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運命のヒト。
は
きっと
すべてが閉じた
その時にしか
わからないのかもしれない
もう
閉じている。
から
判りようが
ないだろう
けれど
(決めつけずに生きろ。という
天からのメッセージでもあるのかも)
ただ
岐路のヒト。
は
必ず
存在するし
その都度
実感も湧くだろう
やはり
自身の人生だもの
自身主体で在りたいし
在らねばとも
誓う
根から
しっかりと
吸い上げるチカラ
と
出来るだけ
真っ直ぐに
のびやかにと
幹を
育むためにも
枝葉をアンテナのように
張り巡らし
時には
間引いたり
時には
向きを変えてみたり
そんな
植物に倣った
生き方を
全うしてみたい
その際
大切になってくるのが
岐路のヒト。
だと
想う
昨日
行きつけの
中華料理店にて
皿うどんを啜りながら
宙吊りTVで
中継されていた
マラソンをぼんやり観ていた
給水所って
きっと
ちょうど。のトコロに
設置してあるんだろうなぁ・・
マラソンは不得手なので
実感は出来ないけれど
そう想った
経験上で云うなれば
(整備してくださった)
登山道の途中途中に
設置してくださる
ベンチのようなモノかしら
あぁ・・
また頑張れる
また踏み進められる
と
リセットしたり
少しだけ
足取りが軽くなるような
それが
人生に於いてならば
岐路のヒト。
なんだと想う
喩えば
ワタシが
明日
出逢うかもしれぬ
岐路のヒトAさん
は
すでに
今日
他のどなたかの
岐路のヒトを
見事に
やり切っていて
何処で
ものすごく
感謝されているのかもしれない
そう
運命のヒト。
は
ある意味
時として
呪縛。
とも
なり得る
想い込みほど
人生を狂わすモノはない
でも
岐路のヒト。
は
流動的であって
ちょうど
光や
水や
風に
似ているから
そんな
だれかの
岐路のヒト。
が
また
他の
だれかの
岐路のヒト。
に
成り得るかもよ〜
と
ウィンクしてくれるようなのが
此の一冊
なのでした
もうお終い。
譬え
そう
諦めても
まだ
何も始まってやしない。
譬え
そう
焦っても
大丈夫。
すでに
何かが始まり
何かが終わる
どこかで
繰り広げられている
物語
の
一端を担っている筈ですよ
どなたさま
も
どちらさま
も
きっと
岐路のヒト。
と
して
きっと
気が付いていないだけ
で