象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

今も残る「東京ブラックホール」その2〜”戦後ゼロ年”の日本は、米軍と戦犯者の生贄にされた〜

2020年03月19日 04時37分25秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 前回(2/20)の”その1”(Click)では、”東京ブラックホール”に隠された”戦後ゼロ年”の国家ぐるみの悪質な犯罪とその仕組みについて述べました。
 書いてる内にムカっ腹が立ちますが、日本人の貧しくもステレオタイプの均一で貧弱な思想が、こういった一部の権力者の暴走や傲慢を許したのかと思うと、少し日本人である事が情けなくなってきます。
 戦後日本人の奇跡の復活が、その勤勉さと辛抱強さにあると信じてただけに、少し辛いですね。
 ”信じる者は潰される”とはホントだった。

 そこで今日は、「戦後ゼロ年」に隠された”東京ブラックホール”の真相に迫ります。


ようやく見えた「戦後ゼロ年」の真実

 74年前の敗戦をめぐる記憶は日々確実に薄れている。とりわけ記憶の劣化が著しいのは、敗戦直後の一年間、つまり”戦後ゼロ年”である。みじめな焼け跡暮らし、占領の屈辱、飢え、虚脱感、思い出したくもないヤミ買い。
 高度成長という威勢の良い華やかなサクセスストーリーの陰で、我ら大衆は暗い役回りを押し付けられてた。
 だがもっと本質的な事は、敗戦直後の時代にはその時代を経験した人でも知る事のできなかった秘密が沢山あったという事。

 占領軍は、情報をコントロールしてる事を悟られない様な巧妙なやり方で検閲を行った。
 メディアを支配する情報戦を仕組み、その結果、占領政策にとって都合の悪い出来事や情報は隠されたまま、いわば”ブラックホール”の中へ姿を消してしまう。
 ”戦後社会の原点”とみなされる”戦後ゼロ年”にも拘らず、多くの真実が欠落し、核心がぼやけたまま風化してしまった。

 ところがここへ来て思いがけず、”戦後ゼロ年”をめぐる新しい視野がもたらされた。
 原動力の1つは機密資料の公開だ。2007年に機密解除された10万ページのCIA文書や150万点に達するGHQの検閲記録や、A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。
 こうした極秘文書を多くの証言と突き合わせると、”驚くべき真実”が続々と浮かび上がってくる。
 以下、”東京の慰安婦は米軍の生贄にされた”(Click)から抜粋&編集です。


日本政府が作った”性の防波堤”

 敗戦から3日後の1945年8月17日、東久邇内閣が組閣された。その国務大臣に就任した近衛文麿が何よりも急いだ事とは?
 実は近衛は入閣直後、直ちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、米軍相手の”売春施設”を作るよう要請した。
 40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、日本の元戦争指導者が最も恐れたのは、何と兵士による”性犯罪”だった。そして”性の防波堤”となったのが、”国策売春組織”つまり”特殊慰安施設協会(RAA)”であった。

 RAAの公式記録ではこう述べられてる。
 ”RAA協会がその使命を忠実に達成する為、真先に開業したのは性の慰安所だ。進駐軍将兵にとって何よりも先ず慰安すべきは、セックスの満足である”
 電光石火の如く、霞が関が動いた。
 外務省•内務省•大蔵省•運輸省•東京都•警視庁など、主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長の池田勇人(後の首相)である。池田の号令で大蔵省がポンと3300万円(現在の10億円)を出す。
 全くSEXの事になると、官僚とはいえ、真っ先に頭も下半身も興奮するんですな(悲)。

 占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人や官僚が、外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのはなぜだろう? 
 国家が主導する売春施設を準備した警視総監•坂信弥は、こう証言する。
 ”東久邇さんは南京に入城された時の日本兵のした事を覚えておられる。それをアメリカにやられたら大変だろうなという頭はあったのだろう”
 つまり軍国主義者が怯えてたのは、来るべき占領軍の性の蛮行というより、鏡に映った己の姿の日本軍の性の影だったのだ。


体中が痛くて痛くて・・・

 8月28日の午前9時、RAAの幹部20名が皇居前広場に集合し、宣誓を読み上げた。
 敗戦国のドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも占領軍を相手にする”売春婦”は大勢いた。
 しかし、国家が号令を発し、莫大な予算を投じて官僚がプロジェクトを組み、”国体護持”の為に女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国は他にない。
 8月27日、RAAは占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に”慰安所第一号”として、”小町園”を開店した。ポツダム宣言の受諾から僅か2週間の事だ。

