90年余の歴史がありますが、街中のこじんまりとした教会です。
毎年1回、このころ永眠者記念礼拝が行われます。1年ぶりの教会です。
別に郊外の復活苑(納骨堂)でも年1回春先に記念礼拝が行われます。
私のキリスト教行事参列はこの年2回だけです。
いつものように賛美歌を数曲歌い、頌栄にも和し、牧師さんのお説教に
耳を傾け、無事終わりました。
顔見知りもだんだん減りましたが、昔お世話になったmaseさんを見つけ
「生前は大変お世話になりました。お変わりなくお元気そうで・・・・」
お互いありきたりの挨拶を交わした後、別の知人とお話ししているうちに
このmaseさん、maseさんであることは間違いないのですが
ご子息であることが判明。
冷静に考えれば30年、40年以上も前の容貌であるはずがない。
やはりお父上の永眠者記念礼拝に来られていたらしい。
何の疑いも抱かず挨拶した私を、
ご子息maseさんはどう思われたでしょう。
言い訳になりますが、瓜二つとはこのこと。
終わってすぐ帰られたので助かりました。
お父様と間違えました、と言うのもへんですし・・・・
出かけると、なにやかやとミスをしでかす今日この頃です。
注意したいと思います。
今回は偶然にも会話の中で不自然なことはなく恥をかかなくて済みました。
行く先々で高齢化を実感しています。
思わずご挨拶をなさるほどですから、よほどよく似てらっしゃったのですね。
顔見知りの方が減る中で、ハッとさせるものがReiさんにおありだったのでしょうね。
息子さんも戸惑われたかもしれませんが、お父様にご報告の一つができたのでは。
いつまでもお変わりなくて、と私
お陰様でと先方。
会話としては成り立っているわけですが、
相手の息子さんはどのように思われたか
知りたい思いです。
亡夫も大学生の時、日曜学校に参加していたようです。
賛美歌を歌ったことを思い出します。
歌詞はすっかり忘れましたが、お土産の菓子は
覚えてます。
60過ぎると親子の見分けがつかない⁉︎
そんな経験はよくあるようですね。
この教会も高齢化で私の知ったかたも僅かになりました。
私は父似と言われてきましたが
今は母の晩年に似てきました。
余り嬉しくないですが・・・・
似てくるのでしょうね。
私は思いませんが他人さんは姉が母親そっくりだと言います?
教会に行ってみたいといつもレイさんの日記を読んだら思います。
この日は好きな382番があって嬉しいでした。
1 花彩る春を この友は生きた、
いのち満たす愛を 歌いつつ。
悩みつまずくとき、この友の歌が
私をつれもどす 主の道へ。
2 緑もえる夏を この友は生きた、
いのち活かす道を 求めつつ。
悩みつまずくとき、この友のすがた
私をふりかえる 主の道で。
3 色づきゆく秋を この友は生きた、
いのち 他人のために 燃やしつつ。
悩みつまずくとき、この友は示す
歩みつづけてきた 主の道を。
4 雪かがやく冬を この友は生きた、
いのちあたためつつ やすらかに。
この日、目を閉じれば 思いうかぶのは
この友を包んだ 主の光。
教会での賛美歌は心が洗われたこと
でしょう。
私は中高大と全部、ミッションスクール
でしたから、賛美歌は大好きです。
しかしながら毎回あるお説教、これは20分でしたが、いつも「妄想」の時間と決めて、目を瞑り聞くふりをして想像の世界に
入ってました。今になって思えば
ちゃんと説教を聞くべきでした。
2世代で、そっくり(笑)
かなり笑える話しるよ。ほんとうに
私でも間違えるかもです。
先方もこちらこそお世話になりました、と返されたので、辻褄は一応あっていましたので
救われました
息子さんの会話の後、話をした別の知人は
私が間違えているらしいと気が付かれたようです。
ヤレヤレです。
今日は永眠者記念礼拝にいらっしゃったんですね。
お疲れになられたしょう。
息子って齢を取ってくるとだんだん父親に似てこられますので、
他人が久しぶりにお会いすると間違いますよ。
私にも経験があります。
「父ではありません。息子です」と言われて恥ずかしかったこと思いだしました。