昨日は夕方まで勉強したりして、東梅田教会の「まるまる出丸の会!」へ。
第119回、とのこと。
手元に昔(ホンダベルノでやっていた頃の)抽選会で当たった
「手拭い引換券」があるのだが、
これには「第14回」と書かれているから、
いやあ、長く続いているものだ。
「四人癖」(生寿):△-
年季明けのマクラ。
丁寧に喋って、きっちり伝えている。
そもそも、私はこのネタが好きではない。
ウケをとるために設定を作り過ぎており、不自然。
ある癖が出るのは、その癖が出るような性格をしているからだと思う
(「二人ぐせ」には、それがある)のだが、
そのような背景が感じられないところが原因かな。
まあ、このネタをやるからには、
ひたすら癖をやり続けるしかないような気がする。
今日は部分部分で「そこも癖が入るのでは?」と感じることがあった。
例えば、鼻の下を擦る男が、
「お前も悪い癖があるで」と言われた時には擦っていなかった、とか。
若干尻すぼみになったのも、
そのあたりの「常に癖をやっている」仕込があり、
それを必死に堪えているところをどうにか活路を見出そうとする、という流れの中で、
仕込の部分が弱かったのが一つの原因では、と思う。
# あとは、家を出るあたりで人物分けが混乱したせいかな?
「みかん屋」(出丸):△
やはりマクラは年季明けや
入門前のバイクで下関まで廻った話。
話の順序やもっていき方が雑で、
伝わり切らなかった部分がある。
最近、「落語家になって良かったのか」みたいな話を時々するのだが、
あまり聞いていて心地よくなれない。
言わない方がいいと思うのだがなあ。
ネタは気が入っていて良いものではあるのだが、
今日は(前米研で見たときより)少し雑に感じた。
後半のバラシのところで、
教えられる前に長屋の連中が呼び戻そうとする、とか。
「初天神」(文華):○
同様に年季明けのマクラ。
すぐ上の枝曾丸(前、小茶久だっけ?)の話など。
この人の悪口は、ニンに合っていて面白い。
子どもの入試からネタに入る。
みたらしまで。
子どもがアホ(実際の科白では、そうでもない)だが、
その上でイチビっているところが良い。
基本きっちりやっているが、ところどころで崩す。
「ターザン」とか「印度リンゴ」(この言葉、語感が好き)とか、
下らなくて面白い。
みたらしで目を寄せるのは、そこまでやらんでもいいかな、とは思ったが。
細かい仕草や科白など、丁寧にやるところはやっている。
「みたらし」での子どもの科白の省略の仕方、
ダレないように上手く処理していると感じた。
「ふたなり」(出丸):△-
マクラは「昔は真の闇があった」話。
ネタはあまりにカミ過ぎで、いくらなんでもしんどい。
アホの方がおっさんに言われたことを真に受けるのは、初めて見たが、
最初は何のことか分からなかった。
2人の若い者の違いが分かりづらく、一瞬アホが喋っていると気付かなかったからか。
2つ目の洒落の時は伝わった。
「繰り返しは3度」と考えると、
特にこのアホが真に受けるギャグを入れるのであれば、
もう1つ洒落を入れた方が良いかも。
おっさんの調子が変わったときの女の転換や戸惑った様子は
きっちりと描かれていた。
女の名前とおっさんの名前が似ている設定はなし。(江戸だけだったかな)
そこまでやると嘘臭いとも思うし、なくてもいいだろう。
陰気な話であまり好きでもないネタなのだが、
いい加減な連中がワアワア言っている雰囲気で、そこは救い。
ネタが終わった後、追い出しを止めて
3月の「繁昌亭で出丸の会」について客席と一緒にいろいろ。
内輪感満載。個人的には、違和感なきにしもあらず。
21時頃にハネ、梅田で飲んで終電で帰った。
第119回、とのこと。
手元に昔(ホンダベルノでやっていた頃の)抽選会で当たった
「手拭い引換券」があるのだが、
これには「第14回」と書かれているから、
いやあ、長く続いているものだ。
「四人癖」(生寿):△-
年季明けのマクラ。
丁寧に喋って、きっちり伝えている。
そもそも、私はこのネタが好きではない。
ウケをとるために設定を作り過ぎており、不自然。
ある癖が出るのは、その癖が出るような性格をしているからだと思う
(「二人ぐせ」には、それがある)のだが、
そのような背景が感じられないところが原因かな。
まあ、このネタをやるからには、
ひたすら癖をやり続けるしかないような気がする。
今日は部分部分で「そこも癖が入るのでは?」と感じることがあった。
例えば、鼻の下を擦る男が、
「お前も悪い癖があるで」と言われた時には擦っていなかった、とか。
若干尻すぼみになったのも、
そのあたりの「常に癖をやっている」仕込があり、
それを必死に堪えているところをどうにか活路を見出そうとする、という流れの中で、
仕込の部分が弱かったのが一つの原因では、と思う。
# あとは、家を出るあたりで人物分けが混乱したせいかな?
「みかん屋」(出丸):△
やはりマクラは年季明けや
入門前のバイクで下関まで廻った話。
話の順序やもっていき方が雑で、
伝わり切らなかった部分がある。
最近、「落語家になって良かったのか」みたいな話を時々するのだが、
あまり聞いていて心地よくなれない。
言わない方がいいと思うのだがなあ。
ネタは気が入っていて良いものではあるのだが、
今日は(前米研で見たときより)少し雑に感じた。
後半のバラシのところで、
教えられる前に長屋の連中が呼び戻そうとする、とか。
「初天神」(文華):○
同様に年季明けのマクラ。
すぐ上の枝曾丸(前、小茶久だっけ?)の話など。
この人の悪口は、ニンに合っていて面白い。
子どもの入試からネタに入る。
みたらしまで。
子どもがアホ(実際の科白では、そうでもない)だが、
その上でイチビっているところが良い。
基本きっちりやっているが、ところどころで崩す。
「ターザン」とか「印度リンゴ」(この言葉、語感が好き)とか、
下らなくて面白い。
みたらしで目を寄せるのは、そこまでやらんでもいいかな、とは思ったが。
細かい仕草や科白など、丁寧にやるところはやっている。
「みたらし」での子どもの科白の省略の仕方、
ダレないように上手く処理していると感じた。
「ふたなり」(出丸):△-
マクラは「昔は真の闇があった」話。
ネタはあまりにカミ過ぎで、いくらなんでもしんどい。
アホの方がおっさんに言われたことを真に受けるのは、初めて見たが、
最初は何のことか分からなかった。
2人の若い者の違いが分かりづらく、一瞬アホが喋っていると気付かなかったからか。
2つ目の洒落の時は伝わった。
「繰り返しは3度」と考えると、
特にこのアホが真に受けるギャグを入れるのであれば、
もう1つ洒落を入れた方が良いかも。
おっさんの調子が変わったときの女の転換や戸惑った様子は
きっちりと描かれていた。
女の名前とおっさんの名前が似ている設定はなし。(江戸だけだったかな)
そこまでやると嘘臭いとも思うし、なくてもいいだろう。
陰気な話であまり好きでもないネタなのだが、
いい加減な連中がワアワア言っている雰囲気で、そこは救い。
ネタが終わった後、追い出しを止めて
3月の「繁昌亭で出丸の会」について客席と一緒にいろいろ。
内輪感満載。個人的には、違和感なきにしもあらず。
21時頃にハネ、梅田で飲んで終電で帰った。