城郭探訪

yamaziro

近江商人・小泉家住宅に古思う 滋賀・東近江、ゆかりの地巡る

2016年11月06日 | ウォーキング

近江商人・小泉家住宅に古思う 滋賀・東近江、ゆかりの地巡る

近江商人小泉家の屋敷を見学する参加者たち+(東近江市五個荘山本町)近江商人小泉家の屋敷を見学する参加者たち+(東近江市五個荘山本町)

 滋賀県東近江市出身の近江商人小泉家ゆかりの地を巡るウオーキングが5日、同市五個荘山本町などで開かれた。参加者16人が歴史に思いをはせながら約7キロを歩いた。

 市近江商人博物館(同市五個荘竜田町)で27日まで開かれている「小泉重助展」に合わせ同館が企画。小泉家は1716年に麻布商を始め現在も続くアパレルなどの小泉グループに成長した。

 ウオーキングでは同館学芸員の案内で旧家が立ち並ぶ旧中山道沿いなどの町並みを散策。国の登録有形文化財「小泉家住宅」内部も特別に公開され、江戸末期から整備を重ねてきた趣ある座敷や土間を見学した。

 小泉家が戦国大名佐々木氏にゆかりがあると伝わることから、同氏の城があった標高325メートルの箕作(みつくり)山の登山もあり、色づき始めた秋の里山の景色を楽しんだ。

京都新聞【 2016年11月06日 13時15分


永源寺の山城と森のハイキング

2015年11月14日 | ウォーキング
鎌倉時代から戦国時代にかけて佐々木六角につかえた豪族小倉氏の山城を秋が深まる緑の森の中のハイキング歩くコース。
 
山上口バス停(集合)

山田城

八尾城

八尾城(遠景)・・・愛郷の森の道より

 

→星野溜

→池田牧場へ

池田牧場

(昼食)愛郷の森

→八風窒

渋川

旧八風街道

高畠新次郎が渋川沿いに居を構えており(小辰文書)、

紅葉橋

山上陣屋

お鍋の方の居城

高野街道

高野城へ出丸へ

高野神社お旅所

→小倉山上城

バス停へ (歩程 約10km)

開催日:平成27年11月14日(土)★参加費用(保険料、ガイド料等)

集合場所:山上口バス停(集合時間10:15)

     本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!

箕作山ハイキング

2013年11月25日 | ウォーキング

集合場所:近江鉄道八日市駅9:30…スタッフミーティング

実施日:2013.11.23

清水町清水川

延命公園

江州音頭発祥地の石碑

公園内の古墳公園内の古墳

ドライブウエイへ

赤神山(ドライブウェイより)

瓦屋禅寺

赤神山太郎坊宮

  

箕作山ハイキングコースへ

台風18号で赤神山頂へ分岐点ハイキングコースの休憩所

箕作山山頂へ

山頂373.5m

小脇山城へ

小脇山城主郭373.6m

旗振り山へ

一三仏へ

本日も訪問、ありがとうございました。

 


希望ヶ丘ハイキング 2013.4.14

2013年04月14日 | ウォーキング

 

 

 北東の山塊の中には城跡が2つ存在する。

近世城郭である小堤城山城(築城者:永原重秀)と、中世山城の古城山城(岩蔵城とも、弥勒寺城)である。中世山城の古城山城は六角氏が築き、家臣の馬淵氏が守備したと伝えられ、六角氏の端城であった。

『永原軍談』では、文明年間(1469-86)に永原城の出城として築かれ、田中氏が守備したとあるが信憑性はない。
各曲輪の前面に石垣を多様していることから、築城時期は中世であったかも知れないが、現在残る形は戦国末期の技法が色濃い。                                 規模の上からも、六角氏の直接的な指示があり、甲賀作戦の一翼を担う位置付けが想定される

小堤山城縄張り図

ガイドさんの歴史説明中

熱心に聞き入る参加者の皆さん

主郭の上、櫓台カ、東の星ケ崎城・東山道・下街道が一望できる

小堤山城の現地説明板

小堤城山城跡案内図(現地説明板)

縄張り図が有れば、石垣の多用の様子が・・・残念です! 

