城郭探訪

yamaziro

徳山城 美濃国(揖斐川町)

2017年10月30日 | 山城

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外

お城のデータ

所在地:揖斐郡揖斐川町(藤橋)徳山本郷(旧徳山村) map:https://yahoo.jp/pFnapD

現 状:山林

区 分:山城  

築城期:南北期

築城者:徳山氏

遺 構:大堀切・竪堀・曲輪・城跡石碑・現地説明板

標 高:475m 比高差:60m(駐車場からダム湖へ遊歩道下りる)

目標地:本郷望郷広場(標高:423m)

駐車場:本郷望郷広場の駐車、遊歩道を10分 map:https://yahoo.jp/H4BIJQ

訪城日:2017.10.28画像に含まれている可能性があるもの:木、草、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:空、木、植物、山、屋外、自然、水徳山城遠望(遊歩道より)画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、空、屋外、自然

お城の概要

 かつて、本郷の秋葉神社(城山)には、「城が存在した、集落から比高30mに足りない。下流の美濃側から外敵の侵入に備えた監視砦」狼煙アキバの神を奉斎するものか?

低い土地にある城やは物見や見張りの役割をなし集落住民が常に当番で集落防衛を担った。旧徳山村本郷を囲む揖斐川は集落の三方を囲む前掘(外堀)の役をになったか?

 旧徳山村の徳山城は築城期は南北期に徳山金吾貞信が『徳山家系図』に「濃州徳山之城主」とあり、15段の段曲輪からなってようです。

本郷望郷広場の駐車、遊歩道を10分ほど進むと、二ノ郭には樹齢600年の一本杉(しろびや杉)がある、

一本杉の背後の尾根に階段がある、登ると四ノ曲輪に白山神社?城跡碑が建つ、七ノ曲輪が虎口を伴った主郭。その背後は一段高く、虎口伴う主郭・主郭の北側は矢倉台。

織豊期に、改築されたか、主郭背後すぐ大堀切・竪堀があり、見応えある。

 大堀切の北側の尾根上部に、織豊期の特徴である、(大堀切・竪堀・)土塁を伴った曲輪があるようですが、

この日は、台風の雨で危険なため見学は、講師判断で中止となった。

お城の歴史

徳山氏は清和源氏土岐氏、あるいは東漢姓(やまとのあやうじ)坂上氏(坂上田村麻呂)の庶流で、美濃国大野群徳山の土豪であった。

はじめ斉藤氏に属したと思われ、後に織田信長に臣従し、柴田勝家の与力となる。一向一揆など北陸地方の平定に尽力し、加賀国松任城4万石の主となる。信長死後も勝家に従い、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いでは佐久間盛政隊の先鋒として奮戦した。戦後、羽柴秀吉に赦され、丹羽長秀に仕えた。その後、主君・丹羽長重が減封された時に召し放たれて前田利家に仕え、天正13年(1585)に末森城の戦いに従軍して佐々成政と戦った。早くから徳川家康に通じ、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い直前に前田家を出奔し、家康に仕えて5,000石を領した。 

徳山則秀は(とくやま のりひで、天文13年(1544)~慶長11年11月22日(1606/12/21)は、通称は孫三郎、五兵衛。父は少左衛門(貞孝)。子孫は旗本として明治期まで続いた。『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より』

 画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、空、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:座ってる(複数の人)、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

信長公記には、

巻八 天正三年 7、血河行  越前御進発、賀越両国仰付けらるるの事

 ・・・金森長近と原彦次郎長頼は美濃口から根尾・徳山を越えて大野郡へ侵入し、付近に散在する一揆方の小城を落として敵勢数多を斬り捨て・・・

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:屋外水没前の徳山村画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外画像に含まれている可能性があるもの:テキスト、屋外

写真の説明はありません。徳山城跡見学会資料より『作図:長谷川博美氏』写真の説明はありません。写真の説明はありません。

画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外

 

・帰りに、主郭址にスズメ蜂の巣があました。長谷川博美氏に向こう木の根元に!

