昨日は大阪市北区民センターの「天満講談席」へ。
ほぼ半年ぶり。
さほど広くない和室で、15人程度の入り。
ほとんどが60代くらいの男性で、このあたりは落語会の客層とは異なる。
「赤垣の婿入り」(南斗)
先月、文楽劇場で忠臣蔵を見た話。
そう言えば、この人を見かけたような気がする。
マクラにおける発声が聞き取りづらい。
ネタに入ると少しマシになったし、
以前に比べると良くなっているが、やはり聞き取りづらいなあ。
滑舌を良くするか、声量を増やす必要があるだろう。
視線が泳ぐのも少しマシになったが、
やはりまだ気になる。
ネタは源蔵が竜野から赤穂の赤垣家に婿入りする、という話。
竜野での刀屋を交えての源蔵兄弟の上下が若干分かりづらかった。
「袖付橋危難」(南湖)
「講談を出来る」という話から、学校でのお仕事などの話。
井上聞多が袖付橋で遭難し、
その後明治の元勲として園遊会を開催した折、
世話していた男が実は袖付橋で自分を襲った人間だと、と分かったが赦す、
といったストーリー。
遭難した際に偶然が重なって助かるところが興味深い。
ただお話としては、「遭難」と「園遊会」の部分のつながりがあまり良くない。
遭難し、助かって公爵になる、くらいで切って、
園遊会の件りをやるのであれば遭難に至る経緯などはあっさりやってしまった方が、
最後の園遊会での転換や赦す話などが効果的になったように思う。
全体にダラダラしてしまった印象。
「黄門と淀辰」(南左衛門)
東西交流の話をしてネタへ。
酔っ払いの真似などをしてみせるが、流石南斗とはレベルが違う(笑)
上方の漫遊記は黄門様は大阪弁を喋るので、
確かに水戸で聞くと違和感があるのかも知れない。
何故水戸家が「天下の副将軍」と呼ばれるに至ったか、といった話は興味深い。
黄門様が横浜?神奈川?宿で豪商だが闕所になった淀屋辰五郎に巡り会い、
各大名が借金を返してくれない、と聞いたので
自分の二つ名を添えた「まじない」を書いてやる。
あるいは黄門様の二つ名を知らなかった大名家のために、証文を額にする、など。
印籠は出さず、
二つ名を出す、顔を見せる、といったあたりなんやね。
強弱の付け方、表情付けなどを丁寧にやり、
きちんとウケを取っていた。
「闕所になった淀屋辰五郎が店の者に金を分け与える」あたりの話、
少し繰り返しになってしまっていたような気がする。
「向島雪の別れ」(南北)
久し振りに見た。
この人は南左衛門と異なり、
声を出すときに微妙に顔が震えたり、
上下を振りながらも視線は正面に残ったりする。
このあたりは南海に似ている。
晩年の南陵にそのようなクセがあって、それを写してしまっているのかな。
話は忠臣蔵外伝で、
吉良上野介を炭小屋で見つけた間十次郎の話。
江戸で植木屋に託した妻子が、
植木屋の妻の悋気から苦しい生活に陥る。
討ち入りの前日、雪の中袖乞に出た息子と巡り合い、
「仕官が叶った」と妻に嘘を吐く。
その後事実を伝えようとしたが既に、というストーリー。
ベタと言えばベタではあるが、単純に良い話だと思うし、
力を籠めて読まれるとネタの中に引き込まれた。
「そんなことある訳ない」とか「結局嫁さんが夫を信頼していないのでは」と
ツッコむこともできるけど、
まあ、そんなこと言っても仕方ないだろう。
全体に良い出来だった。
15人程度の客、というのは勿体ないなあ。