…此処数日のカウント数が凄い。(汗)
これはアレだな…「他人の羞恥プレイは蜜の味」っつう…そんな法則からだな、きっと。(笑)
「何時来ても綺麗な場所だなぁ、ハウステンボスは。」
「おや、ハウス君、また遊びに来たのかい?」
「あ、テンボス博士!
ねぇ博士…ハウステンボスには沢山の木や花が育っているけど、どうしてかなぁ?
元々他の土地よりも、土が良いのかなぁ?」
「いやいや、そんな事は無いぞ!
そもそもハウステンボスが出来る前、此処は草木の殆ど生えぬ、荒れ果てた土地だったんじゃ。
表土を少し剥いだだけで、黒いヘドロが顔を出す程、酷く汚れておったらしい。」
「ええ!?嘘でしょ!?
信じられないよ!!
だとして…どうして、そんなに汚れちゃってたのさ!?」
「良い質問じゃ!
此処は元々、1972年に市の行政局が、全国から工場を誘致する為にと、工業団地を建てる用に造成させた場所だったんじゃよ。
所が場所の悪さから、1件も工場が来てくれなくてのぉ。」
「ふーん…それで市はどうしたの?」
「いやぁ、造成地にするだけでも、市の財源から相当使いまくったからのぉ。
しかも元通りにするからと言って、金をまた使えば自分達の計画失敗を証明する事になってしまうじゃろ?
まぁ、そんな訳で…早い話がほっぽっといたんじゃな。」
「ええ!?それじゃ周辺地域の環境悪くしただけだよ!!
土から染み出した汚水が、大村湾にまで流れ込んじゃうじゃないか!!
しかも海は1つで、果て無く広がってるから…た、大変だぁ!!」
「そう!大変な事になっておったんじゃ、ハウステンボスオープン前にはな!
じゃからハウステンボスプロジェクトで最初に手掛けたのは、『土壌改良』じゃったんじゃ。
手始めに土地を50cm程掘削して、土に酸素を含ませる。
次に客土を入れて、1.5mの高さまで盛土し、化学肥料等は一切使わずに堆肥を混入。
暫く置いたら良く耕して、また堆肥を混入…
こういった作業を、根気良く続けていったんじゃよ。」
「死んだ土を生き返らせるには、そんなにも努力しなくちゃいけないんだー!」
「うむ!それに地面の下にパイプを巡らせて、排水設備も施したんじゃ。
でないと海面より低い埋立地は、地震が有った時なぞ地面が液状化するからのぉ。
このやり方は国造りの先輩国、オランダから学んだ事なのじゃぞ!」
「そうかー!オランダは国土の多くを、人工的に造り出した国家だもんね!」
「ハウス君は中々物知りじゃのう。
しかしそれだけではないんじゃぞ!
ハウステンボスの地下5~10mの所には、水を通し易い砂礫層が有る為、敷地の海側約200mに渡って、銅製のシートパイルを埋設し、大村湾の満ち干で運河の水位が変動しないような工夫もしたんじゃよ。」
「ふわぁ!建物を建設する前から、物凄い大工事だったんだねぇ!」
「そう!此処までの工事だけでも約2年間、約270億円もの経費が掛っているそうじゃ!
しかし何事も基礎が大事じゃからのう。
千年も続く街を造ろうとするなら、必要不可欠な工事だったんじゃよ。
ハウステンボスの街造りの工夫は、他にも沢山有るのじゃが…今日はもう時間が来てしまったのう。
次回は『ハウステンボスの植栽計画』についての話の予定じゃ!」
「次回も楽しみだなー♪」
…え~また何だかよく解らん事を…と思われそうですが。(苦笑)
ヤフートピ時代の自分の投稿を御存知な方は、覚えておられるかも知れない。
そこに以前投稿したものを、此処に転載させて頂きました。(恥笑)
NHK教育TV番組のノリで…ほら、人形劇してるアレ。(笑)
参考にした資料は、主にハウステンボス十周年時の特設サイトから。
…他はまぁ色々。(済みません、忘れてます)(汗)
全8回の予定ですんで、宜しければお付合い下さいませ~。(礼)
【写真の説明】
ハウステンボス、ニュースタッド地区のアミューズメント施設、『Kirara』館の中に併設されている、『テーマリウム』で展示されたタッチパネルの内の1つ。(←長ったらしい説明)
『テーマリウム』はハウステンボスの街造りの工夫を、タッチパネルや模型等で学べる無料施設。(館のメインアミューズメント『Kirara』は有料ですよ)
地味ですが、自分は結構気に入っている。
写真の物は「土の中の生物について学べる」パネル。
パネル前の『ダンゴ虫模型』に触れたりすると、ライトがぺカッと光って声が出るのです。
ちょろっと居るデンデンムシが可愛いと思う。
【ハウステンボスと私の馴れ初め話その1】
再録だけだと何となく後ろめたいんで(焦笑)、自分がハウステンボスを知ってから嵌るまでの話を、毎回少しづつ…。
私がハウステンボスを知ったのは、意外にもオープンして間も無くでした。
1992年3月…呆け~っとTV観てたら、或るCMがかかりましてな。
「ハウステンボス、遂に開園!」みたいなナレーションの後――ガチャリと如何にも欧風な鉄柵門が開いた…。
――そんだけ。
特にそこがどういう場所だとか…何の説明も無かったのだ。(逆にそうだったからこそ、今でも妙に印象残ってる訳だが…)(汗)
今思い出すに…あの門は、多分パレス前門だったんではないかと。
他にも違うCMパターンが有ったのかも知れないけど…当時私が観たのは、そのパターンのみでした。
後日、友人から、「長崎にTDLみたいなのが出来たらしいよ!」と聞いて、『ああ、あれか!』と私は思ったのでした。
【続】
これはアレだな…「他人の羞恥プレイは蜜の味」っつう…そんな法則からだな、きっと。(笑)
「何時来ても綺麗な場所だなぁ、ハウステンボスは。」
「おや、ハウス君、また遊びに来たのかい?」
「あ、テンボス博士!