 


大堀切 見応えあります!画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然・雨天と急傾斜の危険性から、大堀切に降りないで下さいと注意したのに無視された方がいましたね。

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:8人、余田 幸美さんを含む、、スマイル、立ってる(複数の人)、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:4人、屋外

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/931259147036661

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/931262243703018

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/93120651370859

参考資料:徳山城見学会の資料、城郭研究家・探訪家の諸先生のwebサイト、徳山会館の展示品、『ウィキペディア(Wikipedia)』、『信長公記』

本日の訪問ありがとうございす!!


涌出館・朽木池の沢庭園 近江国(高島市朽木村井)

2017年10月26日 | 居館

写真の説明はありません。

お城のデータ

所在地:高島市朽木村井源田谷 map:https://yahoo.jp/Ch84WP

現 状:圃場

区 分:居館

築城期:室町期(平安期~鎌倉期)?

築城者:朽木氏

遺 構:池の沢遺跡(庭園・池)・現地説明板

標 高:265m 比高差:0m

訪城日:2017.4.16

お城の概要

比良山地と丹波高知に挟まれた朽木谷を北越し、琵琶湖に流る安曇川によって形成された河川段丘上に位置します。

 平成16年年の圃場整備の発掘調査で、林からの平安期から~かま鎌倉期の土器片などが発見されました。特に平安期~鎌倉期の土器が発見さされたことは、南側も「朽木池の沢庭園」と同時期であることが判明した。

 地元では、この涌出館遺構に関する次の伝承が残っています。

お城の歴史

 その昔、朽木氏には、一人の姫君が誕生されました。その姫君は、日毎に美しく成長されたが、年頃になられて病いの身となられ、病気は日増しにつのり、人目もはばかられないようになられました。

 そこで朽木氏は、つながりある村井の里人に頼み、ここに、その姫君の屋敷をつくられました。その姫君は「涌出姫」という名前で、その後、その姫君はどうなったはわかりせんが、村井には、「涌出」という地名が存在しここに、その姫君の屋敷である「涌出舘」があっと、されています。

 この涌出という地名が、姫君の名から由来しているものか、あるいは、この地名から涌井姫というのかわかりませんが、涌出姫の伝説は、今も語り伝えています。「朽木の昔話と伝説」(現地説明板より)

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外、自然

画像に含まれている可能性があるもの:草、屋外、自然

朽木池の沢庭園

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然『朽木池の沢遺跡』・・・湧出館の庭園か?

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/928798650616044

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、遺跡ウォーカー、現地説明板

本日の訪問ありがとうございす!!


仰木陣所(高月城) 近江国(大津)

2017年10月24日 | 丘陵城

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

お城のデータ

別 称:高月城

所在地:大津市仰木7丁目7427 map:https://yahoo.jp/BFdkIg

現 状:山林

区 分:丘陵城

築城期:室町期

築城者:浅井・朝倉軍?

遺 構:平削地・土塁・櫓台・

目標地:衣川天満宮・湖西バイパス線の西

駐車場:林道に路上駐車

訪城日2017.5.18

お城の概要

春日山の衣川天満宮の西の丘陵に、遺構が残る

詳細不明であるが、築城期は室町期のようだが(遺跡ウォーカー)

今は林道があり、車の横付けできるが、志賀の乱の浅井・朝倉軍の陣城であろう?

お城の歴史

『來迎寺要書』一  真雄和尚

元亀元年坂本合戦時、当寺什物悉ク手・・・・

 一、九月十八日、浅井備前守長政、朝倉左衛門義景、其勢二万八千余騎ニテ、江州志賀郡江打出、小塚山ヲ為本陣、苗鹿、雄琴、乳野、仰木飯室、絹川(衣川)、堅田辺迄取陣也、此時宇佐山之取出森三左衛門可成五百余騎ニテ志賀表ニ人数ヲ伏置、・・・・云々。

志賀の陣の浅井・朝倉軍の陣城であろう?写真の説明はありません。写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然、水画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然写真の説明はありません。

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/927668324062410

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査・遺跡ウォーカー、『來迎寺要書』一真雄和尚

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仰木城(伊庭氏砦)近江国(大津市)

2017年10月24日 | 

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

お城のデータ

所座地:大津市仰木5丁目 map:https://yahoo.jp/942wdW

現 状:寺院坊

区 分:砦

築城期:室町期?

