国公立大から「人文社会系の社会に役立たない部門を追い出す」とかゆうてる人は、いまだに大学生を一握りのエリート養成機関やとおもてんねんな。大学出てようやくまともに本読めて文章書けて統計読めて身の回り半径10km以上の世界を想像できるようにしてるのが地方国公立人文社会系の教育現場です
仕事はその場で打ち返さないと死ぬ。分かっちゃいるんだけどねえ…。
在阪マスコミに足りないのは、橋下維新を堂々と批判する「勇気」だ。
妻が「【いい役者さん】って原作読んでて思ってた「これだよこれ!」という芝居を聞かせてくれるけど、【すごい役者さん】って原作読んでても想像しなかった芝居して「ほんとはこうだったんだ!」と思わせてくれるよね」とか言っててなんか深いこと言ってんなと思った
インプットを十分にやってからアウトプットをしようという人が多いですが、過去問のアウトプットで出来なかったたところをインプットする方が効率は良いですね。
これは多くの資格試験で同じかも知れないですねえ。>RT
今日は、月に一度の朝日新聞論壇時評の日です。今回は「戦争と慰安婦」と題して、いままた論議を呼んでいる「慰安婦問題」について書きました。
C・イーストウッドの映画「父親たちの星条旗」の冒頭には、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語ろうとしない」という意味のことばが流れます。深く知っているはずのないことについて大声でしゃべる人間には気をつけたい、とぼくは思ってきました。もちろん、ぼく自身についてもです。
議会はただしく民意を反映していない。
執行府は、手法は強圧的だが、民意を反映している。
前者よりも後者がベターである。
ここは都構想にとって剣が峰なので多少の強引さは「政治」の範囲内である
独裁とは、まさにこういう発想をベースにしているんだよ。
ひとことでいえば、まだしも最低限の言い訳が成立していた、「民意が手段を正当化する」という段階が終わり、とうとう「目的が手段を正当化する」というところまできたということだ。
目的の達成の邪魔であれば、議会ですら踏みつぶしてもいいということだ。そこまでやっても、いかにもお互い様的な「混乱」という程度の形容詞かできない。あたかも議会が目的達成に協力しなかったことが混乱の原因でもあるかのように。
東京裁判に否定的なら、それはそれで、自分たち自身で当時の日本の政治家や軍人の戦争責任を明確にし、反省すべきだ。「責任」という言葉をやたらめったら乱発する今の首相は、あれだけの犠牲者を出した戦争について、当時の権力者の「責任」を何だと思っているのか。
そして恐らく、最大の問題は「天皇の戦争責任をどう考えるか」だろう。戦犯が戦争責任を被ることで天皇は責任を問われなかった(それはアメリカの日本支配のためにも都合が良かった)、その取引関係があるから天皇は東京裁判を否定しないし、「憲法遵守」「平和」を言い続けるだろう。>RT