朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

らくご道(2012年12月)

2012年12月05日 10時06分37秒 | 落語・講談・お笑い
昨日は例月の如く、「らくご道」へ。
約30人の入り。
個人的にはあまり多過ぎるより、
各長椅子に2人ずつ座る、これ位の入りが好みではある。
演る側としてはもっと入って欲しいのかも知れないが。


前説(南天)

選挙の話をいろいろ。
この手の話は政治色を出さずにやるのは難しいと思ったのだが、
「公約の名前」などをネタに上手く消化していた。


「按摩炬燵」(生喬):○-

さろめ(あやめの弟子)が辞める、というところからその思い出話、
紅雀の酒の話からネタへ。
「絡む先輩」というと松枝を思い浮かべていたのは私だけではなかろう。

ネタは、特に大きな山場のない分、難しいネタだと思うが、
丁寧にやっていた、という印象。
決して良いとは思えなかったが、元々どうしようもないネタだろうし。

まず、最初の場面から、表現する必要はないにせよ
もっと強く「寒さ」をイメージしておく必要があると思う。
寒ければこそ、寝づらくて店の連中思いの番頭が「炬燵を用意しよう」と思って
徳さんに声を掛ける訳だし、
恐らく徳さんとしても、寒いから帰るのが億劫になっているところに、
番頭から「酒を飲ませてあげる」と言われて乗るのではないだろうか。
雪がちらちら舞っている、と言ってはいたが、
もっと木枯らしや芯から冷える寒さ、といったものが背景に必要だと思う。

番頭は少し納まり過ぎかなあ。旦那みたい。

徳さんは盲人ではなく、「目かどが悪い」という設定。
「按摩」とすれば盲人でも良さそうだが、
「盲人を炬燵にする」点に力点を置くと客が引く可能性もあるから、
それはそれで悪くないと思う。
酔ってぐずぐず言う場面、「らくだ」の紙屑屋と同じだが、
口調や内容に普段の鬱積を感じた。
だとすると、最初に番頭と話をする段階で、
多少の鬱積が見えるようにした方が良いかも知れない。
徐々に酔っていくところ、
布団を被せられて自分の体温で眠くなっていく場面、非常に上手い。
エヅくのも克明に描写しているが、そこまではやらなくても良いかな、と感じる。

軽い布団を、と言っているのに重い布団を掛けられる場面、
私は「炬燵も出してくれない」と相俟って
「重い布団しかない、商家の生活の大変さ」を感じた。
このあたりは、好きなように酒を飲めるなど、
自由な按摩の生活との対比が出ていた。

布団を掛けられた後、足をいろいろなところから突っ込まれるところ、
丁寧に描写していて、これはこれで悪くないが、
もう少しマンガ的に流して徐々に嫌になっていくところを進め、
丁稚が寝小便してしまうところで終わる、と流れ中心に演った方が良いかも。
少しクドくなってしまった気もする。
屁をかまされるのも如何にも笑福亭だが、
小便と重複する印象もある。


「貧乏神」(南天):○-

八百万の神の話をしてネタへ。

最初のいい加減な男の軽さ、
相手をする家主さんの人の良さが快い。
お互い本気で表情を硬くする訳でなく、
「25銭」の繰り返しもそこまで本気でなく見せている。

貧乏神の頼りなさもこの人のニンだなあ。
ただ、貧乏神に対して男が若干「脅す」語調が強く、
そこは違和感があった。
もう少し投げ槍に言うもので、それを貧乏神が脅しと取る、という方が、
貧乏神と男の関係に近いと思う。

貧乏神が男に「友達」と言われて嬉しくなるところ、
貧乏神が出ていく最後の「嬉しかった」にも繋がっていくのだが、
個人的には台詞にダイレクトに「情」が出ている感じで、あまり好みではない。
このあたり、2人の関係がホモっぽく見えてしまうところ。

洗濯の場面で醤油を落とすところ、
「明日も洗濯物がよく乾く」など、
南天のニンと貧乏神が合って良い。

最後の別れの場面、やはり目に見えて「情」が濃いのは気になるなあ。
腹に持ってはいても、台詞としてはさらっと流す方が好み。
その上でサゲの転換が効けば良い、と思う。


対談「夕焼け日記」(生喬・南天)

(私も気になっている)オールナイト落語会の話、
その他これからの仕事の話、
「一門会」や「二人会」、そのネタ並べの話など。
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中村勘三郎死去

