本巣郡史の船木庄に関するページの中ほどに
「船木三郎頼胤」美江寺過去帳とある。
「胤」が付くという事は、千葉氏との関係があったためなのではないかと思う。
頼胤の父は舟木氏で母が千葉氏とすれば、一人「土岐七郎左衛門尉」に嫁いだ千葉胤綱の妹がいた。
この女性の子が「頼胤」だろうか。胤綱は1208年生であり、其の下の四人目の妹と成る。
本当につながっているのかどうかはわからないが、ヒントかもしれないと思ってここに書き留めておくと、
https://hotokami.jp/area/chiba/Hkmts/Hkmtstk/Dysks/47596/
船木七郎次郎中務丞行胤がいる。
この船木氏がもともと土岐氏の裔なのかもしれない。しかも海上胤方の四男。とすれば、土岐船木氏に養子に入った可能性もある。
もともと東氏と土岐氏は婚姻関係がある。
土岐光行の妻は東胤頼の娘である。
其の東氏の一部は海上氏を名乗るのである。
船木七郎次郎中務丞行胤(海上郡船木村)とあるので、たまたま偶然の船木という苗字なのだろうか?
ココをもう少し掘ると何か出てきそうと思う。
この周辺は、富木常忍と関係が深そうな箇所である。
皇典講究所講演: 第101-110号
驚きである。片岡常春が地頭とある。
やはり、ココの海上郡船木氏と九里の祖、其の周辺は繋がっているのではないだろうか?
あれだけこだわってきた片岡氏。
船木氏と片岡氏、時間差はあれど「つながり」を見つけた!のである。
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