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講談を聴く・・・神田山吹「浦和ゆかりの講談二題」

2024年07月10日 | さいたま市シニアユニバーシティ大学

JR浦和駅東口のロータリーの真ん前には浦和パルコがあります。

パルコの9階と10階はさいたま市浦和コミュニティセンター「コムナーレ」になっています。

その10階の多目的ホールへとやってきました。

窓からは埼玉スタジアムや遠く筑波山を眺める事が出来ます。

講談師・神田山吹さんの「浦和ゆかりの講談二題」を聴く会に参加して来ました。

主催はさいたま市観光ボランティア・浦和ガイド会です。

ホールの入り口には”浦和のうなぎ”の幟がありました。

地元のマスコットキャラクターの”うなこちゃん”がお出迎えです。 

因みに”うなこちゃん”はアンパンマンの作者の”やなせたかし”氏の作で、さいたま観光大使です。

多目的ホールは最大で400名を収容する事が出来るそうです。

館内はほぼ満席状態です。

祖父母の影響で小さい頃にラジオの演芸番組を良く聴いていました。

落語や漫才は元より講談や浪曲を聴くのが大好きでした。

今でも時間に余裕がある時には演芸場へ足を運んでいます。

しかし、講談を聴くのは本当に久しぶりです。 

開演の時間となり女流講談師・神田山吹さんが登場してきました。

神田山吹さんはさいたま市の出身で今でも地元に住まわれているそうです。

本日の演目は浦和ガイド会が書き下ろしたという新作講談です。

慶応2年(1866年)に埼玉県久喜市に生まれ、のちに”公園の父”と呼ばれた”本多清六”の生涯とその活動を熱く語ってくれました。

今や東京都民憩いの場としてだけでなく海外からの観光客も多く訪れる「明治神宮の森」。

明治天皇の崩御に伴う神宮造営は全国から10万本の樹木の寄贈が有り延べ11万余人の青年が植樹に参加したそうです。

その森を設計し造園に尽力したのが”本多清六”です。

約100年を経て樹木は70万本に増えて、3000種余りの生き物が生息する「神宮の森」は、いまでも人出を掛ける事もなく持続しています。

しかし、その「神宮の森」の樹木は今、再開発の危機に直面しています。

先日の都知事選挙で小池都知事が3選されました。 

このまま「神宮の森」再開発計画が進められるのでしょうか・・・

 

”本多清六”は新一万円札の顔である”渋沢栄一”とも懇意だったそうです。



”渋沢栄一”に秩父にセメント産業を起こすように進言したのも”本多清六”です。

更に”本多清六”は全国の数多くの公園造りに関わっています。

北海道の「釧路公園」、宮城県の「自然公園松島」、会津若松「鶴ヶ城公園」

関東では「水戸偕楽園」、埼玉県「羊ケ丘公園」、「氷川公園」、「大宮公園」、東京「日比谷公園」

岐阜の「養老公園」、そこでのお土産に「養命酒」を販売する事も提案したそうです。

奈良県の「奈良公園」、広島県「宮島公園」等々

九州の由布院温泉が有名になったのも”本多清六”だとか。

日本全国のみならず台湾、韓国、朝鮮の公園設計・改装を提唱して「公園の父」と称されました。

久しぶりにテンポある講談の口調を聴き、改めて日本古来の大衆芸能の良さを認識しました。

 

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手話サークルが始動

2024年07月06日 | さいたま市シニアユニバーシティ大学

「遥かなる甲子園」と云う漫画を読んでいます。

原作は戸部良也のノンフィクション小説で正式タイトルは『青春の記録 遥かなる甲子園 聴こえぬ球音に賭けた16人』です。

沖縄県に実在した、風疹聴覚障害児のための聾学校「北城ろう学校」(漫画では『福里ろう学校』)を舞台に、高校野球にあこがれる少年達が、幾多の困難を乗り越え硬式野球部を作り、甲子園を目指すというものです。

高校生たちが障害を負った原因は、1964年、前回の東京オリンピックの年に、当時、アメリカの統治下だった沖縄で大流行した「風疹」でした。

漫画の中に手話の描写が沢山出てきます。

ストーリーを追いながら読んでいるとその手話の描写が心に沁みます。

今年の5月にギリシャを公式訪問した秋篠宮家の次女・佳子さまがアテネにある聴覚障害者やその家族を支援する施設を訪れ、ギリシャの手話で挨拶されました。

敬礼するような手話の「こんにちは」で挨拶し、手を開いて集めて頭の上でピースサインをするような手話で「本日はお会いできて嬉しいです」と、相手に感謝の気持ちを伝えられました。

心に訴えかけるのは言葉じゃないんですねぇ〜! 