ねぇ博士…ハウステンボスには沢山の木や花が育っているけど、どうしてかなぁ?
元々他の土地よりも、土が良いのかなぁ?」
「いやいや、そんな事は無いぞ!
そもそもハウステンボスが出来る前、此処は草木の殆ど生えぬ、荒れ果てた土地だったんじゃ。
表土を少し剥いだだけで、黒いヘドロが顔を出す程、酷く汚れておったらしい。」
「ええ!?嘘でしょ!?
信じられないよ!!
だとして…どうして、そんなに汚れちゃってたのさ!?」
「良い質問じゃ!
此処は元々、1972年に市の行政局が、全国から工場を誘致する為にと、工業団地を建てる用に造成させた場所だったんじゃよ。
所が場所の悪さから、1件も工場が来てくれなくてのぉ。」
「ふーん…それで市はどうしたの?」
「いやぁ、造成地にするだけでも、市の財源から相当使いまくったからのぉ。
しかも元通りにするからと言って、金をまた使えば自分達の計画失敗を証明する事になってしまうじゃろ?
まぁ、そんな訳で…早い話がほっぽっといたんじゃな。」
「ええ!?それじゃ周辺地域の環境悪くしただけだよ!!
土から染み出した汚水が、大村湾にまで流れ込んじゃうじゃないか!!
しかも海は1つで、果て無く広がってるから…た、大変だぁ!!」
「そう!大変な事になっておったんじゃ、ハウステンボスオープン前にはな!
じゃからハウステンボスプロジェクトで最初に手掛けたのは、『土壌改良』じゃったんじゃ。
手始めに土地を50cm程掘削して、土に酸素を含ませる。
次に客土を入れて、1.5mの高さまで盛土し、化学肥料等は一切使わずに堆肥を混入。
暫く置いたら良く耕して、また堆肥を混入…
こういった作業を、根気良く続けていったんじゃよ。」
「死んだ土を生き返らせるには、そんなにも努力しなくちゃいけないんだー!」
「うむ!それに地面の下にパイプを巡らせて、排水設備も施したんじゃ。
でないと海面より低い埋立地は、地震が有った時なぞ地面が液状化するからのぉ。
このやり方は国造りの先輩国、オランダから学んだ事なのじゃぞ!」
「そうかー!オランダは国土の多くを、人工的に造り出した国家だもんね!」
「ハウス君は中々物知りじゃのう。
しかしそれだけではないんじゃぞ!
ハウステンボスの地下5~10mの所には、水を通し易い砂礫層が有る為、敷地の海側約200mに渡って、銅製のシートパイルを埋設し、大村湾の満ち干で運河の水位が変動しないような工夫もしたんじゃよ。」
「ふわぁ!建物を建設する前から、物凄い大工事だったんだねぇ!」
「そう!此処までの工事だけでも約2年間、約270億円もの経費が掛っているそうじゃ!
しかし何事も基礎が大事じゃからのう。
千年も続く街を造ろうとするなら、必要不可欠な工事だったんじゃよ。
ハウステンボスの街造りの工夫は、他にも沢山有るのじゃが…今日はもう時間が来てしまったのう。
次回は『ハウステンボスの植栽計画』についての話の予定じゃ!」
「次回も楽しみだなー♪」
…え~また何だかよく解らん事を…と思われそうですが。(苦笑)
ヤフートピ時代の自分の投稿を御存知な方は、覚えておられるかも知れない。
そこに以前投稿したものを、此処に転載させて頂きました。(恥笑)
NHK教育TV番組のノリで…ほら、人形劇してるアレ。(笑)
参考にした資料は、主にハウステンボス十周年時の特設サイトから。
…他はまぁ色々。(済みません、忘れてます)(汗)
全8回の予定ですんで、宜しければお付合い下さいませ~。(礼)
【写真の説明】
ハウステンボス、ニュースタッド地区のアミューズメント施設、『Kirara』館の中に併設されている、『テーマリウム』で展示されたタッチパネルの内の1つ。(←長ったらしい説明)
『テーマリウム』はハウステンボスの街造りの工夫を、タッチパネルや模型等で学べる無料施設。(館のメインアミューズメント『Kirara』は有料ですよ)
地味ですが、自分は結構気に入っている。
写真の物は「土の中の生物について学べる」パネル。
パネル前の『ダンゴ虫模型』に触れたりすると、ライトがぺカッと光って声が出るのです。
ちょろっと居るデンデンムシが可愛いと思う。
【ハウステンボスと私の馴れ初め話その1】
再録だけだと何となく後ろめたいんで(焦笑)、自分がハウステンボスを知ってから嵌るまでの話を、毎回少しづつ…。
私がハウステンボスを知ったのは、意外にもオープンして間も無くでした。
1992年3月…呆け~っとTV観てたら、或るCMがかかりましてな。
「ハウステンボス、遂に開園!」みたいなナレーションの後――ガチャリと如何にも欧風な鉄柵門が開いた…。
――そんだけ。
特にそこがどういう場所だとか…何の説明も無かったのだ。(逆にそうだったからこそ、今でも妙に印象残ってる訳だが…)(汗)
今思い出すに…あの門は、多分パレス前門だったんではないかと。
他にも違うCMパターンが有ったのかも知れないけど…当時私が観たのは、そのパターンのみでした。
後日、友人から、「長崎にTDLみたいなのが出来たらしいよ!」と聞いて、『ああ、あれか!』と私は思ったのでした。
【続】