源季貞(飯富季貞)の兄弟【源季光】その季光の息が【源光行】なのだそうだ。
【 平家物語と源光行】第1巻 に光行の系譜があった。
それによると、
清和源氏満政流
満政ー忠重ー定宗(大懸)ー重宗ー重実・重時他ー季遠(養子)(若狭住人)ー光遠(養子・改め光季)ー光行ー親行他・建礼門院美濃
二代にわたり、養子が続いている。
しかし、大懸というキーワードが出てきた。
関係があるかどうかは不明であるが、上総介広常の妹か娘かと婚姻関係のある原氏は大懸神社の宮司であったと思う。
さらに、千葉氏の執事的な役割を持っていた法橋長専や常忍のすぐ近くに光行がいたかもしれないのだ。
闘諍録という平家物語の異本があるそうで、源光行も関わっていたかもしれないという。
三善康信(1140年生)と源光行も、年齢は18歳違うが同じ時代を生きていた。ともに京から鎌倉へやってきた仲間である。鴨長明とも親しかったそうだ。
源光行は1163年生まれという。もしも、もしも、だが、土岐光行ではなく、この源氏物語の研究者であった源光行が常忍の父であったならば53歳の時に生まれた5男であった・・・・となるのだろうか?
調べていくと、どんどん今まで知らなかった情報が集まってきた。
もっと調べ、まとまってから記事にしたいと思う。
法名は「寂因」であったそうだ。(1235年歿か?)