私も手話が出来るようになったら良いなぁ〜・・・

と思っていたら、4月から通い始めたシニア大学のサークル活動の中に手話サークルが有りました。

お〜、これも何かに縁です。

と云う事で、韓国語、おもちゃ病院、太極拳、料理教室、史跡巡りに続いて手話サークルに入部しました。

色々、手を出しすぎかなぁ〜! まあ、何でもやってみましょう!!

基本的にサークル活動は自主運営なので大学の講義が無い週には別な会場を探さなければなりません。

それもようやく今月から10月まで月2回開催出来る会場を確保する出来ました。

よし!これから手話を勉強しよう!

最終目標は佳子様と手話で対話する事です!?

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歩いて史跡巡りサークル・・・上野恩賜公園 その3

2024年06月30日 | さいたま市シニアユニバーシティ大学

続いて「国立西洋美術館」へとやって来ました。

フランス政府により寄贈された、印象派の絵画およびロダンの彫刻を中心としたフランス近代美術の優れたコレクションが展示されています。

オーギュスト・ロダン《考える人(拡大作)》

オーギュスト・ロダン《カレーの市民》

エミール゠アントワーヌ・ブールデル《弓をひくヘラクレス》

オーギュスト・ロダン《地獄の門》

常設展は無料で見学出来ます。

時間の関係で足早に見学です。

公園内には全長約70mの前方後円墳もあります。摺鉢山古墳です。

上野大仏へやって来ました。

寛永八年(1631)に初建された上野の大仏様は度々罹災(りさい)しましたが、その都度復興されています。

しかし関東大震災によりお首が落ち、第二次大戦時には軍の供出令(きょうしゅつれい)により胴体を徴用されて、お顔のみが残されました。

大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。

「花園稲荷神社」

パワースポットとして人気のようです。

「清水観音堂」へ向かいます。

徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の観音様を祀るお堂です。

上野公園一帯の中で、現存する最古の建造物で国の重要文化財にもなっています。

京都の清水寺と同じ舞台造りで、眼下に不忍池を望む高台に建ち、「月の松」は歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」にも登場します。

「彰義隊戦士之墓」

最後に「西郷隆盛像」へ到着しました。

彫刻家の高村光雲が主任となって制作されました。

因みに犬好きの西郷さんが連れている犬は薩摩犬で名前は「ツン」だそうです。

西郷隆盛像の前で記念写真を撮って「上野恩賜公園」の散策は終了しました。

いやぁ〜、半世紀ぶりに修学旅行気分を味わいました! !

 

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歩いて史跡巡りサークル・・・上野恩賜公園 その2

2024年06月29日 | さいたま市シニアユニバーシティ大学

「旧東京音楽学校奏楽堂」を見学しました。

玄関横には東京音楽学校の卒業生である滝廉太郎像がありました。

「東洋のロダン」と呼ばれた彫塑家、朝倉文夫作です。

滝廉太郎は1894(明治27)年、15歳の時に入学、1898年に本科を卒業し、研究科に進みます。

23歳で結核でこの世を去りました。

正面屋根に切妻状のレリーフ飾りがあります。

中央に火炎太鼓、それをはさんで、雅楽で使う笙と西洋の竪琴が並んいます。

2階ある日本最古の洋式音楽ホール「奏楽堂」です。

瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。

その舞台には日本最古のコンサート用パイプオルガンが設置されています。

上野動物園はパスして先に進みました。

「小松宮彰仁親王」の騎馬像です。

明治維新の功労者の一人で会津征討の総督に任じられ、日本赤十字社にも貢献されました。

「上野東照宮」へとやって来ました。

寛永4年(1627)、藤堂高虎の屋敷地に創建された神社で祭神は徳川家康です。

石造りの明神大鳥居は関東大震災でも少しも傾かなかったほど立派な鳥居です。

水舎門を通り参道を進みます。

参道の両側には諸国大名から寄進された200基の石灯篭がずらりと並んでいます。

神楽殿

48基の青銅製灯篭

唐門の手前には水屋が2つあり、唐門に向かって左にある「手水舎」には水盤に水がありお清めができます。

向かって右の水屋には水がなく 大きな鈴が吊るされています。

鈴には 『 明治7年6月 石屋八右衛門 』の文字が刻まれています。

昭和30年頃に珍品であるため人目に付くところとしてこの水屋につけられたとのこと。

「江戸三大石匠」の一人とされた「井亀泉」酒井八右衛門の狛犬

筋骨隆々です。

「唐門」までやって来ました。

日本には一つしかない金箔の唐門です。

扉には梅に亀甲の透彫、門柱には左甚五郎作昇竜(右)降竜の高彫、門の側面左右上部の松竹梅に錦鶏鳥の透彫など非常に精巧を極めたもので明治40年(1907)に国宝に指定されました。

虎の親子の石彫。

大楠の御神木

時間がなかったので中には入らず、ここで御参拝をして終了しました。

さて、次は何処へ行く・・・続く

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歩いて史跡巡りサークル・・・上野恩賜公園 その1

2024年06月28日 | さいたま市シニアユニバーシティ大学

RSSC同窓会料理サークルに続いて、さいたま市シニアユニバーシティ大学の歩いて史跡巡りサークルのイベントに参加して来ました。

今期初めて入学したさいたま市シニアユニバーシティ大学ですが、一堂に会しての講義は月一回のみで、受講生が自主運営するサークル活動に重点が置かれています。

地元のシニア間のコミニケーション作りを重視していると云う事でしょうか。

サークル活動は史跡巡り以外にも花巡り、囲碁、麻雀、詩吟、能楽・講談観賞、手話、蕎麦食べ歩き&蕎麦打ちサークルなど沢山有ります。

史跡巡りサークルのイベントは今回が第一回目です。

所属人数は35人で、そのメンバーを3チームに分けてチーム毎に活動する事になりました。

今回はAチームとBチームが合同で「上野恩賜公園」の史跡巡りを行いました。

JR上野駅公園口にある「東京文化会館」の前に平日の朝9時20分に集合です。

9時半から予め検討しておいたルートに沿って公園内を散策しました。

まずは「国立西洋美術館」。 まだ会館時間前でしたので、後で立ち寄ります。

天気は良かったですが、日中は暑くなりそうです!

公園内の緑が濃いですね〜! 平日なので空いていますが、やっぱり外人が多い・・・

そんな林の中を歩いていると、何やら銅像が見えて来ました。

「野口英世博士像」です。

昭和26年(1951)に福島県出身の玉応不三雄によって建立されました。

「噴水広場」に来ました。 池越しに大きな建物が見えます。

この建物は「国立博物館」です。

1872年(明治5年)に創設された日本最古かつ最大の博物館です。

日本とアジア諸国の美術品や考古学上貴重な遺産約8万9千件が収蔵されています。

館内を見学するとそれだけで半日掛かりますので、今回はスルーです。

その「国立博物館」の横には「黒門」が有ります。

江戸時代、因州(鳥取県)池田家の江戸上屋敷正門として、丸の内大名小路(現・丸の内3丁目)に建てられた黒くガッシリとした門です。

加賀藩前田家の屋敷門だった”東大の赤門”に対して、”上野の黒門”と並び称されています。

 

「黒門」の先には緑色の重厚な扉が有りました。

地下に眠る京成電鉄の「旧博物館動物園駅」の入口です。

利用者の減少などを理由に1997年4月に営業休止、2004年4月に廃止となりました。

そこの交差点を渡ると右手にレンガ造りの門が有りました。

「東京藝術大学」の校門です。

その左手には「旧東京音楽学校奏楽堂」が有ります。

東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890)に建築され、日本における音楽教育の中心的な役割を担ってきました。

ここで、館内を見学します。

続く・・・

 

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