 50人の女性、それも大半はシロウトの女性が送り込まれ、10畳や20畳の大部屋をカーテンや屏風で仕切り、30ほどの部屋が作られた。待ちかねた様に、米兵がどっと押し寄せ、障子や襖を蹴破り、土足で押し入ってくる。
 勿論、女たちは恐怖のどん底へ投げ込まれた。”恐怖に怯えるまもなく、兵隊が入ってくるなり私を抱くと、しびれる程に唇を吸う。入れ替りに次の兵隊がくる。次から次へと抱いては送り、送っては抱き、体中が痛くて•••”

 小町園を皮切りに、東京だけで33か所がオープン。従業員は450人、ダンサー2000人、それに350人の慰安婦。一人の女性が最高で1日60人を相手にしたとの証言もある。
 まるで戦後の東京は、”SEXアイランド”だったんですね。今の歌舞伎町の原型が既に出来上がってたと。


売春宿は作れど、性犯罪は減らず

 一方、国家の肝煎りでRAAの高級取りであった筈の幹部連中は何をしていたのか?
 当時、警視総監であった坂は、”RAAがあったお陰で占領軍兵士による強姦事件は殆どなかった”と(嘘の)主張をした。
 しかし、近年公開された米軍極秘資料では、実態はむしろ逆であった事を示唆してる。
 事実、米兵による暴行事件は8/30に始まり、RAAの営業によっても止む事がなかった。
 この年の11月中に発生した米兵の犯罪は、婦女暴行、強姦、盗み、脅しなど554件に達した。報道が禁止されてた故、一般に知られなかっただけなのだ。

 特に強姦や強盗事件が多かったのは、”小町園”に近い大森海岸だ。この大森で強盗•強姦事件が頻繁におきたのも慰安所と関係があった。タバコや洋服を金に替えろと強要する奴が多かったし、その他、強盗をして女を抱き金を得ようとした。
 ”慰安所にはカネのないGIが行列をなしてあぶれる。そうなると手当たり次第、女とみると襲いかかる”
 まるで、性犯罪と強盗の負の連鎖ですな。

 結局、RAAの組織と人脈から占領終了後、”赤線”基地売春が生まれた。国家が作り出したこの巨大売春施設こそが、戦後の”売春産業の源泉”だったのだ。


今も残る”戦後ゼロ年•東京ブラックホール”

 ”戦後ゼロ年のブラックホール”に迷い込んだのは、国家の”生贄”となった女ばかりではない。占領下の東京には、至る所にブラックホールは存在した。
 新たに発掘された映像からもその痕跡がみつかる。”その1”でも書いたが、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。
 これは数兆円にも及ぶ日本軍の隠匿物資の一部だ。元はといえば、本土決戦の為に軍が国民から徴用した物資であり、こうした莫大な財産は国民には返還されず、高級軍人や官僚など特権階級に横領され、ヤミ市に横流しされた。

 ”戦後ゼロ年”の飢餓やインフレは、戦争中より深刻だった。もし隠匿物資が国民を救う為に使われてたら、どれ程多くの戦災者が救われてたろうか。
 つまり、人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔した”エリートの不正”によってもたらされたのだ。
 この事実を、私たち日本人は脳裏にしっかりと刻み込むべきだ。

 一方で膨大なCIA文書から、”戦後ゼロ年”にどの様な権力構造が生まれていたか?を知る事もできる。例えば、占領軍は表向きは”日本を民主化し、軍国主義者を追放する”政策を推進したが、裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしてたのだ。
 米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。 
 故に、軍国主義の戦犯系の残党や闇成金や官僚や政治家を問わず、占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。

 こうして”戦後ゼロ年”を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した日本の支配層との合作で、”世界最大の親米国家ニッポン”が造られていく。その時に出来上がった権力構造のDNAは、今も日本を支配してる。
 つまり戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、戦争を推進した旧支配層を取り込んだ。そして、アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのだ。

 「戦後ゼロ年〜東京ブラックホール」では、今まで視界から失われていた闇を見つめ、私達の記憶の欠落を埋めていく事を試みた。
 そこで、復元された”戦後ゼロ年”の姿を現在の日本と重ね合わせれば、今の日本を呪縛する仕掛けも見えてくるに違いない。
 以上、gendai ismediaからでした。


