ブログ友の記事に”笑いについて”(Click参照)というのがあった。
笑いというのは年代によっても捉え方が違うし、男女間の違いもある。勿論、国によっても違うし、地方によっても違う。東京と大阪の笑いも違う。
しかし、一時隆盛を誇ったお笑いも最近は冬の時代に突入した感がある。お陰で、漫才大好きな私も今は殆ど見なくなった。
煩いだけのバラエティーは、お笑いとは程遠いからだ。いやお笑いとは言えそうにもない。
1980年から82年までのごく短い期間に大ブレイクした、”漫才ブーム”というのは記憶に新しい。しかし、この漫才ブームの前のお笑いの王道はドリフターズにあった。
特に、「8時だよ!全員集合」はお茶の間の娯楽の王様でもあった。そのドリフターズの中心的存在に君臨してたのが志村けんだった。その志村けんの前は荒井注がドリフのお笑いの中心だった。
荒井注に入れ替わる様にして、志村けんが入ってきた時、少し不安に思った。というのも、荒井注とは180度異なるキャラだったからだ。
荒井注は、純朴で大人受けするマニアックな笑いを誘った。ブスッとした不気味な暗い表情で、”何だ!馬鹿野郎”とポツリと呟く。このオチが私には何とも堪らなかった。
一方で志村けんは、とにかくバカをやってやってやりまくった。マニアックというより、子供から大人まで万人受けする”お笑いの百科事典”だった。
志村けんのお陰でドリフターズは絶頂期を迎えた。志村けん以外の4人(いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー)の存在が薄くなる程に、志村のお笑いは日本全土を揺るがした。
しかし、お笑いの一時代を築いた志村けんもコロナウイルスには勝てなかった。
新型コロナが蔓延する夜の飲食店にも敢えて足を運んだ。東京都が歓楽街を強制封鎖したとしても、志村は裏ドアから通ったであろうか。
”売上が落ち込んでるの”と、クラブのママさんにセガマれてとあるが、志村けんも自粛には堪えきれない”何か”があったんだろう。
自ら死に急ぐかの様に、あっさりと息を引き取った。死に急ぐ若者ではなく、”死に急ぐ高齢者”だったのかもしれない。
しかしある意味、彼らしい死に方だと思う。好きな事をして死んでいくのは素晴らしい事だ。誰もが出来る訳ではないし、誰もが思い描く理想の究極の死に方だろう。
この死に方が、志村けんが考えた”オチ”だとしたら、彼は生まれながらのお笑い師という事になる。
志村けんには最高の医療スタッフがついてたとは思いますが、重い持病を持ってたんでしょうか。
とにかくご冥福をお祈りします。
行くならスケベパブだけだったか。酒も飲まないから飲酒で捕まる事もないし、代行も必要ない。つまり、お財布に優しいエロパブでした(笑)。勿論、今は行く気も起こらないんですが。
晩年のドリフは志村けんのワンマンでしたもんね。志村けんだけでなく他の芸能人も結構入り浸ってるかもです。
私の予想では男性芸能人の半分は感染者だと見てます。
東京都が緊急事態宣言を出せないのは、夜の風俗業者の反発が怖いからでしょうか。資金源も芸能人や著名人に跨ってますからね。
でも志村けんさんの死を無駄にしたくはないです。
その入れ替えで志村が転がり込んだ
最初、全く受けないギコチナイ
殆ど素人に近い「浮いた存在」が
彼の印象だった
だが、加藤との掛け合いが受け出し
志村ドリフ一極支配の様相に変貌
いかりやも嘸かし複雑な心境だったろう
加藤も志村を何とかドリフの一員として
一人前にしようとサポートしていたのが
逆に志村にドリフを仕切られ
いかりや同様、違和感を感じていた筈だ
そして、ドリフ人気に陰りが見られ出した時期、志村が屋台骨を支える存在となった
志村のこうした豹変ぶりを通して、彼の独自性が高められ、ドリフを超える笑いのトップリーダーへと躍進させる事となった
コロナ死を遂げたが、中国から日本の「喜劇王」と評され、面目躍如の感がある。だが、ガールズバー通いの末コロナの犠牲となったのなら、それこそ「バカ殿」を実演した「悲劇」の主人公となる。そうした結末をも含め、シムケンは語り継がれる喜劇役者なのだろう
タイのバンコクでは全土で夜間外出禁止令が出たそうです。全土はあんまりだとは思うけど、都心部だけ夜間外出禁止というのもアリだと思う。
東京も来年のオリンピックに向け歓楽街を浄化しようと思うのなら今がチャンス。怪しく如何わしい店を完全封鎖する事で、税収は減るかもしれんが、歓楽街を浄化するにはいい機会だと思うけど。
志村けんさんも天国で”だいじょうぶだぁ”って叫んでる様な気も。
志村けんの場合、ワンマンな所があり、最初の頃は批判や誤解も多かったようですが、勢いで突っ走った感じがします。
でもお腹を痛める程に笑ったのは、やはり志村けんでした。
昭和のお笑いがなくなり、何だか寂しくなりましたね。
コメント有難うです。
度々、貴ブログを拝読しています。
僕も「荒井注」のシニカルな笑いが好きでした。自分にとってはドリフのスターは「加藤茶」。「志村けん」は、その存在感の大きさや人気は認めながら、ずっと「後から加入した人」でした。
コント王の死は、やはりひとつの時代の終わりを象徴しているように思います。同じ昭和世代としては寂しい限りです。
ではまた。