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危機意識の欠如が招いた「キューバ危機」”その2”〜カストロとアメリカの対立

2021年09月28日 05時10分47秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 前回(その1)では、キューバ危機(1962)の概観を書きましたが、今日はそのキューバ危機の根源となるカストロとアメリカの対立を描きます。
 ウィキと「キューバ危機〜ミラーイメージングの罠」を参考に纏めます。


キューバ革命とキューバ危機の起源

 1959年1月の”キューバ革命”で親米軍事独裁のバティスタ大統領を打倒したフィデル・カストロ(写真)は、バティスタ派を簡易裁判にかけ、600人を処刑した。
 しかしカストロはアメリカに対し、”(今までと)変わらず友好関係を保つ”と表明、4月にもワシントンを訪問し、革命政権の承認を求めた。
 カストロを警戒し、欠席したアイゼンハワーに代わりに会談したニクソン副大統領は、”革命後の共産主義拡大”や”反革命派の処刑”などを問い詰め、カストロは怒りだす始末。
 このカストロの態度を受けたニクソンは、アイゼンハワーに”カストロは打倒すべき人物で、キューバに侵攻すべき”と進言する。

 アメリカに冷遇されたと感じたカストロは、冷戦下でアメリカと対峙してたソビエトとの接近を開始。その後、キューバとアメリカの関係は悪化の一途をたどり、米政府・企業・国民が所有する全ての国内資産の完全国有化を進め、キューバとアメリカの対立は決定的となった。
 1960年9月にアメリカ政府は、国内にある全てのキューバ資産を差し押さえ、キューバに経済および軍事援助を行った国に対する制裁を課す様になる。
 一方でカストロは、同年9月末の国連総会にて4時間半にも渡る演説を行い、キューバ革命を自画自賛すると共にアメリカを非難。
 アイゼンハワーは対抗策として、キューバ最大の産業である砂糖の禁輸措置に踏み切り、1961年1月3日には国交断絶を通告。この間、大量のキューバ避難民がマイアミに到達し、その数は10万人に達した。

 同年1月20日、J・F・ケネディが大統領に就任すると、昨年3月から計画されてた”カストロ政権転覆計画”を実行。
 ”アメリカ軍が直接介入するではなく、CIAの援助の元に亡命キューバ人が組織した反カストロ軍が進める作戦”と理解し、”アメリカの正規軍が直接介入しない”事を条件に作戦を許可した。
 

ピッグズ湾事件とカストロ暗殺計画

 1961年4月15日に行われた最初の空爆作戦が失敗、制空権を確保できないまま、4月17日に1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸した。しかし、上陸を予想したキューバ政府軍の反撃に遭い、更に空からキューバ空軍の攻撃を受け、部隊は孤立。
 結局、亡命キューバ人部隊は1189名が捕虜となり、114名が戦死するなど壊滅し、作戦は完敗に終わる。
 この”ビッグス湾”作戦の失敗の原因は複数あるが、計画そのものが杜撰で、キューバ軍の反撃も当初の見積もりが過少すぎた。
 作戦失敗の直後、ケネディはキューバへの経済封鎖の実施を発表。これを受け、キューバ政府は先の革命が社会主義革命である事を宣言し、アメリカの挑発に答えた。

 同年6月にウィーンで、ケネディ大統領とフルシチョフ首相の最初で最後の首脳会談が行われた。
 ケネディが持論である”大国同士の誤算が戦争を引き起こす”と話すと、フルシチョフはキューバ問題について”バチスタを支持した事が僅か600万人のキューバ国民を怒らせた。(アメリカの)キューバ上陸作戦はキューバ革命勢力とカストロの地位を強めただけで、誤算を引き起こす事になる”と語った。
 最後にケネディは、キューバに関して判断ミスがあり、ピッグス湾事件は誤りであった事を認め、両者は”誤算(危険)を生む可能性を排除する”事に同意したが、フルシチョフは、”危険はアメリカが革命の原因を誤解した時にのみ起こるものだ”と切り返す。

 ピッグス湾事件の7カ月後の1961年11月、ケネディは軍事作戦とは別に隠密作戦の検討を始めた。この”マングース計画”とは、(カストロ暗殺も含め)翌年10月までにカストロ政権を転覆させる筈だったが、ケネディが本気であったかは今も不明である。
 事実、マングース作戦は徐々に進捗したが、キューバでミサイル基地が発見された翌年10月15日にも作戦が予定されてたが急遽中止となった。


核ミサイル配備とアナディル作戦 

 そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備え、ソ連に最新鋭のジェット戦闘機や地対空ミサイルなどの供与を要求しはじめる。更にソ連は1962年夏、最新兵器の提供の代わりに秘密裏に、核ミサイルをキューバ国内に配備する”アナディル作戦”を可決し、カストロ政権もこれを了承。
 フルシチョフがキューバへのミサイル配備を検討を始めたのは1962年4月の終わり頃で、ミサイル配備で軍事バランスをアメリカと均衡させる為に、あえて秘密裏な核ミサイルの配備に拘ったと言える。
 このアナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされてたソ連が、その不均衡を挽回する狙いがあった。
 事実、アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパやトルコにも中距離核ミサイルを配備していた。一方、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦と爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかった。

 アナディル作戦には大量の軍需物資や戦闘機やミサイル、それに約5万人の派兵が必要とされ、それらを秘密裏に運ぶ船舶が85隻も必要であった。
 核兵器として、中距離弾道ミサイル24基、準中距離弾道ミサイル36基。陸上兵力には、4個連隊合せ1万4000名。各連隊に戦車・大砲・対戦車ミサイルを装備。そして射程40キロの短距離ロケット36基。
 航空兵力としては、軽爆撃機”Il-28”42機、戦闘機”MiG-21”40機、地対空ミサイル72基。沿岸防衛には、巡航ミサイル(KR-1)80基、巡航ミサイル(S-2)32基、巡視艇12隻。
 因みに、キューバに派遣された人員は4万5234名であった。

