「郵便屋は二度ベルを鳴らす」は、妻が愛人と共謀して夫を殺すという実話をネタにした映画だが。
うちの田舎では大半の妻は、無能でアホな夫に一生服従&隷属してる様に思う。つまり、郵便屋(愛人)は一度もベルを鳴らさないのだ。そして、何も起こり得ない人生を全うする。何とオメデタイ事か。
そういう私も、そんな味気ない儚い人生で一生を終えようとしてる。ごく稀に、誤解による褒め言葉もあるが、所詮誤解の範疇に過ぎない。
この映画では郵便屋が、一度目の訪問で妻と愛人になり、二度目の訪問で妻の夫を殺すという、合理的かつ単純な設定と思っていた。
しかし実は、一度目で旦那の殺害に失敗し、二度目は交通事故に偽装して殺害に成功するという、やや奇妙な展開だ。
大体において、同じ事を二度やると失敗するものだが、この映画ではすんなりと成功する。
しかし原作となると、少し複雑だ。一度目の出会いで愛しあい、二度目では交通事故に見せかけ、旦那を殺す。そして最後は、愛人となった妻が実際に交通事故に遭い、男は偽装殺人で死刑を宣告される。
つまり、無罪放免となり気が緩んだ際に、2人に天罰が降りるのだ。
これが田舎だと、こんなスリリングな展開にはなる筈もない。郵便屋の訪問は配達のままで終わり、訪問が愛に発展する事はまず有り得ない。万が一あったとしても、旦那に勘付かれ、脅され、結局赤の他人で終わる。以降、郵便屋は一度もベルを鳴らせなくなる。
私の友人は、宗教の勧誘に来た若い女性を犯してしまい、仕方なく信者になったという。今では宗教を脱会し、二人共幸せな結婚生活を送ってるとか。
宗教の勧誘も二度ベルを鳴らすと、スケベに至るのか?それとも、一度目のベルでスケベに至り、二度目のベルで結婚に至ったのか?
安倍首相が開催した「桜を見る会」も、1度目の前夜祭では、税金を使って地元の後援会を招いたと非難され、2度目の”花見”ではキャバ嬢を招いた?と噂され、花見の中止を決定した。
3度目は、沢尻エリカ逮捕で疑惑を何とか煙に巻き、4度目は、韓国のGSOMIA破棄の延長で日本列島がざわめき、”桜を見る会”疑惑も完全に忘れ去られそうな勢いである。
事実、安倍事務所が直接的に”花見”に関わってる訳でもなく、公職選挙法違反で安倍政権を追い込むのは不可能だとされる。
全く神様は何処を見てんだろうかね。
これが、映画やドラマの展開ならば、愛人のキャバ嬢が”花見”の真相を漏らし、偽装殺人で消され、公職選挙法違反と証拠隠滅と安倍政権の退陣となる筈だが、再び安倍政権は安泰となってしまった。
全く強運の強い持ち主である。追い詰められる度に、郵便屋が”神風”を吹かしてくれるのだ。つまり、現実は映画よりもずっと奇なりなのだ。
そういう私も同じ事を2度犯し、赤っ恥をかいた経験がある。恋愛においても仕事においてもスケベにおいても、同じ事を2度犯すとまず頓挫する。
逆を言えば、2度同じ事をして成功すれば、延々と成功する。これは数学的帰納法とよく似ている。Nの場合に真と仮定し、N+1で真なら、全てにおいて真なのだ。
よくアホな先生は、”牛じゃないんだから同じ失敗は二度とするな”と言う。
しかし、同じ失敗を何度もやらかすのも人間。失敗の積み重ねが成功の原動力をもたらすのもまた真実。
つまり、押してもダメなら押してみなの単純な原理。「力の論理」とはそういうもん。
事実、安倍がやってる事もトランプがやってる事も同じ事。赤信号も派閥と財閥で渡れば怖くないのだ(笑)。
安倍政権には、郵便屋が何度もベルを鳴らす。その度に、安倍は疑惑のどん底から這い上がり、長期政権を確立してきた。
つまり、郵便屋がベルを鳴らさなくなった時こそが、安倍一族が死滅する時かも知れない。
”二度目は失敗しないぞ”ですか、いい響きです。
コメントどうもです。