@ kill time

見た!聞いた!読んだ!行った!食べた!
スポーツ観戦、映画鑑賞、旅行紀、読書、食べ歩き等の身近な話題を紹介します。

ロシアからの手紙

2018年07月19日 | 思い出

全世界が熱狂したW杯が終わりました。

 TVで観戦していても興奮しましたが、実際にスタジアムで観たらどんな感じだったのでしょうか!

W杯を観戦してきたS君の元にその思い出が遅れて届いたそうです!

ロシアで出した葉書が自分の元へ・・・

成る程!これは二度美味しいですよね〜!!

 

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巨大ロウソク

2017年04月28日 | 思い出

 家人が”これ、邪魔だから捨てるわよ!”と細長い箱を持ってきました。

その箱を持ってみるとズッシリと結構重い・・・。

”何だっけこれ?”と蓋を開けて見ると・・・出てきたのがこちらです!



自分たちの結婚式の披露宴で使用したキャンドルサービスのロウソクでした!

お~、こんなのがまだ取ってあったとは!! もう遥か記憶のかなたでした。

上京以来コツコツ貯めていた有り金をはたいて目黒雅叙園で結婚式を行いました。

丁度バブルの最盛期。 あの頃は景気が良かったな~!

今ではまったくその面影もありませんが・・・まあ、何とか生きてます!!

思い起こせば25年前の事でした。

ロウソクの目盛りも丁度25でなくなっているので、これはもう捨てちゃおう!

ん? そういえば結婚25周年は銀婚式じゃん!

それすらも忘れていたな~!!

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新宿センター街「思い出の抜け道」

2014年10月30日 | 思い出

渋谷センター街と云う地名を聞いた事がある方は多いと思います。

渋谷センター街といえば若者文化の発祥地として有名です。

また過去には変造テレカや合法ドラックを売る外国人露天商がはびこる「怖い街」「汚い街」という危険なイメージがついていました。

そのイメージを払拭しようと2011年にバスケットストリートと改名したのですが、残念ながらいまだに定着していないようです。


さて、場所は変わってこちらは新宿は歌舞伎町です。



新宿にもセンター街があるのを知っていましたか?

ネオン煌めく歌舞伎町の裏路地・・・。



1951年からあると云うこの通りが新宿センター街「思い出の抜け道」です。

馳星周の小説「不夜城」の主人公、劉健一が経営する「カリビアン」というバーがこの路地にある設定になっていました。


実は、この通りはHさんにとってもまさに”思い出深き”抜け道なのです。



と云うのも、この通りの突き当りにHさんが上京した当時から通っている小料理屋さんがあります。

女将さんが一人で切り盛りしている小さなお店です。

Hさんが、東京のある会社に就職して、当時の先輩に連れて来られたのが始まりで、それから何かに付けて通い続けてかれこれ35年になります。

その女将さんはHさんが上京してから現在に至るまでの波乱万丈?の人生を知っている唯一無二の人と言っても過言ではありません。

Hさんにとっては”新宿のお袋さん”と呼べる存在です。

上京したばかりでまだ東京の右も左も判らない中で唯一安心して飲める店でした。

このお店には様々な人たちが来ます。

普通のサラリーマンも来れば、出勤前のホステスさん、仕事を途中で抜け出して息抜きに来る近所の店のマスター、当時はバブルで景気が良かった不動産屋、新宿の地主さん、ギターを持った流しの演歌歌手、ちょっと強めのお兄さんまで・・・

Hさん一人で飲みに来てカウンターの隅に座り、それらの人たちと女将さんとのやりとりを聞いているだけでいい社会勉強になりました。

その内に何人かの人たちとも顔見知りになって、ますます通うようになりました。


最近はなかなか行く機会がなかったのですが、先日、久々に女将さんはどうしているのか気になって行って見ました。

まず、路地の入口から店の灯りが見えたので一安心・・・。



この店の暖簾、開店十周年のお祝いに当時の常連さん達がみんなでお金を出し合って寄贈したものです。

寄贈した人たちの名前が書かれています。 

もちろんHさんの名前も・・・。


女将さん元気かな~と擦りガラス戸を開けると・・・。



カウンター席と一畳ほどの小上りがあり、お客さんは10人程で一杯になる小さなお店。

”あら~! Hちゃん、来てくれた~!! 元気だったの~!”と女将さんの声が!!

今年で77歳になったと云う女将さんに、逆にHさんの方が元気だったのかと心配されてしまいました・・・。

Hさんが東京でこれまで仕事を続けてこれたのも、こんな元気な女将さんとの出会いがあったからです。

人と人との出会いは大切にしたいものですね~。

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Hさん昔話 なぜか西表島・・・その3「ビザ・ビザ・ビザと三度唱えよ!」

2010年04月25日 | 思い出

上野で京成スカイライナーに乗り換えて、成田空港へ。

Hさん、この話の時点で海外旅行は2度目です。

一度目は一昨年の台湾への社内旅行。

当然、この時は全て旅行代理店が旅行の段取りをしてくれました。

今回のように個人旅行はもちろん初めてです。

しかも誰にも話もしていない、全くの単独旅行です。

着いてからのホテルも何も決まっていない、無謀と云えば無謀な計画でした・・・。

期待と不安を抱えながら成田空港へ着きました。

航空会社はどこにしようか・・・。

やはりここは日本の航空会社の方が何かと話し易いだろう・・・。

当時は優良企業だった?JALの受付カウンターへ行きました。

Hさん
あの~、ハワイへ行きたいのですが、飛行機の予約は取れますか?