堀切・土橋

主郭の石垣

主郭の石垣

ふんだんに石垣が使用された見所の多い遺構群。

ふんだんに石垣が使用された見所の多い遺構群。

ふんだんに石垣が使用された見所の多い遺構群。

古城山(岩倉城・弥勒城)さんへ

 

 

 

虎口付近の石垣

 

祠には、携帯電話が1つお供え

ノミの跡が上4つ、下に1つははっきりと

(石工の仕事http://www.ishikumi.com/about.html)

唯一、コイワカガミは咲いてました

池は桜本池という池があり、底なし池で日照りでも枯れないらしいです

小堤城山城より先に築城された城、西側10m超の大土塁。

主郭は山頂ではなく、山頂より東側の一段下がったところが主郭(40m四方程度の平坦地)です。主郭の西側に小尾根があり、これが大土塁となっています。斜面の上には土塁がL字に残る郭があります。主郭の北から東側には土塁が巡ります。さらに南側に細長く平坦地が延び、東側は土塁が続きます。この細長い郭の西側は池で南側と東側に虎口があり、南側虎口には石垣も残ります。南側の虎口を出て少し進むと土塁で桝形状になっているような箇所があり、ここは南側の防衛ラインでしょうか?。また、主郭東側虎口を出てすぐ左の斜面を進むとこの先端の虎口にも石垣の痕跡がありました。

また、落城時に、この池に金の唐びつを投げ込んだとか、元旦の朝に馬の蹄の音が聞こえるなどの言い伝えがあるとの事です。最近、地元の有志で説明板が設置されていました。これによると、戦前までは小さな神社があり、江戸期以前には寺があったようで、城跡はこれの改変があるかもしれません。古城山城は、正安2年(1300)築城の岩蔵城、もしくは応永8年(1401)築城の弥勒寺城のいづれかに該当するものと考えられる。どちらであっても六角氏が築き、家臣の馬淵氏が守備したと伝えられ、六角氏の端城であった。

山桜

シハイスミレ?

ジョウジョウバカマですネ。

二ノ滝(落差50cm)

一ノ滝(落差80cm)

希望ヶ丘の【上高地】、砂防ダムに!

シダの新芽だ!7本?丈比べ!

田虫葉の花も今年はもう最後です(モクレン課)

しんがりの中江さん

ガイド・機関車役の山脇さん

ゴールのアンケート提出!

駐車場から城山の遠望

わずか280m(標高差170m)の低山ながら、花崗岩の砂道と急斜面の登り、降りに閉口してしまった。

 

本日の歩数  19,810歩   3時間32分   13.8km 
消費カロリー  278.1kcal    脂肪消費量  39.7g 
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました

 

 


雪野山ハイキング 

2013年03月17日 | ウォーキング

 

雪野山ハイキングに参加しました!

妹背の里 集合で!

ここからハイキングスタート!

中腹の見晴らし台

結構きつい!

これも山上古墳だが、雪野山城の虎口!

雪野山古墳到着

山頂、雪野山古墳(未盗掘で発見され)、発掘調査が行われ「現地説明板」が設置されている。

『雪野山古墳発掘当時のパンフレットの偽装に怒る!』 森浩一の2003年の著書『魂の考古学 時の過ぎゆくままに』五月書房、に滋賀県雪野山古墳公開時のパンフレットに対する憤慨が書かれている。
 雪野山古墳から出た鏡の中には三角縁神獣鏡も多数あったのは事実だが、それは被葬者の足下に置かれていて、もっとも重要だと考えられる、頭部近くには三枚の鏡が置かれていたが、そのうちの一枚は同じ三角縁鏡でも、三角縁竜虎鏡であった。
それがパンフレットでは文字は三角縁竜虎鏡と表記していながら、ルビは「さんかくぶちしんじゅうきょう」となっていた。しろうとには「三角縁」とくればもう「神獣鏡」となってしまうのだから、これはあまりにもいい加減な・・・というよりも、鏡をおしなべて卑弥呼、それも神獣鏡を卑弥呼の鏡に仕立て上げたかった当時の畿内の研究者の「偽装」行為だったと言われてもしかたがないのである。

