象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

たかがブログ、その16〜ブログを始めて3年、”象が飛ぶ”のを辞める日

2020年12月27日 07時07分06秒 | ブログ考

 ブログを始めて3年が経つ。2年が経過した時には”たかがブログ11”でも書いたが、あっという間だった。
 そして、3年目もあっという間だった。6/15にブログを休止してから”アグネスがどうも・・・”がバカ当たりし、それまで3桁がやっとだったランキングは、一気に2桁の前半にまで急浮上した。
 しかし何でもそうだが、糞ブログがバカ当りした後の反動は半端じゃない(笑)。休んでた8月を頂点にアクセ数は急落し、通常の定位置に戻った。その後ジクザグを繰り返し、12月初め、TOP記事の4つを非表示にした途端、一気に凋落が始まり、今では4桁のランキングまで落ち込んだ。


素人ブログの限界

 別に、アクセ数やランキングを意識して、ブログを始めた訳でも書いてる訳でもない。しかし、大衆レベルでどんな記事が好まれ、嫌われてるのかは、ある程度把握は出来る。

 ”たかがブログ11”でも書いたが、2年目から素人ブログの限界を既に感じてはいた。
 沢木耕太郎さんの言葉を借りれば、周りを意識せず、好き放題書く事はストレス発散にもなるし、自分を持する支えにもなる。しかし、それは”慰め”に過ぎない。
 事実、”イイね”の数が少しずつ増える事は悪い気はしない。しかし今から思うと、沢木氏が言う様に、単なる慰めに過ぎなかったのだろうか。
 確かに、書きたい事は山ほどある。書きたいというよりも、自分を慰める為に書くといった方が正解かもしれない。

 そして今、自分を慰める事にも飽きてしまった様な気がする。アホ臭と思っても、書き続ける事で、ある種の自己満足と自己憐憫に浸ってたのかもしれない。
 権力を汚物とみなせば、政治家はその汚物に群がるハエである。同じ様に、SNSをネットが生み出した排泄物とみなせば、私はその排泄物に群がるハエである。
 つまり、私が吐き出す排泄物に、沢山のハエが群がれば、それはアクセ数としてアカウントされる。そして、そのアクセ数は排泄物の餌となり、ネット上に無限に浮かぶ汚物は増殖と変異を繰り返し、爆発的に拡散する。
 そう考えれば、ブログを書いててアホ臭となるのも当然ではある。

 我々人類は今、ネットという汚物が浮いた大海を泳いでいる。そこには腐った情報やデマやフェイクで溢れかえり、24時間365日休まずに、ひたすら悪臭を放つ。
 そんな無限の肥溜めの中から、数少ない有用な情報をつまみ上げ、知識や教養という真水で汚物を洗い流し、自分色にコーティングした記事を再び、汚物の大海へと流し込む。
 まるで、ネットの浄化水槽システムのような気もしないが、ネット上の記事は浄化されない限り、汚物のまま腐敗してしまう。インフルエンサーという名のバクテリアが汚物を食い潰してくれれば、何ら問題はないが、彼らは情報を無作為に拡散させるだけだ。


象が飛べなくなる日

 私のペンネーム”象が転んだ”は、沢木さんの著書「一号線を北上せよ」の中の”象が飛んだ”から来てる。
 私は沢木氏に憧れて、レヴューを書く様になった。故に、私のブログはレヴューの延長上にある。いやその筈だった。
 しかし、ブログを書き続けるうちに、私の想像力は自らの意欲や欲望に強く刺激された。そして、色んなジャンルをテーマにして、まるで”象が空を飛ぶ”様に書いたつもりだ。いや、そんな書き方をしたかった。
 そして、その目的はある程度は成し遂げられたと思う。特に、数学(全74話)とリーマンの謎(全52話)は、ブログを始めてなかったら、やる事がなかったであろう”自分への挑戦”でもあった。

 これまで書いてきた僅か900近いブログは、私にとって満足出来るものではないとしても、私がブログと格闘してる限り、ブログそれ自体が何かを物語らない筈がない。
 しかし、それらもどかしさにも関わらず、ブログを続けようという手が止まりそうになるのは、現実が持つ不思議で奇怪な不条理に目が奪われるからであろうか?

 数時間後に死すべき運命が待ってる幼女が最後に知りたかった事が、単なる”アクセ数”という些細な事実だったら、これほど滑稽な事もない。
 しかし我々は、”ランキング”に塗れた陳腐な序列社会という腐った虚像の海に彷徨っている。
 その汚物の大海の中では、「イエスの裔(柴田錬三郎)」も「亡霊者たち(ポールオースター)」も「そして世は蘇る(原寮)」も、エロ本や漫画本や芸能週刊誌などと全くの同列として扱われる。

 勿論、傑作と言われる著書は”いいね”やアクセ数で評価する事は、まず不可能だ。しかし何度読み返しても、飽きる事もなく色褪せない古書というのは、私にとっては魔法のバイブルとしか思えない。
 つまり読む者さえいれば、その本は何かを訴えるのである。作家は空想と格闘する事で、ルポライターは事実と格闘する事で、たとえその作品が駄作に見えようと、何時になっても何かを訴えかけるものだ。

 沢木耕太郎さんの「象が空を」の”最初の十冊、最後の十冊”を眺めてるうちに、ふとそんな思いがした。



10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沢木耕太郎さん (HooRoo)
2020-12-27 07:51:59
がブログ書いたら
転んだサンみたいなかんじになるのかな
アクセ数を気にして死にいく幼女のたとえなんかまるで芸術の粋だわね

