先月初めの事だが、柳川市の最低気温はマイナス4度の日があった。これはニューヨークのマイナス1度やTOKYOの1度を大きく?上回っていた。
こんな事があっていいのか?
地球温暖化はウソだったのか?
脱炭素運動はどうなるのか?
これ以上冷え込んだら、敢えてCO2を撒き散らし、”寒冷化”から地球を守るべきなのだろうか。
緯度で言えば、ニューヨークは40度、TOKYOは36度。一方で我が柳川市は33度である。
どうりで、酒を何杯呑んでも酔わない。
こんなに寒いのは生まれて初めてである。それにこれだけ寒い日が続けば、雪くらいは降るだろう。しかし、雪は降ってはくれない。
これこそが異常気象なのか?それとも自然から見れば誤差に過ぎないのか?それとも単なる神様の気まぐれか?
話題は変わって、今日は”今の若い者には負けられへん”と息張る頑固親父について語りたいと思う。
隣組の総会にて
これも先月の事だが、久しぶりに総会というものに参加した。
おらが部落の公民館の世話人の任期(2年)が切れ、世話人の選出と公民館の維持についてが主な議題である。
実を言うと、私の部落には公民館が2つある。村の方に古い公民館があり、町?の方に新しい公民館がある。新しいとても築30年になる。
なぜ、1つの部落に2つの公民館があるのか?
それは、新規住宅群やに加え、市営団地と県営団地がすぐ近くに出来た為に、部落のキャパが急速に大きくなり、新しい公民館が必要かも?との議論が湧いてきたのだ。
丁度その時、これまた近くの不動産事務所が土地を安く提供すると言うので、1件あたりウン万円を出し合い、隣組30件の共同出資で公民館を作った。
勿論、激しく反発する人もいた。しかし、多勢に無勢であっさりと決まったようだ。
私はと言えば、興味すら覚えなかったので全て母に任せていた。
でも、最初は調子良かったみたいで、長らく封印されてたお祭り(淀君祭)は復活し、部落も活気づき、新しい公民館は機能したかに思えた。
しかし、所詮田舎は田舎、過疎は過疎である。柳川が田園調布になる筈もない(悲)。
回を重ねる毎にお祭りは衰弱し、やがてストレスが溜まるだけの近所迷惑?な催しに成り下がった。そして最後は、予算の都合で中止になった。まるで(大風呂敷を広げすぎた)アベノミスクの行く末と同じである。
(頼みの)お祭りが消滅すると、公民館を利用する機会も少なくなり、(総会以外では)殆どが”用なし”になってしまった。まるで、”老兵は死なずただ消えゆくのみ”の状態である。
そういう私は公民館の世話人でありながら、お袋の介護などに時間を取られ、内心では”公民館なんてアホ臭”と思いながら、半分ほどしか参加していない。
世話人は4人1組で、できるだけ近い歳同士の人で構成される。しかし高齢化問題は田舎ほど深刻で、悲しいかな(60近い)私達の世代が一番若い。
故に、ダラダラと(無用な筈の)公民館が維持されたのだろう。若いのがそこそこいれば、もっと早い時期に処分(又は破棄)されてかもだが、年寄ばかりではそれだけの体力も知力も勇気もない(多分)。
一体、何の意味があるんですか?
総会では、世話人の改選が行われたが、次期世話人の大半が80歳前後である。息子や息子嫁がいれば代わりができるが、独り世帯や老夫婦世帯だと無理がある。
ただ、世話と言っても年に2回の掃除と1度の集金と、それに2年に1度の総会の準備だけだから、負担と言うほどでもないが、高齢者にはやはりキツい。
実は、この公民館の創設に中心的役割を果たしたクソ親父だが、”もう世話ができる歳ではないので、<名誉会員>として名簿だけは残して欲しい”とホザいた。
この言葉に私はキレた。
しかし、もっとキレたオバサン(いや、オネー様)がいた。
”一体、この公民館に何の意味があるんでしょうか?皆さん何にも思わないんですか?”
場は、一気に静まり返る。
”私は最初から(公民館の新設には)反対でした。でも、それを口にしたら怒られて、とても悔しい思いをしました”
まるで私が言いたかった事を、そのまま聞いてる様な気がした。
”これこそが総会のあるべき姿だ”と妙に納得する。
私よりも数歳年上だが、誰よりもバイタリティーに溢れていた。怒りというより咆哮に近い言葉は更に続く。
”ここに来てる人たちを見てください。みんな老人じゃないですか。白髪混じりで老いぼれで・・・こんな状態で世話が出来ますか?本当にあなた達は、この公民館が世話するに値すると思ってるのですか?”