さらにこのパンフは出土状況の一覧図では、完璧に頭部にある鏡に矢印して「三角縁神獣鏡」と表記してしまっていた。
これはもう嘘つきなのだとしかいいようがなくなる。
と、言うよりも古代史ファンを「しろうと」とあなどり、最初から自分達のあやまった方法論である三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡を押しつけた、実にファン不在の「犯罪」と言えるとかわかつは思う。 
森さんはさすがにそこまではおっしゃらないがやられた方からみればあとで知っただけに、これはもう食品偽装なみの「詐欺行為」である。 
しかも新聞に対して、神獣鏡だったというコメントを彼らは流していたと言うから、なんだそれは?ってことになる。
当時、実は考古学の鏡に対する見解は過渡期にあった。

山頂より西望む…近江富士(三上山)の頭(頂部)も見える

伝 雪野山城 説

(前方後円墳の円墳部分)が主郭ヵ、北に竪堀・土橋カ、西は切岸カ・・・

 土塁

龍王寺は創建1300年。

雪野山の麓にある龍王寺(りゅうおうじ)は、奈良時代初め(710年)に天皇の勅令で、行基により「雪野寺」として開山されたとても古い天台宗のお寺で創建1300年を迎えました。医を司る薬師如来をご本尊としているため毎年中秋(十五夜の日)に喘息病をへちまに封じ込める「へちま加持祈祷」を行います。
白洲正子氏の著書「近江山河抄」に「雪野寺」として紹介されています。

龍王寺
雪野山(滋賀県蒲生郡竜王町)南山腹にある天台宗の寺院で、白鳳時代の終わり奈良時代の初め平城京遷都の年、和銅三年(710年)元明天皇(天智天皇の第4皇女)の勅令で、行基菩薩により「雪野寺」俗称「野寺」として創建されました。
雪野寺は、奈良時代から平安初期にかけて隆盛を極め、千坊千人の衆徒があったと言われています。
宝亀8年(777年)小野時兼から寄進された梵鐘は霊験あらたかなる梵鐘として数々の伝説が生まれ、そのことが平安時代、寛弘四年(1007年)一条天皇のお耳に入り、「龍寿鐘殿」(りゅうじゅしょうでん)の勅額(直筆の額)を賜りました。以来、雪野寺から「龍王寺」と改められました。

寺伝によれば、

 和銅3年(710年)元明天皇の勅願で行基により雪野寺(ゆきのでら)として創建されたという。通称を「野寺」という。雪野寺跡からは奈良時代の塑像断片が出土しており、古代からこの地に寺院が存在したことが窺われる。

寺には奈良時代作の「野寺の鐘」と呼ばれる梵鐘(重要文化財)が伝わる。この梵鐘には美女と大蛇の伝説が残されている。火災時に鐘堂から水を噴いたり、旱魃時に雨乞いをすると慈雨に恵まれるなど、霊験あらたかな梵鐘として遠近に名高くなったことから、寛弘4年(1007年)一条天皇が龍寿鐘殿(りゅうじゅしょうでん)の勅額を下賜し「雪野寺」から寺号を「龍王寺」に改めたという。

つくしが・・・!

雪野山全景 (竜王町川守側より)

     今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。


琶湖疏水と大文字観望ウォーク20120815

2012年08月16日 | ウォーキング

 

 

琶湖疏水と大文字観望ウォーク20120815

現在の琵琶湖疏水の全体図

邊朔郎像--1982(昭和57)年建立 

南禅寺水路閣に到着

 史跡
路閣京都市左京区
南禅寺福地町

南禅寺楼門

参加者514名昼食

 

吉田山・・・ここから大文字火床の観望・・・木々の葉で何も見えませんでした!

史跡
琵琶湖疏水

第一疏水
1890(明治23)年4月竣工
全長約20km
滋賀県大津市~京都府京都市山科区
第1疏水琵琶湖取水口
(滋賀県大津市浜大津・観音寺)
琵琶湖第一疏水揚水機場

史跡
大津閘門・制水門
1887(明治20)年 5月16日起工
1889(明治22)年10月30日竣工

史跡
山ノ谷橋
1904(明治37)年竣工
日本最初のコンクリート・アーチ橋
京都市山科区黒岩町

史跡
日ノ岡第11号橋
1903(明治36)年
日本最初の鉄筋コンクリート橋
(本邦最初鉄筋混凝土橋)
京都市山科区日ノ岡堤谷町

史跡
第一トンネル 全長2436m
第一隧道入口
滋賀県大津市三井寺町字筒井
第一竪坑
滋賀県大津市稲葉台字小関
第二竪坑
滋賀県大津市藤尾奥町字割石
第一隧道出口
滋賀県大津市藤尾奥町字大谷

