2ヶ月も前の事だが、シャッターに車をぶつけ、下半分が凹んでしまった。
ゴム製のハンマーを使って元に戻そうとするも、下3分の1程がスラット(シャッター)を支える左右のガード(レール)から外れてしまい、素人ではとても元に戻せない。
色々とサイトで調べ、地元の安そうなシャッター業者に電話し、見積もりをとってもらった。
”20年以上も前のガラクタに近い中古シャッターだから、安く修理できないか”と強く念を押した。
数日後、業者が来た。
軽く様子を見て、左右のガードから外れてる下半分を外し、シャッターを新たに組み入れれば、修理は可能だという。
最悪、新品交換が免れたのでラッキーだとその時は思った。
新品よりも高い修理費用?
約1週間後、その業者から電話があった。
殆どやる気のない女の声で、”25万ほど掛かりま〜す”という。
前もって、外したシャッターの処分は自分ですると伝えていたので、撤去費用抜きの価格でである。それも消費税抜きだ。
私は大きく落胆した。15万ほどと見積もってたからだ。
”だったら、新品とほぼ値段は変わりないですかね?”と尋ねると、”新品だともう少し掛かりますね〜”と、もっとやる気のない答えが返ってきた。
私も既に相手にする気はなくなっていた。
”だったら、キャンセルでお願いします”
中古のガラクタの為に、それも修理の為に、30万近く払うバカが何処にいる。
その時はキャンセルして正解だと、自分に言い聞かせたが。その後、2つの台風が直撃しそうになった時、30万以上支払って新品に交換した方が良かったかなと、正直後悔した。
私は元来、ケチに出来ている。身の回りにあるモノは、その殆どが格安の中古(ガラクタ)である。故に、たかがワイン1本で淫売美女?を貶すゾラの小説が大好きだ。
幸い、2つの台風は何事もなかったかの様に過ぎ去ってくれた。壊れた方のシャッターの前に車をタテづけし、暴風堤の代りにした。
お陰で、台風時は煩く大揺れする古いシャッターも、大人しく振る舞ってくれた。
結局、新品に交換
壊れたシャッターの上に、丁度私の部屋がある。古いシャッターの修理の為に、30万も払う気にはなれない。とは言っても、隣近所の視線が気にはなる。
事実、親戚から電話があり、”そのままにしておくと色々と噂されるぞ”と忠告された。
表庭と裏庭の必死の剪定作業も無事に終わり、庭は”モネの庭”のように蘇った(勿論、ウソ)。それに、粗大ゴミもある程度は片付いた。
後は、シャッターをキレイに蘇らせれば、古い屋敷もそこそこの見た目にはなる。
そこで、15年ほど前に小屋のリフォームを頼んだ業者を思い出した。
その後何度か立ち寄ってくれ、名刺をもらってたから、ダメ元で電話した。
2つの台風が過ぎ去った後だったから、バタバタしてる様だったが、快く対応してくれた。
事情を伝えると、”修理だと保証の適用外になるから、新品交換になる。それに、30万だったら新品の方が安いのでは?”との答えであった。
早速、見積もりをお願いすると、修理よりも新品交換の方が安いと言われた。
私は、古い小屋のシャッターだから”新品とても20万から25万に抑えて欲しい”と念を押した。
業者も、”出来るだけその線で頼んでみます”と紳士的な対応だった。
1週間ほど経ってから、電話があり、新品シャッターの搬入と古いシャッターの処分料込みで、23万7千円ほどだという。勿論、見積もり額に消費税は含まれてはいない。
早速折り返し、電話し、値段交渉をした。結局、税込み25万で落ち着いた。
最初の業者だと、税込みなら修理で30万、新品だと35万以上は掛かったろう。
モノなら、中古よりも修理よりも新品の方が安くつく、という奇怪な現象はよくある事だ。屋敷も解体するよりも新築の方がずっと安くつく。
以前、3軒分の屋敷を潰し、アパート経営を試みようとした時があった。解体に1千万以上掛ると言われた。それでアパート経営は諦めた。
これ以上、ガラクタが繁殖すると人類の手には負えなくなる。今や日本古来の木造家屋は、値が張り過ぎるだけのガラクタになりつつある。
ようやくシャッターの取付け
そんな中、今日やっとシャッターの取付けが行われた。9月初めに注文してから約1ヶ月以上掛かった訳だが、いくら台風の影響で忙しいとは言え、今日来てくれた人は言い方は悪いが、年配工というよりかは”老人”だった。
こういうのを見ると、肉体労働系の若い働き手がいないのかと少し心配になる。
”船頭多くして船山上がる”じゃないが、”管理者多くして誰も働かず”の典型だろうか。