アグネスチョウにまんまと毒された転んだサンの口惜しさも理解できなくはないけど👅
アイドルに群がるハエもいつかは毒されるのよ

でも跳べなくなっても、象さんは象さんよ
ではByeBye
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勉強はこれからだ (腹打て)
2020-12-27 08:13:50
この言葉は転んだ君のためにある。
まだまだ修行が足りんということだな。
書く暮らす、そしてまた書く暮らす。
生きるってそういうことの連続じゃないのかな。

ただの象は飛ばないが、転んだ君は確実に空を飛んでたよ。オレはそう思うね。
確かにアクネスチョウには一杯毒盛られたけど、でも悪い記事じゃなかった。アイドルイベント化する民主化デモの裏を見事についた記事だったと思うよ。

彼女がオバサンになる頃には、ジャンヌダルク騒ぎもとうに去ってるだろうから、それまで高みの見物といこうや。
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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2020-12-27 09:12:43
お邪魔します。

生きる糧(仕事)ではない素人ブログは、個人の発露や記録であり、止めるも続けるも、自由。書く人の意志次第かと思います。
ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、ラインなどと比べれば、ブログはフットワークが悪く、足を止め十字ブロックで戦うインファイトのようなものかも。--- しかし記録媒体としてはまんざら悪くないと思っています。また、様々な学びの場にも感じています。

僕は象が飛んだり転んだりすることを願っています。

乱文失礼しました。
では、また。
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ペイ・イット・フォワード (平成エンタメ研究所)
2020-12-27 09:39:56
ブログを書く第一義は、おっしゃるとおり〝ストレス発散〟であり、〝慰め〟ですよね。

同時に〝自分を確認する作業〟であるとも思っています。
目の前で起きることに対して、自分が何を考え、感じたか?
この作業をしないと、日々流されていくような気がして。
まあ、これも日記で書けばいいわけで、ブログという形で公に晒す必要はないのですが……。
でも一方で自分の遺伝子というか、考えを世界に刻んでおきたいという思いもあります。

『ペイ・イット・フォワード』という映画がありました。
ひとりの人間がふたつ良いことをして、良いことをされた人もふたつ良いことをしていったら、良いことの連鎖が始まって、世界は善意で溢れるみたいな内容でした。

僕がブログを書く動機はこんな所にあります。
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アイドルに群がるハエ (象が転んだ)
2020-12-27 09:51:44
全くアグネスチョウでいい思いをし、アグネスチョウで凋落した。
洒落にもなってませんね(悲)。
でも、「クレイになれなかった男」ではなく、”沢木耕太郎になり残った男”と言われてみたいですね。

Hoo女史も勉学に頑張ってるみたいですね。おじさんは期待してます。
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腹打てサン (象が転んだ)
2020-12-27 09:57:26
実は、アグネスチョウをジャンヌダルク呼ばわりした日本のミーハー族に少し腹が立ち、敢えてああいった記事を書いたんですが、いい意味でも悪い意味でも大ウケしましたね。

本音を言えば、アグネスチョウだけでなく、他の記事も読んでほしかったんですが、そう上手くことは運ばない。
全て勉強なんですかね、この歳になっても。
コメントどうもです。
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りくすけサンへ (象が転んだ)
2020-12-27 09:59:57
貴重なアドバイスとても嬉しいです。
象が転ぶのも悪くはないですよね。飛んでばかりじゃつまんないですから。

確かにブログはフットワークは悪いですが、学習の場としては貴重な媒体ですよね。
こちらこそ色々と勉強になります。

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平成エンタメさんへ (象が転んだ)
2020-12-27 10:08:39
言われる通り、ブログは日記ではなく自分を確認する作業ですよね。
だから、自分の事や日々の事はできるだけ書きたくない。どうせ公にするんであれば、自分が主張したい事を後世に刻みたいです。
そういう意味では、私がブログを書く動機はエンタメさんと同じですね。

良い事も連鎖するんですが、悪い事や嘘はもっと素早く連鎖します。ネット上のデマやフェイクも同じですね。
「ペイ・イット・フォワード」見てみたくなりました。
コメント有難うございます。
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Unknown (kaminaribiko2、)
2020-12-27 13:44:02
自分が書きたいから書く。それに対する反応で自分が見えてくるということもありますね。

私の場合は備忘録の役目も大きいです。年取ってくると昨年のことでも忘れていることがある。Blogに書いておけば思い出せるし、写真も探しまわらなくても検索すればすぐに見ることができる。

別に人様に見ていただかなくてもいいようなものですが、露悪趣味みたいな趣味も満足させられる?苦笑

また公にするからには多少は勉強してというか確かめて書くことは自分のためになっているような気がします。
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ビコさんへ (象が転んだ)
2020-12-27 17:24:51
私の場合、ある種の脊椎反射というか条件反射で書く事が多いんですが、それすら疲れる事があります。
そんな時、読んで欲しい記事にアクセスがあり、コメントがつくととても嬉しいもんです。

しかし現実は、肥溜めの様なブログにアクセスが群がり、それらハエみたいなアクセス群は毒を撒き散らし、悪びれもせずに去っていく。そういうのが繰り返されると、流石にブルーになりますが、それがSNSの等身大の姿なんでしょうね。
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