石田三成は住みづらかった? 滋賀・佐和山城、湧水多く排水溝・・・・京都新聞
建物跡から出土した溝(手前)。幅が1・2メートル以上あり、石積みが一部に施されている(彦根市佐和山町)
石田三成(1560~1600年)の居城・佐和山城跡(滋賀県彦根市佐和山町)を発掘調査していた彦根市教育委員会は28日、排水機能を持った溝を確認したと発表した。一帯は武家屋敷や内堀があったと伝わる場所で、市教委は「湧き水が多く居住に適さない場所に屋敷地として大規模に造成したようだ。交通の要衝にあった佐和山城の重要性があらためて分かる貴重なもの」としている。
溝は建物跡の区画を仕切っており2本出土した。1本は南北に長さ18メートル、幅0・6~0・8メートルあった。別の1本は東西に長さ約15メートル、幅は1・2メートル以上あった。発掘範囲が狭く建物跡が武家屋敷であったかどうかは判断できないという。
城の内堀や土塁も出土した。内堀は幅約24メートル、深さ1・7メートル以上あり、本丸側にある台形状の土塁は、下幅11・2メートル、上幅6・4メートル、高さは4・5~2・3メートルあった。土塁側面に石垣はなかった。
いずれも出土した陶磁器片から三成が城主だった16世紀後半の遺構であるという。
調査は、江戸時代後期の絵図に描かれている本丸の表玄関にあたる大手口周辺の3カ所計200平方メートル以上で実施した。本丸跡から東に730~780メートル離れた地点になる。
県教委は2009年、今回の調査場所の北側で武家屋敷の堀跡や豊臣秀吉が好んだ紋様の紐(ひも)金具を確認している。
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