象が転んだ

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自分軸を生きる為に〜自分に何でもできる”ひとり好き”な人の特徴と心理

2025年01月30日 04時05分06秒 | 独り言&愚痴

 某フォロワーの記事に”ひとりが好きな人の特徴/群れない方が楽しめるタイプとは?”というのがあった。 
 記事を要約すると、日本人の多くは他人の目を気にして行動する。つまり、人の為に何かをなす事で評価を得ようとする。一方、淡々と自分の為に何かが出来る人は100人に1人のレベルらしい。
 つまり、他人の目も評価も評判も気にしない。間違って良い噂が流されたとしても、彼らが自分を食わしてくれる訳でもない。故に、気にするだけ時間の無駄となる。

 確かに・・・納得ではある。
 そういう私も、一人でいる事が大好きである。逆を言えば、他人といると不機嫌になり、イライラし、精神的にも不安定になる。親戚や隣組やPTAという言葉を聞くと虫唾が走るし、田舎の宴会や仏事なんて処刑にも思える。
 例えば、囚人を監獄という巨大な集団部屋に閉じ込めるのも、閉ざされた集団心理が如何に人を破滅に、いや壊滅に追い込む為の実証実験の様に思えるが、それは真実でもある。
 つまり、「地下室の手記」でドストエフスキーが語る様に、他人や集団から解き放たれ、1人でいる事は自由である事と同義であり、人が民主的である為の究極の理想形とも思える。言い換えれば、1人でいる事の自由とはそれだけ尊いのだろう。
 確かに、1人でいる事が好きな人は病気でも孤独でも変わり者でもない。ひたすら1人である事の自由を満喫して謳歌し、豊かな想像力と確固たる自立心を持ち合わせ、優雅に人生を送る術を持ち合わせていると言える。


ひとりぼっちで何が悪い?

 そこで今日は、”ひとり時間”を持つ事のメリットにも触れながら、ひとりが好きな人の特徴や心理を「結婚に向いてないというのは本当か?」から紹介します。
 まず特徴として、①信頼できる少数の人と深い関係を築く事を大切にする。②単独で楽しめる趣味を沢山持ち、話題の引出しも多く、趣味に費やす時間を大切にする。
 ③自分と向き合う時間を大切にし、自分の思想や考えを整理し、問題に対処するが、独学を好むのもこのタイプである。④1人の時間でエネルギーを充電し、静かにマイペースな環境で過ごす事で心が安らぐ。⑤オン/オフが明確で、仕事とプライベートの顔が明らかに違う。
 一方、ひとりが好きな人の心理も、上に挙げた5つの特徴と1対1に対応する。まず①自由である事をひたすら愛し、他人からの束縛や干渉は特に嫌う傾向がある。②やりたい事が明確な為、自分のペースで効率的に動く傾向にある。③自立心が強く、自身のペースで動く事に幸せを感じる。④マイペースが故に、他人が横にいると気を使い過ぎて逆に疲れる。⑤孤独が苦にならず、1人でも寂しいと感じる事はない。
 またメリットも同様で、①1人の時間を持つと、日常のストレスから解放され、精神的にリラックス・リフレッシュできる。②静かな環境で自由に考える事ができ、新しいアイデアが閃く。③自分と深く向き合い、自分の内面との対話を重ねる事で自己理解が深まり、判断力が研ぎ澄まされる。
 以上、@DIMEから一部抜粋でした。

 こうしてみると、良い面ばかりに思えるが、”友達がいない”とか”いつも職場や仲間内で孤立してる”とか”なぜ結婚しない”とかの問題もなくはない。
 確かに、”ひとり好き”も度が過ぎると無機質で寂しくはなる。自分にとってプラスになりそうな人だったら、心を開いて付き合う価値もあるだろうが、元々”ひとり好き”な人種は知覚が鋭く、独立独歩で大きな成功を収める人も多い。勿論、そうした人には優秀な仲間に支えられてるのも事実だろうが・・
 が故に、多くの人に妬まれ、嫌われたりするケースも確かに存在する。逆に、社交性に富む人種が友達や恋人や家族に恵まれるとも限らない。事実、私のお袋は人好きで、社交性も高く、人間関係も派手だったが、葬儀の時は友人と呼べる人は誰も来ず、意外にひっそりとしたものだった。
 一方で、人間嫌いの父や兄は地元の友人は殆どいなかったが、葬儀の時は(地元内外から)多くの知人や友人で賑わっていた。

 結局、どんな社交的な人でも死ぬ時は、他の動物と同じで、1人で死んでいくし、お祭りの中で楽しく死に絶えるでもない。
 いくら、ヒトが社会的動物だとしても、所詮は一匹の動物に過ぎないし、群れで生きようが単独で生きようが、生きる事には変わりはなく、トータルで見てもそんなに差はない筈だ。
 つまり、自分自身や家族と過ごす時間を大切にしようが、友人や知人と過ごす事で気分を紛らわそうが、人の勝手である。
 

最後に〜自分軸を生きる

 ”X世代”の私としては、何かあったら”皆でワイワイガヤガヤ”というのが普通だったが、その後にネットが時代と地球上を圧巻し、”Z世代”の若者らに押される様にして、”ひとり時間”という多様性を重視した、保守的で安定思考を生んだとも言える。
 因みに、1960~70年代生まれをX世代、80~90年代生まれをY世代、そして90年代半ばから2010年代前半に生まれた、12歳~28歳前後の若者らをZ世代と呼ぶ。
 つまり、時代が古い方から新しい方向へ流れる様に、価値観や考え方も新たな方向へと傾いていく。故に、”ひとり時間”に関する考えも大きく変わっていく。
 事実、2018年のNRI(生活者年末ネット)の調査では、1人で行動する事を”好き”と答えたZ世代は男女共に約90%にも及んだとされる。一方で、それに呼応するかの様に、22年に全国の20代から60代までの2500人を対象に行った同調査では、1人時間が多いのは”60代と20代に偏る”結果となった。

 勿論、家族を養う働き盛りのY世代が”ひとり時間”を捻出するのは意外にも難しい。  
 まず、人付き合いを限定する必要があり、上司や友人知人らの無理な誘いに応じず、予定がなくても明確に断る勇気が必要となる。また、やるべき事を限定し、物事に優先順位を決め、無駄なく動く事も大切になる。
 更に、仕事を効率良く済ませ、残業を避け、有休を上手に使う事も大切だ。勿論、出世に響くかもだが、今後はそうした自分を大切にする人種が勝ち組になる時代が来るかもしれない。
 一方で、孤立しない為には周囲の理解を得る事も必要で、思う程に簡単ではない事も理解できる。

  簡単に言えば、自分を生きるか?仕事に生きるか?の違いとも言えそうだが、私達X世代以上の人種は、自分を仕事に同化して生きてきたから、”付き合い”が独り歩きし、”ひとり時間”を持つ事はタブーに近かった。つまり、仕事あっての自分らしさだったのだ。
 勿論、自分と仕事を両立できればこれに越した事はないが、世の中や人生はそこまで単純で簡単じゃない。つまり、我ら大衆にとって自分と仕事は全くの別軸であり、お互いを切り離して生きていく必要がある。
 勿論、仕事と自分を同化出来る一部の恵まれた輩なら苦労はしないが、99%の貧しい民にとって仕事は生き抜く為の命綱でもある。

 つまり、自分の為に何でもできる人とは自分の為に仕事ができる人であり、自分を生きる人の事である。言い換えれば、自分軸を持つ事の出来る人で、もっと言えば、多種多様な複数の自分軸を持てる人の事だ。 
 従って、”自分を生きる”とは言葉の響き程に美しくも単純でもない。それでも自分を生きるという人はそれなりの覚悟と勇気が必要だろう。
 勿論、私には出来そうにもないのだが・・・



2 コメント

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自分を生きる責任と覚悟 (UNICORN)
2025-01-30 14:15:04
自分を生きるとは
自分の全てに責任を持ち、自分を自分で監視する覚悟と勇気が必要となる。
おっしゃるように
思うほど単純でも簡単でもない。
むしろ、仕事に全てを依存して生きていく方がシンプルで楽チンなのかも知れない。
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UNICORNさん (象が転んだ)
2025-01-30 20:30:06
「ミグ25で亡命・・」でも書いた様に
自由もそうですが
その自由を謳歌するには責任と覚悟が必要となります。
同じ様に、自分を生きるとは自由を生きる事と繋がります。
言われる通り、仕事に生きた方が案外ラクなのかも知れませんね。
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