2012年12月05日 08時52分20秒 | 歌舞伎・文楽
時事ドットコム:中村勘三郎さん死去=歌舞伎俳優、57歳-幅広い役柄で人気をけん引

悪い、という話はちらっと聞いていたが、
あまりにも急。

私の記憶に残っている最初の歌舞伎は、
学生時代の京都南座顔見世。
孝夫(現仁左衛門)の由良之助と勘九郎(現勘三郎)の力弥が
本蔵に渡された絵図面を見て戦略を語る場面は、
マスコミでも売れた人気者の顔合わせで、凄いな、と思った覚えがある。
その後に見た「身替座禅」の山陰右京や「高坏」などが
特に印象に残っている。
あとは歌舞伎座で「髪結新三」や「研辰」などを見ているかな。

正直言うと、特に好きな役者、ではなかった。
勿論非常に上手い・達者とは思うのだが、
くぐもる声、サービス過多でクサい、と感じてしまうところなどは
あまり好みではなかった。
ただ、平成中村座やコクーン歌舞伎など、
裾野を広げたり様々な演出家を歌舞伎に引き込んだり、といったあたりは
勘三郎でなければできない積極性だろう、と思う。

役者は60代から、と考えると、50代での死は惜しい。
勿体ないにも程がある。
蒔いていた種が実るのを見ずに亡くなってしまった。
また、まだ勘三郎しかできなかったことはあったはずなので、
今後その欠落は歌舞伎界に効いてくる恐れがある。
まあ、言っても詮無きことではあるが…。

合掌し、冥福を祈るのみ。
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12月4日(火)のつぶやき

2012年12月05日 01時21分04秒 | つぶやき

【今日の名言】不幸な人はもっと不幸な他人を見て慰められる。……アイソポス(イソップ)『寓話集』138(ウサギが臆病な性格に愛想をつかし、身投げをしようと池にやって来たところ、カエルがその物音に驚いて池の底に逃げ込んだ。これを見たウサギはもっと臆病な奴がいると言って身投げをやめた)

kkmaruさんがリツイート | 4 RT

押し進めれば、慰みのために自分より不幸な者を作ることになる。


外出。良い天気。医者行って、落語会まで読書などして過ごさん。


医者。やたら混んでいる。まあ、本でも読んでいましょ。


医者終わり、梅田に向かう。けっこう時間がかかっちまった。


いよいよ年金アドバイザー2級の問題集購入。久し振りに合格率2割前後の試験、頑張っていこう。どこまで覚えるのか、確認も必要だし。


競争相手がはっきりせず、いつ終わるか分からないのが「日常性としての競争」の特徴。抑圧的な緊張感の継続。


一定の距離感による、適度な理解と寛容さ。「富裕層と貧困層が集住していれば、階級対立が表面化しやすいため、富裕層が共和党寄りになる」という仮説。「集住」は物理的なものだけでなく、ネットの「クラスタ」等もあるだろう。


平成の教科書では既に「農を工商の上に置く」とはされていないのか。こりゃ、かなりイメージを訂正しておかんといけないな。


「所得分配における格差はまず、競争が効率性を発揮したその瞬間から始まる」。これは敗者が市場から淘汰され、ゼロになるケース。予防的に、競争に敗れないように低コストで雇用するケースもあり得るか。


貧富の差が拡大すれば平等社会を志向し、停滞・安定すれば競争社会を志向する。自然と言えば自然だが、メリデメを比較せず、青い鳥を追い続けているきらいはある。


「人間を描く」と「人物を描く」の相違。ストーリーそのものによって人間性のある面を浮き彫りにする、という方法。


違法収集証拠排除法則。相対的排除説って、ちと嫌だけどなあ。犯罪を証明するために、その犯罪の違法性を基準にするのってセンスが悪い気がする。あと、代替収集手段など、考慮されるのだろうか。


例月の如くワッハ。例月より少ないかな。


落語会終わって帰路。大スポ買ってしまった。「小橋解雇」「秋山退団」ってマジかよ…。


自公で過半数が取れないとなると、自公+維新政権、か。安倍と平沼の関係もあるし。何だかなあ…。


「こんなに変わった歴史教科書」(山本博文他)読了。昭和47年と平成18年の30年を経た中学歴史教科書の記述を比較し、その間の歴史学の進展・深化を説明する。「士農工商」や「四民平等」といった記載がなくなるなど、自分の知識から変化している部分があることが分かったのは大きな収穫。


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