Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

息子明日嵐のナンバーを踊る!~中学の選択体育「ダンス」のクラス

2009-12-16 | 日本の中学校
明日、息子たち7人の男子中学生は、人気グループ、今年の嵐のヒットナンバー「Crazy Moon~キミ・ハ・ムテキ」を踊る。
選択体育のダンスのクラスでグループに分かれて競い合うらしい。
このダンスのクラス、男子のグループはさすがに1つだけ。
つまり、男子でダンスを選択したのは、息子を含めて7人だけらしい。

息子がダンスを選択したのは、女の子たちにとってかなり意外性があったらしい。
「剣道かと思っていた」などと言われたらしい。
しかし、息子は見かけと態度は戦時中の軍人みたいにバカまじめなんだけど、踊りは嫌いではなく、手足が長く体が柔らかいので、割とうまいほう。
今回の振りもかなり複雑なんだけど、1回見ただけで覚えてしまったという。

さて、今回の指導は、嵐の大ファンだというイケメンで、お母さんたちに圧倒的な人気を誇るH君。
「Hさん」と唯一さん付けされるほど、お母さんたちから一目おかれている。
彼は、頭もいいが、運動神経抜群で、スタイルもよく、音楽や芸術の感性もかなりいいらしい。
というわけで、H君がすべてしきって、みんなの振りを完璧に指導したらしい。

最初、出だしのマツジュンの気障なパートを息子がやるはずで、ユーチューブを使って、しっかり振りを決めていたのだが、(うーん、夜中ユーチューブを見ながら、踊っている息子の姿を想像して、なんとも複雑な気分に陥ってしまったが)途中で、アクロバティックな動きまでできるやり手のO君にそのパートは取られてしまったらしい。
これもH君の命令だそうだ。

それにしても、H君が完璧に嵐のナンバーを指導できるってことは、日々受験勉強をしながら、大きな鏡を見ながら嵐の振りを研究しながら、踊っているのだろうか?
息子と2人でその話をしたら、なんだか妙な気分になっていった。

この嵐のナンバー、女の子たちの間でも評判らしく、みんな期待して明日の息子たちのパフォーマンスを待っているらしい。
だが、だが、だが、今日になって、肝心のH君が熱をだしているとか・・・
息子が電話したら、「絶対に明日行くから!」とのこと。
がんばれ、H君。
私も見たいわ!

http://www.youtube.com/watch?v=3IlZBfIdibw
嵐のこのナンバー、やっぱり本物はカッコいい!
嵐に関心のないシカゴの保護者の皆さま、ぜひ見てみてください!

松井秀喜選手赤のユニフォームか!~エンジェルスへ移籍

2009-12-15 | メジャーリーグ
去就が心配された日本人メジャーリーガー松井秀喜選手。
やっと移籍先が決まったようだ。
アナハイム・エンジェルスとニュースに流れている。
息子と2人で、「赤のユニフォーム、似あわねえだろうなぁ・・・」とぼやく。
あのおなじみのヤンキースの濃紺のピンストライプのユニフォームから真っ赤かのユニフォーム。
全然ピンとこない。

以前、ホワイトソックスにいた井口選手が電撃トレードで、フィリーズに移籍したときの赤のユニフォームに違和感があった。
こい黒や紺色から赤って、着ている本人もすごい違和感を感じることだろうなあ。

エンジェルスっていうと、外野手兼指名打者のスラッガー、ブラジミール・ゲレロ。
変わった名前だけど、ドミニカ出身。
アメリカ駐在中、シアトルで、マリナーズ対エンジェルス戦を見た帰りに日本レストランの紅花へ寄った。
席があくのを待っていたら、メジャーリーガーの軍団がやってきた。
主人がいち早く、「ゲレ~ロが目の前にいるぞ!」とささやく。
イケメンの黒人が異彩を放っている。
メジャーリーガーのオーラが紅花にプンプンただよっている。