周囲は、より一層静まり返った。
まさしくその通りである。しかし、この言葉が誰に向けられてるのかは明らかだ。
誰も口を開く者はいなくなった。
私は内心”いい感じになってきた”と喜んだ。実は、公民館を売却するプランを前もって用意してたからだ。
それに、(吠えまくった)オネー様は次第に孤立しつつある。
(世話人の役目を果たしてない)私は、生意気にも口を開いた。
”最初からこうなる事は解ってたんです。でも解ってて誰も何も言わない。世話役の人と事前に話し合ってたが、公民館を売却する事もオプションの1つだと思う”
私は会計さんに、公民館の家屋と土地の評価額を説明するよう仕向けた。
会計は、”売るにしてもとても評価額では売れない。でも、隣接するゲートボール場をセットにすれば、何とかなるかもしれない”と、説得に近い言葉を注意深く並べる。
そこで先程のオネー様が再び吠えた。
”売るにしても、地権者30人の名簿が必要でしょう。その名簿はちゃんと揃ってるんですか?揃ってなかったら、売ろうにも売れないですよ。揃えるのなら、今がその時期じゃないでしょうか”
全く、予想以上に事が進みそうな(嬉しい)展開になってきたではないか。
事実、地権者の2人は地元を既に離れている。転出先を調べ、名義を変更する必要があるかもしれない。
我らは実は、そこまで織り込み済みだったのだ。
会計は、慎重に言葉を選ぶ。
”第一のステップとして、転出した2人の住所を探し出す必要があります。それをしないと売るにも売れない”
その時から場がざわめき出した。
ある人は、今すぐにでも作業に取り掛かった方がいいと言う。死んでしまえば余計にややこしくなるからだ。
しかし、年配のオヤジ達は公民館の維持と存続をやんわりと訴える。
世話人の1人が”今はこれくらいにして、それらの手続きはこれからゆっくりと話し合って・・・”とお茶を濁そうとした。
私は生意気にも口を挟んだ。
”それじゃ遅すぎる。今やらないとダメだ”
先程のオネー様も”今やらないで何時やるんですか?”と血相を変える。
ある人は、”でも、これからこの部落は発展するかもしれないし、少し様子見でも・・・”とヤンワリ反論した。
私は”いや、発展しないかもしれない”と釘を刺す。
(ずっと俯いたままであった)問題のクソ親父が低いドラ声で吠えた。
”皆が売りたいのならそれでいいじゃないか。時代は変わったし、皆がそれでいいのなら、そうするしか仕方ないじゃないか・・・”
親父は口惜しいせいか、最後にはブツブツと愚痴っぽくなっていく。
少し苛ついた世話役の1人が、”ではこれでお開きにしましょうか”と最後を締め括った。
私は会計と目を合わせ、互いに微笑み、その目は”してやったり”感で充足していた。
しかし、問題の親父は未だにブツブツと愚痴っている。脊椎反射系はこれだから困る。
このクソ親父は、”老兵は死なずただ消えゆくのみ”という言葉すら知る筈もない。
最後に
(事前のプラン通りの)とても充実した総会だったが、建設的な意見が出た事も大きく評価したい。
従来の殆どの総会は、前任者の仕事をそのまま引き継ぐだけで、急速に高齢化する後任者はかなり疲弊する。最悪、”俺は出来ん”と突然、世話を放棄する。
だったら、世話人を改選する毎に仕事を簡略化すればいい。全てはお互いの為である。
しかし現実は、面倒な事やややこしい事は若い世代に身投げし、自分は胡座を掻き、”これもしろ、あれもしろ”偉そうに愚痴をこぼす。
田舎には、こうしたまともな教育を受けていない(態度と顔だけはデカい)脊椎系が多い。またこういうのに限り、”若者には負けられん”と意地を張る。
意地を張るのは勝手だが、迷惑を掛けるのは勝手ではない筈だ。
今回の総会で勉強になったのは、男よりも女の方が思考が柔軟で先へ進んでるという事。今の老いた自分の、あるがままの現実を受け入れるのも勇気の1つである。
気持ちだけ若くても、老いと劣化は否応なしに加速する。
今の若者は勉強もしないし、諦めも早いし、活字も読まない。彼ら彼女らには”若さ”という強力な武器があるが、”バカさ”という致命傷も持ち合わせる。
しかしそれに対し、我ら中高年には”経験”というボロ衣しか持ち合わせていない。
”継続は力なり”ではないが、どんな事でも続けりゃいいと、頑張ればいいと思ってる。
時代は我ら中高年が思う以上のスピードで進んでいく。同じ様に、老いも劣化も加速する。
コピーを何万回も繰り返せば、コピーミス(劣化)やコピー漏れ(老化)が起きる様に、我ら中高年は自分が思ってる以上に、急速に老いぼれていく。これを止める事は誰も出来ない。
だったら、思考を転換するしかない。
無駄(余計)とリスクを徹底的に排除し、明日の世代に繋ぐ。若者が棲みやすい世界は、我ら中高年にも棲みやすいのだから。
我ら田舎なんですよね。
まるで避難民みたいで
冷静に考えれば解ってはいたんですが
その時の勢いってのもあるから・・・
でも一歩前進したお陰で、とても有意義だったと思います。
コメントありがとうです。
売却、上手くいくことを祈ります。
僕の住む町は、人口微増ながら、
古い住宅街・地区は高齢化が進み、
構成数が目減り。
そちらと似た状況です。
ご近所付き合いも考えねばなりませんね。
会計さん、吠える姐さん、
象が転んだ様、ガンバレ!
では、また。
保守系?の高齢者には結構な支持があるんですよ。
正直、かなりの反発も覚悟してたんですが、オネー様の”一喝”で、場の雰囲気が一変しました。
時の流れと女性は、何時の世も強しですね。