兵営跡地の多くは、大津商業高校・市役所となっている。
大津商業高校グランド
全体写真と正門付近、将校集会所付近の写真3枚。
写真1 第九連隊兵舎全景
画面左下には(練兵場の向かって左側)、藁葺きの小屋や莚を干している風景が写されています。
また兵舎は、現在の大津商業高校あたりですが、向かって右側、寄棟の屋根に2階建ての兵舎2棟が並んでいるのは、現在の大津市役所本館・新館・別館が建っているところです。
写真2 第九連隊正門付近
現在の大津商業高校正門と同じ場所。門の手前両側には、門衛の詰め所となっていた小さな建物。
九連隊の敷地全体が少し高くなっており、手前の練兵場との間に細い道がある。
写真3 将校集会所付近
写真左上、九連隊兵舎群の向こうの山すそに、将校集会所。この集会所は戦後、アメリカ軍が接収し、引き続き使用していたのですが、昭和26年、漏電によって全焼し、その後、洋風の建物が建設されます。
この新しい建物は、ながらく大津市民文化会館として活用されていた。
なお、全焼前の将校集会所は、彦根城内の建物を移築したものとも。
また、その集会所の右上には、土手に囲まれた蔵のような建物が写っていますが、これは九連隊の弾薬庫とのこと。
【若鷲の碑】案内板・・・歴史博物館方面へ
碑の近くにある石柱。詳細不明だが営内にあった物か?
こちらも詳細不明の燈篭の一部と思われる物。将校集会所の庭園の物か?
階段を上がるとある「陸軍地」の境界石。陸軍墓地にある物と同じである。(ただし、どこにあった境界石かは不明)
兵営前駅はホームのみが残っている。
陸軍墓地の南には火薬庫の記載が有る。何の情報も無いので何も残ってないだろうが、せっかく来たので訪ねてみる。
火薬庫に向かう道には狸の石像と、その後ろには道標があった。形状的に違うだろうが、念のために見てみると・・・
何と、陸軍の文字が!!!これは珍しい境界石で、こんな指さしの形状の物は初めて見た。
さらに坂を登る途中にも、境界石と思われる石柱の有ったが、埋まっていて詳細不明。
火薬庫付近は、境界を調べるために墓地に入ると、移設された物であろう「陸軍省所轄地」の石柱が2本あった。
写真、向かって右の石柱
こちらは左の石柱。
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!