前回”その1”(要Click)では、デュランが”ノーマス”(もう辞めた)で試合を放棄して以降、奈落のどん底に落ちる所まで話しました。
そして、デュランにとって大きな転機となるクエバス戦を迎えます。
ここでホセ•ピピノ•クエバスの事を少し。このクエバスもデュランと並ぶ、私めの大ファンです。
彼は”顎折り王者”(ボーンクラッシャー)として恐れられ、11度の防衛の内ノックアウトは、実に10回を数えた。日本での辻本章次との初防衛戦の記憶はしっかりと脳裏に刻まれてる。
こんなに強いボクサーが地球の裏側にいる事自体、信じれなかった。
来日したアルゲリョもゴメスもとても強かったが、クエバスは大鷲みたいに大きな羽を広げ、一気に襲いかかる凄みと華麗さがあった。
そして、ハンサムな顔立ちから睨みつける窪んだ眼光は、相手だけでなく観客も震え上がらせた。勿論、私もすくんだ。
因みに、Jrミドル級に輪島功一という世界王者がいたが、強さの次元が全く違った。彼が王者だった頃、ミドル級の主戦場はアメリカではなく、ヨーロッパだったから、運が良かっただけなのかも知れない。
皆が皆、弱かった。アルバラードも柳もボッシも弱かったが、輪島も例外じゃなかった。輪島には悪いが、根性や精神力で勝てたのではなく、単に相手が弱すぎたのだ。
クエバスVSハーンズ
このクエバスこそがウェルター級では最強の王者でもあった筈なのだ。それもハーンズに敗れるまでは。
28戦28勝26KOを誇るハーンズの破壊力も凄かったが。27勝24KOのクエバスのその敗れ方もそれ以上に悍ましかった凄かった。
初回からハーンズの突き刺す様な強打をモロに受け、”メキシコの赤い鷲”(クエバスの称号)は全てをもぎ取られた。
当時のハーンズは”モーターシティ•コブラ”という半端な異名をとってたが、その代名詞以上の破壊力があった。実はこの試合からハーンズは”ヒットマン”の異名を取る。
自信もプライドもキャリアも全てを破壊された。”真紅の伝説”のクエバスに残されたものは何もなかった。
ハーンズはクエバスの顎に左の拳を優しく添え、照準にして、右の一撃の毒牙のみでマットに沈めた。クエバスは逃げる事すら、もがく事すら、許さなかった。
まるで猛毒が全身に回ったかの様に、クエバスの肢体が麻痺した。まるで泥酔した新橋のサラリーマンの如くに意識は宙を舞う。勿論、セコンドは迷わず試合を止めた。僅か2Rの圧巻の惨劇だった。
私の心は大きく揺れた。クエバスは日本で見たクエバスと同じだった。
強打で唸る伝説の”赤い鷲”は、デトロイトの殺し屋”ヒットマン”に逃げずに戦いを挑んだ。
しかし、クエバスの破壊とハーンズの殺戮は別モノだった。前者は顎を砕いただけだが、後者は全てを木っ端微塵に破壊する。
この試合で私は、ボクシングに対する考え方が全く変わった。昨今のボクシングを馬鹿に蔑む様になったのは、このハーンズのせいでもある。そういう私もハーンズにボクシング観を見事に破壊されたのだ。
クエバスの凋落とデュランの復活と
この敗北以降のクエバスは、魂を抜かれた様に下降線を辿った。早熟という言葉が使われるが彼に対して失礼だ。単にハーンズが強かったに過ぎない。
あの頃は、皆が皆強かった。今だったら皆10階級を制覇した事であろう。世界王者であれば”霊長類最強”と持て囃されたであろう。その霊長類最強者たちを木っ端微塵に破壊した男がまさにハーンズだったのだ。
そして、その下降線を辿るクエバスとかつて、下降線を辿ってた復活を願うデュランの互いのメンツを掛けたガチンコ対決の幕が落とされた。元メキシコの伝説と元パナマの英雄とが火花を散らしたのだ。
序盤こそ往年のクエバスを彷彿させるシーンも見れたが。逆にデュランの闘争本能に火をつけ、クエバスはまんまとその餌食となった。
接近戦に磨きをかけたデュランは、見事に息を吹き返した。消えかかってた情動も、錆び付きかかってた石の拳も、凄まじい程に躍動した。
個人的には、デュランのベストバウトと言っていい試合だった。
そして、タイトルと引退を賭けたデビー・ムーア戦。
ロッカーには親友でライバルのレナードがいた。”お前ならやれるさ”と彼の優しい瞳は語っていた。
圧倒的不利と見られたが。デュランは初回からペースを握った。クエバス戦同様に接近してムーアのパンチを殺し、ボディに強打を集めた。全くレナード戦の再現だった。
7回、疲れの見えるムーアに、見事な右クロスを合せ、ダウンを奪う。続く8回、容赦ない波状攻撃でムーアをカンバスに沈めた。ムーアの歪み切った表情が印象的だった。史上7人目の3階級制覇を果たすと共に、完全復活をアピールした。
黄金のミドルへ
しかし奪ったタイトルは、所詮Jrミドル。当時はスーパーという称号ではなく、Jrと言って馬鹿にしてた時代。
何とか黄金のミドルが欲しいデュランは同年、3団体統一世界ミドル級王者のマービン・ハグラーに挑む。防衛戦を全てKOで飾る”マーベラス”の異名を持ち、ミドル級史上最強とも言われてた、ヘビー級の破壊力を備えるハグラーだけに、全くの無謀と思われた。
ここでも、デュランは敢えてハグラーの懐に飛び込み、接近戦を挑んだ。ハグラーの裏をかき、左右のショートを的確に当て、互角の戦いを演じた。しかし、4階級の急な体重増加のお陰で、終盤にスタミナをロス。ハグラーの強打をまともに浴びて、判定にもつれるも惜敗する。