特に、インフラ系の肉体労働は誰もヤリたがらない。私の隣でも病院の改築が行われてるが、現場作業者はみな高齢者で、それも休日返上である。まるで、フーバーダムの建設を見てるみたいだ。
安倍元首相が言い放った”1億総活躍社会”とは、単なる”1億総奴隷労働”だったのだろうか。
しかし、彼らは熟練工でもあり、作業自体は流石だった。約束通りの朝9時に来ると、これまた約束通りの昼の1時にピタリと作業を終えた。
たった一人での作業だったので、心配になり偶に様子を見るも、まるで、定規で計った様な寡黙な作業ぶりに、昔を思い出した。
昔は皆が熟練工だった。パソコンもスマホもネットもなかったが、実にスムーズにタフな労働を淡々とこなした。どんなにキツイ仕事も黙々とこなした。
しかし今では、仕事中でも会議中でも商談中でも、平気で携帯を鳴らす。それに比べれば、昔の人は労働者の鏡である。
パソコンを自在に扱えなくとも、メールを打てなくとも、決して高い学歴を誇る事がなくとも、神業みたいな仕事をする。それが当り前の時代だった。日本が”ジャパンアズNo.1”と言われた少し前の頃だったか。
最後に〜熟練工がいなくなる
私は子供の頃、大工さんになりたかった。黙々とまるで彫刻を彫る様に、”家を彫る”姿心を打たれた。
全てが”神の手”に思えた。設計図も何もなしに、経験と勘のみを頼りに一人で家を創り上げるのだから。
死んだ親父を思い出す様に、その熟練した作業ぶりを眺めていた。
今やテレワークの時代、本当にパソコンだけで仕事が出来るのだろうか?こうした高齢の熟練工こそが、労働の仕事の本質を見抜いてる様な気がする。
しかし今の時代、こうした肉体労働はブラック系が多い。粗悪な待遇で熟練工を扱き使う。無能な管理者は仕事を与えてやってんだと高を括り、高齢の労働者は粗末な酷い待遇で危険に身を晒す。
シャッターの取付けに、1ヶ月以上も掛かったのは、こうした有能な熟練工がいなくなったせいもあろうか。今日の作業者も地元の人じゃなく、かなり遠くから来てる人だった。
近い将来こうした作業も、異国の地から来た出稼ぎ移民で占められるかもしれない。
日本人全てがホワイトカラーになれる筈もないが、それでも労働者はブルーカラーと呼ばれ、お百姓であるレッドネッカーとは区別された。
そう言えば、スポーツ選手も芸能人も、そして娼婦やポルノ女優も、身体を資本に仕事をするという点では、熟練工というよりかは、ある意味レッドネッカーではある。いや政治家こそが、権力を資本に汚職に手を染める”腐ったブラックネッカー”なのかもしれない。
ネット社会になって国民すべてが変に利口になり、汗水垂らして作業することを馬鹿にする風潮になって日本人が腐ってきているのかもしれません。本当はそういう職人さんこそ国の宝なのに…。
それでも転象さん家はまだいたいい職人さんにいい仕事がしてもらえてよかったですね。
ネット社会で便利にはなったが、知能が緩くなった。今は幼稚なフェイクと陰謀説ばかりで、昔もそういうのはあったけど、とても高度だった。
それに、今の子は外でも遊ばないし、勉強もしない、ネットと言ってもゲームとSNSだけ。
正直、ネットがここまで脳を腐らすとは思っても見ませんでした。
ARTは「芸術」と訳される事が多いですが、本来は「技術/手仕事」を指すと聞いた事があります。熟練の技で成し遂げられたモノは芸術作品に類するとも思います。
子供の頃、生家増築の際の大工さん達の仕事ぶりや、近所の自転車屋の親父さんの鮮やかなパンク修理に見惚れたものです。
僕のジイさんは大工でした。生家には彼が使っていた大きな木の工具箱がありました。中には、金づち、ノミ、ノコギリ、カンナ、墨ツボなどがぎっしり。よく使い込まれたそれらを手に取り、どんな職人だったのだろうと思い描いたものです。ジイさんの技は息子にも孫(自分)にも受け継がれる事なく、物言わぬ道具たちだけが知る幻になってしまっています。
大工さん以外には、墓石を彫る職人にも憧れましたね。職人というより彫刻家。
しかし昔ながらの熟練工は殆どが姿を消し、全ては機械化し自動化し、勿論家が安く早く出来るに越したことはないんですが。
大工さんの場合は、家を作るその過程こそが芸術なんですよね。鋸とノミと鉋と金槌だけで仕上げていく、建築士にはない匠の技。
私も庭の剪定をしましたが、使ったのは手ノコだけで、お陰でいい感じの庭になりました。
個の熟練工さんへの支払いだけなら、材料費込みで15万〜20万程で済んだろうか?