最後に〜戦犯者が作り上げた”戦後ゼロ年”

 長々と2回に分けて、戦後ゼロ年の真相を書いてきましたが、戦争を仕切ったA級戦犯系の残党がこうやって温々と生き延びてた事に憤りと驚きを感じる。
 彼らの殆どは普通なら、軍法会議で処刑されるか終身刑だろう。しかし彼らが生き延びた先は”戦後ゼロ年”という楽園だった。
 彼らは、占領軍と深い繋がりを持つ事で重罪を免れ、その上機密情報を漏らし、飢餓で苦しむ国民を救う筈の隠匿物質を差し出す事で甘い蜜を吸い続けた。
 その上、戦後の国家権力の中枢にまでのし上がった。

 つまり、”東京ブラックホール”とはアメリカ占領軍を起点とし、A級戦犯系犯罪者が作り上げた”黒い花園”だったのだ。
 岸信介も安倍一族もその戦犯系の一派だと思うと悲しくも腹が立ってくる。安倍首相が”トランプのポチ”だと揶揄されるのも当然だ。

 最後に、前回と同じ言葉で締め括る。
 結局、戦争とは戦犯系にとっては”美味し過ぎた果実”であり、国の為に命を掛けて戦った兵士とその遺族にとっては”不都合過ぎる現実”でもある。
 何時の世も、権力は不正や汚職という甘い蜜を吸い続け、大衆はその権力に踊らされ続け、最後には餓死する運命にある。
 それは今も昔も戦後も戦前も全く変わってはいない。



6 コメント

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戦後ゼロ年と安倍一族 (#114)
2020-03-19 15:26:13
戦犯がアメリカと結び付き
アメリカのポチになって生き延びる
岸信介と安倍晋三のパターンと同じだ
戦後ゼロ年のブラックホールは
今の安倍政権に見事に引き継がれてる

岸が願い安倍が望む憲法改正を
一番願ってるのはアメリカなんだな
日本の戦後の歴史って
アメリカが定規で引いたレールの上を
寸分狂わず進んでんだね
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森友改ざん文書発覚~安倍崩壊の序曲 (paulkuroneko)
2020-03-19 16:22:05
とうとう安倍一族崩壊のシナリオが色濃くなってきました。
このタイミングで改ざんの経緯を書き残した手記を遺族側が公表しました。まるで『新聞記者』を地で行くような展開ですね。
NHKによると決済文書改ざんに関与させら自殺した財務局の職員の手記と遺書です。手記には2種類あり森友の不正の全てが書き記されてます。

”本省が全ての責任を追うべきだが最後は逃げて財務省の責任に押し付ける怖い組織です”と言い残し、彼は自殺しました。死を覚悟した者の言葉の重みがこっちまで伝わってきます。

財務局職員が自殺したのは一昨年の3月、改ざんが発覚した5日後の事でした。という事は彼の遺族は2年間も安倍政権の黒い圧力を受け、苦い汁を吸い続け耐えてきた訳です。

”今の健康状態を考えるとこの方法(自殺)でしか不正を訴える事はできません”との言葉に胸が詰まります。
赤城さんの死が安倍政権崩壊のひと刺しになる事をただただ願うばかりです。
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#114さん (象が転んだ)
2020-03-19 22:31:07
とうとう安倍も追い詰められましたね。
コロナウイルスのお陰で日本はアメリカが差し出した路線を歩めなくなりつつあります。これが吉と出るか凶と出るか?
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paulさんへ (象が転んだ)
2020-03-19 22:42:19
コメント、早速ブログにしました。
日付が変わった明日の朝、投稿する予定です。本当はヤコビについて書く予定だったんですが、時代というのは変わる時は一気に変わるんですね。
コメントとても参考になりました。
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シラミ潰し (腹打て)
2020-03-20 22:27:22
戦後はシラミが大流行した。
しかし今やそのシラミは戦犯系派閥として政界や経済界で生き残り血縁を交える事で繁殖する。
今私達はこの権力というシラミを駆除するべきだ。その筆頭が安倍一族というシラミだ。
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腹打て腹さん (象が転んだ)
2020-03-21 04:21:32
シラミと権力
いい響きです。
巨悪の権力や政界も1つ1つ丹念に潰していく必要があるんですかね。
コメント有難うです。
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