学術会議任命拒否問題が、じんわりと大きな話題になりつつある。
”合同葬に9600万”でもほんの少し触れたが、菅首相はどうも敵対する新しい知を排除しようとしてるかに見えた。そして、それは現実のものとなりつつある。
平成エンタメさんの記事”堤防に開いた穴はやがて大きくなる”にある様に、排除と国民の無関心が悲惨をもたらしたナチスの実例を上げ、今回の任命拒否を危惧していた。
”たかが6人されど6人”ではないが、これに関しては、全くの同感である。
そこで今日は、ナチスの暴走と国民の無関心についてです。少し長くなりますが、悪しからず。
”知の排除”で有名なのは、ポル・ポト政権を思い出す人も多いだろう。彼は敵対する知識人の多くを惨殺した。推定によれば、200万人から300万人の大量虐殺の内、6割のインテリ層が犠牲になったとされる。
ここまで極端ではないが、ナチスも同じ様な事をしていた。
1933年に念願の総裁に君臨したヒトラーは、1934年6月の”長いナイフの夜事件”でナチ党の政敵になりそうな人物を排除し、大統領と首相を統合した”総統”へと登りつめます。この時の国民投票では、賛成票89.9%(投票率95.7%)と圧倒的に高い支持率だった。
その後、ラインラント進駐(1936)、オーストリア併合(1938)、ポーランド侵攻(1939)と、ナチスの権力は暴走します。しかし、相変わらずの支持率は90%以上を優に誇ってました。
因みに、悪名高きアウシュビッツ強制収容所建設は、その1年後の事でした。
その後のナチスとヒトラーの凋落は、誰もが知る事となります。
戦争末期にはヒトラーの求心力も下がり、幹部による暗殺未遂事件も発生。そして1945年4月、ベルリンの地下にある総統地下壕内でヒトラーは愛人と心中します。
以下、ドイツ文学者である池内紀氏のコラム「ヒトラーは何故、熱狂的に支持されたのか?」(PDF版=要Click)を参考にし、長々と纏めました。
ナチス(=国民社会主義)の理念
1933年から45年までの12年間は、ナチス•ドイツの時代と言われた。でも、なぜあの様な歴史があったのか?狂気としか思えない犯罪が、どうしてあれだけ大手を振って横行したのか?
ナチスの”Nazi”は、Nationalの”Na”とSozialismusの”zi”をくっつけたもので、日本では”国家社会主義”と訳されるが、本当は”国民社会主義”と訳すべきです。
つまり、”国民が参加してつくり上げた社会主義”であって、国家が一方的に国民を引き回して実現した政体ではない。故に、ナチズムを日本語に正確に訳すと”投票型独裁制”となる。
国民が投票し、意思を示し、指導者は独裁的に進めていく。政治体制からいえば、最も効率的なものだが、独裁者が正常でかつ非常に有能であればの話です。
悪名轟いたヒトラーですが、初期の彼は非常に有能で閃きがあり、雄弁で清潔で、天賦の政治家でもあった。お陰で初期の5年間は、国民の声を1人で代弁する事ができた。
”国民社会主義”とは確固とした主義や考え方であり、資本主義を中心とする民主主義や共産主義と並立し、あの時代には、大きな国を動かす1つの政治思想でもありました。
それを叩き潰すのに、デモクラシーの国(米英)とコミュニズムの国(ソ)とが、5年がかりとなった。5年も掛かったのは、ナチスの形勢が非常に悪くなって以後も3年も継続したのは、それだけ”国民社会主義”という思想が生きてたからです。
故に、”ヒトラーは悪い奴” ”ヒトラーという悪い奴が酷い事をした時代”との、一面的な事では片付けられない。
ヒトラーは何故、圧倒的な信頼を得たのか?
何故、1933年から39年の戦争が始まるまで、ドイツ国民の90%以上がヒトラーを信頼していたのか?
