滋賀県城郭分布調査より『東浅井郡志』(丁野山古砦図)
お城のデータ
住所地:長浜市(旧・東浅井郡湖北町)小谷丁野町 map:http://yahoo.jp/Vvei_V
区 分:丘陵城
現 状:墓地
築城期:織豊期
築城者:朝倉太郎左衛門
標 高:130m 比高:20m
遺 構:
駐車場:駐車場(日本硝子独身寮の)に!
訪城日:2016.2.20
お城の概要
丁野山城の北東の丘陵(岡)に築かれた陣城で、浅井の加勢に来た朝倉軍の副将:朝倉太郎左衛門が陣取ったが、今は墓地に改変された。
丁野山城の虎口手前から、
お城の歴史
天正元年(1573年)の織田信長の小谷城攻略時に、ここには丁野山城に浅井氏を加勢に来た越前朝倉氏が立て籠もり朝倉太郎左衛門は、副将として「八幡の岡」に陣城に入りました。織田勢に攻められ落城しました。
駐車場超しの遠景
----信長公記 巻六 元亀四年 12、追撃 大筒・丁野攻破らるるの事------
信長公に通じた浅見対馬は、8月12日みずからが守る大嶽下の焼尾へ信長公の人数を引き入れた。その夜はことのほか風雨が激しかったが、信長公は虎御前山の本陣に嫡男信忠殿を残し、みずから馬廻を率いて大雨の中をずぶ濡れになりながら大嶽へ攻め上がった。大嶽には斎藤・小林・西方院らの越前衆五百ばかりが番手として籠っていたが、信長公直々の攻撃の前にたまらず降伏した。
降伏した越前兵は、すべて討ち果たされて当然のところであった。しかし夜の闇に加えて折からの風雨が敵方の視界をさえぎり、当の朝倉義景がこの大嶽陥落を気付いていないおそれがあった。そこで信長公は降兵たちの命を助けて朝倉本陣へ向かわせ、彼らに大嶽が落去してもはや戦勢を支えがたくなった事実を知らせさせた。このとき信長公は、このまま一挙に朝倉義景の陣所を抜く考えを固めていた。
信長公は大嶽に塚本小大膳・不破光治・同直光・丸毛長照・同兼利らを置くと、すぐさま丁野山(長浜市湖北町丁野)の攻撃にかかった。ここには越前平泉寺の玉泉坊が籠っていたが、これもまたたく間に降伏して退散した。
大嶽・丁野の要害が落ちた今、信長公は朝倉勢が今夜のうちにも越前へ退却を始めると読んだ。そして先手の諸将へその旨を伝え、敵勢退却のときを逃さぬよう覚悟せよと再三にわたって命じた。しかしそれでも信長公は焦りと苛立ちを抑えきれず、13日夜ついにみずから先駈けをして越前衆陣所へ攻め入った。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、信長公記
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