小関越え
「小関(こぜき)越え」は、現在の大津市北国町通りから小関峠を越え、横木一丁目の旧・東海道までのおよそ4kmの道のりです。
古くから京都と北国街道を結ぶ間道として利用されてきました。
東海道の「逢坂越え」を「大関越え」と呼ぶのに対して、「小関越え」と呼ばれていました。
小関越えに沿って琵琶湖疏水の第一隧道、第一竪坑、几号水準点、第二竪坑があります。
几号水準点
琵琶湖疏水測量標石
 
安祥寺川水路橋
 
諸羽トンネル 全長520m
1970(昭和45)年竣工
 
 
 
 
本日の歩数   24,634歩     3時間56分 17.2km
消費カロリー 1,030.3kcal    脂肪消費量 147.1g  とても疲れました。
 
 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。感謝!


千草街道を往く 日時:平成24年4月28日(土)

2012年04月30日 | ウォーキング

●わがまち探訪フィールドワーク  千草街道を往く
   日時:平成24年4月28日(土)
   募集定員:70人(山歩きの経験があり体力に自信のある人)
   コース概要:甲津畑町~杉峠~根ノ平峠~三重県菰野町千草
        (全長約15km、高低差約650m )

信長は浅井討伐の準備をするため、美濃・岐阜城へ帰国するルートとして選んだのが、千種越え(現在の永源寺町甲津畑から杉峠を越えて、三重県菰野町にでるルート)であったが、

  元亀元年(1570)越前の朝倉攻めを敢行した織田信長は、4月25日敦賀の手筒山城を落とし、翌26日には金ケ崎城、,疋田城をも落とし、まさに木ノ芽峠を越えて越前に攻め入らんとした時、近江江北・小谷城を本城とする娘婿の浅井長政の離反にあい、若狭から朽木街道を経て京に逃げ戻る。この時信長に従う者は僅か10名ほどだったと云われている。


 信長は浅井討伐の準備をするため、美濃・岐阜城へ帰国するルートとして選んだのが、千種越え(現在の永源寺町甲津畑から杉峠を越えて、三重県菰野町にでるルート)であったが、馬つなぎ松その時に信長が甲津畑で馬を繋いだと云たれる松が甲津畑の速水氏宅にある。

『杉谷善住坊のかくれ岩』の標示があったので谷に下りてみると説明板があった。

遠藤周作氏の『男の一生』では、千草越えで織田信長を狙撃した甲賀の杉谷善住坊を、金ケ崎の戦いの際に遠藤喜右衛門が雇った傭兵であったとする。

 

赤神山

2012年01月31日 | ウォーキング

 琵琶湖の東に太郎坊なる岩ゴツゴツの霊山。三上山は有名だが赤神山(太郎坊)。標高は350メートル、この見栄えのよさは只者じゃない。

この山は太郎坊宮(阿賀神社)のご神体で、赤神山とも呼ばれる。太郎坊とは鞍馬の次郎坊天狗の兄らしいが、むき出しの大岩と急傾斜のそそり立ちっぷりが周囲を圧する存在感を放っている。神体山信仰の発祥の地とされるのもうなずける。

赤神山

参集殿に車を止めて

みつくり山 ハキングコース入口、山道に入る

 登山道は正面岩山の東側を迂回し、北(箕作山)からの縦走路と合流して背後から登頂するかたちになる。正面から見たら三角形に切り立った独立峰のようだが、じつは背後に赤神山、北の箕作山と尾根続きになっている。神体山のため登山道の脇にはロープが張られ、「止め山」と書かれた紙があちこちに下げられている。「止め山は松茸の盗採」の禁止の為。


 雪で靴が滑る、濡れになるのもかまわずガンガン歩くと、さしたる岩場もなくわずか15分ほどで山頂に出た。

 ここで気づくのだが、正面から山頂のように見えていたピークは実は山頂ではなく、到達した真の山頂はその背後に隠れていた赤神山。正面ピークへは道がない。

 

山頂からは360度の空中写真のごときの展望だ。山のせり上がり角度が急なため、すばらしい高度感。まさに天狗にでもなったような気分。

今日もマイ・ポールのお蔭で、雪道のハイキングコースも楽々・・・!

