web情報に、淳仁天皇のことが出ておりました。~~ 菅浦と関係があったのですね!
菅浦には奈良時代の淳仁天皇にまつわる伝承があるそうです。
奈良時代、藤原恵美押勝の乱がきっかけとなり皇位を奪われてしまった第47代淳仁天皇。
皇位を奪われた淳仁天皇は淡路国(現在の淡路島)へ流されたと伝えていますが、菅浦では、淳仁天皇は淡路国ではなく菅浦へ流されたと伝えられているそうです。
恵美押勝の乱で道鏡や孝謙上皇に敗れた淳仁天皇は都を追われ、琵琶湖を渡り菅浦の地に隠棲したそうです。
また、一般的に淡路と伝えられているのは実は「淡海」の間違えであったと伝えられています。
なぜこのような伝承が残されているか定かではありませんが、廃帝となった天皇をお守りしてきたのが菅浦の人々であったと今でも語り継がれ、集落の西に建つ【須賀神社】は、淳仁天皇の御陵ともいわれているそうです。
そして、この淳仁天皇の父こそ、近江国御家人井口中原系図の「天武天皇~舎人親王・・・」とある舎人親王です。淳仁天皇は、舎人親王の七男なのです。
天武天皇の孫でもあります。
九里も菅浦と関係がありました。九里(源)員定や、九里隆員などが、文書に残っております。
このあたりにやっと繋がりらしきものができてきて、新しい展開となるかもしれません。