第一次大戦後、ヒトラーが首相になる前のドイツは全く酷い状態でした。議会そのものは体をなさず、政党は40以上もあり、常に集合離反を繰り返した。
どの政権も足を引っ張り合い、問題を何1つ解決できない。良心的な首相が何代も続くが、1920年代にドイツを襲ったインフレは天文学的数字になる。
1923年にレンテンマルクを導入し、インフレが収まったと思いきや、1929年に世界恐慌が起きた。
そんな国の存亡の危機の中で、”誰か強い者が出ないと国は滅びる”と、ドイツ国民の誰もが思った。故に、この1930年代の始まりと共に、ナチスへの支持は倍々ゲームの様に伸びていく。
ヒトラーは初めは独裁制をするつもりはなかったとされる。”少なくとも当座はこの形にしなければ、山積している問題が解決できない。故に、全権を委任された形で問題を処理していきたい”と国民にきちんと言い放った。
今ではマニフェストと呼ばれるが、これをナチスは最初にやった。”我々はこれをする。国民皆さんの意見を聞きたい。イエスになればやる。もしノーの声が大きければやらない”と。そして実際ヒトラーは、課題をどんどん解決していった。
そうした中、ヒトラーは失業者を減らし、農業の生産を高め、生活の安定を図り、若い人が結婚をできる様な制度にした。産業家•工業家の中で巨利を得てる者は全部はき出してもらい、それを国民に分割した。
例えば、国民が安く自動車を買える様にと、カブトムシ方の車(VW)を作り、市販する。”鉄道の時代”と呼ばれた時期に敢えて高速道路を作り、失業対策に当てた。その上、貧しい人たちを救おうと福利厚生施設を充実させる。
故に、それまでナチスに対し非常に厳しい目で見てた人が、雪崩を打つ様に支持していく。ヒトラーの理念であった国民社会主義がここに実現できたと思ったが、これは1938年までの状況でした。
ヒトラーの見事な采配術
1938年までのドイツは、ヒトラーが非常に有能な政治家で、ナチズムが素晴らしい思想であるという一面があった。
しかし、その事はあまり知られていないし、アウシュビッツ等での大虐殺にても、何らかの思想的な背景がなければ、ああいう事はあり得ない。
例えば、ナチスの党大会の記録は、自分がいいと見込んだ、殆ど無名に近い女性に任せ、道路づくりはトートという道路について新しい考えを持っている男に任せる。そして、宣伝は口八丁手八丁のゲッベルスに任せた。
つまり、ヒトラーという人物は独裁者であると同時に共催者であり、非常に有能なスタッフを抱えていた。
ヒトラーの初期がよかったのは、全てそれが上手くいったからだ。
財務に関しても、シャハトという人物に任せ、1920年代の天文学的なインフレを見事に退治した。しかしシャハト自身は、元々ナチス嫌いで、”ナチスは国を滅ぼす元だ”と公言した。勿論、ナチス内には彼を暗殺しようと意気込む奴も多くいた。
シャハトは、”撃つのは構わんが、前から撃ってくれ”と公然と言った。以降、彼はヒトラーの金庫番として、ナチスの財政に多大な貢献をする。
つまりヒトラーは、敵味方関係なく、これと見込んだ能力のある人物には、全てを任せた。
当然、ナチ党内では反発が起きるが、有能な人物は全てバックアップし、反発する奴は排除する。故に、それぞれが専門的な才能を持ってる人物がヒトラーの周りに何人もいた。
権力と腐敗は、暴走すると止められない
しかし1938年ぐらいから、ヒトラーの周りから非常に有能な人物が欠け始め、自殺したり、逮捕されたりして離れていく。
その代りに、強欲な出世狙いがどんどん入ってきて、ヒトラーの意に沿う様に立ち回るご機嫌取りで溢れかえった。当然、奇妙な状況になっていく。故に1938年を境に、ヒトラーの政治は急激に変質していった。
つまり、批判のない権力構造がいかに早く腐敗するか。組織がいかに自壊していくか。変質していくのが早いのか、という事実は、このナチス体制を見てるとよ〜く理解できる。
ヒトラーは、初めはユダヤ人を隔離して強制収容所に送る、あるいは国から追放するという政策をとっていたが、それが一定の場所に閉じ込めて絶滅を図るという異様な政策に変質していった。
要するに組織が自己展開を始めると、いや権力が暴走すると止めようがない。これは福島原発事故を見れば明らかですね。
これは組織が腐敗した時も同様に止めようがない。ナチスの後期はその典型的な例でした。
人類は、結局は身勝手なのだ