登山道の入り口(表示はない)、1m位高さがあり、滑る。瓦屋寺へ車道を曲った所に駐車スペースが!

参集殿から瓦屋寺への車道の分岐点

右の高い峰に布施山城跡が!探訪 布施山城址

キイチゴ

ロウバイ

参集殿から車道を自宅へ

 


秀次の城と城下町 近江商人のふるさと

2011年12月18日 | ウォーキング

 

探訪「八幡 秀次の城と城下町」 2 20111217

「うだつ」と「見越しの松」

・うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来はと書き、室町以降は卯建宇立などの字が当てられた。

 ・見越しの松の用語解説 - 塀ぎわにあって外から見えるようにした松の木。

旧 伴邸


探訪 横山歴史ウォーク【古代ロマンを訪ねて・・・】  2011.10.08

2011年10月09日 | ウォーキング

横山はらっぱ倶楽部の皆様、秋の楽しい【ふるさと歴史ウォーク】ありがとう御座いました。

長浜市のはらっぱ倶楽部より封書が!「古代ロマンを訪ねて」ふるさと歴史ウォークにさんかしませんか?・・・・スケジュール確認・即、電話で申込み。

横山歴史ウォーク「古代ロマンを訪ねて・・・」1  20111008

横山歴史ウォーク「古代ロマンを訪ねて・・・」 2 20111008

受付・・・・参加費300円、分厚いレジュメ資料を頂き!

はらっぱ倶楽部の「横山地域の魅力再発見」の看板・・・!

会長さんの訓示で、「古代ロマンを訪ねて」ふるさと歴史ウォークの始まり・・・。

入念なストレッチで、いざ横山に向かって・・・

入山入り口に天満神社に、怪我無きようにお願いして・・・、林道を10mでいきなり、旧道?沢登り様な登山道!傾斜度きつく、写真もブレテます。

 

登山道に、根っこのオブジェが出迎え!

会長さん似の木の根っこ発見!

松茸?発見キノコのも沢山・・・!

クラゲ茸?ハナビラニカワタケ!ハナビラニカワタケ

天狗のうちわ!

冥加をお土産にGET!

今まで、歩いて来た登山道【牛買道】!

鉄塔の間の低い所を、登山道【牛買道】!を峠越え、米原市側から”パシャ”

息長稜です

宮内丁の御法度!だ?

通行禁止!

峠から、横山縦走路を茶臼山古墳へ

初めてのビューポイント!長浜市方面

古墳群の始まり・・・

左虎御前山、右が小谷城・・・

龍ヶ崎古墳の【姉川合戦で、織田信長の砦】が!

赤真弓の実

イワシャジン?高野ほうきの花、綺麗!コナラ林・・・の木漏れ日を

横山茶臼山古墳

日陰にi移動して、横山はらっぱ倶楽部から吹かし芋を!

ご馳走に!

その後、倶楽部以外の参加者から、自己紹介や参加の感想を・・・・!

下山、(茶臼山古墳登り口)し、

北郷里から、左端が茶臼山古墳、雲の下が【名峰伊吹山】。その間の高い所に【姉川合戦で、織田信長の砦】が!

解散後、

徳川家康の大活躍戦勝した砦、岡山へ

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました


千種街道を往く・・・ 2011.4.29

2011年04月30日 | ウォーキング

千草街道を往く 2011.4.29 前半

平成23年4月29日(金)「わがまち探訪FieldWork 
   2011年千草街道を往く」が実施されました
参加者:110名 (消防署の方とスタッフ含む)

受付後出発式が行われ西澤東近江市長、田中まちづくり協議会会長の挨拶その他注意事項のあと、
今年はストレッチ体操も行われました。その後バス2台に分乗し産業振興会館を7時25分に出発

参加者110名が8班(4隊)に分かれ予定より少し遅れて7時50分に岩谷林道入り口を出発
名所、旧跡で5分程度の休憩を取りながら、この日の最高地点杉峠(1042m)を目指しました

