象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『スポットライト 世紀のスクープ』〜神父の児童への性的虐待の真相

2019年02月03日 05時09分51秒 | 映画&ドラマ

 神のご加護は児童の下半身にまで及ぶ。嗚呼神さま、アンタって人は!
 今回紹介するのは、アカデミー賞で作品賞と脚本賞に輝いたトム•マッカーシー監督の「スポットライト 世紀のスクープ」(2015)だ。
 2003年にピューリッツァー賞を受賞したボストングローブ紙の報道に基づき、米国の新聞社の調査報道班として最も長い歴史を持つ、同紙の”スポットライト”チーム。
 彼らは、地元ボストンのカトリック教会の神父による、児童への性的虐待の組織ぐるみの隠蔽を暴いた。

 
広評価を裏切らない作品

 100点中93点(Metacritic)という高評価を裏切らない作品だが。内容がシリアス過ぎて、少し間延びしない訳でもなかった。
 ドキュメント大好きの私にしては、「ゾウディアク」(2007)みたいに、少し派手に大げさに仕上げてくれても良かった。神父が児童を虐待するシーンを盛り込み、センセーショナルな色付けを強くしても面白かった。
 肝心のカトリック教会の反応だが。バチカン放送は、”ボストン地区のカトリック教会の基盤を崩壊に陥れたのは、テロ攻撃ではなく、とどまる所を知らない真実の力だ。事実、最も純粋な召命の形を示して見せたのは、ボストングローブの有能なジャーナリスト達だ”とべた褒めである。
 またバチカンのとある日刊紙は、”これは反カトリック的な映画ではない。敬虔な人々がこうした恐ろしい現実の発見に対峙した時の衝撃と絶大な痛みを表現する事に成功した”と、これまた絶賛した。

 勿論、反論もある。”本作の最大の欠陥は、事件が明るみに出た際、教会の職員たちに対し、虐待をする司祭たちは治療を経れば安全だと請け合った、心理学者たちを描く事に失敗している点だ”と。
 結局、神父も所詮はエロ爺なんですな。皆でヤれば怖くないって事だろうか。
 児童虐待は性の暴走というより、暴行の中でも最も重い犯罪でしょうに。児童ポルノの問題は、一般庶民だけでなく教会をも巻き込むんですね。
 以下、Newsweek日本版を参照ですが、主観を織り交ぜ、砕いた表現で紹介します。

チーム”スポットライト”の存在

 地域に根ざしたカトリック教会という巨大権力に挑んだのは、特集記事欄”スポットライト”を担当する4人の記者。彼らが様々な困難を乗り越え、真相に迫っていく姿は、「大統領の陰謀」(1976)を彷彿させる。
 これも、ウォーターゲート事件を調査したワシントンポスト紙の2人のジャーナリストの手記を元にした傑作ドキュメンタリーでした。
 しかし、今回この作品で主人公たちが向き合うのは、ウォーターゲート事件とは異なり、単なるスキャンダルの範疇に留まらない。

 この映画は、1976年冬のボストン警察署が発端となる。ゲーガン神父が児童虐待の疑いで勾留され、別の部屋では取り乱している子連れの母親に、なんと司祭が言葉をかけてるのだ。
 警察官は、彼らの間でどんな駆け引きが行なわれているか知っていながら目を瞑る。
 それから25年が経った2001年、新聞社ボストングローブに新しい編集局長のバロン(リーヴ・シュレイバー)が赴任する所から映画は始まる。
 彼は、ゲーガン神父が30年の間に80人もの児童に性的虐待を加えていたという疑惑が、小さなコラムでしか扱われていない事に疑問を持ち、”スポットライト”で追究するよう指示する。

 ユダヤ系でボストンとは無縁のバロンは、地元出身者がタブー視するカトリック教会の権威にひるむ事はなかった。そこで4人の記者たちが調査に乗り出すのだが・・・
 シュレイバーは、ユダヤ人の狡猾さと堅固さを冷静に見事に演じてますね。感心感心。


1つの事件が歴史に変わる

 この導入部の流れでは、ゲーガン神父が聖職に留まりつつ、罪を重ねていた事実を物語るが、別な意味も読み取る事ができる。
 チーム”スポットライト”は2002年1月から報道を開始し、その後、全米の都市や海外でカトリック教会の神父による性的虐待の事実が次々と明らかになる。
 それからこの映画が作られる2015年までに、様々な検証が行われ、何と1985年までに11000件を超える事件が発生していたのだ。

 1950年から2002年までにアメリカ国内で発生したこれらの事件のうち、93%以上が1990年以前に起き、70年代をピークに65年から85年までの20年間に集中した。
 その要因として、カトリック教会という閉鎖的な組織の体質や、霊性を重視し、人間形成を蔑ろにしてきた神学校の教育方針、離婚、麻薬、犯罪などの増加と、それに連動するアメリカ社会の変化などが挙げられるが。あくまでも表面的な言い訳に過ぎない。
 ここで確認しておきたいのは、事件は歴史そのものを物語るという事だ。判りやすく言えば、黙認や隠蔽が”事件を歴史に変えた”んです。別の意味とはこういう事ですかね。


1976年のプロローグ

 1976年を背景にした、この映画のプロローグは、性的虐待のピークを示唆してもいる。”スポットライト”は、その虐待の歴史に踏み込む事で、神父個人ではなく”教会の罪”を明らかにした。 
 そして、その衝撃の大きさはデータが物語る。85年までに11000件を超える事件が発生してたが。その時までに教区に報告されていたのは僅かに840件。これに対し、スクープの年の2002年だけで事件全体の1/3が明らかにされたのだ。

 だが、”スポットライト”の報道以前に、これ程の問題が注目されなかった訳がない。
 実は80年代半ばから90年代にかけ、第一の波が起こってたのだ。被害にあった子供の両親が司教たちに訴え、メディアも関心を持った。しかし、スポットライト”の記者たちすらも、個人の事件として扱い、教会が組織的に隠蔽しているとは考えなかった。

 
歴史に踏み込んだ一冊の本

 何故彼らは、”歴史”に踏み込む事ができたのか。それは、スポットライトのチームと、フィル•サヴィアノリチャード•サイプという、実在する重要な役割を果たした人物との接点にある。
 例えば、サヴィアノは性的虐待の実の被害者で、スポットライトに驚くべき証言をする。さらに、リチャード•サイプの著書「Sex、Priests、and Power」を見せる。

 著者のサイプは、問題のある神父が送られる療養施設で働いていた元神父で、30年以上も神父の性犯罪を研究してきた心理療法士だった。サイプは、チームとの電話のやりとりを通して声で登場するだけだが、これが貴重な情報源となり、「大統領の陰謀」のディープ・スロートの様に、チームを導いていく。


見逃されていた虐待

 つまり、このサヴィアノやサイプという存在がこの映画の鍵とも言える。マッカーシー監督は、”スポットライト”チームを単純にヒーローとして描いている訳ではない。
 事実、サヴィアノは以前にもグローブ紙に情報を提供していたが、信頼できる情報源とはみなされなかった。
 一方サイプは、60年代から神父の性犯罪を追い、サヴィアノがチームに見せた著書を95年に出版していた。
 チームの編集デスクであるロビー(マイケル•キートン)は、その他にも虐待事件の情報を得ていながら、見逃していた事に責任を感じる。キートンの神妙な演技にはゾクッとしますね。

 もし身近な所にある手がかりに気づいてれば、アウトサイダー(編集局長)の登場を待つ必要はなかったかもしれない。第一の波が起こった時、勘や想像力を働かせるジャーナリストがいたら、被害者が30年も沈黙を強いられたり、”事件が歴史になる”事はなかったかもしれない。


最後に〜ジャーナリストのあり方

 つまり、いくら犠牲者やそれらを目撃した証人が口酸っぱく真相を真実を主張しても、ジャーナリストの対処如何では、黙認や隠蔽という深く暗い闇に葬られてしまう
 つまり、スポットライトの記者を称賛しつつ、ジャーナリストのあり方を問う作品に仕上がってるのも憎いですね。

 ジャーナリストとは単に受けのいいネタを我ら大衆に提供するだけではなく、創造力や洞察力を臨機応変に働かせ、事件から真実を、真実から真相を切り抜き、負の真実を単なる興味本位のスキャンダルに変異させるでなくその真相に生命を吹き込み、等身大に忠実に今を報道する事で、1つの事件が負の歴史になる事を防ぐのだ。
 しかし、そこに個人や集団のエゴや慾や駆け引きがあれば、全ては闇に葬られ、後にその真相が暴かれた時は、”負の歴史”として永久に跡形を残す事になる。

 11000件以上の、この一連の神父による児童虐待事件だが、”最初の一歩”で気付き、適確に対処してたなら、最小限の犠牲で済んだであろうか。個人の身勝手なスキャンダルで済んだであろうか。少なくとも、教会を大きく揺るがす”負の歴史”にならずに済んだであろう。
 神父による児童虐待も今そこにある危機であり、これからもずっと続く危機でもある。この映画が公開されたからとて、児童虐待がなくなる筈もない。
 児童虐待という神父の遺伝子に刷り込まれた”虐待の遺伝子”を取り除かない限り、ジャーナリストの奮闘だけでは限界がある。

 「サイコパスインサイド」の著者であるJファロンが語る様に、数学的アルゴリズムを駆使し”負の遺伝子”を駆逐する時代に来てるのだ。数学的思考が人類を子供達を救うとはこういう事なのだ。



2 コメント

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Unknown (tomas)
2019-02-07 09:38:20
おはようございます。

画面が変わりましたね。タブレットで見てますが。逆に見易くなった様な気もしますが。PCやスマホでは、見づらいんですか?

ただ、かなり重くなりましたか。

映画スポットライトは、DVDで見ましたが。見終わって、ブルーになりました。

娼婦を買ったり、浮気したりなら、神父と言えど男であり人間であるから仕方ないとしても、幼児虐待は重犯罪ですよ。これだけ多くのケースが頻発すれば、極刑も辞さない覚悟が検察側も必要じゃないでしょうか。
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Unknown (lemonwater2017)
2019-02-07 22:09:49
tomasさん久しぶりです。

神父さんもリニューアルして、堕落しきったんですかね。幼児虐待はアメリカ的タテ社会というか。

昨日は朝からブルーな気分なので、コメントも元気ないです。顔文字もタブーになったんですね。哀しい限りです。
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