当ブログ内を【佐野】で検索してみると、
小堀氏は秀郷流佐野氏の庶流と書いていたことが分かった。
今年の9月17日の記事である。
姓氏家系大辞典では、
此の7の佐々木氏流と8の藤姓江州佐野氏が関係しそうであると思う。
同書、22は下に貼ってある。
佐野氏の成俊は近い存在であったのかもしれない。木村成俊ではなさそうである。
佐野という名のついた神崎郡と浅井郡の場所を確認してみた。
神崎郡は、伊庭氏のお膝元である能登川の近くである。
こちらは、伊庭氏の被官であった九里氏と関係がありそうな場所である。
浅井郡の佐野(二枚目の地図で赤い点で囲まれている場所)は京極氏のお膝元であったかもしれないと思う。
(小堀氏の居た小堀町とも近い…↓三枚目の地図赤い枠は小堀町)
何か、つながりがありそうに思えてきた。
近江国には、秀郷流が荘園管理をしていたと思われる節があったではないか。
この能登川付近の佐野に近い処では、豊浦庄など秀郷流の時代があったのではないだろうか?
近江国の佐々木氏が力を持つ以前から秀郷流は近江で活躍していた時代が長くあったのだろう。(田原藤太の活躍に始まり…)
その後、平安後期から鎌倉時代には、秀郷流と佐々木氏も近い関係となったのだと思う。たとえば、佐々木経高が、秀郷流や宇都宮氏のごく近いところで育てられていたなど…
安蘇郡佐野庄の場所である。↓