杉峠付近は沢山の雪が残っており、気温も低く、記念撮影もそこそこに次の休憩地御池鉱山旧跡に向かいました。

御池鉱山旧跡では昼食の後、同行していただいた消防署の方に応急処置講習をしていただきました

昼食後12時過ぎには御池鉱山旧跡を出発、増水していた神崎川源流、コクイ谷出会い、上水晶谷では
甲津畑町の有志の方が整備してくださった木の橋のおかげで、靴を濡らすことなく根の平峠に着くことができました

根の平峠で2回目の班別の記念撮影を行い、予定より早く14時前には下る一方伊勢谷渓谷から最終ゴール地点の朝明キャンプ場を目指し
15時過ぎには一人の落伍者もなく全員ゴールの朝明キャンプ場に着くことができました

最後にキャンプ場では菰野町の関係者、千草街道の整備をしてくださった甲津畑町の有志の方の紹介がありました

その後2台のバスに分乗し、3月末に開通した石槫トンネルを通って16時50分に産業振興会館に着きました

到着後は参加者全員満開の「エイゲンジサクラ」の下で、暖かい豚汁ときな粉団子をいただきました ありがとうございました

当日の行程は以下のようになりました 写真のスライドショーをお楽しみ下さい

ポイント 通過及び着・出時間
受付開始 6時40分  
出発式 7時00分  
  7時15分
ストレッチ体操 7時15分  
  7時25分
バスに乗り込み 7時25分 バスで移動
バス出発 7時30分
岩谷林道入り口着 7時50分
1隊出発 7時52分
善住坊の隠れ岩着 8時18分 隠れ岩見学
善住坊の隠れ岩出 8時21分
サクラ地蔵尊通過 8時45分
古屋敷着 8時50分 休憩
古屋敷出 9時00分
蓮如上人旧跡着 9時30分 休憩
蓮如上人旧跡出 9時38分
大シデ 9時40分 大シデ通過
シデの並木 9時57分 シデの並木通過
一反ぼうそう着 10時25分 休憩
一反ぼうそう出 10時30分
かいしんの杉 10時34分 かいしんの杉通過
杉峠着 10時45分 班別記念撮影
杉峠出 11時00分
金山神社跡 11時15分 金山神社跡通過
御池鉱山旧跡着 11時18分 昼食・応急処置講習
御池鉱山旧跡出 12時10分
神崎川源流 12時35分 神崎川源流
コクイ谷出会い着 12時52分 休憩
コクイ谷出会い出 13時07分
上水晶谷 13時20分 上水晶谷通過
根の平峠手前着 13時40分 休憩
根の平峠手前出 13時50分
根ノ平峠着 14時02分 班別記念撮影
根ノ平峠出 14時06分
伊勢谷渓谷着 14時30分 休憩
伊勢谷渓谷出 14時40分
朝明キャンプ場ゴール 15時10分 甲津畑有志・菰野町関係者紹介
朝明キャンプ場出 15時42分
石槫トンネル通過 16時23分 バスで移動
産業振興会館着 16時50分

千草街道を往く・・・1 2011.4.29

千草街道を往く・・・2 2011.4.29

      今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました


千草街道を往く 2011.4.29

2011年04月30日 | ウォーキング

平成23年4月29日(金)「わがまち探訪FieldWork 
   2011年千草街道を往く」が実施されました
参加者:110名 (消防署の方とスタッフ含む)

受付後出発式が行われ西澤東近江市長、田中まちづくり協議会会長の挨拶その他注意事項のあと、
今年はストレッチ体操も行われました。その後バス2台に分乗し産業振興会館を7時25分に出発

参加者110名が8班(4隊)に分かれ予定より少し遅れて7時50分に岩谷林道入り口を出発
名所、旧跡で5分程度の休憩を取りながら、この日の最高地点杉峠(1042m)を目指しました

杉峠付近は沢山の雪が残っており、気温も低く、記念撮影もそこそこに次の休憩地御池鉱山旧跡に向かいました。

御池鉱山旧跡では昼食の後、同行していただいた消防署の方に応急処置講習をしていただきました

昼食後12時過ぎには御池鉱山旧跡を出発、増水していた神崎川源流、コクイ谷出会い、上水晶谷では
甲津畑町の有志の方が整備してくださった木の橋のおかげで、靴を濡らすことなく根の平峠に着くことができました

