今日、『カウボーイビバップ』がついに最終回と相成りました。
いやぁ、泣いた泣いた
宣言どおり涙が止まりませんでした。
そして改めて『カウボーイビバップ』は私の最も愛したアニメだと思いました。
十年前、中学生の頃に観たときとまったく変わらず、私の胸に刺さる作品です。
じつをいうと当時の私はそうとうアニメにハマっておりまして、アニメ雑誌を毎号読み、放映中のアニメと主要な声優さんをひととおり把握していたのですが、『カウボーイビバップ』に出会ってからはかつてのようにアニメ全般を愛せません。
まるでラストシーンのスパイクと一緒に燃え尽きてしまったかのようでした。
あ、今「燃え尽きた」とか書いたけど、スパイクは断じて死んではいませんッ!!!!!
最終話でスパイクは宿敵ヴィシャスの待つ組織の本部ビルに単独で乗り込み対決します。
死闘の末ついに倒れたヴィシャスを残してスパイクは去ろうとしますが力尽き、階段の途中でくずおれるのでした。
そして最後、安らかに目を閉じるスパイクの横顔が映し出されて『ビバップ』は幕を閉じます...。
しかしスパイク役の山寺宏一さんと同じく、私もあのスパイクは「気絶してる」だけだと固く信じています。
さいわい(スパイクが生きているという証拠もありませんが)スパイクの死を決定づける描写はなされていません。スタッフの皆さんのインタビューでも、死んだとは一言も語られてません!!!
ヴィシャスが死んでしまったことは確かなのですが...。
だから今夜私が流した涙のほとんどはヴィシャスのためです。
viciousの名前にふさわしく凶暴で邪悪で、スパイクの宿敵であり、彼を殺すことを一心不乱に求め続けていた男ですが、なにしろ私はこの人を憎むことなどできません。
最終対決の前に「おまえを殺せるのは俺だけだ」と語るヴィシャスに、「おまえとはこうなる運命だ」と返すスパイク。
私にとってはその運命こそが何より切なくて悲しいのです。
だってね。ヴィシャスの残虐な性格は前からかもしれないけど、スパイクとの因縁はヴィシャスにとってはどう考えても悲劇としかいいようがないのです。
そもそものきっかけは数年前、仲間だったスパイクがヴィシャスの恋人を奪った上、組織(マフィアのです)を抜けて彼女を連れて逃げようとしたことなのです。
スパイクの裏切りを知ったヴィシャスは、女に銃を突きつけて「お前がスパイクを殺すか、二人揃って殺されるか、おまえが選べ」と迫ります。
しかし女は結局スパイクと待ち合わせた場所に現れず、ヴィシャスの前からも姿を消して、組織に追われる身となります。スパイクもまた逃げおおせました。
つまりヴィシャスは女もスパイクも殺すことができなかったのです。
でも、ヴィシャスほどの男が二人とも取り逃がすなんてことがあり得るのでしょうか?
彼が望めば二人を見つけだすことも殺すことも決して不可能ではなかったはず。
女に殺すか殺されるかの選択を迫ったことは一見残酷な行為のように思えますが、もっと確実な方法(スパイクを捕らえてから女に殺させるなど)はいくらでもあったはずです。
もちろんあえて二人を見逃したとは思いません。
自分を裏切った二人に対して憎しみを抱くのは当然のことです。
それでも確実な方法を選ばなかったのは、彼の思いが愛憎半ばしていたことを示唆しているように思えてならないのです。
仲間と恋人に裏切られてからのヴィシャスは「信じるものなど無い」と言い放ち、過激な制裁を好み、組織の幹部として君臨します。
周りがみんな飛び道具なのに自分の武器は日本刀ってとこも好きだし。あ、これは私の個人的嗜好ですが。
いつも接近戦というわけにはいかないんだからどうみても不利な武器だと思うんだけど、あくまでも自分の流儀をとおすところが好きです。これが自分の信念にまっすぐな彼の性格を象徴していると思うし。
その点、スパイクは逆に一見確固たる「自分」てものが無いように見えます。水のように形が定まらず、とらえどころがないようです。
でもそれは他人による干渉を受けないための一つの方法であるともいえます。ヴィシャスが自分の流儀を固持することで他者の介入を許さないのとは正反対だけど、「外部からの力によって自分を変えさせられることが決してない」という点において、両者は共通しているといっていいかもしれません。
私は確固たる自分自身というものを持っていて、自分の核となる部分はどんな圧力を受けようと決して変えない人が好きです。
スパイクとヴィシャスはどちらもまさにそういうタイプ。ただその方法は真反対なので、相容れることはかなわず、やはりこうして闘うしかなかったのでしょう。
スパイクは「過去にケリをつける」と決意したら最後、現在の仲間のジェットとフェイがどれほど引き止めようとしても、梃子でも意志を曲げませんでした。
これぞ私の愛する「自分自身が揺るがない性格」なのですが、いつもの「あんな奴ら仲間じゃないも~ん」といったひねくれはどこへやら、感情をむき出しにして引き止めようとする二人には泣けました。
涙ながらに「あたしの居場所はここしかないのに、出ていかないでよ」と訴えるフェイ姐さん、それでも最後は飯を作って軽口を叩いてあっさり見送ろうとするジェット、どちらも普段のひねくれた言動に隠れていた愛を感じます。
そんなジェットとフェイのためにもスパイクは生きていてほしい。
しばらく経ったらひょっこり戻ってきて、またお互いにひねくれた軽口を叩いて、何事もなかったかのように賞金稼ぎとしての日常に戻ったらいいと思います。
少なくとも、私はそうだと信じていたいものです。
いやぁ、泣いた泣いた

そして改めて『カウボーイビバップ』は私の最も愛したアニメだと思いました。
十年前、中学生の頃に観たときとまったく変わらず、私の胸に刺さる作品です。
じつをいうと当時の私はそうとうアニメにハマっておりまして、アニメ雑誌を毎号読み、放映中のアニメと主要な声優さんをひととおり把握していたのですが、『カウボーイビバップ』に出会ってからはかつてのようにアニメ全般を愛せません。
まるでラストシーンのスパイクと一緒に燃え尽きてしまったかのようでした。
あ、今「燃え尽きた」とか書いたけど、スパイクは断じて死んではいませんッ!!!!!
