小谷城総図 長浜城歴史博物館蔵
浅井三代の暮らし跡を初確認 長浜・小谷城
長浜市は18日、国史跡「小谷城跡」(同市)のうち、戦国大名の浅井三代が暮らしたとされる「御屋敷跡」で、初めて遺構が見つかったと発表した。御屋敷跡の存在自体は絵図などから推定されていたものの、実際に人が暮らした痕跡は確認されていなかった。
発掘調査で見つかったのは、生活の跡を示す石組みの溝と、敵の侵入を防ぐ土塁。
溝は長さ二・五メートル、幅二十八センチ、深さ三十センチで、自然石を二段に重ねて並べてある。形状などから、生活排水を流すための水路と推定できるという。
土塁はもともと、地表にわずかな盛り上がりがあり、存在は推定されていた。今回の発掘調査で埋まっていた部分が新たに分かり、高さ二・五メートルの土塁と特定した。
周辺からは銅銭や皿、水がめの破片など約百二十点が出土。十六世紀後半の戦国時代の遺物とみられ、当時、人が住んでいたことを裏付けると。
御屋敷跡は、江戸時代後期に描かれた「小谷城跡絵図」など複数の絵図で以前から位置などが推定される一方、発掘調査は手つかずだった。市は将来の史跡公園化に向けて基礎史料を得るため、二〇一六年七月から調査を続けている。
市歴史遺産課主幹の牛谷好伸さんは「今回の結果は絵図を裏付ける内容。今後は、見つかった溝の用途を特定し、周辺に建築物があったことを示す礎石がないか調べる」と話す。
二十一日に一般向けの現地説明会があった。参加希望者は、午前十時半に小谷城戦国歴史資料館前に集合。予約不要で無料。雨天時は、同市湖北町の雲雀山交流会館で開く。
(問)同課=0749(65)6510(渡辺大地)
<小谷城> 浅井亮政(すけまさ)、久政、長政の3代が居城とした山城で、小谷山(495メートル)に築かれた。浅井三姉妹の出生地。織田信長によって1573年に落城したが、攻略に3年を要したほど堅固な城として知られる。
城跡面積は147万平方メートル。本丸などの「城郭跡」(93万平方メートル)と家臣団屋敷などの「清水谷」(54万平方メートル)で構成される。「御屋敷跡」は清水谷のごく一部。(中日新聞社)
その他の写真 https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1042100902619151
[PDF]35. 小谷城清水谷 発掘調査概報
参考資料:発掘調査報告書・中日新聞社・長浜市HP・長浜市歴史博物館
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