確かに那須川は倒され、完璧に負けた。それも僅かに1R。 勿論勝てる筈もない試合でもあった。でもキックとボクシングの土俵の違いがハッキリと露呈した”お祭り”だった。
一方、メイウエザーは殆どトレーニングをしていない?にも関わらず、那須川を子供扱いした。狙いすました一発のボディブローだけで、那須川はピンポンみたいに吹っ飛んだ。
当り前だ。67kg級のボクサーと57kg . . . 本文を読む
最初は、いきなりサラテと大場が闘う所から始めたかったんですが。このビッグブートが実現するまでの過程をリアルに詳細に描きたいで、全10話程の物語になる予定です。 さてと本題に移ります。 時は1976年9月、チャチャイ戦以来、実に3年8ヶ月ぶりの世界タイトルマッチです。場所は日本の新蔵前国技館で、この試合の為に急遽、2万2千に収容人数を増やしていた。お陰で、日本プロボクシング史上最高の観客動員と . . . 本文を読む
サラテが来日した当時のオッズは、8対2で圧倒的にサラテの圧勝だったが。試合直前に来て、6対4まで縮まった。イギリスのとあるブックメーカーは、ほぼ互角のオッズをつけたほどだった。 大場陣営はこれも想定内だった。サラテの戦歴を見れば、最初に8対2となるのも当然の事だった。しかし、大場のノンタイトルの4試合に限って言えば、スーパーフライのリミットで、世界ランカー相手に全てKOで下してた。 故に、オッズ . . . 本文を読む
大場ストーリーも3回目を迎えます。大場ブログの人気もしぶとく、このサラテ戦の後は、井上尚弥とのドリームマッチを計画してます。今日の3回目は少し長いですが、ご勘弁をです。 さてと、サラテ陣営は意気揚々と日本に乗り込み、苦しかった筈の減量も何とかクリアします。 互いに当日計量を無事にパスしたが。サラテ陣営は記者会見が終わると、急ぎ早に席を立ち、会場となる蔵前国技館を下見する事なく、足早に去っていく。 . . . 本文を読む
村田の檜舞台になる筈だったラスベガスでの防衛戦は結構期待したが、予想通りアッサリと裏切られた。解説するまでもない試合展開だったが、村田選手には夢を抱かせてくれて有難うと、心から感謝したい。 日頃からある程度強い相手と戦ったとかないと大舞台で恥をかくんですかね。村田選手もいい勉強になった事でしょうか。でも、1ランク下の相手にオチョクラれるとは、日本人として少し悲しい気もする。 同じミドル級で . . . 本文を読む
約一ヶ月以上ぶりの大場政夫アナザーストーリーです。イマイチ人気ないですが宜しくです。 その1では、2年半ぶりの大場の復帰3戦目まで進めました。いよいよ、メキシコの怪人サラテを日本に迎えます。 そのサラテの唯一とも言える弱点がリーチだった。身長は178センチと大場よりも5センチ高いが、リーチは僅かに170しかない。しかし、そのリーチのなさを最大の利点にした。お陰で、ガチの殴り合いとなるセメントの接 . . . 本文を読む
もし”永遠のチャンプ”大場政夫が生きてたら、たとえ事故ったとしても、運良く奇跡の復活を成し遂げてたら。そう思うと居ても経ってもいられないのが、大場ファンである。 大場政夫ブログに結構アクセスが集中してるので、この強引なテーマを思いつきました。いきなりサラテとは、少し荷が重たいですが。大場の集中力と狂気をもってすれば、非常に白熱した展開になると、私は感じてます。 時は197 . . . 本文を読む
前回”その1”(要Click)では、デュランが”ノーマス”(もう辞めた)で試合を放棄して以降、奈落のどん底に落ちる所まで話しました。 そして、デュランにとって大きな転機となるクエバス戦を迎えます。 ここでホセ•ピピノ•クエバスの事を少し。このクエバスもデュランと並ぶ、私めの大ファンです。 彼は”顎折り王者&rdquo . . . 本文を読む
昨年の11月末に立てた”ハンズオブストーン”ですが。結構なアクセスがあり、改めてロベルト•デュランの人気の凄さを思い知らされます。勿論、私めはデュランの大ファンで、彼こそがパウンドforパウンドのNo.1だと確信してます。 デュランの代名詞と言えば石の拳。ミュージシャンでデュラン•デュランというのがいたが、音楽ファンには悪いが、デュランと言えばロベルト . . . 本文を読む
神に愛された大場の眩い程の栄光も、織田淳太郎氏が描いた「狂気の右ストレート」(1996年、中公文庫)と共に、間もなく書店から姿を消す。バブル後の激しい時代変化や、流通業の悲痛な事情もあったのだろうか。 織田氏は悔やんだ。”これ程のボクサーが簡単に忘れ去られる訳にはいかない” 因みに、この「狂気の右ストレート」は、1992年に「大場政夫の生涯」(東京書籍)で刊行し、それを1 . . . 本文を読む