その日、ゲレロはホームランを打っていた。
すかさず、息子はゲレロに挨拶しに行った。
しかし、舞い上がっていた息子は、おつきの人とゲレロを間違えてしまう。
おつきの人はやさしく、「(奴は)あっちだぜ」とゲレロを指さす。
息子、緊張しながら、「今日はグレートなホームランでした!」と城島ティーシャツを着た姿でのたまう。
それでも、ゲレロは、「うん、うん」とうれしそうにうなずきながら笑顔を返してくれた。



そうです、この日は城島選手のデビューの日で、城島選手もホームランを放っていたのでした。
そのときの紅花の人の話では、エンジェルスの軍団はシアトルに行くと、必ず紅花に寄るんだそうだ。

そんな思い出のエンジェルスに松井選手が入る。
残念ながら、ゲレロは来季はエンジェルスにはいなくなるというから、松井選手との共演は望めない。
ごめんなさい、松井選手の話からゲレロに移っちゃって。

来年は赤のユニフォーム姿がしょっちゅうテレビ中継されるのね!


追伸

ちなみに、紅花で席に座っていたら、今度はいくつかのスパニッシュの家族軍団が横でテーブルを囲んでいた。
よーく見ると、中にその日の先発でそのときのサイヤング賞投手、コロンがいた。
みんな質素な格好で、とてもメジャーリーガーの家族にはみえなかったので、隣にいたアメリカ人にメジャーリーガーだと告げると、びっくりしていたようだ。
しかし、城島がコロンからホームランを打っていたので、城島ティーシャツをきていた息子たちは、さすがにコロンには挨拶に行けなかった。
「行ったら、コロンに殴られるぞ!」と主人に脅されていたからである。



手帳ブーム~でもいい手帳が見つからない!

2009-12-14 | 日本生活雑感
日本では手帳がブーム。
本屋に行くと、手帳コーナーに山のように手帳が積んである。
先日、ニュースでも手帳がブームだと紹介していた。
手帳と言えば、ビジネスにつきものだが、ユニークな歴史手帳やキャラ系の手帳などその人の趣味に応じて、さまざまな手帳が売られている。

もともと手帳はいつも持っていて、スケジュールをたてるのに役立てていた。
しかし、アメリカ滞在中は子供たちのスケジュールでカレンダーが埋まっていたから、いつもカレンダーを見ながら毎日あちこちに移動。
手帳は必要なかった。

去年日本に帰国してから、仕事をするようになり、再び手帳が必要となり、購入しようとしたときには、手遅れで手帳がどこにもなかった。
つまり、日本は年末前の時期から来年の手帳が山のように並び、来年になるとあっという間に姿を消すということなのだろう。
手帳がないというあまりの不便さに、自分で手帳を作ったほどだった。

このように去年の失敗があったので、来年の手帳は早々と買おうと物色し「手帳は高橋」という高橋の手帳を買ったのだが、またしても失敗だった。
大きさはカバンに入りやすいB6(この大きさでいいんだっけ?)で、ピンク。

このデジタルの時代において、今や若者も老人もみんなマイ手帳を愛し、さまざまなことを手帳に書きつける時代だという。
アナログな雰囲気で、思いついたことをすぐに取り出して自分の文字でうつせるというのが、なんともいいのだろう。
何かのビジネス書に「メモを1冊のノートにまとめろ」と書かれていて、それを実践したら、今年かなり便利だった。
だから、スケジュールとともにさまざまなアイディアやころがっている情報を手帳に書いていけば、考えていることや情報を引き出したいときに便利だろうとメモ書きの大めの手帳にしたのだが・・・

1ヶ月のスケジュール欄が各月ごとにとんでいて、続けてスケジュールを見るのに不便であった。大失敗だ!960円ぐらいしたのに・・・
おまけに、1ヶ月のスケジュール欄の1日がとてもスパースが小さくて、書きづらいったらありゃしない。