築城者:伊庭氏

城 主:高山五郎兵衛尉・伊庭兵部丞(伊庭信氏)・伊庭丹後守(伊庭高資)

遺 構:平削地・宝塔

目標地:光照寺

駐車場:光照寺駐車場

訪城日:2017.5.18画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然


お城の概要

伊庭氏、後に六角氏家臣・高山五郎兵衛尉の居城。
築城時期は不明だが、城主に「伊庭兵部丞(伊庭信氏)」「伊庭丹後守(伊庭高資)」らの名が確認できる。

正確な位置は不明だが、旧仰木村東部の字「伊庭町」(現在の仰木5丁目付近)にあったとされる。

お城の歴史

1548年、高山五郎兵衛尉と種村大蔵大夫(種村道成)の家臣の間で諍いがあり、観音寺城下で死者41名を出す喧嘩が発生。
一戦に及ぼうとした両者は居城を移され、高山は志賀郡内の伊庭氏の砦の守備を任された。
元亀年間、明智光秀に攻められて落城。写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、空、花、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、テーブル、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:靴、木、空、植物、屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、空、花、草、テーブル、屋外、自然

 https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/927520870743822

 参考資料:滋賀県の城・滋賀県中世城郭分布調査

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田上山城(砦) 近江国(木之本)

2017年10月19日 | 山城

 自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:屋外

お城のデータ

所在地:長浜市(旧伊香郡)木之本町大字黒田   map:http://yahoo.jp/ITJx2G                                                                                

別  名:木之本城

区   分:山城(砦)

築城期:織豊期

築城者:朝倉氏

改築期:天正11年(1583)

改築者:羽柴氏(羽柴秀長)

遺  構:虎口・竪堀・馬出城

 城 域:380m×130m

標 高:323m  比高差200m

目標地:田上山

駐車場:田神観音寺・意冨布良神社参拝者用駐車場

訪城日:2017.10.15(雨)

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

お城の概要

築城年代は定かではない。元亀4年(1573年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣していたという。 

お城の歴史

信長公記―――――巻六 元亀四年 13、刀根山合戦  刀根山の戦並に一乗谷攻破るの

 この戦で落城した朝倉方の城塞は、大嶽・焼尾・月ヶ瀬・丁野山・田部山をはじめ、義景本陣の田上山や疋田・敦賀・賎ヶ岳の各城など数多にのぼった。また若狭で織田勢に味方していた粟屋越中の城に対して築かれた十ヶ所の付城にいた兵たちも退散した。

天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たした。

田上山砦は、田上山(標高323m)の山頂付近に築かれ、比高200mほどの山頂からは北国街道を眼下に押さえ、秀吉軍の諸将が布陣する中でも最も南方に位置し、後方に布陣する秀吉の本陣・木之本地蔵(浄信寺)をも守備する役目も担っている。

 


 北国街道木之本宿から30分ほど山道を登ると山頂の主曲輪に着く。

 砦は主曲輪を中心として、Y字型の尾根に曲輪が配置されている。登ってきた南側斜面には防御施設はないが、柴田軍と対峙している東側尾根の曲輪と本丸跡の間には竪堀を穿ち、曲輪の東には虎口を備え、虎口前面には角馬出が設けられている。
また、西側尾根の曲輪の先には、土塁による虎口と竪堀の見られる。

 現在でも木々の間から、賤ヶ岳、堂木山、明神山、行市山などが一望でき、賤ヶ岳の戦いの特徴として、山岳戦でありながらほとんどの砦から敵味方の状況が把握できる。

 

