「サピエンス全史」ブログでは、虚構こそが我らサピエンスを繁栄&繁殖させ、人類の基盤を作ったとあったが、果たしてそうだろうか?
虚構ではなく”趣味”こそが、我らサピエンスを大きく進化させるとしたら?趣味を持つサピエンスだけが他のホモサピエンスを駆逐し、生き延びたとしたら?
フォロワー達のブログだけを読んでると年齢が幾つなのか?さっぱり見当がつかない。私よりも年上の人とコメントのやり取りをしてても、いつの間にか年齢の事を忘れ、まるで世間知らずの若造と喋ってる様な気分になる時がある。
一昔の高齢者はこんなに若かったろうか?勿論、考えや価値観が若い人も確かにいた様な気もするが。若すぎる高齢化社会の時代。
以前、JAに勤めてた時、嘱託扱いの高齢者と話をしていた。歳は離れてたが、2人で喋ってると時を忘れる様でとても楽しかった。その高齢者はポツリと語った。
”本当はロックミュージシャンになりたかったんだ”
その清々しい表情が印象的だった。瞳はランランと輝き、音楽の話をする度に魂は躍動した。まるでタイムトンネルに飛び乗って、10代のヤンキーの頃に戻ったみたいだった。
多分、全身のDNA全てが一気に活性化し、昔の記憶を一瞬に蘇らせたのだろうか。
昔、小学校の近くに小さなボロい?駄菓子屋があった。店というには見窄らしく、まるで小さな廃墟みたいな感じだった。
しかし、小学生には非常に人気があった。その店番には、一人の高齢の”お嬢さん”がいた。80代中盤だったろうか。私が小学生の頃の80歳代だ、今で言えば100際を優に超える歳だろう。
その女性はとても可愛かった。背中は傴(せむし)みたいに極端に折れ曲がり、無数に押し寄せる顔の皺は、長年の苦悩と辛酸を確実に物語っていた。
しかし、とにかく可愛かった。抱きしめたいほど可愛かった。15歳のザギトワとそのお婆さんのどちらかを選べと強要されたら、文句なしにお婆さんを選んだだろう(笑)。そう思わせる様の高齢の女性だった。
一言で言えば”骨格美人”、生物学的に言えば”劣化しない遺伝子”と言えるだろうか。
老化は、遺伝子の”劣化コピー”の産物と言われる。人の細胞は毎日の様に生まれ変わる。つまり、昨日の自分と今日の自分は別物なのだ。別物を80回×365日以上も繰り返せば、普通はオバケになる(笑)。
遺伝子は毎日の様にコピーされ、少しずつ劣化しながら、歳を重ねていく。子供の頃は出来たての肉まんみたいに可愛かったのが、20才過ぎるとゴリラの様になるのは、劣化コピーの賜物?である。ハリウッド女優だってその例外ではない。
この”劣化コピー”こそが老化の最大の敵なのだ。
話を戻すが、そのお婆さんは美人というより可愛かった。ある日そのお婆さんに私は尋ねた。
”オバサン、昔はアイドルみたいに可愛かったんでしょ?”
オバサンが一瞬変わった。その表情に暁光が刺した。ニコリと恥ずかしそうに微笑んで、若い時の写真を持ってきた。”女優になりたかったね、でも両親に反対されてね”
その写真を見て私は目を疑った。心を奪われたと言った方が正解だった。可愛いというよりも、超の付く美人であった。
特に、頭骨が西欧人並みで顔は小さく、見事なまでの流線型で、完璧な程の左右対称の作りであった。
かのグレース•ケリーもイングリッド•バーグマンもここまで完璧だったろうか?
80年(365日×80=29200回)を超えても劣化しないコピーがあるとすれば、それはそのお婆さんの事なのかも知れない。
でも、嘱託のオジサンも店番のお婆さんも結局、好きな事をして生きる事は出来なかった。しかし、頭の中で思い出す事は出来る。ある時は世界のロックスターに、ある者は銀幕の女王に。
その余韻に浸ってる間は、全身のDNAが一斉に活性化し、サピエンスは一時的にせよ、いや永久に若返るのだろうか。
そのお爺さんもお婆さんも、永遠の青年、乙女なのでしょう。
それとは逆に、若くても老化している人はいっぱいいます。
逆に精神年齢は歳を取るほど若くなるかもです。改めて、サピエンスには趣味が必要だなって思い知らされます。