またまた、いいのを物色するか、この手帳で我慢するか・・・
お勧めの手帳があったら教えてください。


高校受験に向けて最後の三者面談~書類作成大詰め

2009-12-11 | 日本の教育一般
今日は雨が降りしきる中、上の息子の中学にて、高校受験の重要な三者面談があった。
今週は下の息子のインフルエンザ等で予定を変更して、うちは今週の面談の最後となり、じっくり担任の先生と話ができた。

最初に志望校の最終確認。
前に息子が提出している紙に書かれている学校とはこの1週間で大きく変わってしまっている。
そう、第2志望校が一転、二転し、昨日家族で話し合い、急遽浮上してきた学校をインターネットで調べ、今日私が願書を購入し、電話で個別相談の手続きをしたというホヤホヤの志望校を報告。

ウーン、こんなことってあるのかいな。
この数ヶ月ずっと第二の志望校に考えていた私立の学校が野球をやる環境が悪いということが今週判明した。
思い切って顧問の先生に練習内容を電話で聞いてみたら、練習するグラウンドが学校からかなり離れている場所にあり、ホームグラウンドもかなりせまい部分しか使えないということがわかったのだ。
それを聞いて、息子は(泣く泣く)きっぱりと志望校から消えてしまったというわけ。

その代わりに、書類選考と面接だけで受験ができる学校も急遽滑り止めとして浮上。
息子は大喜びで受ける気満々だったのだが、(こんな楽な受験はないわな)昨日主人の猛反対に合う。
この学校は現地校出身の帰国子女が多いとあって、私も主人も日本人学校出身の息子に合っていると思えなかった。
また、1月の終わりに合格発表と手続きがあり、第一志望の私立や公立の発表の前に多額な入学金を払わなければならない。
主人は猛然と「すでに2校も滑り止めの学校を確約として確保しているのだから、それでいいんじゃないか!」
「何十万もの入学金を捨てるなんて、滑り止めの学校にはならないのではないか!」
私も勿論そう思ったのだが、知名度の高いその学校を押さえることで、息子が安心して第一志望の学校を受けられるのなら、コツコツ貯めたお金を使ってもいいのではないかとも思ったのだ。

シカゴ仲間の先輩ママ、Kさんに相談したときは、「みんな30万は捨ててるわよ!うちだって(受験のとき)捨てたし、Mさんちだって捨てたのよ!」とはき捨てるように言われた。
KさんちもMさんちも娘さんたちは同じ国立高校に通っている。受験のときは、2人とも女子の最難関校、慶應女子に合格したが、国立をとったので、入学金を捨てたのだ。
ううっ、だが、慶應女子に合格したなら惜しくないよなあ。
そんな輝かしい事実を得たという勲章ではないか!

そうしたら、主人がいきなり「よっしゃ!それじゃ、オレが探してきたいい学校を教えてやる!」と言い出して、新しい志望校を告げる。
私が遠いので、まったく無視してきた学校だった。
主人は、以前本で読んだとき、埼玉でのびてきている学校と書かれていたという。
インターネットで調べたら、充分通える距離であった。
細かくプログラム内容が列記されていて、施設は抜群によく、部活も活発でバランスのとれた学校のようだ。
もう主人は自信満々で、してやったりの顔。
息子も私もあっけにとられた顔で、納得。
なんで、もっと早く教えてくれなかったんだよ!
と私たちはややむかつく。

というわけで、担任の先生に大幅に入れ替わった志望校を言う。
先生はびっくりするわけでもなく、「それじゃこの滑り止めの2校きっちゃえば!」と消してしまおうとする。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!」とあせる私たち。
とりあえず、志望校として残してもらう。
志望校に落ちた場合、どちらの学校を取るか今の時点で息子は決めかねているようだ。
先生は、第一志望の私立が落ちた場合、公立の結果が出るまで、じっくり決めればいいと冷静にアドバイスをしてくれた。

私が、今私立向けの過去問対策で公立用の理科、社会を勉強していないことに不安があることを言えば、先生は「私立が終わった時点で、集中的に理社をやれば大丈夫だよ。直前の方が頭に入るから」と集中力勝負の息子にぴったりのアドバイスをくれた。
この先生はいつも太っ腹。
小心者の母親である私のつよ~い味方だ。