西洋近代社会は、人間が理性的な動物であり、理性こそが人間社会の明るい未来を創るという啓蒙思想を前提にしてきたが、”ヒトラーの登場”という20世紀最大の事件は、理性の延長上にある衝動と感情暴発の危険性を明らかにした。
つまり、理性だけでは社会の動きをとめられない。それが人間社会の現実である。
敢えて言えば、理性と衝動をどうやって妥協させるのか?現代社会が抱えてる最大の問題なのかもしれない。
原発問題にしても、処理方法すら分かってないのに、”一寸まずいのでは”という理性的に考える自分と、社会の動きに流され、”大っぴらに反対を言うとまずい”という自分。
経済面で言えば、グローバルに資本が自由に動く世界になり、下手をするとそれが暴発しバブル崩壊する事をみな知りながら、グローバルな資本移動に制限をかけるでなく、その逆に”とにかく規制撤廃だよ”となる。
ヒトラーの問題は、人間社会の深い問題を色んな形で浮き彫りにする極めて重要な歴史的事例である。
ドイツ人はそれらをちゃんと整理し、残してるから十分反省してるのかもだが、いくら記録してるからとて、それで人間の暴発は終わる筈もない。何度バブルが崩壊しても、次のバブルを多分我々は止められないという、致命的問題を我々は抱えている。
人類社会の問題は、ヒトラー問題や人間の欲望と同様に、そんなに簡単で単純な問題ではない。
みんなに責任がある
ノーベル賞作家のギュンター•グラス(独)は、”みんなに責任がある。ナチスに対し責任があるにも拘らず、誰も自分で責任をとらなかった”と語った。
”ドイツ国民は、全てナチスの幹部のせいにし、国民があずかり知らぬ所で歴史が動いたという顔をした。要するに、歴史をもう一回見直すと、国民全体が何らかの形で歴史に関与してたのに、自分たちはむしろ犠牲者だという風に戦後シラを切った”
そういう議論を3ヵ月ぐらい続けた。マスコミもそれを放送するし、週刊誌は特集で取り上げ、また、それらを全部記録にとって本にもした。
つまり、グラスは自分がナチスと繋がった”黒い過去”を公表するにあたり、それ自体を現代史の問題として扱ったのだ。
だから、あの騒ぎは直ちに消えていった。”ナチスに関してはそういう関与の仕方もあったのか”と、グラスの言葉はそういう事を教えてくれる。
以上、オープンカレッジからでした。
最後に〜6人の怒れる知識人
権力の暴走と知の排除と国民の無関心が招く等身大の危機に、どれだけの国民が気付いてるのだろうか?
そういう私も、上で述べた様な池内紀氏のコラムに遭遇しなかったら、その危機の規模の大きさに気付く事なく、最悪の事態を迎えるのかもしれないし、そうでもないかもしれない。
”6人の怒れる知識人”ではないが。今の我々国民は、彼らの怒りの声に慎重に耳を傾けるべきだろう。
お上様が決めた事だから、きっと正しい判断だっただろう、なんて呑気な事を言ってたら、平成のアウシュビッツに繋がらないとも限らない。
SNSではないが、”イイね”至上主義で全て物事を決めてたら、ポル・ポト大虐殺の再現にならないとも限らない。
そう思って見れば、そう見えないこともない強かさが感じられる。
安倍ちゃんのようなお坊っちゃん育ちでないだけに、やるときは完膚なきまでやるかもしれないとも思えてくる。
政治的手腕が全く違いすぎますね。
ヒトラーの周りに天才が集まったのもヒトラーの才能ゆえですが、管首相の周りには誰が集まるんだろうって感じです。
結局は、派閥と権力の奴隷になるだけでやっとという感じもします。そういう私も少しは期待したんですが・・・
高速道路アウトバーンを造ったのもヒトラーでした。
一方、当時のドイツ国民には第1次世界大戦の敗北で、屈辱と劣等感があった。
だから「偉大なるドイツ」「偉大なるアーリア人」というヒトラーのメッセージがドイツ国民の心に響いた。
あとは「諸悪の根源はユダヤ人である」というメッセージ。
何か現代の日本に似ていますよね。
・太平洋戦争の敗北→日本の戦争は正しかった。アジアの解放のための戦いだった。
・諸悪の根源は韓国である。
僕はこんな状況に「今の日本ヤバイんじゃねえ?」と思ってしまいます。
当時のドイツと日本は共通する部分が多いですね。ナチスのポーランド侵攻と日本陸軍の中国進出もそうですが。
たかが6人といえど、とても嫌な感じがしました。菅首相も安倍のポチだったんですかね。
管は安倍のポチ
そういう縮図はわかってたんだけど、ここまで露骨にさらけ出されると・・・何だか
正直、ここまで大きくなるとは思いませんでした。
管は明らかに足元を見抜かれてしまいましたね。少し早すぎですが、不正を覆い隠すには不正しかないんですかね。