受付嬢
今なら午後1時の便に空席があります。」

Hさん
ではその便でお願いします。

受付嬢
パスポートとビザを拝見させてください。

Hさん
はい、パスポートはここに・・・。 ビ・ビ・ビザ!? ビザって何?

はい、ここでお勉強しましょう!

査証(さしょう、 visa)は、外国人の入国に必要な入国許可申請証明の一部であり、大多数の国が同様の制度を運用している。

入国許可・在留資格とは別のものである。

しばしば旅券(パスポート)との関係や違いが誤解されるが、

旅券は「国際国籍・身分証明書」、査証は「入国許可申請証」と言い換えることができる。

また旅券は旅行者の国籍国が発行し、査証は旅行目的国が発行するものである。

(By 
Wikipedia)

受付嬢(冷ややかな目で・・・)
ビザがないと入国できません。アメリカ大使館へ行って申請すれば半日程で取れますよ。

愕然!とするHさん・・・。
判りました。また出直して来ます・・・。

あ~あ~、憧れのハワイ航路が・・・。

知らないとは恐ろしい事です。

旅の恥はかき捨て”などと言いますが、”旅に出る前に恥をかいた”Hさんでした・・・。

こうして、また一つ賢くなったHさんは、再び東京へ戻る事になったのでした。

だんだん話が見えてきた?

まだ、続ける?・・・。

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Hさん昔話 なぜか西表島・・・その2「イザ!ハワイへ!?」

2010年04月24日 | 思い出
真冬の新潟から常夏のハワイへ向かうと言っても、出張中のHさん、持っているのは冬着ばかりです。

そこで久しぶりに東京の自宅(当時は三鷹の1DKのアパートに住んでいました。)へ帰り、夜の内に慌ただしく旅行の仕度をしました。

夏服をバックに詰め込んで、着る物は取り合えずOK!

海水パンツは向こうで買えばいいか。

英語は殆ど出来ないけどボディーラングエージで何とかなるだろう・・・。

根っから楽観的性格のHさんです。

おっと、パスポートを忘れちゃいけない!

パスポートの有効期限は・・・

一昨年会社の社員旅行で台湾へ行ったばかりだから有効期限も大丈夫!

新潟出張中は殆ど使う所もなかったので、旅費も充分にありました。

これで旅行準備完了!!  

さらば日本!! 

イザ!ハワイへ!!

こうして翌朝、Hさんは意気揚々と成田空港へ向かったのでした。

しかし、空港で予期せぬ落とし穴が待っていました。

さて、その落とし穴とは・・・
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Hさん昔話 なぜか西表島・・・その1「新潟からハワイへ!」

2010年04月23日 | 思い出
奥田 英朗 著 「サウス・バウンド」を読んでいたら、昔、沖縄の西表島まで一人旅をした時の事を思い出しました。

その時の事を書いてみようと思います。

思い起こせば、今から20年以上前の事です。

当時、原田知世主演の
私をスキーに連れてって」と云う映画が大ヒットし、空前のスキーブームが起こりました。

Hさんは有名スキー場に隣接する某高級リゾートホテルの新築工事の為、新潟に出張する事になりました。

雪国の春4月から翌年の正月明けまで足掛け10ヶ月の出張です。

その間は、地元の旅館に宿泊していましたが、シーズンオフのスキー場ほど寂しい所はありません。

そこに泊まっているのは我々、工事関係者だけ。

周囲の観光客目当ての店は全て閉店状態で、遊びに行く場所も、飲みに行く場所もなく、仕事場と旅館を行き来する毎日・・・。

男ばかり毎日朝から晩まで顔と突き合わせていると、色々な事が起こります。

旅館で酒を飲んでケンカするのは良くある事で、どうやって知り合うのか地元の娘さんとの不倫騒動まで起きました。

Hさんにとっては月1回、土日の休日を利用して東京へ帰るのが唯一の楽しみでした。

そんな生活をしながらも、着々と工事は進み、スキーシーズン開始前に無事竣工!

あとは事務的な残務整理をしながら、突発性のトラブルに備えて事務所で待機する事が仕事です。

年末年始休暇をスキー場で過ごそうと大挙して訪れるスキー客を尻目に、スキー場から少し離れた駐車場の隅のプレハブ小屋で職員交代で待機をする事になりました。

結婚している職員には優先で年末年始に休暇を取ってもらい、その間は独身者が対応します。

当時独身だったHさんもこうして年が明けてスキー客が少なくなる成人式までスキー場で過ごしたのでした。

その後、ようやく一週間の休暇が取れる事になりました。

しかし、一般世間はすでに通常の生活に戻っており、この時期に休暇を貰っても一緒に遊んでくれる相手もいません。

どうやってこの休暇を過ごそうか・・・。

寒い日本はもうウンザリだ! 

いっそうの事、暖かいハワイへ行こう!!

と云う事でHさんは一人、新潟からハワイへ向かう事にしたのでした。

続く・・・。
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