おお、肝心な内申を聞き忘れそうになった。
2学期は1アップの目標の成績達成!
総合的な高校へ出す内申も1学期と変わらず、文句のつけようがない結果だった。
「ありがとうございます!」と思わず先生と握手してしまった私。

「公立を3教科の帰国枠で受けたほうがいいか」聞くと、ぎりぎりまで成績を見守るということになった。
そして、重要な受験手続確認書と調査書作成願いをもらい、来週中に提出するように言われた。
その他志望校合格後の他の学校に対する細かな手続きのノウハウなども教えてもらい、ほっとする。
ベテランの女の先生なので、そつなく押さえるべきことを的確に教えてくれるので、本当にありがたかった。

この受験手続確認書や調査書作成願いに基づいて、計画的に生徒たちの書類を作成していくというから、先生たちの仕事量はすさまじいものがある。とくに公立高校に準拠している調査書を作成するのは簡単らしいが、その高校独自の調査書だと、手書きにしなければならないので、時間がかかるので、こういう作成願いが必要だという。
志望校を選ぶのに私たちは時間がかかったけど、やはり中学あっての高校受験なのだとつくづく思った。

さて、帰ってからこの書類を作成し始めた。
願書の方も息子と2人でほとんど書き上げているから、かなり書類作成が進んでいるような気がしてきた。
そして、最後に決めた滑り止めの志望校の個別相談会にも今月行かんとね。
まだまだ、12月もバタバタである。



新型インフルエンザの威力

2009-12-09 | 日本生活雑感
今週はしんどい週であった。
下の息子が先週末より新型インフルエンザに感染しているのが判明。
ひたすら看病の毎日で、私も疲れてしまい、咳が出始め、今日は1日寝込んでいた。

金曜日の朝、息子の体温が普段より高めで、咳もしていたのに、本人が大丈夫だというものだから、持久走に参加させてしまい、金曜の夜にはぐったり。
私の仕事も研究発表授業で忙しかったため、夕方まで家におらず、息子の異変にまったく気付かなかった。
ああ、後悔先に立たず・・・

土曜日病院に行くと、「バッチリ陽性に反応してます!インフルエンザA型です!」と看護婦さんに言われる。
熱はさほど上がらず、土曜日にリレンザを服用したら、日曜に熱は下がった。
しかし、夜から咳はひどくなる一方で、月曜日に再び病院に行くと、気管支炎を併発しているという。
抗生物質をだしてもらったが、咳がずっとおさまらず、私はハラハラドキドキ。
一日中「エホ、エホ」と今までにない軽い乾いた咳をし続けているので、他の器官もやられているのではないかと心配になる。
肺炎を起こしていないか・・・
リレンザの副作用ではないか・・・
インターネットでさまざまな咳の症状や副作用なども調べる。
夜になってもおさまらないので、保健センターの先生にも電話して聞く。
熱も下がり、食欲があるなら、大丈夫とのこと。
気管支炎の咳はおさまるのに時間がかかるという。

火曜日にもう一度病院へ連れて行く。
胸の音はきれいなので、咳止めの薬をもらう。
火曜日の夜は、ひっきりなしに咳。
新型インフルエンザはかなりきついなぁ。

みんな同じように苦労しているのだろう。
高熱が三日続いたとか、頭痛がひどく脳症を疑ったとかいろいろと親たちは大変なようだ。
息子の学校の4年生は11月の段階で、すでに半数近くの児童が新型に感染している。
今週は息子の班は全滅らしい。
先週インフルエンザにかかっている子が班にいて、週末3人がやられ、今週は息子を含めてこの3人がお休み。

水曜日の今日、やっと息子の咳がおさまってきた。
と同時に、昨日の夜から咳が出だした私。
体がだるく、朝から息子とともにふとんにくるまって寝込んでいた。
先ほど病院に行ったら、熱がないので、「看病疲れですよ!」となじみの看護婦さんに言われる。

