は最も伝統的なポーランド料理を紹介してもらいました。

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ビーツのスープ『バルシチ』は、『ボルシチ』に具がたくさん入っているのに対して、透明なコンソメ、という意味があるそうです。本当は生のビーツをぐつぐつ煮ていい味のスープを出すそうですが、日本ではなかなか生は手に入らないので缶詰で代用します。ホール・ビーツはチキン・スープで20分ほど煮出してから取り出し、塩こしょう、リンゴ酢で味を調え、茹で卵を浮かべていただきます。あっさりとしたさわやかなス-プでした。取り出したホール・ビーツは千切りにし、砂糖と酢をまぶてサラダにしました。

Img_1472_4 ビーツは地中海沿岸原産のアカザ科、サトウダイコンの変種で、ショ糖を多く含んでいるので独特の甘味があります。日本にない野菜で、欧米人がなぜこんなに好きなんだろう、といつも私が不思議に思うものに、ビーツとルバーブがあります。ルバーブにもショクヨウダイヨウと日本名はあるようで、蕗のような茎の部分を砂糖で煮込んで食べます。甘酸っぱいルバーブ・ジャムやルバーブ・パイに欧米人は目がないのですが、そのおいしさが私にはもう一つ理解できません。こちらもビーツほど鮮やかではないけれど、きれいなピンク色をしています。このルバーブに比べると、まだビーツの方が私にはおいしいかな。

Img_1482_2 メインとして、ザワークラウトと肉類、ソーセージを煮込んだ伝統料理、『ビゴス』を教えてもらいました。ポーランド人にとってのビゴスは、日本人にとってのカレーライスのようなものだそうです。老若男女に好まれ、食卓によく上がる家庭料理、おふくろの味、といえるものだそうです。日本ではドイツ、スイス、アメリカなど色々な国の瓶詰めザワークラウトが売られていますが、ビゴスにむかない味のものもあるそうで、この日はポーランド産ザワークラウトを使いました。生のキャベツを混ぜることもあるそうで、他に玉ねぎ、きのこが必ず入ります。今回は干しシイタケを使いましたが、日本風の味にもならず、長時間煮込んだザワークラウトも酢の味が完全に消え、水煮トマトとケチャップでマイルドな味に仕上がりました。本場では黒パンとともに食べるそうですが、この日はマッシュポテトを付け合わせにしました。日本人の口にも合って、美味しかったですね。

『ピエルニキ』は伝統的なお菓子だそうです。ジンジャー・クッキーのようだけど、ジンジャーではなくてシナモン、クローブ、ナツメグであんなにスパイシーになるんですね。

Img_1476_2 Img_1483_3 04140004_5 もう一つ教えてもらった『クルスキ・ズ・マキエム』は芥子の実入りパスタ、という意味だそうですが、デザートなのか前菜なのかよく分からない一品でしたね。ブルー・ポピー・シードを30分ほど煮込んで柔らかくしたものをすり鉢ですり、それに手作りのオレンジ・ピールとクルミをきざんだものを加えてソースを作ります。これをマカロニなどのパスタにあえて食べるそうで、クリスマス・イブの定番料理の一つだそうです。ポーランド人の9割は敬虔なカトリック信者で、クリスマス・イブには肉を食べないそうです。その代りに、この日にしか食べないベジタリアン料理がイブの日は並ぶそうです。今回はリボンパスタに加え、手作りパスタもささっと作ってみせてくれ、2種類のパスタの食感を楽しみました。オレンジ・ピールもあんなに簡単に、ウオッカと砂糖を加えて炒めるだけでできるんですね。

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皆さん、初めて食べるポーランドの味に戸惑いや開眼もあったみたいですが、旦那さんがお料理できるといいですよねぇ。アダムさんと孝子さんの娘さんは、お父さんの手料理で育ったんですよ。私達親子が遊びに行っても、食事を作ってくれるのはいつもアダムさんです。

ところで、2006年の夏、孝子さんが仕事でポーランド住んでいたので、シアトルから遊びに行きました。冷戦時代はソ連の影響下に置かれ共産主義政権が支配していたため、民主化したとはいえ、人々の働く意欲の低さは驚きものでした。国から平等に給料をもらっていた彼らには、「サービス業」 という概念がないわけです。客を待たせるのは平気だし、スーパーの肉売り場でソーセージを物色していると、突然売り場の電気が消え、閉店だからおしまい、と店員がさっさと帰り支度しだした時にはたまげました。閉店10分前だったのに!でも、孝子さんが連れて行ってくれた小さな食堂はどこもとても美味しかったのが、救いでした。夏の一押し、きゅうりとディルの冷たいスープ、ふんだんに採れるきのこを使ったスープやソース、肉料理などなど。アウシュビッツを訪れる気力はその時の私にはなかったのだけど、何度も国土を侵略され、虐げられてた国民の苦悩を色々なところに感じた少しつらい旅も、素朴で美味しい家庭料理によって暖かく埋め合わせてもらえたような。もちろんウオッカとソーセージをたくさん買って帰りましたよ。あれっ?肉はアメリカ持ち込み禁止だったはずなのにね!?


