海山の創作ノート

工房T 海山の書、印、絵、版画、工作、etc.日々の暮らしの中で出来た作品を紹介します。 さて、今日は何を作るかな。

No.1622 「蓑虫の音を…」

2019-10-26 | 


「蓑虫の音を…」

松尾芭蕉の句「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」。

昨日の毎日新聞・季語刻々より。

続いてもう一つ、書いてみる。

最近蓑虫を見ただろうか?

庭に出て探してみるが、見当たらない。

子供の頃、中の幼虫を蓑から取り出して、いろがみを小さく切った中に入れて遊んだものだ。

今は絶滅危惧種らしい。

それにしても、音?鳴いたか?

覚えがない。

聞いてみたいものだ。

そういえば、秋だというのに、まだ虫の音も聞いていない。

なんだかさみしいものである。

蓑虫はいないけれど、我が草の庵にも誰か来ないかなー。

(短冊状の画仙紙)




No.1621 「コスモスなんぼでも…」

2019-10-26 | 


「コスモスなんぼでも…」

「コスモスなんぼでも高うなる小さい家で」尾崎放哉の句。

10月24日毎日新聞朝刊の余録に紹介された句である。

句の内容や余録での言いたいことは、本余録を読んでいただければと思う。

ここでは、書について少し記しておく。

いきなりカタカナからはじまると、素直にまっすぐ書いてみたくなる。

これが、「秋桜」と漢字になっていると表現も印象も随分変わってくるだろう。

尾崎放哉は、種田山頭火が敬愛した俳人だが、

山頭火の句に「ヂアズとお経とこんがらがって」とか

「ぬれてうつくしいバナナをねぎるな」なんていうのがある。

カタカナが入ると、句は新しくなった感じになる。

書く方は、直線を意識するので、その他の字の曲線をどうするかということになる。

直と曲の組み合わせや調和、なんていう問題になってくるのだが、僕の場合は、最近あまり考えなくなった。

素直に、ただ思うままに、なすがまま…。

短冊状の余り紙に三枚書いたけれど、やはり一枚目が良い。


我が家の庭にはコスモスはないが、散歩の途中で足を止める。

空き地一面に咲いていたりする。

今頃、遠賀川の河川敷はコスモスでいっぱいだろう。