お彼岸なので、夫のお墓に行って来ました。
「empty」のランプがついていた車もやっとガソリンを入れられました。
暮れに行ってから行ってなかったお墓。
今年は引越し騒ぎで結婚記念日にも行かなかった。
9年前に再婚して、すぐに亡くなった夫。
お兄さん家族が仙台にいらっしゃるけど、年賀状以外の交流はしていません。
「仙台の方達がお元気でいらっしゃいますように!」って思いながらお墓を磨いて来ました。
「empty」のランプがついていた車もやっとガソリンを入れられました。
暮れに行ってから行ってなかったお墓。
今年は引越し騒ぎで結婚記念日にも行かなかった。
9年前に再婚して、すぐに亡くなった夫。
お兄さん家族が仙台にいらっしゃるけど、年賀状以外の交流はしていません。
「仙台の方達がお元気でいらっしゃいますように!」って思いながらお墓を磨いて来ました。
引越しをして、知らない土地に一人ポツンといてとても不安でした。
考えてみれば今までは次男と暮らしていたり、夫がいたり、長く暮らした土地で知り合いが多かったりでした。
ご近所づきあいは煩わしい一面もあるけれど大切なんだと痛感します。
昨夜は初めての計画停電でした。
バチッという音と共に真っ暗になりました。
災害用のラジオを聴きながら布団に潜っていると、「コンコンコンコンコン!」
玄関ドアをノックする音。
一体こんな時に誰?と思いながら出ると、隣りの奥さんとお嬢さんでした。
「キャンドルを作ったので使ってください。」とライターを添えてくださいました。
引越しの挨拶の時に、「一人です」と言い添えてあったので心配してくださったようでした。
たったそれだけの事に随分救われた思いがします。
考えてみれば今までは次男と暮らしていたり、夫がいたり、長く暮らした土地で知り合いが多かったりでした。
ご近所づきあいは煩わしい一面もあるけれど大切なんだと痛感します。
昨夜は初めての計画停電でした。
バチッという音と共に真っ暗になりました。
災害用のラジオを聴きながら布団に潜っていると、「コンコンコンコンコン!」
玄関ドアをノックする音。
一体こんな時に誰?と思いながら出ると、隣りの奥さんとお嬢さんでした。
「キャンドルを作ったので使ってください。」とライターを添えてくださいました。
引越しの挨拶の時に、「一人です」と言い添えてあったので心配してくださったようでした。
たったそれだけの事に随分救われた思いがします。
1週間ぶりののブログです。
地震の日は横浜にいました。
藤沢での古書展に行っている彼と合流する予定でした。
運転していると「東北地方で地震が発生しました。車を停めて~~~落ち着いて行動してください」と繰り返し緊急放送が。
そして車がふわふわした感じに。
道路にいる人達がみな上を見上げています。
街路樹も電線も、多分ビルも、大きく揺れていました。
そのまま区役所へ行き、用事を済ませている間にも大きな余震が続きました。
メールすると、彼は停車中の電車の中にいました。
いつ運転再開するかもわからないので、私はとりあえず横浜の家へ帰宅。
水もガスも電気もOK。
でも海の傍の工場の煙突から真っ黒な煙が上がっていて心配でした。
*****************************************************************
引越し後の掃除をしていると、彼から電話。
線路に降ろされて、踏切から一般道へ出て、横浜へ向かってかなり歩いたと。
大きな目印を聞き、迎えに行く事に。
家の周りは普段と変わらない様子だったのに、鎌倉街道に入ると信号が全て止まって大渋滞。
日が暮れると、真っ暗な町が不気味でした。
ガソリンスタンドもコンビニも飲食店もみんな閉まっていました。
指定されたハードオフに着くと、店は閉まっていました。
困ったなと思いながら、とりあえずトイレを借りようとコンビニへ向かっているとまた電話。
連れと4人で近くのファミリーレストランにいました。
その周辺だけは停電になっていなかったのです。
ハンバーグ定食をご馳走になり、彼の友人達を、鎌倉と並木へ送り、11時前には帰宅できました。
あとから考えると、メールや電話があんなにタイミングよく繋がるなんてとってもラッキーな事だったんですね。
何もかもを失った、或いはかけがえのない人を失った被災者の方々にはかける言葉もありません。
少しでも傷が浅い事を、そして立ち直られる事を祈らずにはいられません。
地震の日は横浜にいました。
藤沢での古書展に行っている彼と合流する予定でした。
運転していると「東北地方で地震が発生しました。車を停めて~~~落ち着いて行動してください」と繰り返し緊急放送が。
そして車がふわふわした感じに。
道路にいる人達がみな上を見上げています。
街路樹も電線も、多分ビルも、大きく揺れていました。
そのまま区役所へ行き、用事を済ませている間にも大きな余震が続きました。
メールすると、彼は停車中の電車の中にいました。
いつ運転再開するかもわからないので、私はとりあえず横浜の家へ帰宅。
水もガスも電気もOK。
でも海の傍の工場の煙突から真っ黒な煙が上がっていて心配でした。
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引越し後の掃除をしていると、彼から電話。
線路に降ろされて、踏切から一般道へ出て、横浜へ向かってかなり歩いたと。
大きな目印を聞き、迎えに行く事に。
家の周りは普段と変わらない様子だったのに、鎌倉街道に入ると信号が全て止まって大渋滞。
日が暮れると、真っ暗な町が不気味でした。
ガソリンスタンドもコンビニも飲食店もみんな閉まっていました。
指定されたハードオフに着くと、店は閉まっていました。
困ったなと思いながら、とりあえずトイレを借りようとコンビニへ向かっているとまた電話。
連れと4人で近くのファミリーレストランにいました。
その周辺だけは停電になっていなかったのです。
ハンバーグ定食をご馳走になり、彼の友人達を、鎌倉と並木へ送り、11時前には帰宅できました。
あとから考えると、メールや電話があんなにタイミングよく繋がるなんてとってもラッキーな事だったんですね。
何もかもを失った、或いはかけがえのない人を失った被災者の方々にはかける言葉もありません。
少しでも傷が浅い事を、そして立ち直られる事を祈らずにはいられません。