根の平峠で2回目の班別の記念撮影を行い、予定より早く14時前には下る一方伊勢谷渓谷から最終ゴール地点の朝明キャンプ場を目指し
15時過ぎには一人の落伍者もなく全員ゴールの朝明キャンプ場に着くことができました

最後にキャンプ場では菰野町の関係者、千草街道の整備をしてくださった甲津畑町の有志の方の紹介がありました

その後2台のバスに分乗し、3月末に開通した石槫トンネルを通って16時50分に産業振興会館に着きました

到着後は参加者全員満開の「エイゲンジサクラ」の下で、暖かい豚汁ときな粉団子をいただきました ありがとうございました

当日の行程は以下のようになりました 写真のスライドショーをお楽しみ下さい

ポイント 通過及び着・出時間
受付開始 6時40分  
出発式 7時00分  
  7時15分
ストレッチ体操 7時15分  
  7時25分
バスに乗り込み 7時25分 バスで移動
バス出発 7時30分
岩谷林道入り口着 7時50分
1隊出発 7時52分
善住坊の隠れ岩着 8時18分 隠れ岩見学
善住坊の隠れ岩出 8時21分
サクラ地蔵尊通過 8時45分
古屋敷着 8時50分 休憩
古屋敷出 9時00分
蓮如上人旧跡着 9時30分 休憩
蓮如上人旧跡出 9時38分
大シデ 9時40分 大シデ通過
シデの並木 9時57分 シデの並木通過
一反ぼうそう着 10時25分 休憩
一反ぼうそう出 10時30分
かいしんの杉 10時34分 かいしんの杉通過
杉峠着 10時45分 班別記念撮影
杉峠出 11時00分
金山神社跡 11時15分 金山神社跡通過
御池鉱山旧跡着 11時18分 昼食・応急処置講習
御池鉱山旧跡出 12時10分
神崎川源流 12時35分 神崎川源流
コクイ谷出会い着 12時52分 休憩
コクイ谷出会い出 13時07分
上水晶谷 13時20分 上水晶谷通過
根の平峠手前着 13時40分 休憩
根の平峠手前出 13時50分
根ノ平峠着 14時02分 班別記念撮影
根ノ平峠出 14時06分
伊勢谷渓谷着 14時30分 休憩
伊勢谷渓谷出 14時40分
朝明キャンプ場ゴール 15時10分 甲津畑有志・菰野町関係者紹介
朝明キャンプ場出 15時42分
石槫トンネル通過 16時23分 バスで移動
産業振興会館着 16時50分

千草街道を往く・・・1 2011.4.29

千草街道を往く・・・2 2011.4.29

 

     

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。


【救命講習会Ⅰ】&リスクマネージメント勉強会 

2011年01月30日 | ウォーキング

2011年第一回リーダーインストラクター研修会の案内

【救命講習会Ⅰ】&ノルディックウォーキングリスクマネージメント勉強会 

日時;2011年1月29日土曜日 9時から12時半

場所 9時から12時は守山北消防署  先着15名のみの研修会

ノルディックウォーキングリスクマネージメント勉強会

【救命講習Ⅰ】にかんしまして消防からの講習修了書が出ます。

当日

2011年第一回クラブサンタクロースリーダー研修会

【救命講習会&ノルディクウォーキングリスクマネージメント講習会】

2011年1月29日(土曜日)9時から13時まで

 

第一部は

湖南消防北消防署の救命救急士さんから、応急手当・救急車がくるまでについて

救命処置を中心に、座学と実習を受けました。

とくに心肺蘇生法とAEDの使用については全員が緊迫感を持って真剣に実習し、

緊急事態向けての『備えよ!常に』、備えあれば憂いなし!。

アメリカの各州には【よきソマリア人法】という法律があり、

緊急時に市民が進んで勇気を持って善意から行った行為については、法的な責任を問われないとされている。

 

第二部では、CSC代表から、

【ノルディックウォーキングにおけるリスク管理】と題して、

ヒヤリハット報告書、事故報告書についての説明

ノルディックウォーキングインストラクター企画書、

研修することで、安全安心に、さらに多くの方々と、

効果的フィットネススポーツであるノルディックウォーキングで、

滋賀のこのロケーションを満喫したい、BIなのです!

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました