市宮神社の額田王
額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌
君待つと我(あ)が恋ひ居れば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く(万4-488、8-1606)
【通釈】あの方が早くおいでにならないかと、恋しくお待ちしていると、我が家の簾がそよそよと動き――あの方かと思ったけれど、お姿はなく、秋風が吹くばかり。
「天皇、蒲生野に遊猟する
額田王
あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
「皇太子の答ふる御歌」
紫の にほへる妹を 憎くあらば
人妻ゆゑに 我恋ひめやも
(万葉集巻一)
天智天皇7年(668)旧暦5月5日、遊猟のため、
天皇とともに蒲生野に訪れた額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのみこ)との間で交わされたこの相聞歌は、
万葉集を代表する歌としてあまりにも有名です。
舞台となった「蒲生野」は旧蒲生郡内にあった野で、
古代には皇室の薬猟場として、華やかな宴が催されました。
この歌が広大な蒲生野の何処で詠まれたか、
もはや知る由もありませんが、
この歌をもとに整備された「万葉の森 船岡山」に足を運びました。
山というよりも小高い丘と呼ぶにふさわしい船岡山は、
万葉集愛好家にとって憧憬の地です。
麓に鎮座する阿賀神社の前を過ぎて山道を登ると、数分で山頂にたどり着きました。
山頂には、相聞歌の歌碑が安置されています。
歌碑に刻まれた文字は『元暦校本万葉集』(国宝)に基づいています。
昭和43年に蒲生野顕彰会によって建立されたこの歌碑は、
その後、全国各地に誕生する万葉歌碑の先駆け的な存在として知られています
【船岡山の万葉歌碑】
碑の前で歌を詠んだ後、阿賀神社からの登り道とは反対側に山を下ります。
麓には万葉植物園がありました。
「蒲生野遊猟」と題された陶板のレリーフの周囲に、
万葉集ゆかりの花100種あまりが植えられています。
【「蒲生野遊猟」のレリーフ】
早速、相聞歌で詠まれた紫草(むらさき)を探します。
【紫草です】
見つけました。
私が訪れた6月上旬はまさに満開の時で、
鮮やかな白に彩られた五弁花を広げていました。
使い古された言葉ですが、この花に対しては「可憐」という表現がぴったりです。
紫草は草丈が60センチ程になる多年草です。
赤紫色をしている根は、
往古より布を紫に染める「紫根(しこん)染め」に用いられました。
高貴な色である紫の原料となる重要な染料植物でしたが、
合成染料の登場によって近代以降は急速に減少します。
さらに、発芽率が低いうえ、ウイルスに弱いため栽培も容易でありません。
そのため、現在は絶滅危惧種に指定されています。
竜王町の「妹背の里」にも足を運びました。
蒲生野にそびえる雪野山の麓に位置する多目的広場です。
額田王と大海人皇子の像とともに、ここにも相聞歌の歌碑があります。
近くを流れる日野川に架かる雪野山大橋にも歌碑と2人の像が置かれています。
【妹背の里の歌碑】
【雪野山大橋の歌碑】
【雪野山大橋の額田王像】
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました