Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

英会話の授業で息子ヒーローになる!~日本の中学その3

2008-11-23 | 日本の中学校
上の息子が日本の公立中学に通いだして、一番面白かった話は、英語の授業。まず、英文法の授業で、息子が英語を発音するたびに、「オオーッ」とみんなの驚きの反応があったらしい。

英語を息子が話す前、みんなから、例のごとく、帰国子女にとってお決まりの質問が息子に浴びせられた。「B君、英語ペラペラ?」おお、きたきた。
息子は、「いや、まあ、日常会話ぐらいなら」と控えめの答え。現地校に通っていた子供たちよりも全日校に通っていたので、本人の中でも正直「日常会話程度」という意識が高い。スムーズに英語がでないときもあるからだ。

そして、回数としては少ないが、今月英会話の時間があった。黒人の先生で、英作文の課題が自分の仲の良い友達へのさまざまな質問。みんな頭をかかえて書く中、すぐにすらすらとできた息子。最初に発表の場が与えられ、みんなの前で発表する。シカゴからきたということで、まず「おお、シカゴボーイ!」とこの先生に言われたらしい。息子は、久し振りに英語をしゃべったため、ついついいつもの調子で英語がでてしまったらしい。気がついたときは、みんなあっけにとられた顔で息子を見ていて、ますます調子づいたらしい。いつもの息子の日本語の「機関銃トーク」と同じように英語がすごいスピードででてしまった。

息子の発表が終わったら、みんなから大きな拍手が沸き起こる。そして、「なーんだ、B君、英語ペラペラじゃん!」と言われたんだって。そうか、みんなから見ると、やっぱり息子はペラペラの部類なのねえ。よく、帰国子女の雑誌の体験談で、帰国子女が回りの目を恐れて、わざと日本語英語を話すというのを目にするが、息子の学校は素直に受け止めてくれるようで、息子も自然に振舞えるので、安心した。そう、この学校の生徒たちは子供っぽいが、とても素直。

それで、初めての英会話の時間なのに、それ以降、隣の女の子に通訳したり、教えたりで、ほとんど先生のアシスタント状態。先週の2回目の英会話の時間にいたっては、息子の発表の途中からは誰も理解できていなかったよう。先生と息子の会話も理解している生徒はあまりいないかもしれないとのこと。この黒人の先生もネイティブでなく、スパニッシュなまりがあるらしい。息子も聞き取りづらいと言っているから、こんなんで大丈夫なのだろうか。みんなの英語が恐ろしくスローの日本語英語なので、息子はいたく心配している。「あなた家庭教師できるんじゃない」と思わず言ってしまった。小学校から英語環境にいたというのは、すごいことだったんだ。シカゴで野球やバスケットのチームを通して、アメリカ人のお父さんたちやチームメートたちと普通に会話していたことは大きい。

また、社会の地理の授業では、今アメリカをやっている。イリノイ州の農業の状況を先生が息子に説明させてくれたらしい。先生の説明の後、「なっ、そうだろ、B君」と確認されるらしい。ワシントンDCのことも出て、「B君、ワシントンDCは行ったことがある?」と先生から聞かれる。
「ええ、ありますよ、修学旅行で」と思わずとっさに答える息子。
その瞬間、「え~!修学旅行!!」とみんなの驚きの声がまた教室中に響く。
「飛行機で行ったんだよね?」
「勿論、飛行機です」
「え~!ひこ~きぃ!」またまた、驚きのみんなの反応。
「バスかなんかで行かないの~?」
「君たち、アメリカの広さを知らないねえ~。車なら3日ぐらいかかっちゃうよ」と息子切りかえす。

みんな日本国内の旅行が多いだろうから、息子の話はみんなにとってさぞや刺激的であろう。アメリカでどんな家に住んでいたかなどさまざまな細かな質問をまだ女の子たちから受けているらしい。みんなにとっても息子のような帰国子女の存在は、視野も広がって、いい刺激になるのではないか。


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