ヴィム・ベンダース
を
きっかけ
に
小津安二郎
を
識り
横尾忠則
を
通して
寒山拾得
を
知る
本流
知らずして
よくぞ
此処まで
来たモノだ
と
吾がコトながら
呆れてしまう
この頃
けれども
いまだから
関心が湧いた
の
かもしれない
主役
でも
脇役
でもなく
人生
は
ひとり芝居
なのかもしれぬ
と
想う
昨今
初めて
観た
小津安二郎の作品
が
驚くほど
沁み込んでいく
『〇〇らしさ。』
なんて
表現をするコト自体
nonsense
な
現実社会
の
中で
親子らしさ。
や
夫婦らしさ。
はたまた
子どもらしさ。
や
老人らしさ。
を
垣間見て
何故だろう
心底
うれしくなった
ワタシ自身
も
振り返れば
子ども
の
頃
は
子ども
を
少女
の
頃
は
少女
を
あたりまえ
に
たのしく
過ごさせてもらった
知らなくていいコト
や
笑って誤魔化せるコト
を
まんま
許してもらえるという
特権
を
引っ提げて
だが
此れから
老齢期
に
向かっていく中で
果たして
素直に
老いていけるのだろうか
ワタシ
は
退いたり
諦めたり
眩しく目を細めたり
小さく頷いたり
果たして
果たして・・
先日
も
話の流れから
つい
ムスメ
に
『ホンモノ。を、観たり
知ったりしなさいね』
なんて
偉そうに
諭してみたモノの
文化や芸術
のみならず
いま
ワタシの中
の
本流
は
よき水脈
の
下から
成り立っている
の
だろうか
小津安二郎
の
コトバ
を
借りるなら
そう
『どうでもよいことは流行に従い、
重大なことは道徳に従い、
芸術のことは自分に従う。』
此れ
に
尽きる