Shanghai

2010-04-13 | グルメ色な日記

皆さん、お久しぶりです。昨日の大雨で、桜もとうとうおしまいですね。ようやくインターネットも接続されましたが、片付けられない病に侵されたかのように、遅々として引っ越しの片付けが進まない私です。

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大学時代に吉田日出子の『上海バンスキング』の舞台を見て以来、淡い憧れを抱いていた上海。今やあんなメガ都市、メトロポリスになっているとは思いもよりませんでした。その人口は北京よりも多くて2千万人、人口密度は約3千人/㌔平米という凄さです。人口が、そして都市が、上へ上へと、垂直に拡大していったわけです。 skyscaper  摩天楼、という言葉はマンハッタンのためにあるのかと思っていたけど、とんでもない誤りでした。比較にもならないぐらいの高層ビル群が、地平線のかなたにまでそびえ立っているのを宇宙基地のようなテレビ塔の上から眺めた時は、本当に度肝をぬかれました。建築家ならば上海にビルを建ててみたいと絶対に思うだろうな、と推測できるぐらい自由奔放なデザインのビルが沢山あるのも、地震がない土地だからでしょう。

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街の真ん中を流れる揚子江の右岸と左岸とに、金融街の新市街と旧市街が分れています。旧市街には戦争で消滅されたとはいえ租界時代の建物がまだ少し残っており、イギリス、フランス、ロシア等の様式の違う趣ある古い洋風建築が、対岸の高層ビルとは対称的に佇んでいます。

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中国で最も裕福な人達が住む上海は、ベンツやBMWといった欧州車だらけ。セレブ価格なのか、物価も異常に高く、日本に帰ってきたらなんて物価が安いの~!と思ってしまいました。日本に氾濫している安い中国製品は一体何?と、そのギャップに苦しみました。

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上海から車で1時間半ほどいくと、水郷の村が点在しています。運河の残る村も、もうすぐ始まる万博の観光客目当てなんでしょう、急ピッチで補修工事が進んでいました。ここに来て、やっと平民価格の物価に巡り合えました。

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上海雑技団もかぶりつきの最前列で観覧し、彼らの筋力、体力、技量には圧倒されました。団員たちは皆おぼこく、田舎から出てきて、人の何十倍もの努力を重ねてこの座をしとめたんだろうな~と、この大都会の貧富の差をここでも感じてしまいました。

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また、上海博物館では8千年も前の素晴らしい青銅器などを見ながら、先人はこんなにも秀でた技術と才能を持っていたのに、なぜ今の中国人はコピーしか作れなくなっちゃったわけ??と疑問に思うばかりでした。

Shanghai_hanami_april_2010_109さて揚子江の河口にあり、北京と広東の中間に位置する上海は、租界地としての歴史もあってその料理は西洋や中国の他の地方の影響をかなり受けています。砂糖やケチャップ、 ミルク、パン粉をよく使い、少し甘めの中国料理です。肉団子の甘酢がけなども上海料理。海老チリもそうかな。ここで食べた麻婆豆腐はちょっと甘めのものでした。

Shanghai_hanami_april_2010_108もちろん海や河、湖、河が近いため上海といえば海鮮料理です。上海蟹や海老以外にも、なまこの煮込みは有名です。上海蟹はシーズンが終わってはいたのですが、あるレストランで1匹だけ食べさせてもらいました。身は本当に柔らかくておいしかったけど、あまりに蟹が小さかったので、食べようがなかったですね。なまこは好物ではないけれど、白ネギをたっぷり使った煮込み料理は初めてなまこがおいしいと思える代物でした。

人混みで絶え間なく平気でぶつかってこられ、地下鉄で切符を買う長蛇の列に並びながら、あと1か月で万博開会、海外から7千万の人が来ると言っているのに、一体どうやってこの chaos カオスは統制されるんだろうかと心配してしまいました。中国人の逞しさとずるさを垣間みながら、そのエネルギーに圧倒され、ああ、じき日本人は負けるだろうな、と確信させられた旅でした。旧と新が入り混じった上海、期待を裏切らない魅力がありました。それにしても、上海から帰ってきてから、神戸がなんてド田舎に感じられることか!

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