 この年の8月には、ソ連とキューバの間で軍事協定が正式に結ばれた。公表を求めるキューバに対し、フルシチョフは公表する必要はないと退けたが、もし公表してもアメリカは反対できなかったとする見方も多い。
 つまり、ソ連とキューバの核ミサイル配備の合意は国際法上完全に合法であった。
 しかしフルシチョフは、1962年11月にNYの国連総会に出席し、そこでキューバのミサイル基地建設の成功を劇的に公表するつもりであった。すれば西側にベルリンからの撤兵を要求するカードにできると考えた。
 遡ること9月、ケネディ政権はソ連に対してICBMの数で2対1の割合で勝ってる事を明らかにしていた。しかし、ここでキューバに中距離弾道ミサイルを配備すれば、アメリカ国内を攻撃でき、米ソ間の核バランスをソ連優位に出来るとフルシチョフは考えていた。


ケネディの油断と警戒

 1962年7月から8月にかけ、ソ連やその同盟国の貨物船がキューバの港に出入りする様になった為、アメリカ軍はキューバ近海やキューバ国内の偵察飛行を強化していた。
 しかしこの時、ソ連が核ミサイルの配備を試みてると考えた者はCIA長官のマコーン以外にはいなく、CIA内部でもソ連は核を運んでると分析する事はなかった。お陰で米軍は偵察飛行を制限した。
 こんな中、ケネディは確かな証拠は手に入ってないが、もし”配備されてたら容赦はしない”と警告を出す決意をする。
 9月4日、ケネディは議会で、”現時点でソ連軍の大規模な展開はあるが、今までの監視から見て防御的な性格である。戦闘部隊が派遣されてる証拠も軍事基地を提供してる証拠もない。しかしもし証拠があるとなれば、極めて深刻な事態が起きる”と警告した。

 一方9月6日、ソ連のドブルイニン駐米大使は”全ては防衛的性質のもので、アメリカの安全に脅威を与えるものではない”と説明。 
 これを受け、ケネディは11日に、”キューバがソ連に軍事基地を提供した場合、アメリカは自国および同盟国を守る為にあらゆる事は全て行う”と声明を出す。
 同11日にソ連は声明を発表し、”キューバに対する如何なる軍事行動も核戦争を引き起こすだろう”と警告した。

 しかしその間にも、ソ連から巧妙にカモフラージュされた核ミサイルや、核兵器搭載可能なアメリカ東海岸までの航続距離を持つIl-28爆撃機が秘密裏にキューバへ運ばれ、核ミサイルのキューバ配備が急速に進んでいく。
 一方、ケネディの命令により偵察機の撮影が制限された米軍情報部やCIAは、ソ連の巧妙なカモフラージュを全く見抜く事ができない。事実、キューバに運ばれたソ連軍兵士の数も実際は4万3000人程度を、その1/4以下の約1万人と見積もる有様だった。

 9月下旬に入りケネディは、キューバ上空の偵察飛行を再開させたものの、ソ連の急速で大規模なキューバ国内への核ミサイル基地配備には気が付かないままであった。


 少し長くなったので今日はここまでです。以上を簡単にまとめると、キューバ革命によりカストロ共産政権が誕生し、それをきっかけにアメリカとキューバが対立。
 お陰で、当時冷戦状態であったソ連と(秘密裏に)軍事同盟を結ぶ事で、アメリカをソ連とキューバの両方から挟み撃ちできる格好となりました。

 ケネディ新政権を”弱腰”と睨んでたフルシチョフは、アメリカに全面核戦争の脅しを掛け、ベルリンを手中にする思惑があったのは確かでした。しかし要は、ケネディがどれだけソ連の腹の裏を見抜けるかが、”キューバ危機”の焦点となっていく・・・



4 コメント

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北朝鮮危機 (#114)
2021-09-28 21:04:23
相次ぐ新型ミサイル発射実験
韓国は
カードが切れそうにもないから
日本がどう対応するのか
それとも全ては中国次第か
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#114さん (象が転んだ)
2021-09-29 03:26:36
一昔前なら、ドンとカマして”はい終わり”なんでしょうが・・・
韓国と同じで、未だに訳わからん事をやってくるんですよ。
でも全く無視する分けにもいかんし、延々と続く悩みの種ですよね。
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Unknown (unknown)
2021-10-01 06:10:09
キューバ危機というより,
実質的にはアメリカ危機だった。
もしカストロがフルシチョフの説得に応じず
核のボタンを押してたら?
今のアメリカは存在しなかったろうか。

ソ連の支援を拒み
カストロと決別したゲバラだったら
核のボタンを押しただろうか?
アメリカは消滅し、真の意味でのキューバ革命が完結したのだろうか?
しかし歴史にタラレバは存在しない。
存在するのは今そこにある現実だけである。
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unknownさんへ (象が転んだ)
2021-10-01 07:35:12
カストロの場合
急場革命では一度は挫折し、キューバ危機でも結局は折れました。
一方でゲバラはキューバ革命の真の英雄であり、キューバ危機の時はNo.2だったんですが、ゲバラがカストロの立場だったら、ケネディやフルシチョフよりも上を行ったでしょうか。
でも言われる通り、歴史はアメリカに味方しましたね。
貴重なコメント有り難うです。
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