寄せられたコメントを追記し、内容を大幅に更新しますので、”その3”と”その4”に2つに分け、続けて紹介します。頭が重くなりそうな記事の連チャンですが、悪しからずです。
初めに
リーマンの第三の論文「アーベル関数の理論」(1857)では、アーベルだけでなくヤコビやガウスやオイラー、それにルジャンドルやヴァイエルシュトラウス、そしてファニャノ(伊1682-1766)らの昔の偉大な数学者群が数多く登場します。
それだけ今回紹介するアーベル関数(積分)に含まれる楕円関数(積分)は、代数方程式や微分方程式と並ぶ現代数学の大きな柱として君臨してます。
リーマンの物語というよりは”アーベルの物語”に偏りますが、ご勘弁をです。
前回の”その2”(要クリック)では、リーマン数学の心臓部である、複素関数の基礎からリーマン積分へと導くアーベル積分の基本原理についてでした。
そこで今日は、第三の論文である「アーベル関数(積分)の理論」(1857)の概略とアーベルの楕円関数論についてです。
因みに、今で言う”アーベル積分”とは、リーマンの時代には”アーベル関数”と呼ばれてました。まだ、複素解析論も確立されてなく、”積分”という言葉すらなかった時代だったんですね。勿論、楕円関数(超越関数)という言葉がある筈もありません。
故に、アーベル積分や超楕円関数(アーベルの超越関数)という言葉は、ヨーロッパ中に大きな波紋と混乱を広げます。
後に、”青銅よりも永続する記念碑”と謳われ、”後代の数学者に500年分の仕事を残してくれた”と評されたアーベルの偉業は大半が理解されないまま、アーベル自身も僅か26年という短い生涯を閉じます。
正直、リーマンと言えば、リーマン予想が真っ先に思い浮かびますが、このアーベル関数もリーマン数学を支えるもう一つの大きな心臓部となってますね。
リーマンの第三の論文と
前回”その2”でも少し述べましたが、アーベル積分とは代数的な微分式の積分の事です。つまり、今の私達が扱う積分の事です。
”アーベル積分”の入り口は楕円積分で、それを深く研究した最初の人はオイラーでした。
オイラーは、”楕円積分の加法定理”を発見し、この楕円積分は3種に区分けされ、第1種楕円積分の逆関数こそが楕円関数になりますが、アーベルはこれを複素関数として考察しました。
”代数関数⇒積分⇒複素変数⇒楕円積分⇒楕円関数⇒加法定理”と話を重ねてくと、リーマンの第三の論文「アーベル関数の理論」に辿り着きます。
ノルウェーが生んだ稀有の天才数学者ニルス•アーベル(1802-1829)は、オイラーの分離方程式(変数分離型の微分方程式)の影響を強く受け、オイラーが提示したこの代数的積分を深く研究し、今では”アーベルの定理”と呼ばれる楕円積分の”加法定理”を発見しました。
因みに加法定理とは、一般的にf(x+y)=f(x)+f(y)ですが、楕円関数の加法定理は三角関数を拡張した形となります。
このアーベルと加法定理に関しては、”日々の徒然”サンのHPでとても詳しく書かれてます。お陰で今日の記事も結構長くなります。
今日紹介するリーマンの第三の論文「アーベル関数の理論」は全4編からなり、最初の3編は第一の論文「複素関数の基礎」(1851)の簡潔な紹介となってます。つまり、アーベル関数の基礎に当りますね。
リーマンはこの学位論文で、リーマン面の概念を導入し、ディリクレの原理に基づいて複素関数の基礎理論を構築します。
そして、この土台の上に41頁に達する第4編「アーベル関数の理論」が書かれ、ヤコビの(楕円関数における)逆問題が解決されました。
実は、この”ヤコビの逆問題”の源泉は、ガウスが示唆した楕円関数の”等分理論”から来ています。
ガウスは自著の「整数論」(1801)にて、円周等分方程式代数的解決に関する理論を展開します。この”円の分割を定める方程式”とは、つまり三角関数の等分方程式の事です。
つまり、x=sinθは円の弧長を表す積分、即ち円積分であるθ=∫(0,x)dx/√(1−x²)の”逆関数”x=φ(θ)で認識されるので、円積分は円関数と呼ばれ、三角関数と同じ意味で用いられます。
故にヤコビは、楕円関数においてもこの”逆関数”の認識が適用できると考えたんです。
ガウスとアーベルと楕円関数の実態と
アーベルは、リーマンが生まれた翌月の30日(1826年10月)に、「ある非常に広範な超越関数族の一つの一般的性質について」をパリアカデミーに提出しました。これこそが有名な「パリの論文」です。
この論文にて、一般的なアーベル積分を対象にして”アーベルの定理”と”加法定理”が表明され、アーベルの定理から加法定理が導かれた。
もう一つ「パリの論文」では、第一種楕円積分が導入され、二重周期性など基本的な性質が記述された。アーベルはこの第一種楕円積分の逆関数に特別な名称は与えなかったが、”楕円積分の逆関数が楕円関数を表す”のは明らかでした。
その後、ヤコビが自著「楕円関数論の新しい基礎」(1829)の中で”楕円関数”という呼称を提案したんです。
アーベルはこの論文の前半で、上述のガウスの”示唆”を継承し、楕円関数研究の2大主題である”等分理論”と”変換理論”を展開します。
特に、レムニスケート関数の等分理論はガウスの円周等分理論の完全な類似物で、”虚数乗法論”(虚数域での因数分解)へと向かう第一歩となります。
因みにレムニスケート曲線とは、ベルヌーイ兄弟により発見され、ファニャノによって楕円積分論の例として研究された平面曲線です。
特にガウスは、円周等分方程式の根を複素指数関数という超越関数の特殊値として表示し、指数関数に基づき、巡回性と根の関係を明示しました。
一方、前述の「整数論」の序説の中で、レムニスケート積分にても同様の”逆関数”の理論が成立するとガウスは記述してます。
勿論、アーベルがこの記述を見逃す筈がありません。円周等分の理論にてガウスがそうした様に、アーベルはこの第一種楕円積分の”逆関数”に注目し、等分方程式を書き下し、その代数的可解性に焦点を当て、アーベル方程式(代数的可解方程式)を生み出します。
虚数乗法を持つという楕円関数に元々備わってる条件をアーベルが発見したんですが、それが代数的に可解だという事でアーベルの方程式と呼ばれます。
つまり、”特殊等分方程式の代数的可解性の考察から虚数乗法とアーベル方程式が発見された”というこの重大な事実こそが、”虚数乗法論へと向かう第一歩”という事だったんですね。
ヴァイエルシュトラウスが眺めた楕円関数
ヴァエルシュトラウスは、アーベル関数を複素n変数の一価2n重周期関数として定義し、今に至ってます。一方ヤコビは、n=2の場合を”アーベル関数”と呼びました。
リーマンは、アーベルが提唱した超楕円積分の一般系であるψx=∫rdx/√Rにて、関数√R(x)のリーマン面の種数がpの時に超楕円関数も種数pを持つとした。
リーマンによれば、2価の2は√R(x)のリーマン面の種数の事です。
因みに、”種数”とは”向きがつけられる閉曲面の種類の数”の事で、幾何学的に言えば穴がない曲面が種数0、穴が1個で種数1、穴がn個で種数nです。位相幾何学的に言えば、特異点をもたない場合はリーマン面でも定義されますが、楕円関数は”与えられた点を通る種数1の非特異曲線”となります。
普段は聞き慣れない言葉なので少し混乱しますね。
ヤコビは、まず種数1の第一種楕円積分においてアーベルの超越関数になる様な関数を探求します。そこで2つの逆関数が4重周期を持ち2個の複素係数を持つ2次方程式の解になる事を発見します。この2つの逆関数の等分理論と種数1の超楕円積分の”変換理論”をヤコビは書き留めます。
一方、アーベルの超越関数は2変数4重周期なので、ここにで”ヤコビの逆問題”が完成します(1835)。
1847年には、ゲーベルとローゼンハインがほぼ同時期に種数2の超楕円積分におけるヤコビの逆問題を証明した。
このヤコビの逆問題を完全に一般的な領域に拡張しようとしたのが、ヴァエルシュトラウスでした。
結局リーマンがヤコビの逆問題を解く鍵となったのが、アーベルの定理と微分方程式の視点からアーベルの加法定理を眺めたヤコビの解釈だとされますが。単純に加法定理から進めてたらどうなったでしょうか?
オイラーが眺めた楕円関数
以上述べた様に、アーベルはガウスの”等分理論”を複素領域にまで広げ、超楕円積分を対象にして”加法定理”を記述しました。
故に、リーマンが第三の論文「アーベル関数の理論」で解き明かした”ヤコビの逆問題”とは、”第一種楕円積分の逆関数としての楕円関数の探求”だったんです。
楕円関数の3本の柱のうち1つはオイラーの加法定理で、2つ目はガウスとアーベルの等分理論、そして、3つ目はヤコビの変換理論です。
オイラーの加法定理の実態は変数分離型の微分方程式の解法でした。オイラーはこのレムニスケート積分に由来する微分方程式の一般解を偶然見つけた事で微分方程式論を確立しました。
そして、そのヒントになったのがファニャノの代数的積分ですが、不思議とこの代数的積分に含まれる加法定理から等分理論に向かう事はなかったんです。
一方、ガウスは最初から楕円関数の第一の主題である”等分理論”に感心を寄せてました。レムニスケート積分とその逆関数にも等分理論がある事を早くから認識し、等分方程式の可解性を考察します。
そこでアーベルはガウスの隠された考察を見抜き、ガウスさえ成し得なかった楕円関数の等分理論を独自に構築したんです。
しかし、楕円関数の2つ目の主題である超越楕円積分の”変換理論”にては、流石のアーベルもヤコビの報告に大きな衝撃を受けました。
でも結局、アーベルはヤコビが得た結果を自分のやり方で証明したんですね。
こうしてみると、ベルヌイ兄弟が発見したレムニスケート曲線を解析したファニャノに始まり、オイラーとガウス、そしてアーベルからヤコビ、そしてヴァイエルシュトラウスとリーマンへの楕円関数の理論の流れが手に取る様に理解できます。
これ以上踏み込むと、とても収まりきれないのでここら辺にしときます。
とにかくリーマンの第三の論文に繋がるアーベルの楕円関数(積分)とヤコビの逆問題の大まかな概念をご理解です。
ガウスの等分理論をヒントにアーベルの定理を加法定理へと導くんですが。
アーベルがいう超楕円積分は有理整関数です。これを因数分解表示して得られた方程式を超楕円関数におけるアーベルの定理と呼ぶんですが。
リーマンがこの方程式をある代数方程式の助けを借りて加法定理へと結びつけます。
こうしてオイラー積分の一般化はアーベルの定理により得られたんですが。
ヤコビはこんな凄いアーベルの論文が学士院で認められない事の方がもっと驚きだと語ってます。
一方でガロアもアーベル積分の変換と等分の理論を遺書として残してますが、このガロアの記述はリーマンの第三の論文のスケッチに酷似しているとされます。
つまり楕円関数論がオイラーやガウスを起点として、アーベルからガロアそしてリーマンと受け継がれたことを考えると何だか出来すぎのような気もします。
余計なコメントでした。
ガウスの巡回方程式に加え、アーベル方程式を提示した事の中には、アーベルに及ぼしたガウスの影響力の大きさとガウスを包んでた神秘のベールを暴いたアーベルの洞察力がハッキリと具現されてます。
どこまでもガウスに共鳴し、易易とガウスを超えていくアーベルの情緒力には驚嘆しますね。
この代数方程式論と楕円関数論はアーベルの数学を支える二本の柱ですが、19世紀から21世紀に及ぶ数学の大河の源泉となってます。
paulさんには、いつも貴重なコメント有り難いです。お陰でとても勉強になります。
勿論リーマンの時代もだけど
複素解析論は存在しなかった
そこでアーベルは
ルジャンドルが提案した第一種楕円積分を書き
その逆関数に注目し楕円関数と呼び
「パリの論文」を書いたんだ
しかし表題の楕円関数とはなんだろう?
って事になった
そもそも楕円関数とは
何を目指して生まれたんだろう?
って素朴な疑問が湧き出てきた
そこでアーベルは
オイラーの微分方程式を引き出したが
これまた謎が深まるばかり
ルジャンドルの著作にも
楕円関数は楕円的な超越物とあるだけで
どうも合点がいかない
結局
表題だけでもこれだけの誤解を生んだんだ
パリアカデミーで
すんなり受け入れられなかったのも
審査員のコーシーが紛失したふりするのも
理解できない訳でもないけど
少し大人気ないかな
コーシーの評価がイマイチなのも、こうした一連の紛失?事件にあるかもです。
机の上に残されてたというから、読むには読んだんでしょうが。
あまりに表題が突飛過ぎてサラッと見ただけで、放ったらかしにしたんでしょうか。
でもこの論文をパリのアカデミーではなくて
ディリクレに送りたかったですね。
そうすればガウスには直接届いたでしょうし、アーベルのその後の運命も180度変わったかな。
実に惜しい事ですね。
コメント有難うございます。
一方リーマンは、アーベルが提唱した超楕円積分の一般系であるψx=∫rdx/√Rで関数√R(x)のリーマン面の種数がpの時に超楕円関数も種数pを持つとした。リーマンによれば、2価の2は√R(x)のリーマン面の種数の事です。
ヤコビは、まず種数1の第一種楕円積分においてアーベルの超越関数になるような関数を探求した。そこで2つの逆関数が4重周期を持ち2個の複素係数を持つ2次方程式の解になることを発見します。
この2つの逆関数の等分理論と種数1の超楕円積分の変換理論をヤコビは書き留めた。
アーベルの超越関数は2変数4重周期なのでここにでヤコビの逆問題が完成します。
1847年には、ゲーベルとローゼンハインがほぼ同時期に種数2の超楕円積分におけるヤコビの逆問題を証明した。
このヤコビの逆問題を完全に一般的な領域に拡張しようとしたのが前述のヴァエルシュトラウスでした。
結局リーマンがヤコビの逆問題を解く鍵となったのが、アーベルの定理と微分方程式の視点からアーベルの加法定理を眺めたヤコビの解釈だとされますが。単純に加法定理から進めてたらどうなったでしょうか?ここら辺は本当に難しい。
まず種数とは、向きがつけられる閉曲面の種類の数で、幾何学的に言えば穴がない曲面が種数0、穴が1個で種数1、穴がn個で種数nですね。
位相幾何学的に言えば、特異点をもたない場合はリーマン面でも定義されますが、楕円関数は”与えられた点を通る種数1の非特異曲線”となります。
普段は聞き慣れない言葉なので少し混乱しますが。
楕円関数の3本の柱のうち1つはオイラーの加法定理で、もう2つはガウスとアーベルの等分理論です。
オイラーの加法定理の実態は変数分離型の微分方程式の解法でした。オイラーはこのレムニスケート積分に由来する微分方程式の一般解を偶然見つけた事で微分方程式論を確立しましたが。そのヒントになったのがファニャノの代数的積分で、この代数的積分に含まれる加法定理から等分理論に向かう事はなかったんです。
一方、ガウスは最初から等分理論に感心を寄せてました。レムニスケート積分とその逆関数にも等分理論がある事を早くから認識し、等分方程式の可解性を考察します。
そこでアーベルはガウスが書かなかった楕円関数の等分理論を構築したんですね。
しかし、超越楕円積分の変換理論にてはヤコビの報告に大きな衝撃を受けました。結局アーベルはヤコビが得た結果を自分のやり方で証明したんですかね。
何だか論点がずれてるようで悪しからずです。
ψxではなくψ(x)ですね。
コメントどうもです。