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然ここから田上山城(砦)画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、草、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:立ってる(複数の人)、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然自動代替テキストはありません。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、信長公記、現地説明板

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官山寺城 近江国(余呉)

2017年10月19日 | 山城

写真の説明はありません。官山寺城の位置画像に含まれている可能性があるもの:空、山、雲、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、歩いてる(複数の人)、立ってる(複数の人)、屋外

お城のデータ

所在地:長浜市余呉町坂口  map:https://yahoo.jp/cRxsiQT

区 分:山城

現 状:山林(尾根ハイキングコース)

築城期:室町期

築城者:京極氏(高詮の時?)

遺 構:竪堀・堀切・土橋・陣営・低土塁

標 高:410m  比高差200m(ウッディパルより) 比高差280m(国道8号線より)

目標地:ウッディパル(赤子山スキー場)

駐車場:山上駐車場

訪城日:2017.10.15(雨)

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、屋外、自然

お城の概要

官山寺山上駐車場から、南に進むハイキングコースと官山寺参道に『官山寺周辺案内図』の大看板ある。

官山寺城の案内図は無い。

が、参道に沿って大竪堀がある。山岳寺院官山寺の寺院坊を守備する見張り砦や、戦乱時の寺院勢力は不可欠であった。古文書を元現地踏査の結果長谷川博美氏は官山寺城の発見された。大堀切・堀切・土橋・竪堀・陣営跡(平削地)など城郭遺構が残る。 

尾根筋はハイキングコースとなり、城郭遺構に興味がない人には単なる自然林のハイキングコースであろう。

遺構は全長100m、標高410mで近江天満宮が330mがら比高差80m

お城の歴史

・京極導誉を余呉荘の文献 近江国余呉荘(旧伊香郡余呉町)文和元年(1352)将軍足利義詮は、余呉荘が要害の地の為に、袖判下文で佐々木導誉に地頭職に補任した『佐々木文書』

・余呉荘内丹生・菅並を山城地蔵院に安堵 応永二十四年(1417)室町幕府は、余呉荘内丹生・菅並を山城地蔵院に安堵する。京極氏と領家の対立が推定される。高詮の孫京極持高(吉童子丸)の時代に、山城地蔵院が衰退し、京極氏被官が地蔵院領を横領じた。画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然、水画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、草、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然、水画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然



画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然

官山寺超え遺構の竪堀・・・(作図・城郭研究家 長谷川博美氏)

南の大堀切・竪堀(官山寺への山上駐車場からの参道脇)

官山寺超え遺構図・・作図:長谷川博美氏

山寺城出曲廓で踏査図(作図:長谷川博美氏)

第一の堀切画像に含まれている可能性があるもの:植物、草、木、靴、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

第二の堀

第三堀切画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、植物、屋外、自然

 

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然


画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然此処から田上山城画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/922940374535205

 https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/924547241041185

参考資料:官山寺フォレスト資料

本日の訪問ありがとうございす!!


篭城(道場)山城 近江国(多賀)

2017年10月10日 | 居城

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、植物、屋外、自然

お城のデータ

所在地:犬上郡多賀町敏満寺 map:https://yahoo.jp/ON7Sms

現 状:山林(山腹)

区 分:居城

遺 構:空堀・土橋・曲輪・

築城期:

築城者:

城 主:今井氏?

標 高:150m  比高差:30m

目標地:金屋橋バス停

駐車場:犬上川左岸路上駐車

訪城日:2017.9.7

お城の概要

敏満寺の南の青龍山から、南に延びる丸山の山頂部遺構が南籠城山城で、

周囲を土塁で囲い、主郭部と南東部に平削地(副曲廓)からなっている。薄くなった横矢折れ・虎口・カザシも十分確認された、東側の副郭から眺望が利く。

一隅に櫓台が残り、南東の平削地の先端部に巨岩が残り物見岩のたぐいか?