最終話でスパイクは宿敵ヴィシャスの待つ組織の本部ビルに単独で乗り込み対決します。
死闘の末ついに倒れたヴィシャスを残してスパイクは去ろうとしますが力尽き、階段の途中でくずおれるのでした。
そして最後、安らかに目を閉じるスパイクの横顔が映し出されて『ビバップ』は幕を閉じます...。
しかしスパイク役の山寺宏一さんと同じく、私もあのスパイクは「気絶してる」だけだと固く信じています。
さいわい(スパイクが生きているという証拠もありませんが)スパイクの死を決定づける描写はなされていません。スタッフの皆さんのインタビューでも、死んだとは一言も語られてません!!!
ヴィシャスが死んでしまったことは確かなのですが...。
だから今夜私が流した涙のほとんどはヴィシャスのためです。
viciousの名前にふさわしく凶暴で邪悪で、スパイクの宿敵であり、彼を殺すことを一心不乱に求め続けていた男ですが、なにしろ私はこの人を憎むことなどできません。
最終対決の前に「おまえを殺せるのは俺だけだ」と語るヴィシャスに、「おまえとはこうなる運命だ」と返すスパイク。
私にとってはその運命こそが何より切なくて悲しいのです。
だってね。ヴィシャスの残虐な性格は前からかもしれないけど、スパイクとの因縁はヴィシャスにとってはどう考えても悲劇としかいいようがないのです。
そもそものきっかけは数年前、仲間だったスパイクがヴィシャスの恋人を奪った上、組織(マフィアのです)を抜けて彼女を連れて逃げようとしたことなのです。
スパイクの裏切りを知ったヴィシャスは、女に銃を突きつけて「お前がスパイクを殺すか、二人揃って殺されるか、おまえが選べ」と迫ります。
しかし女は結局スパイクと待ち合わせた場所に現れず、ヴィシャスの前からも姿を消して、組織に追われる身となります。スパイクもまた逃げおおせました。
つまりヴィシャスは女もスパイクも殺すことができなかったのです。
でも、ヴィシャスほどの男が二人とも取り逃がすなんてことがあり得るのでしょうか?
彼が望めば二人を見つけだすことも殺すことも決して不可能ではなかったはず。
女に殺すか殺されるかの選択を迫ったことは一見残酷な行為のように思えますが、もっと確実な方法(スパイクを捕らえてから女に殺させるなど)はいくらでもあったはずです。
もちろんあえて二人を見逃したとは思いません。
自分を裏切った二人に対して憎しみを抱くのは当然のことです。
それでも確実な方法を選ばなかったのは、彼の思いが愛憎半ばしていたことを示唆しているように思えてならないのです。
仲間と恋人に裏切られてからのヴィシャスは「信じるものなど無い」と言い放ち、過激な制裁を好み、組織の幹部として君臨します。
周りがみんな飛び道具なのに自分の武器は日本刀ってとこも好きだし。あ、これは私の個人的嗜好ですが。
いつも接近戦というわけにはいかないんだからどうみても不利な武器だと思うんだけど、あくまでも自分の流儀をとおすところが好きです。これが自分の信念にまっすぐな彼の性格を象徴していると思うし。
その点、スパイクは逆に一見確固たる「自分」てものが無いように見えます。水のように形が定まらず、とらえどころがないようです。
でもそれは他人による干渉を受けないための一つの方法であるともいえます。ヴィシャスが自分の流儀を固持することで他者の介入を許さないのとは正反対だけど、「外部からの力によって自分を変えさせられることが決してない」という点において、両者は共通しているといっていいかもしれません。
私は確固たる自分自身というものを持っていて、自分の核となる部分はどんな圧力を受けようと決して変えない人が好きです。
スパイクとヴィシャスはどちらもまさにそういうタイプ。ただその方法は真反対なので、相容れることはかなわず、やはりこうして闘うしかなかったのでしょう。
スパイクは「過去にケリをつける」と決意したら最後、現在の仲間のジェットとフェイがどれほど引き止めようとしても、梃子でも意志を曲げませんでした。
これぞ私の愛する「自分自身が揺るがない性格」なのですが、いつもの「あんな奴ら仲間じゃないも~ん」といったひねくれはどこへやら、感情をむき出しにして引き止めようとする二人には泣けました。
涙ながらに「あたしの居場所はここしかないのに、出ていかないでよ」と訴えるフェイ姐さん、それでも最後は飯を作って軽口を叩いてあっさり見送ろうとするジェット、どちらも普段のひねくれた言動に隠れていた愛を感じます。
そんなジェットとフェイのためにもスパイクは生きていてほしい。
しばらく経ったらひょっこり戻ってきて、またお互いにひねくれた軽口を叩いて、何事もなかったかのように賞金稼ぎとしての日常に戻ったらいいと思います。
少なくとも、私はそうだと信じていたいものです。