試合後、デュランはレナードに吠えた。”お前ならハグラーに勝てる”と。実際にそうなるのだが、デュランは急ぎすぎた。性格や気質もあろうが、もう少し時間を置いて戦うべきだった。
翌年、”ヒットマン”ハーンズに挑戦するも、壮絶な3RKO負けを喫し、リング上は震撼し、ラスベガス中に恐怖と戦慄が走った。”ラスベガスの恐怖”として後々まで語り継がれる試合になる。
全盛期のハグラーですら、手こずったデュランを子供扱いした、ハーンズの破壊力は驚異に値する。まるで、デュランが”ノーマス”と心の中で叫んだかの様な、見事な負けっぷりだった。
無冠となったデュランは、その後もリングを離れる事はなかった。しかし事実上、彼のボクシング人生は終わってた。周囲は彼に対し、心の中で”ノーマス”(アイツは終った)と呟いた。
しかし、彼は諦めなかった。一度諦めた人間は、二度と諦めないものだ。黄金のミドルの夢を叶えるまでは。それだけ当時のベルトというものは、底なしの価値を持ってたのだ。
宿敵バークレー戦
5年後、デュランが38歳の時。WBC世界ミドル級王者アイアン・バークレーに挑む。彼は、あの伝説の破壊王ハーンズを二度も下した、ハグラーに劣らずタフな重戦車級のファイターだった。
しかしデュランは、自分よりずっと若くパワーのあるバークレーに対しても全く動じる事なく、これも得意の接近戦に誘いこんだ。
野獣を彷彿とさせるバークレーの重たいパンチを貰いつつ、石の拳を的確に見舞い続けた。ライト級の世界ランカーなら既にカンバスに沈んでたろう。デュランもタフならバークレーもそれ以上にタフだ。
しかし、デュランの接近戦での超高度なテクニックは、スラムの領域を遥かに超えてた。レナード戦でのムーア戦でのハグラー戦での経験は伊達じゃなかった。
今度はハグラー戦とは違い、デュランのスタミナが最後まで落ちる事はなかった。
そしてとうとう11回には、デュランの神業的コンビネーションでダウンを奪う。試合全般は殆ど互角だったが、このダウンが勝敗を分けた。
判定は割れたが、2人のジャッジがデュランの勝ちを支持。若い頃とは一味違う技巧派の面を発揮し、念願のミドルを獲得し、デンプシーの格言(ヘビーはミドルとは闘えない)をも下したのだ。まさに4階級制覇がくすむ程の衝撃でもあった。
長々とデュラン伝説を書きましたが。彼の接近戦での攻撃と防御が一体化したテクニックは史上最高峰とも言われ、YouTubeでも詳しく紹介されてます。
見れば一目瞭然ですが、”神の防御”で逃げ捲るメイウェザーや、ドーピングで逃げたカネロとは肝の入り方が違うんですね。
デュランの防御こそが正真正銘の”神のデフェンス”なんです。
レナードも含め、80年代はウェルター級の黄金時代。このクラスではハーンズが最強といってもいいでしょう。ハグラー戦でもハーンズが拳を骨折してなければ、全く逆の展開になってたかな。
勿論、1階級下のJrウエルターには26戦連続KOの世界記録を持つ狂人プライヤーもいたんですが。シャブ中にならなかったらいい線行ってたかもしれません。
全盛期のハーンズは、ヘビー級よりも、ありと戦った猪木よりも強いとされてました。この黄金のウェルターがミドルもヘビーも呑み込んだのです。
パッキャオもゴロフキンも偉大ですが。格が違い過ぎますね。私も転んださん同様に、昨今のボクシングに見切りをつけてる方です。特にカネロのドーピングはアカンですね。
プライヤーも懐かしいですね。レナードとの対戦が期待されてたんですが。レナードの網膜剥離でキャンセルになったんです。
やったとしてもレナードが圧倒したでしょう。プライヤーはビーストと怖れられてたんですが。フェザー上りのアルゲリョに苦戦し、薬物にまで手を出しました。デュランとは、いい勝負になるとは思いますが。接近戦では石の拳に分がありますね。
あと、ウエルター級では、セルバンテスやムアンスリンなんかが印象に残ってます。彼らに冠してもブログ立てたいんですが。狂人伝説とかでね。
リナレスはもっと手数を出すべきだったのに、それをさせないロマチェンコのテクニックとスピード。体重はひとクラス下だが、世代の違いを感じました。
象が転んださんは、このロマチェンコとデュランが戦ったらどうなると思いますか。
いい試合だったですね。私も見ましたよ、勿論。でも、リナレスは少し打たれ弱いですな。
ロマチェンコの高速連打と軽いフットワークは芸術的でした。でも、リナレスはもっと左を出すべきだった。右に頼り過ぎて、体が開き、ガラ空きになったボディに、左をモロに食らった。
6Rのダウンは、理想の右でしたが、その後が攻めきれない。この時点でアウトだと。ロマチェンコ対策も十分に練ってたろうが。大半の予想通り、ロマチェンコが全てで上回ってたのかな。
さてと、デュランとの対戦となると。ロマチェンコは相当に苦戦するね。ハグラーやバークレーのミドル級の強打にも耐えうるデュランは、接近戦でも遥かにロマチェンコを上回る。ロマチェンコは、レナードみたいに距離をとり、スピードを活かしたヒット&ウェイで戦うしかないか。
KOにしても判定にしても、デュランの圧勝でしょうか。異論反論お受けします。