南籠城山城の北西下1kmに、籠城は空堀で囲われた遺構が

お城の歴史

『甲良町史』には、どんじょ山の城砦跡の存在を誌し、「山名の由来は古来篭城山の訛ったものといわれて来たが、あるいは佐目道場久遠寺の前線基地としての道場山の訛ったものとも考えられる。」としている。

『嶋記録』には、

敏満寺城(多賀町) 今井左衛門尉没落の事

秀俊妻女ハ番場土肥か息女なりしか、秀俊か息8歳尺夜叉をかゝへ、・・・・敏満寺に十余年の春秋を送り程見に」 今井一門連書乃写シ 「今井敏満寺ニ有し比」と記す。

六角方への内通を疑った浅井亮政により、天文2年(1533)長浜の神照寺にて誘殺された。

秀俊の遺児・尺夜叉丸と一門・家来は、六角氏の支援を得て敏満寺に10余年の間牢籠しており、その際の東方を守備する砦ではないかと推測するとのことであるが、詳細は不明である。

〇下之郷城 今井一門連書乃写シ 「覚へ、今井敏満寺ニ有し比、・・・」

今井氏の敏満寺城か?

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

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写真集:ttps://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/919642364865006

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査5(旧愛知郡・犬上郡の城)・見学会資料、『嶋記録』

本日の訪問ありがとうございます!!


籠城山城 近江国(多賀)

2017年10月10日 | 山城

写真の説明はありません。

お城のデータ

所在地:犬上郡多賀町敏満寺 map:https://yahoo.jp/G-ao1N

現 状:山頂

区 分:山城

遺 構:虎口・土塁・櫓台・曲輪・

築城期:織豊期か?

築城者:宗門衆か?

改築者:今井氏か?

標 高:224m  比高差:100m

目標地:金屋橋バス停

駐車場:金屋橋バス停の犬上川右岸の空地

訪城日:2017.9.7

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、屋外、自然

お城の概要

 犬上川の扇状地が多賀町大字楢崎・敏満寺で、南北から張り出した尾根で狭くなり、湖東平野への西の出口を形成している。南の尾根上に勝楽寺城が、北の尾根上に南籠城山城(どんじょ山、道場山)が築かれていた。

南籠城山城は二郭で虎口・土塁・櫓台跡。北側の尾根上に位置する南籠城山城は、土塁の廻る主郭とその南東方向に延びる削平地とからなっている。

主郭は東西42m、南北18mで中央南側に櫓台、北西に土塁・明瞭な虎口、土塁には横矢折れ、さらに内部は土塁や段築が三つに仕切られている。

南東に延びる削平地は35m×10mで先端部に大きな自然岩が点在している。周囲には犬走が廻る。

お城の歴史

 伝承では宗門衆の城とされるが、

遺構は織豊期の武家のもの城郭遺構で、織田信長に抵抗する浅井氏や六角氏の残党と連携した宗門一揆衆が立て籠もったという伝承がある。

『嶋記録』には、

○敏満寺城 今井左衛門尉没落の事

秀俊妻女ハ番場土肥か息女なりしか、秀俊か息8歳尺夜叉をかゝへ、・・・・敏満寺に十余年の春秋を送り程見に」 今井一門連書乃写シ

「今井敏満寺ニ有し比」と記す。

六角方への内通を疑った浅井亮政により、天文2年(1533)長浜の神照寺にて誘殺された。

秀俊の遺児・尺夜叉丸と一門・家来は、六角氏の支援を得て敏満寺に10余年の間牢籠しており、その際の東方を守備する砦ではないかと推測するとのことであるが、詳細は不明である。画像に含まれている可能性があるもの:立ってる(複数の人)、植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然写真の説明はありません。画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、屋外、自然

写真の説明はありません。籠城山城俯瞰図{城郭研究家 長谷川博美氏作図}

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参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』、『嶋記録』・遺跡ウォーカー

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