目覚めり。今日から4月。1年の4分の1が終わった勘定、なんて考えずにおこう。
「ビッグデータ」と「ロングデータ」。ビッグデータは瞬間的に現在の状況を切り取る「スナップ写真」であり、未来予測に使用するには物足りない部分がある。
とはいえ、あんなんでも表現ではある。法的に規制するとなると、やはり問題がある。もちろん、名誉棄損などに当たるような表現は今でも規制されるし、集団に対する犯罪扇動などは規律も考えるべきかもしれないが、不快表現だというだけで規制するのはよろしくない。規制の刃はすぐ余所に向かうだろう。
「言論市場」の発想からすれば、どんな言論も存在は許されるべきで、市場において叩かれて退出する、という流れになるだろう。しかし商品等の市場同様、言論市場もそこまで理想的な状態でない訳で、最初から参入を拒否すべき言論が存在するのでは?が問われる可能性はあるだろうな。
「交渉」だから当然。ただ、「聖域を守ることが本当に良いのか?」といった話にはなるだろうな。その点を取り上げられなくなかったから、交渉参加から拒否していたのかも知れない。>時事ドットコム:「聖域」守れなければ撤退も=TPP交渉-林農水相 jiji.com/jc/zc?k=201303…
終盤で逆転負けになったとはいえ、プロ棋士の盤上への視線、そこから伝わる情熱や気迫に感動。やっぱり「何かに懸ける人間」って、他人の心を動かす。ていうか1秒間に3000~4500万手読むPCが10分考えて読む手と互角っていう時点で強すぎてちょっとよくわかんないですレベル。
ある程度以上のサイズのオスイノシシの上半身の皮下脂肪は極端に硬化し、ヨロイと呼ばれる。1mmの薄さに切っても噛みきれず、食用には向かない。このヨロイもオス同士の喧嘩のために進化したのだろうか。ちなみに、銃弾すら貫通しないこともある。
六大夫さんは結局、雄と雌のどちらを撃ったのだろう?
通院終了。ハローワークは先延ばし。TORIIホールへ向かう。
「警察対暴力団」を「住民対暴力団」を切り替える暴排条例。住民にとっての負担も大きい。
暴対法は暴力団を指定して存在を認め、下位法にあたる暴排条例は実質的に暴力団の存在を否定している、という齟齬。
「利益供与」「密接交際」の明確な定義がないまま、取り締まりや公共事業からの締め出し等の不利益が課せられる。警察や世論の胸先三寸。法治国家とは思えんな。
暴力団が地下組織下する過程でタレコミは減少し、従来の捜査手法に頼った警察の検挙率は低下する。その対策として不正確な情報をマスコミにリークし、「暴力団=悪」という単純明快な市民感情が虚報を受け入れる。根本の「暴力団=悪」に留保が必要では?
「福岡県警カジノ汚職事件」で警察と暴力団の癒着が明らかになり、刑事と暴力団の接触が困難になった。中堅以下の層は暴力団組員や幹部層と会ったことがない者が多数。そのため捜査に関連する情報がとれず、検挙率も低い。
「暴力団は違法でないが、暴力団の違法行為は違法である」か「暴力団の存在そのものが違法である」か。個人的には前者と考えたい。国際比較してもなあ。
上には上がいること、専門的知識は状況の変化によって必要とされなくなる恐れがあることを踏まえると、「絶対こうなりたい」「自分のスキルを生かしたい」人よりも「可変性」や「未知の領域にチャレンジできる」方がビジネスで活躍できる。
5W1Hを設定できている目標か。特に「WHY(なぜそうするのか?)」と「WHEN(いつまでにやるべきなのか?)」が重要。この視点がなければ、目標でなく単なる「願望」。
「やるべきこと」という重要度で優先順位を付けるべきところ、「やりたいこと・やりたくないこと」のモチベーションが入ってきてしまう。意図的にモチベーションも軸に入れ、「重要だが、やりたくないと思っている」ことを顕在化させる手はあるかも。
願望は願望として持っておく。目標と願望を混同しないのが重要。先のことなど、せいぜい2,3年しか分からない。