このようなことをセレンディピティserendipityというのだろうか?
古代の本を、特に倭国の周辺事情を知りたいと思い書棚に向かった。
たまたま手に取って開いた【本当は恐ろしい万葉集】の部分が、これまたたまたま開いた【倭国の時代】の部分と、時代的にも重なっていて、同一人物が登場していた。
A:本当は怖ろしい万葉集 小林惠子 著作 祥伝社
B:倭国の時代 岡田英弘 著作 ちくま文庫
Aの51~ 開けた部分 宝姫・文姫に目がいき、
Bを手に取り、217頁が開かれ、そこにも「宝姫(ほうき)・文姫(ブンキ)・善徳女王」が登場していた。
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ココから何かがわかるかもしれないよ~?と教えてくれているのかもしれない。
A: 新羅の「文姫」こそ額田王である。
B: 新羅の武烈王金春秋と、七世紀の英雄金庾信(キム・ユシン)の妹の文姫との恋愛物語である。… ヘーロドトスの「歴史」にはこれらと同じ話が、…
Aを読んでいくと、金庾信(キム・ユシン)という人は、532年に新羅に降伏した金官加羅国王の末裔で、宝姫・文姫の本当の兄ではないようだが、
wikipediaによると「金庾信の妹が武烈王(金春秋)に嫁いで文明夫人となり、その長子が後の第30代の文武王となる。金庾信自身も後に武烈王の三女を智炤夫人として娶っており、新羅の王族ではなかったが王族との関係は親密であった。」
Aにある系図によると、文武王となった法敏の母(或いは点線は可能性を示しているか?)は宝姫となっているが、文姫の可能性もあるのではないだろうか?
その武烈王の叔母が《善徳王女》、従兄弟が《義慈王(百済 31代目国王)》、息に《文武王=法敏》がいて、
義慈王が登場している。
依知にいた「朴市秦造田来津」とつながってきた。
額田王が武烈王の妻であった時代があったかもしれないという説は私にとっては新鮮であり、万葉集の裏読みをおこなっていたのではないかということの強い裏付けにもなっているように感じた。ただ平成15年の作品なので今はもう、違う説が出ているのかもしれないが…
Aの系図では、文武王が文武天皇という説になっているが、
文武王は626生-681年没
文武天皇は、683生‐707年没とされているため別人と思う。
この倭国という概念が私にはなかったためこれから学んでいこうと思う。