~こころに吹く風~

1952年生まれの みよです。
人生の花野に遊びたい。
心躍ることも心塞ぐことも綴ります。

母の三回忌

2016年04月09日 | 母の記録
今日は午後から母の三回忌法要でした。
その前に、母とのお墓詣りの時の恒例となっていた店で昼食をと思っていたけれど、行ってみたら混んでいたので、またまたコンビニ弁当を買い、いたち川という小さな川を見降ろす東屋で桜吹雪を浴びながら食べました。









鶯が啼いていました。
横浜とは思えない静けさです。



今日も良い時間を持てました。



「ばあちゃん、僕たちも会いに来たよ」

弟夫婦との会話はなんだかホッとしました。

母の人形を人形供養へ

2015年06月02日 | 母の記録
母が作った人形たちを、できたらどなたかに可愛がって貰いたいと思い、隣り町の児童養護施設に電話してみました。
ご迷惑かもしれないと思いながら話したので、あちらもどんな品物か不安になったのかもしれません。
「子ども達は皆、お気に入りの人形をいくつか持っていますので」と丁重に断られました。


清掃工場に持ち込もうかなとも思いましたが、あのゴミを吸い込む巨大な穴に放り込む気持ちにはなれなくて・・・
清掃工場に持ち込むと、ゴミの種類によって「何番に移動してください」と指示されます。車をバックで付けると作業員の方が目の前で持参んした物をその巨大な空間に放り込むのです。
品物は雑多なゴミが積み重なった下の方へ落ちてゆきます。

玉串料がかかるけれど、人形を供養する神社に持って行きました。
今度の日曜日が人形供養の日です。



境内にお供えしてあった千羽鶴

今回、児童養護施設に電話をして、ボランティアの担当者さんとお話しできたことは収穫でした。
もう何年もの間、児童養護施設でボランティアをしたいと思っていました。でもそこにいる子ども達の心の傷を思うと、そんなに気軽に関われないと思って、敷居が高かったのです。
HPには子ども達の勉強を見てくれるボランティアさんの募集はあるのですが、私に何ができるだろうかと思ってしまって・・・
定期的に行けないかもしれないし・・・
でも幼児さんの遊び相手のボランティアさんもいらっしゃるとのこと。
体調が回復したら、また連絡しようと思います。

横浜の実家

2014年12月14日 | 母の記録
弟夫婦が横浜に来ると言うので、日にちを合わせて行ってきました。
私の両親が元気な頃、弟夫婦は横浜で親と同居していました。だからきっと品物の一つ一つに想い出が沢山あるだろうなと思うと片づけようにも片づけられなくて、母の衣類とキッチンの鍋類以外は手を付けられずにいました。とっておいても仕方ないと解っているものでも、もう一度一緒に見て、それから処分したいと思っていました。
でもね、義妹のYuちゃんは、家が売れて明け渡さなくてはいけなくなる時までそのままにしておきたいみたいです。
とても情が深い人なのです。
業者にゴミとして一挙に持って行かれるのは忍びなくて、私の手で少しずつ片づけたいと思っていたのですが・・・仕方がないですね。
駐車場は解約し、ガスは・・もしかしたら水道も停めるようです。

気持ちを置き去りにして、物事はどんどん進みます。
それでいいのですね。
そうしなければ前に進めないですものね。

我が家にも片づけなくてはとずっと気になっているものがいくつかあります。
後ろ髪を引かれるけれど、時として想いを絶って次に進んだ方がいい時もありますね。

今日は選挙から戻って、久し振りにトマトシチューを作りました。
このシチューは父方の祖母のお得意料理。
私は父から教わりました。
中学の時、福岡から横浜へ転校しました。編入試験のために母より一足先に、単身赴任していた父の元へ行った私に父が教えてくれました。
滅多に作らなくなったけど懐かしい味です。私はご飯にかけて食べるのが大好き^^


笑顔の母と遺品整理

2014年07月31日 | 母の記録
この間とは別の歯の歯茎が腫れて、また急遽歯医者の予約をとりました。
先生が夏休みに入られる直前ということで、朝しか空きがなく、前日は横浜の実家に泊まりました。
歯茎の腫れは大したことはありませんでしたが、一か所悪くなると、あっちもこっちもとドドドッと来そうで恐ろしいです。でもかろうじてまだ全部自分の歯で頑張っています。

実家では母の箪笥の中の整理をしました。
母は原色が好きで、それがまた似合う人でした。
結構オシャレな洋服が、きちんと整理されていました。
どうせほとんどが捨てるものだから、捨てる前にあれこれ着てみました。サイズはぴったりです。
それを着ていた頃の母の姿が鏡の中で明るく笑って見えます。私は母に似ているので、母の洋服を着ると母の面影がよぎります。
遺品の整理をしているのに、私の心は弾んでいました。
元気な母と、同い年の私が一緒に楽しい時間を過ごしていました。

ブラウスやスカーフを持ち帰りました。
カットワークや刺繍+レース使いの可愛くて素敵なブラウス。
父からのプレゼントかな。父は母の誕生日には必ず何かプレゼントをしていましたから。
少し黄ばんでいるけれど、クリーニング屋さんでなんとかなるかもしれません。

父が亡くなってから母は長野の弟宅に引き取られました。
私の再婚した夫が亡くなったあと、空き家になっていた実家にしばらく住んだ頃は、母は時々来ては2週間位滞在して行きました。
一人で新幹線に乗れなくなってからは、年に数回、私が迎えに行って暫く一緒に過ごしました。
段々認知症の症状が出るようになっても、普段の生活にはほとんど支障はありませんでしたが、最後の半年位はもう我が家に連れて来ることも難しくなっていました。

たまに会って、「またね」と別れる時、「もしかしたら これが母と会う最後になるかもしれない」と思いながらの(^^)/~~~バイバイを幾度となく重ねました。
そして次の時には「あ~、また会えたね」と思うのでした。
そうやって少しずつ別れを重ね、母の命は終わりを告げ、そして今、若くて華やいだ母とお喋りをする私。
今も母は私の中で少しずつ死んでいます。現在進行形です。
私の中で母が少しずつ死んでゆくという事は、私にとって幸せな事だと思います。