「毎日お世話になります」と先生に頭を下げる。
この近所の先生外科が専門だが、内科もいつも的確な判断で、うちの家族は助かっている。
私たちは健診もこのクリニックを利用する。

今回の新型インフルエンザ、この近所の病院に行くだけでなんとかなってよかった。
とにかく、息子のインフルエンザが沈静化したので、ほっとした。
私の風邪も薬をもらったので、すぐに治るだろう。
今回新型インフルエンザの猛威をいやというほど知ったので、皆さまくれぐれも気をつけてください。



小学校英会話活動の研究発表の授業が終わった!~「どこでもドアで世界旅行をしよう!」

2009-12-05 | 日本の教育一般
昨日は私が勤務する小学校の英会話の授業の研究発表の日だった。
各地の小学校や中学校の先生方、教育委員会の方が見にこられ、かなり緊張した。

一緒に英会話の授業をやる担任の先生のレッスンプランがシンプルかつセンスのいい内容だったので、思ったよりスムーズに進行し、あっという間に終了。
無事に終わったので、ほっとした。

内容自体はかなり凝っていて、世界の国々の言語や文化を事前に子供たちが調べ学習し、各国のブースを設け、その国の人あるいは旅行者となり、その国の名所を聞き、パスポートにスタンプを押してもらう。
このアクティビティのタイトルが「どこでもドアで世界旅行をしよう!」で、子供たちは、世界旅行の疑似体験ができるとあって、見学者の目など気にせず、ワクワクしながら英語を使ってコミュニケーションを楽しんでいた。子供たちが調べた国の言葉で挨拶をかわし、書かれた時差時計で時差も確認する。

ALTは、出身のボリビアの名所を紹介。
私は、長年住んでいたアメリカの名所を紹介。
グランドキャニオン、マウントラシュモアなどを写真入りで紹介したら、みんな目がきらきら。

コミュニケーション活動の前は、ボリビア、アメリカ、日本の名所の写真を使ったカルタで、この日の表現、「What's popular in xxxx?」を繰り返し練習する。
この表現で、アクティビティでも各国の名所を聞く。
私たちもアメリカとボリビアのブースをもらって、子供たちと活発なコミュニケーション活動。
みんな私がアメリカの名所を答えると「Good!」とありったけの笑顔を返してくる。
普段、あまり英語活動に積極的でない子も一生懸命英語を話している。

パスポートは、担任の先生が本物そっくりに作って用意。
この手作りバスポートがニクイ!
表紙は先生がきれいにパスポートの日本国の部分の文字をレタリングし、中身も本物そっくりに書かれており、きちんと担任の先生の名前と「学級担任印」という見事な彫りの四角い印鑑まで押されている。
ここまですると、もう子供たちのハートをつかむのは容易である。
思わず私も「記念にこのパスポートをほしい」ともらってしまった。

調べ学習の掲示には、夜の時間の国と昼の時間の国を飾りやカーテンで表したりと担任の先生の細やかなアイディアがちりばめられ、わかりやすく、生き生きとした異文化体験の場となっていた。
自分たちで調べた国を紹介することも誇らしいのだろう。
「自信を持って紹介しているようだった」と後で見学者の方から指摘があった。

私はこの先生のお手伝いができ、子供たちと思い切り楽しめたのがよかった。
授業のあと、子供たちはパスポートを持って、サインをもらうため、ALTに群がる。
子供たちに大人気のALTオスカーである。
と思っていたら、「Kuni先生サインして!」とみんなこちらに群がってきた。
こんな瞬間、サイコーじゃない!
小学校の先生って大変だけど、やっぱり心の底から楽しいって思える。

この日、授業が始まる前、子供たちをリラックスさせるため、このクラスのオリジナルの歌を先生が先導してみんなで歌っていた。
みんなで創作したというその詩に、思わずジーンとしてしまった。
研究授業のことは一瞬忘れて、そんな感動の場の一部になれて幸せであった日だった。